第十話 追撃
森の中に響くのは草木を掻き分ける音と怒声と罵声。後ろからは殺意の塊が襲い来る。
「駄目だ。ケツに食いつかれてやがる」
「おい、待ってくれ!! っ、ぁ」
仲間の悲痛な呼び声が敵の足音でかき消され聞こえなくなる。既に数人が餌食になりながら調査隊は進んでいた。
「このままじゃ全滅だ」
騒乱に紛れ誰が言ったかは分からないが、小さなそれでいて諦めたような声が聞こえてくる。
「足止め必要か……バウデン、指揮を頼む」
「了解」
「フラクタル、テーバー、アルタシュエいるか!!」
端からフラクタルとアルタシュエがアランの元へとかけて来た。
「俺とアルタシュエはいるが、テーバーはやられた」
直属の部下の戦死に、アランは何を思っているのだろうか、軽く歯を噛み締め走り続けている。
「分かった……これから本隊を逃がすのに足止めを行う」
「三人でか?」
フラクタルは無謀だと言いたげにアランへ返事をする。
「いや……それじゃ足りない。シンドウ、後ろにいるな?」
振り向く事無くアランは俺の名前を呼ぶ。
「いるぞ」
嫌な予感を感じながらも俺は返事をする。
「シンドウのユニークスキルが必要だ。手伝ってくれ」
その発言に横で並走していたアーシェとリアナが不安そうな顔で俺を見てくる。殿は撤退戦で最も死亡率が高く危険な任務だ。誰もが喜んでやる事ではなく、俺も喜んでやりたくはない。
だが、誰かが殿をしなければ隊は全滅する。そうなれば数人が一時的に逃げたとしても、敵による山狩りと魔物の襲撃から逃げ続けるのは難しいだろう。
(それに俺の能力が隊の中で一番殿に適しているしな)
「分かった。アーシェ、リアナ先に行っててくれ」
「いや、アタシもやるよ」
「私も手伝います」
「確かにアーシェは強力な戦力になるが、今回は接近戦をするつもりはない。リアナも貴重な回復魔法持ちだ。本隊を支えてくれ」
二人が殿を申し出てきたが、アランがそれを断る。二人もこの状況下で駄々を捏ねる程、子供でも馬鹿でもない。
「ッ、分かりました。御武運を」
「また後でね。待ってるから」
「ああ、大丈夫だ。後で絶対に合流する」
「……悪いなシンドウ、付き合って貰って」
速度を落とすとアラン達は俺に並んで走る。
「アンタも大変だな。何時もこんな仕事ばかりなのか?」
俺のふざけた調子の問いにアランは苦笑しながら否定する。
「いや、こんな酷いのは初めてだよ。……作戦は簡単だ。敵に捕捉されないようにひたすら遠距離・中距離から攻撃を繰り返す。それだけだ」
「嫌がらせか」
「得意だろう? 武術祭の試合は聞いている」
アランは悪戯を考えている子供のように笑みを浮かべる。
(こんな顔も出来るのか)
作戦中は私情が湧かないように、わざと他人と馴れ合わないようにしていたのかもしれない。
「ああ、嫌がらせは得意だ」
「倒せなくてもいい。怪我をさせて足を鈍らせろ。それだけで俺達の勝ちになる。さぁ、仕事の時間だ。絶対に生き残るぞ」
全員が逃げる中、俺達は反転して、追撃を仕掛けてくる敵に向かい合う。
「シンドウこれを使え」
アランが調査隊から集めた投げやり二本を地面に突き刺す。
俺が手に持っている投げ槍を含めれば3本になる。これで残っている投擲物は投げ槍3本、投げ斧1本、スローイングナイフ7本、棒手裏剣2本、小鉄球が一回分。
森の奥の草木の切れ目からは敵が攻め上がってきていた。
助走を付け、思いっきり投げ槍を投擲する。槍がしなる程の勢いで投擲された槍は、軽く山なりになりながらも飛んで行き、絶叫が森に響いた。
「アァアアアアっ!!!!」
「待ち伏せだ」
「投げ槍だ。近くに敵がいるぞ」
耳を澄ませば、動揺する敵の声が聞こえる。常識で考えられる投げ槍の射程範囲でこちらを探しているようだが、そんな近くには俺はいない。
地面に刺さった槍を引き抜き、そんな彼らの元にまた投げ付ける。先ほどと同じ軌道で迫った槍はこちらへと進む敵に突き刺さった。
