第十三話 白と黒
俺は、朝一番に医務室に行き、あの王宮治療魔術士に治療を受けた。全快とは行かないものの、腕の調子はかなり良い。
(意外に昨日みたいにハァハァしていなかったな)
恐らく、怪我の度合いや傷の出来具合で彼なりに好き嫌いがあるのだろう。なんともマニアックな話だ。
「四回戦か……」
前の試合は見ることが出来なかったので、何が起きたかは分からないが、試合用のリングが広範囲に渡り、深く破壊されていた。
今までは表面のユニット化されたブロックを交換すれば済んだが、土台まで及んだ破壊に今回は土属性魔法を扱う魔法使いが加わり、土台の補修や修理をしている。
試合の激戦で破壊されたリングが交換されている間、俺は暇で仕方ない。それは観客も同じで、試合中は喋れない分、試合が終わった会場は数万人が雑談する煩い人混みと化す。
「エールは要りませんか!! サンドイッチもありますよ」
試合の合間を利用して、売り子達が観客席を走り回る。
(四年に一度の書き入れ時だから、俺達とは違う意味で必死だな)
観客席の方が位置が高いので、角度的に確認は出来ないが、携帯用の樽を背負い、手に持つ箱の中にはサンドイッチが詰まっているのだろう。
「エール三つとサンドイッチ三つくれ」
「おーい、こっちもエール頼む」
四年に一度の武術祭効果もあり、売り子の荷物はどんどんと減り、代わりに観客の腹が膨れて行く。
ただ飲みすぎると当然尿意を催す。俺のいた世界と事なり、この時代の汚水処理技術は拙く、存在しないのと変わらない。
このアルカニア王国でも王都や限られた大都市の一部にしか下水道は存在しないし、トイレの処理能力も極めて限定的だ。
俺は選手用の最新鋭のトイレがあるが、彼らは貴重なトイレを巡って力と技、策略と謀略の限りを尽くし、死闘を繰り広げているのだろう。
数々の人間が様々な激闘を繰り広げて数十分。遂にリングの準備が整った。
誰もいないリングの上に移動し、対戦相手を待つ。真新しい床を軽く蹴るが、しっかりと固定されていて、良い出来だ。
少しの間、立って待っていると、対戦相手が入り口から現れた。
身長はこの世界の平均な女性よりもかなり高い170cm前後で、髪は肩まで伸ばした銀色セミロングで顔は無表情。
そしてその格好は、白銀の甲冑に剣に絡みつくバラの紋章、間違いなくシルヴィアやエミリーと同じ鎧だ。
俺の第四回戦の相手は、白銀騎士団の団長クリスティーナ。勇者の末裔の一人と言われ、アルカニア王国を支える主力の一人だ。
クリスティーナが現れると会場は男女問わず盛り上がる。基本はクリスティーナを応援する声だが、ちらほら俺に対する声援も混じっている。
「頼むぞ勝ってくれ、俺の為に」
「大番狂わせ期待してるぞ」
そんな俺の応援に耳を傾けるが、大半は俺個人というより、掛け金の為に応援しているようだ……
(いよいよか……)
リング中央でクリスティーナと向かい合う。
「白銀騎士団、団長のクリスティーナだ」
「Dランク冒険者のジロウ・シンドウ。白銀騎士団団長とまた会えて光栄だ」
昨日の今日で考えが纏まっていないし、きっと上手くは言えない。
「クリスティーナ様は……牢の中で鎖に繋がれた事は? 商品として売られる恐怖は? 客の足音に怯えた事は? 自分の意思は全て無視だった。俺は怒ったし、恨んだ。現実逃避もした。その感情も数ヶ月経って薄れて忘れかけていたが、王都で白銀騎士団を見た時、その激情が蘇った」
「……」
クリスティーナは俺の話を黙って聞き、俺が一方的に喋り続ける。
「昨日、シルヴィア様と戦いその後、話しをした。……だがやはり、それでも不幸な事故だとは消化しきれない。命を救ってくれた騎士が奴隷になった要因なんだ。他にぶつけようにも商人は死んでいる」
いっそクリスティーナ達が清々しい程のクソ野郎なら簡単だった。そいつらを殴り返して気が済むまで恨み辛みや暴言を吐き捨てれば良い。
なのに現実はこれだ。不幸と不運と勘違いが入り混じり、理不尽を納得しなければならない。
「リチルとシルヴィアから聞いた。……シンドウ殿、奴隷の件は済まなかった。恨みたいなら私を恨んでくれ」
「そんな事を言われて、全ての人が素直に恨めるとでも? クリスティーナ様は酷い人だ」
恨みは水に流せと教わり、甘ったるい世界で20年以上も生きて来た。外面だけはこの世界の人になれても、中身までは簡単に変わることが出来ない。
「そろそろ時間だ。両者、線まで離れて」
話を黙って待っていた審判だが、これ以上は引き伸ばせないのか、注意が入る。
「試合でぶつけさせて貰う」
クリスティーナは白線へ足を進め、俺も白線に向かい試合を待つ。
(納得か、俺と同じ事をさせれば気は晴れるのか、いや、もう恨んでいる訳じゃない。なら、納得が出来ないのか。何に?)
