第九話 死臭
「……オークは出てこないな」
「ああ、静か過ぎて逆に気味が悪ぃよ」
オークの襲撃から一日、回復魔法により回復した重傷者を引き連れ、調査隊は森を進んでいた。元重傷者は万全とも行かないものの、戦闘をするには問題が無い。
昨日のオークの襲撃が嘘の様に辺りは静けさを保っている。森の中で聞こえる音は、風で揺れる木々と鳥の鳴き声だけだ。
そんな木々を揺らす風が吹く中、急にアーシェが顔をしかめた。
「どうした?」
「血の臭いがする。それもとびっきり強いやつ」
聞き捨てなら無い言葉にアーシェの方へと振り返る。
「何かが死んだって事ですか?」
「うん、それも一つや二つの臭いじゃない」
ふと周りを見ると、アーシェ以外の獣人も臭いに気づいたらしくアランに耳打ちをしている。そんな時、アランが手を上げて隊全体が停止する。
俺は全神経を集中させ、耳を澄ませる。森の奥から微かに木々を掻き分けて進むような音が聞こえた。
(なんだ、敵か?)
それもそれは高速でこちらに迫ってくる。
「……」
誰に指示される事無く、全員が一斉に武器を抜き構える。少しの間が開いて声が響いた。
「まて、斥候のバウデンだ!! アラン、話がある」
木々の葉を撒き散らしながら現れたのは、斥候の一人であるバウデンだ。ここまで全力で駆けてきたのだろう。かなり息が荒い。
「何を見つけた?」
「第一次調査隊のメンバーがいた」
アランの問いに対する答えに、冒険者達がざわつく。この異常な森で連絡を絶ってしばらく経つ調査隊が見つかったのだ。驚かない方がおかしい。
「生きていたのか?」
アランの問いにバウデンは苦虫を潰したような顔をすると首を振る。
「いや、俺達が見つけた時にはまだ息がある奴がいたんだが、ホーングリズリに食われちまった。……俺達がもう少し早く到着していればな」
「バウデン、お前はよくやったよ。だが、どうにもならない時もある。自分を責めるな。それで、どうなっていたんだ?」
「3人の冒険者の死体とオークの死体の山だ。オークとの戦いの最中にホーングリズリーに襲われたんだろうな。かなり酷いぞ。場所は他の奴らが押さえている」
その場所に近づくにつれて俺やリアナにも分かる様な悪臭が漂ってくる。
「……近いですね」
「ああ、もう直ぐそこか」
迷宮や討伐クエストで死臭には慣れていたが、この臭いは死体の量が違う。
バウデンに案内されるまま進んでいくと、森の中で僅かに開けた空間にたどり着いた。そこには臭いの根源となっているオークの死体と切り裂かれた冒険者が横たわっていた。
溢れ出る血によって地面は赤く黒く染まり、むせ返る様な臭いが辺りを支配している。
ホーングリズリーに咀嚼されたからだろうか、一部の死体損傷は特に酷い。その周りには周囲を警戒している斥候が取り囲む。
惨殺された同業者に露骨に顔をしかめる冒険者がいた。
「こいつ知ってるぜ。一度共同でクエストをした事がある。こんな死に方はしたくねぇな」
「……」
こんな臭いと光景は盗賊が馬車を襲って来た以来、二度目だ。好んで味わいたくない風景と臭い。アーシェも盗賊の事件を思い出しているのか、無表情で事切れた冒険者を見ていた。
死体に近づく為、俺が歩き出そうとした時、微かに地面が揺れた気がした。アーシェも揺れを感じたのか、俺とリアナに問いかけてくる。
「揺れた?」
俺もアーシェ同様、微かに地面が揺れた気がした。そしてそれは決して気のせいではなかった。
地面が揺れ、土が一斉に盛り出してくる。
「な!?」
(地震、いや違う!!)
地面からは土属性魔法を使う際に出る光が溢れ出て土が跳ねた。
いや、正確には地中に埋められていた板が人力と魔法により引っくり返されたのだ。そして地面から這い出てきたのは無数の人間――
(地中に待ち伏せだと!?)