「肩がぁ!! ああ、ちくしょう。ふざけやがって、何処からだ」
「進め距離を詰めろ!!」
やられた味方を無視して、敵はこちらとの距離を詰めてくる。既に敵がはっきり確認出来る位置まで迫って来ていた。三本目の槍を放つ。
流石に何人もやられたことで学習した敵は、避ける事は間に合わなくとも盾で槍を防ごうとした。
普通ならばそれで問題ないだろうが、俺の槍はそうはならない。盾を貫通した投げ槍はそのまま胸部へと突き刺さる。
「アイツか!! 射殺せ」
弓使いが矢を引き、俺に向けて射る。木の陰に逃げ込むが数本の矢が俺を掠める。その間に他の敵が距離を詰め始めた。
(このままじゃ不味い)
射手に投擲をする為に身を乗り出そうとしたが、その必要はなかった。地面の窪みに隠れていたアルタシュエとフラクタルが魔法を放ったからだ。
「炎弾よ敵を焼き尽くせ」
「氷槍よ敵を貫き倒せ」
唱えられた2つの魔法は敵を焼き、貫き殺していく。
「まだ伏兵が居るぞ」
マジックユーザによる派手な魔法により敵の警戒が俺から薄れた。
(余所見したな)
「炎弾よ敵を焼き尽くせ」
俺は詠唱していたファイアーボールを敵へと放つ。直撃こそはしなかったものの、余波と炎により敵を傷付けた。
「クソッたれ、全員マジックユーザーだ」
「あいつらさえ殺せば戦力はがた落ちだぞ。殺せ!!」
炎を乗り越え敵が殺到して来る。あれだけ魔法や投擲物を見せ付けられたのに怯む様子はない。
フラクタルとアルシュタエは敵との距離をとる為に走り出した。俺もそれに続かなければいけないが、その前に地面に落ちていた手ごろな石を拾い、そのまま投げ付ける。
「たかが石だ。頭に当たらなければ――?」
男の言う通り、怪我こそはするものの、ただの石なら打ち所が悪くなければ死ななかっただろう。問題なのは《異界の投擲術》、それも魔力を込めて投げられた事だ。
吼えていた男に当たった石は男の腹部を抉り取り、男を戦闘不能へとする。魔力消費が跳ね上がるが、スローイングナイフも無駄に使う訳にはいかないので仕方がない。
武器という存在ではない石は魔力の効率が悪いが、それでも魔力効率を無視すれば弾丸と化す。二度目の投石で石は敵の顔面へと当たった。
魔力を込めた投石を喰らい顔面の半分を喪失した襲撃者は地面に崩れ落ちる。
「なんだあれは」
「石であんなに……」
投石により顔面を喪失した仲間を見た周りの敵は、明らかに動きが鈍くなった。俺は逃げながら石を拾い、投擲を続ける。
「びびるな。ただの石だ」
「だが、やばいのも混じってんだぞ!?」
数個に1つの割合で石に魔力を込めて投げているだけだが、全ての人間に魔力を読み取る能力と投石を避ける能力がある訳じゃない。ただの石に対しても敵は過剰に反応し出した。
(このまま逃げ切れるか――?)
そんな事を考えた瞬間、側面から音がし、急速に迫ってくる。若干の斜面になっているにも関わらず、凄まじい移動速度だった。
獰猛な目付きにアーシェと類似する耳、それは明らかに獣人――。
俺は油断していた訳ではない。迫る獣人が速過ぎた。
(早い!? 獣人か)
バックステップをしようとするが草木に足がとられてうまく距離を稼げない。即座に鞘からバスタードソードを抜くが獣人の方が僅かに早かった。マチェットを防ごうと手を伸ばすが、獣人の空いている手で弾かれた。
そのまま獣人のマチェットが無防備な俺の首を切り裂こうとする。
(クソ、間に合わない。殺される)
そんな獣人のマチェットの刃先が喉に到達する前に、突然獣人の腕と首が喪失した。横目で確認するとそこにいたのは血に塗れたロングソードを持つアランとフラクタルだ。
「すまない。助かった」
アランは無言で頷き、迫る敵を見る。アランは何かを詠唱していた。そしてそれはもう詠唱し終わるところだった。
(アランはまだ魔法を使っていない。何を詠唱してるんだ?)