頭の中で答えを探し、直ぐに答えが出てきた。
(理不尽な事にか……)
異世界に来た当初は、何で俺が奴隷に、何故俺が異世界に、どうして俺がこんな目に遭うんだ。そんな事ばかり考えていた。
仕事は忙しいし、休みも少ない。給料もけして多いわけではない。だが、平穏だった。家に帰れば暖かい風呂もあったし、柔らかいベッドもあった。
白銀騎士団を見ていると、諦めていた事や納得した事、元の世界の事まで考えてしまうのだ。
今ではこの世界は好きだし嫌いではない。ただ、両方の世界を知るが為に、良い面、悪い面が浮かび比較し、懐かしんでしまう。
「ルールは一本勝負、武器は刃を潰した物か、アルカニア王国が提供した物のみ、10秒ダウン、リングアウト、二人の審判が致死攻撃と判断したら負けだ。武人として何があっても恨むのは無しだ」
「二人とも準備はいいか?」
「……構わない」
「……」
二人の返事を得た審判はカウントダウンを開始する。
(この年になって八つ当たりかぁ、俺も馬鹿だな。……はぁ、切り替えるか、集中しろ)
「3、2、1、試合始め」
「炎弾よ敵を焼き尽くせ」
開始と同時に牽制目的でクリスティーナにファイアーボールを放つ。
クリスティーナは今まで全ての試合で剣だけで勝ち上がって来た。
魔法や何かしらの能力等の切り札が有るにしろ、無いにしろ、出される前に攻勢を強める方が良い
ファイアーボールはクリスティーナの居たところに着弾するが、既にクリスティーナの姿はない。
(速いな、魔法無しでその速度か)
あの速度があれば剣だけで勝ち上がっても不思議ではない。ファイアーボールを回避したクリスティーナはこちらに向かって足を進める。
そんなクリスティーナに目掛け、貫通型の投げナイフを立て続けに投げる。直進をしていたクリスティーナは一瞬体を停止させ、両手剣を振る。
(んなッ、叩き落としやがった!!?)
ツーハンドソードの腹で自身に迫るナイフを全て叩き落したのだ。今までナイフを盾で受け止める、避ける奴はいたが全て叩き落す奴は初めてだ。
アレで剣技が下手ということはないだろう。近づけさせたら負け――
腰に提げた投げ斧を左手で投擲し、右手で投げナイフを投げる。
さっきのように叩き落すかもしれないと思ったが、拡散型と貫通型の見分けが付くようで、爆発の効果範囲から回避している。
(一撃で仕留められるとは思っていない)
拡散型と貫通型の投擲物を織り交ぜ投げていく。クリスティーナは投擲物を正確に避けていくが、俺が逃げ場所を一つ一つ潰して行くので、クリスティーナにだんだんと攻撃が近くなっていく。
炸裂した魔力で足元も瓦礫が増えている。もう避けれない。
今までよりも格段に魔力を多く込めて、クリスティーナ目掛け、投げナイフを構える。
「……飲み込み奪い去れ」
クリスの構えたツーハンドソードに視認出来る程の魔力が剣に集まり、銀色だった刀身は黒く染まっていく。
(剣に魔力を込めた!? アレは、ヤバイ)
スキルを発動させる前に仕留める為、止めの拡散型のナイフを投げる。
(馬鹿、避けろッ、直撃したら死ぬぞ!?)
剣を構えたまま、クリスティーナは一歩も動かない。クリスティーナが避ける事を想定したので、着弾地点は確実にキル・ゾーンだ。
投げた俺の方が驚く中、クリスティーナは無表情で平然としている。そしてクリスティーナは今までのように避ける事なく漆黒の両手剣でナイフを斬った。
瞬間、ナイフに込められた俺の大量の魔力が爆ぜるが、クリスティーナの両手剣から躍り出た黒い魔力が俺の魔力を呑み込んでいく。
そうして黒い魔力は俺の爆発を全て呑み込んだ。
(なんだ。そりゃ――ッ!?)