僅か数秒にも満たない時間の出来事により穴の周囲にいた冒険者は対応し切れない。
「ぐぎっ」
「敵、っだ……ッ!!」
「あ、ぁッ」
穴の近くに居た冒険者達は穴から伸びてきた槍や剣に胴や首を串刺しにされ、どうにか一撃を回避した冒険者も弓と魔法により殺傷されていく。
「ぎひぃ」
殺され行く味方と迫る敵を前にして、何もしない程こちらも馬鹿ではない。木々に身を隠し、弓や魔法を撃ち返していく。
「待ち伏せだ!! 撃ち返せ」
「盾を構えろ、矢が来るぞ」
調査隊側からも弓と魔法による応射が始まるが、土属性魔法によって形成された土壁により攻撃が通らない。それぞれが遮蔽物に隠れるが、この距離での戦闘はこちらが不利になる。
詠唱しながら携帯していた投槍を土壁目掛け投げ込む。一直線に土壁へと刺さった投槍は、土壁にぶつかると爆発を起こした。
魔力による爆風で土壁の一部と数人の人間が吹き飛び土埃が舞うが、穴と分厚い土壁によって守られた敵に致命傷を与えられない。吹き飛んだはずの敵が怪我を負いながらもまた土壁へと張り付く。
(厚いし、堅いか。しかし、何だ。こいつらは)
「落ち着け、敵は同数だ!! マジックユーザと射手はそのまま応射を続けろ。残りは死角から回り込め」
アランの指示を受けた冒険者達は即座に突撃を開始する。俺もそれに続こうとした時、再びアランが叫んだ。
「いや……撤回する。止まれ!! 距離を取れ、後退するぞ。敵が来る!!」
「アラン!?」
「なんでだ」
「こんな森の中で俺達相手にここまで準備する敵が、ただ持久戦を選ぶと思うか。戦力削りと時間稼ぎだ。本隊が来るぞ!!」
確かに妙な敵だとは思った。
堅い陣地に引き篭もり、積極的に弓や魔法を撃っては来るが、一切打って出てくる様子は無い。わざわざオークと冒険者を使った周到な罠を用意し、奇襲が成功したにも関わらずだ。
(包囲殲滅する気か? だがそれは……)
「か、囲まれる」
「不味いぞ」
「おい、まだ決まった訳じゃ」
「敵が迫って来てからじゃ何もかも手遅れだ。こちらは後手に回っている。分からないのか、主導権は相手にある。皆殺しにされるぞ!? 敵は索敵範囲外から包囲網を縮めてきているだろう。まだ間に合う。退却するぞ」
正面の敵を無視し、左に逃げ始めた俺達に土壁から身を乗り出して、追撃を仕掛けてくる。
「左に逃げたぞ!!!!」
土壁の方から叫ばれた声は森に響く、明らかに森の中にいる何かに呼びかけていた。ちらりと土壁から身を乗り出して来た人間を見ると、鎧や防具の隙間に布を当てて、金属同士で擦れて音が鳴らないように工夫している。
こちらに気取られないよう、明らかに音の対策をしていた。目的は分からないが、襲撃者はこちらを皆殺しにするつもりなのだ。
アランの背中を追う形で俺やアーシェ、リアナが続き、冒険者達も一斉に左へと離脱を開始する。
「撤退だ」
「しっかりしろ。逃げるぞ」
「痛ッ。くそったれが、矢が刺さった」
調査隊は草木が生え、足場の悪い森を疾走して行く。そんな調査隊の先頭を走るアランの正面に人影が現れる。恐らく、包囲を狭めていた襲撃者だろう。
アランに目掛け幾つもの矢が飛んできた。
危険だ。そう感じた俺はアランに呼びかけようとしたが無用の心配であった。
反射神経に物を言わせて矢を叩き落しながら、正面に居座る敵へアランは歩みを止めない。敵がアランを迎え撃とうと武器を構えた時、森の中に風が吹き抜けた。
「風よ敵を置去りにしろ」
アランが使った加速魔法によりアランとそれらとの距離が一瞬で詰まる。
「!?」
「このッ――」
襲撃者も反応こそは出来たが、対応する事までは出来なかった。風属性魔法の加速を利用して突き出すように伸ばされたアランのロングソードは、敵兵の喉に突き刺さり、喉をむしり取る
そしてそのまま腕を横にスライドさせると、真横に居た二人目の襲撃者の首を跳ね飛ばした。
飛ばされた首が大樹にぶつかり、大動脈や神経を切断された敵が痙攣しながら地面へと倒れこむ。
一瞬の事で二人は何もする事は出来ない。三人目の襲撃者はそれでも剣を抜き、刃を交える事には成功したが、数回のやり取りを経てアランに止めを刺される。
(流石はAランクか、動きが違う)