「暴風よ撒き散らせ」
アランによって唱えられた風属性上級魔法は森の中で暴風となり、木の葉や枝を撒き散らしながら、敵へと襲い掛かる。あの中は暴風に加え、風で巻き上がる土埃により視界も悪くなっているだろう。
「よし、今のうちだ。距離をとるぞ。今ので魔力をかなり使ってし――伏せろ!!」
アランの叫び声に反応して、上半身を反らしながら地面へと伏せる。何かが頭上を通り過ぎ、木に突き刺る。それは氷だった。
(氷柱!? いや、氷の槍か)
「フラクタル!!」
アランの悲痛な声が聞こえた。振り向くと反応仕切れなかったフラクタルの喉に氷槍が突き刺さっている。既に体はピクリとも動かない。
氷槍が飛んできた場所にスローイングナイフを投げ付けるが手ごたえはなかった。
「フラクタル……ダメだ。死んでる」
「行くぞシンドウ。今の内に逃げるんだ」
本当なら仲間の死を悲しみ、亡骸を弔いたい、仲間の仇を取りたいはずだ。だが、今はそんな時間はない。
「ああ、だがアルタシュエは?」
「はぐれてしまった。だが、あいつなら大丈夫なはずだ。単独でも本隊に追いつける」
「分かった。行こう」
敵から距離を稼いでいるとき、俺の視界に大木に群がる巨大蜜蜂が入った。凄まじい数だ。リュブリスで蜂蜜を集めた時に襲った巣よりも遥かに大きい巣があの大木の樹洞の中にあるのだろう。
「……悪いな」
腰のホルスターからスローイングナイフを引き抜き、大木へと放つ。
木に突き刺さったスローイングナイフは木の表面で小規模な爆発を起こし、樹洞の中を外界へと露にする。中から現れたのは巨大な巣と怒りに燃える無数のジャイアント・ビーだ。
(はは、俺は中学生かよ)
やっていることは小中学生がやっている蜂の巣を突く事だが、攻撃の規模と巣の規模が違う。
「何を狙った?」
「蜂の巣だ。ジャイアント・ビーのな」
後方からは罵声が聞こえる。怒れる数百、数千のジャイアント・ビーが巣を壊した憎い敵と戦っているのだろう。
「はは、数千の味方が出来たか。それはいい」
「はぁ、はぁっ、振り切ったか。だが一人か」
アルタシュエは森の中を一人で走り続ける。アランとシンドウとはぐれてしまったが、二人が敵を引き連れているお陰で、こちらには追っ手がいなかった。
二人とはぐれても本隊が逃げた先ならばまだどうにか分かる。アルタシュエは自分の頬を軽き叩き、気合を入れる。
「早く合流しなくては」
足を踏み出そうとした時、アルタシュエに正面から黒い何かが迫ってきた。毛むくじゃらの太い腕に、頭部の鋭い角、間違いない。ホーングリズリーだった。
こんな時にホーングリズリーか、そうアルタシュエは心の中で罵倒を放ち、ロングソードで迫る毛むくじゃらの太腕を叩き落す。
共同では何度も狩ってきた相手だ。一人ではかなり危険だが、狩れない相手ではない。アルタシュエが迎い討つ形でホーングリズリーに斬り込もうとした時、ホーングリズリーの背中が盛り上がった。
「何だ!?」
正確にはホーングリズリーが盛り上がったのではなかった。ホーングリズリーの背中に乗っていた黒ずくめの人間が背中から飛び出したのだ。アルタシュエにナイフを投げ付けながら。
アルタシュエは迫るナイフを首の動きだけで避けるが、大きく体勢が崩れる。体勢を立て直す暇なくそのままホーングリズリーの強烈な一撃が襲い掛かってきた。
「ぐぅ!?」
どうにかロングソードでその一撃を弾いたアルタシュエだったが、魔物使いによってわき腹と足には短刀が突き刺さっていた。
「が、ぐっ」
アルタシュエは後退しようとするが眼前には腕を振り下ろそうとするホーングリズリーがいた。
「潰セ」
魔物使いの言葉と同時にアルタシュエは地面へと叩き付けられ動かなくなる。
「よーシ、良い子ダ。おイおイ、つまみ食イは駄目だゾ。もう直ぐいっぱい食べさせてやるかラ」
魔物使いはつまみ食いをしようとするホーングリズリーを小突き、死体に目をやる。首を折られ完全に息絶えていた。
「さて、いくカ」
ホーングリズリーの頭をひと撫でした魔物使いは、毛を掴みながら素早く背に乗り込んだ。急がなくてはいけない、残る敵はもう半分まで減っているのだから。
焦る魔物使いを乗せたホーングリズリーは森の中を疾走していく。
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