「悪いが……加減できるほど器用ではない。全力で行く」
ゆらゆら揺れながら動く独特の動きから一瞬にしてトップスピードで迫って来た。
「クッ、炎よ、我が壁となれ」
詠唱していたファイアーウォールを目の前に展開し、後方へと下がる。リング上に現れた炎の壁は俺とクリスティーナとの間を遮断する。
(何だあのスキルは、俺の魔力を飲みやがった。どうする、正体が分からないのに接近戦は危険だ。だが魔力も――!?)
眼前に聳え立っていたはずの炎の壁が揺らぐと同時にのた打ち回るように消えていく。代わりに現れたのは黒い刀身と白銀の騎士。
白と黒のその姿は酷く印象的だ。会場もその姿に魅入られている。
(これが、これがアルカニアの最高戦力……)
経験からも本能からも俺の実力では勝てないのは明らかだ。だが、それでも今は正面から斬り合いたかった。
「来い!!」
この間合いでは魔法も投擲も不利になる。覚悟を決めた俺はバスタードソードを抜刀し、正面から迎い討つ。
俺よりも身長が低いはずなのに酷い威圧感だ。裸で車に対峙するような。
「……」
歩くように動いていたクリスティーナは一気に加速し、そのまま俺に予備動作も殆ど無く剣が迫る。
真上から全力で振ったバスタードソードと横に一閃に振られたツーハンドソードが激突する。
同じ鋼のはずなのに俺のバスタードソードが軋み、治り掛けの左手が痛む。それでも一瞬のつばぜり合いから強引に剣を弾く。
そして、クリスティーナが真上から振り下ろすツーハンドソードに対し、下からすくい上げるようにバスタードソードを振る。
ツーハンドソードとバスタードソードの刃が交差し、黒い魔力が鋼を侵食するように纏わり付き、そのまま俺のバスタードソードは切断された。
「グぅ――ッ」
勢いそのままに俺の左腕にぶつかったツーハンドソードは俺の腕甲を軽く破壊し、いとも簡単に再び左腕をへし折る。
転がるように力を流しながら、咄嗟に残存する魔力で折れたバスタードソードを投げつけるが、それもツーハンドソードで叩き落された。
そのままクリスティーナはツーハンドソードを振り下ろす。鉄の胸当てに直撃したツーハンドソードは鉄の胸当てを引き千切り、俺を遠くの地面に吹き飛ばす。
「う、ぐっ」
硬いリングと衝撃から息が溢れ出た。
「勝者クリスティーナ!!」
審判の宣言に会場は歓声に包まれる。俺の負け、クリスティーナの勝ちが決まったのだ。
「シンドウ殿、大丈夫か?」
吹き飛んだ俺の元にクリスティーナが歩いてくる。派手に吹き飛んだ割には鉄の胸当てが壊れただけで、体に大きな怪我は無い。
(最後、加減された? ……結局、勝てなかった訳か)
「……大丈夫だ」
「気が済んだ顔ではないな。気が済むまで何年でも何回でも、私は相手になる」
リングの上に立つクリスティーナの姿はリュブリスの森で見た姿と変わらなかった。
「はぁ……狡いな」
数年鍛えたとしても、俺が勝つ光景は浮かばない。
深いため息を吐いた後、地面に手を付き、立とうとしたが、審判に止められる。
「動かないで、あんなに吹き飛んだんだ。後から症状が出るかもしれない」
「いや、だいじょ――」
「左手も折れているから医務室に運んで、大会に出ている以上は審判に従って貰いますよ、シンドウ選手」
「……ああ、わかった」
担架に乗せられ、観客の拍手で迎えられて退場が始まる。
担架に載せられ見る上空は、アホみたいな青空が広がっている。太陽の光が目に入り、非常に眩しい。
「あーあぁ、無駄に晴れやがって……」
医務室に行くと治療魔術士が満面の笑みで出迎えてくれた。
「おかえりなさい。折れてしまいましたか、でも大丈夫ですよ。私が責任を持って、ちゃんと治しますから……あ、魔法剣の傷ですね。珍しい!!」
「はは……」
部屋には俺の乾いた笑い声と治療魔術士の楽しそうな声が響いた。
新旧互換性を持たしていたので団長登場。