俺も迫る襲撃者をバスタードソードで叩き斬り、アランに追従していく。そんな時、横合いの木から影が躍り出てきた。
木の陰から現れたのは敵の槍兵――俺を狙っているのならば十分対処出来た。だが、槍兵が狙っているのは俺の前を走る冒険者だ。
「横だッ――!!」
俺は前を走る冒険者に叫んで呼びかけるが既に遅かった。
冒険者は体を捻り、腕を前に突き出して、なんとか避けようとしたが、無情にも槍は胴に突き刺さる。体の勢いを使って突かれた槍は冒険者の防具を深々と貫いており、恐らく刃先は内臓まで達しているだろう。
(畜生!! 助けられなかった)
槍を引き抜き、再度突き刺そうとするそいつを縦に斬り付け、排除する。崩れ落ちる敵を蹴り飛ばしながら刺された冒険者の元へと向かう。
反しの付いた槍だったのか、胸部から腹部に掛けて傷が大きく開いていた。傷口からは夥しい血が漏れる。
「おい、立て! 行くぞ。頑張るんだ」
「今、回復魔法を――」
口から泡の混じった血を吐き出し、冒険者は笑う。
「はは、冗談言う、な。こんなところじゃもう持たない。ああ、どうしてこうなっちまったんだか……さぁ、誰が付き合ってくれる。誰でも歓迎だぞ!!!!」
冒険者は俺やリアナの手を振り切り、追撃して来る襲撃者へ死に場所を求めるように殴り込みを掛けてしまった。
「クソッ!! 行くぞ。リアナ、アーシェ」
「……うん」
「くッぅ、はい」
無力感に苛まれながら暴言を吐き、俺はアーシェとリアナを連れて、調査隊の流れに従い走り出す。アーシェは顔をしかめ、リアナは唇を噛んでいる。
(おい、敵は一体何人いるんだ……?)
後ろからは大量の敵の怒号が迫りつつあった。
「左に逃げたか、こうもあっさり逃げるとはな」
ジグワルドはサーベルに付いた返り血を振って飛ばし、調査隊が逃げた森を睨む。もう少し調査隊が囮に食い付き損害を増やせると思っていたが、調査隊は予定よりも素早く包囲網を突破し、森の奥へと逃げてしまった。
包囲網を作るのに人員をばら撒き過ぎたか、敵が予想以上に優秀だったか、ジグワルドは一瞬どちらか考えたが、どちらにしても森に逃げられたのには変わりない。
「戦果と損害は?」
ジグワルドの問いにハボックが答えた。
「ここで9人。左の連中も突破はされたが5、6人は殺してる。こっちも同数程度やられた。とは言ってもまだ60人はいるが」
残存する調査隊の数を確認したジグワルドは待機していた構成員達に指示を出していく。
「バルト、25人を連れて先回りしろ。あの迂回路ならば間に合うはずだ。……遊ぶなよ? ハボック、バルトの補佐をしてやれ、何時もの悪い癖が出ると困る」
「了解」
「おいおい、信用がないな」
バルトはジグワルドに対し気だるそうにそう返事をしたが、我慢が効かないように目は人を殺したくてうずうずしていた。この状態のバルトを上手く扱えるのはメルキドの中でも限られている。
「残りはこのまま追撃を仕掛ける。ただ、追い立てろとは言わない。確実に殺せ。殺した人数によって分け前を増やすぞ。さぁ行け、狩りの時間だ!!」
「「「オォオオオ!!」」」
ジグワルドの呼びかけで、はっぱをかけられたメルキドの構成員が武器を振り上げ、一斉に駆け出す。ただの怒鳴り声だが、逃げる敵にとってこの怒鳴り声は心を削る事をジグワルドは経験から知っている。
走り出す構成員を横目にジグワルドは振り返った。そこには覆面で顔を隠した今回の雇い主達がいた。
「あんたらはどうする? 半年近い付き合いだ。それに雇い主に死なれたら困るんだが。ただ働きは御免だ」
この雇い主とは半年前に起こした盗賊事件からの付き合いであり、支払いも良くジグワルド達にとっては最大の顧客だ。
「後ろからついて行く」
「まあ、あんたらなら大丈夫か。そういう訓練も受けているんだろう?」
ジグワルドの問いかけに雇い主は肯定も否定もしない。ただじっとジグワルドを見返す。
「沈黙も答えか、まぁいい。さぁ、大仕事の始まりだ。報酬は弾んでくれよ?」
答えを聞く前にジグワルドは調査隊に追走を始める。
魔物が蔓延る森の中で一方が逃げ、一方が追うという、古い時代から存在する追撃戦が始まろうとしていた。