第十二話 厄日
旧に戻しました。
係員に導かれるまま、地下通路を通り、俺は医務室へと向う。医務室は健康診断を行った場所にあるのは知っていたが地下通路があるとは思わなかった。
(地上は人が多い。闘技場から医務室までが地下通路なのは、素早く負傷者を運べるからか)
松明による乏しい明りの地下通路を抜け、医務室に着くと医者による簡易的な診断が始まる。
「左腕の骨折と打撲以外は怪我はなさそうですね。治療するまで三角巾で固定しますので腕を上げて下さい」
「……ッ」
提肘固定をするのに折れた腕を押さえながら腕を上げる。医者は手馴れた様子で三角巾を巻いていき、二十秒ほどで肘を固定することが出来た。固定していない時と比べると痛みは格段に和らいでいる。
「とりあえずこれで大丈夫です。すみませんが治療は重症の選手からとなっていますので、そちらの椅子に座ってお待ち下さい」
医者が指差す先には試合で負傷した何人もの選手が椅子に座って並んでいた。頭部を裂傷したのであろう頭に三角巾を巻いた者や俺と同様に手や足を骨折した者だ。
どの人も応急処置は済んでいるので、回復魔法待ちだろう。
「ああ、わかった」
医者の指示通りに椅子に座って順番待ちをする。
(選手待合室で見かけた奴もいるな)
熟練の武芸者が揃うアインツヴァルド武術祭では、激しい試合により死者が出ることもある。今大会は死者こそ出てはいないが、片目や四肢の一部を失った者もいた。それを考えれば骨折や裂傷程度は軽い怪我の分類だろう。
(そもそもこの世界は命ですら軽いからなぁ。骨折ぐらいでは医者も慌てていないな)
「すいません、重傷者です。どいて下さい!!」
そんな事を一人で考えていると、急に入口から大声が聞こえた。そうして担架に担がれ男が担ぎこまれて来る。
(選手待合室にいた男か)
血で染まった布で喉を押さえている事と血の匂いから察するに、喉に攻撃が直撃したのかもしれない。戦場なら助かるか微妙な傷だが、膨大な魔力と時間さえ掛ければ身体の欠損すら治す王宮治療魔術団がいるので、何とかなるだろう。
「あーあ、派手にやられて……」
「アンタ、知り合いなのか?」
「ああ、待合室で何度か話したことがある。あいつと対戦相手のオッズがほぼ一緒で、実力が拮抗するほど試合は白熱するが、その分怪我をし易いんだ。俺も粘った結果がこれ」
男はそう言って自分の頭に巻かれた三角巾を触る。恐らく頭部に刃を潰した剣か何かを食らったのだろう。
「まあ、本選の二回戦まで勝ち残れた。騎士団かそれが無理なら地方都市の警備隊に役職でも貰って入るつもりさ。これで危険な仕事ともおさらばだ」
アインツヴァルド武術祭の本選に出場するのは、冒険者や傭兵にとってステータスになるので、就職活動にも有利なのだろう。どこの世界でも就職戦争というのは大変な物だ。
「確か、名前はジロウだっけか、ユルゲンとの試合を観ていたが今日で一番派手だったぞ。今後はどうするんだ?」
「引き続き冒険者をするかな」
ハンクのように商才がある訳でもないし、オークションで稼いだGで装備を整えて冒険者を続けるのが一番良いだろう。
「おいおい、あんなに剣や魔法が使えるのに物好きだな。騎士団や魔法団の所属になれば金にも困らないし、冒険者や傭兵と違ってリスクも少ないのに」
確かに安定した職業というのは普通の人にとっては魅力的な事だが、俺は自由気ままなこの生活が気に入っている。平凡な安定した生活と言うのは前の世界だけで十分だ。
「物好きか……」
この世界は酷く暴力的だし、思想も教育も現代社会より遥かに劣る面も多い。だが、形容し切れない魅力がこの世界にはある。その魅力を味わうには冒険者が丁度良い。それに――
(それに下手に騎士団に入って出身を聞かれたら不味いよなぁ……)
嘘を付いても本当の事を言っても面倒は避けられなそうだ。
「そうだ、物好きだ。騎士団に入れば地位や名声が手に入り女にモテモテ、男冥利に尽きるとは思わないか!!」
「はは」
顔に幾つモノ傷が付いた厳つい顔でそんな事を言われても笑えてくる。
痛みから意識を話すようにしばらく三角巾を巻いた男と世間話しを続け、遂に俺の治療の番になった。
治療室にいたのは、今までの係員とは違う制服を来た中性的な顔をした男だ。恐らく、王宮治療魔術団所属の治療魔術士なのだろう。白と青をベースとした随分と生地の良い服を着ている。
「178番のジロウ・シンドウ様で間違いないですね。剣による打撃で左腕を骨折したという事で、早速怪我を調べます。痛いですよ」
「ッ――!!」
治療魔術士はそう言って俺の腕を軽く触り、質問による反応を見て腕の状態を調べていく。骨折による影響で俺の腕は紫色に大きく腫れていた。
「橈骨の方はヒビだけかもしれませんが、橈尺骨骨幹部骨折ですね」
「あー橈尺骨骨幹部骨折?」
「はい、橈尺骨骨幹部骨折です。覚えにくいなら両前腕骨骨幹部骨折という別称もありますが」
どちらも言っていて噛みそうになる名前だ。
「簡単に言えば前腕を支える二本の骨が折れてます。幸い皮膚から骨が突き出ていませんし、綺麗に折れているので大丈夫ですよ」
(綺麗に折れているって……)
骨折の状態をニコニコ顔で凄く嬉しそうに言われても困る。
「回復魔法で腫れを取りながら、骨を繋いで行きます」
「光よ彼の者を救え」
治療魔術士は詠唱を終えると、回復魔法を唱えて俺の腕を治していく。回復魔法を受けた箇所は暖かくなっていき、腫れが少しずつ引いてきた。
リュブリスの治療魔術師に比べて光の色が違うし、凄く落ち着く暖かさだ。王宮治療魔術団に入るだけあって、かなり高位の治療魔術士なのだろう。
唯一の問題と言うとすれば、妙に息遣いが荒く、そして目付きがヤバイ事だ。
「ハァハァ」
例えるならば獲物を狙う野獣の眼光と言うべきような。
真剣な目付きで俺を治療してくれるのはありがたいことなのだが、どうも落ち着かない。
(き、きっと魔法の副作用か何かで息が荒くて目付きが鋭いんだ)
無理やり自分を納得させるのに必死でそう考える。
「それにしても綺麗な骨折ですねぇ。実に治し甲斐があります」
「……そうですか」
ああ、間違いない。私情というか完全に個人の性癖入ってやがる、この人。
(傷フェチ……いや、骨折フェチか、うん、この際細かい事は我慢しよう。俺は何も気付かなかったんだ)
その後、10分かけて回復魔法をかけて治療は終了し、さっきまでの骨折による激痛が嘘のように消えている。
「これで骨はくっ付きました。ただ完全に治った訳ではないので、無理をして衝撃を加えるとまた折れてしまいます」
「そうなると、試合は――」
「無理をして出場して死んでしまった選手も過去にはいます。あまりお勧めは出来ませんね」
左手を使わなければ剣技、投擲術、魔法を組み合わせた普段の戦闘スタイルは不可能だ。何時も通りの戦闘スタイルを維持するには、左手を酷使するのは目に見えている。
四回戦には人間の枠に当てはめて良いのか分からない人間しか残っていない。そして次の相手は白銀騎士団の団長クリスティーナだ。
そんな状態で出場すれば最低でも左手の再骨折、下手をすれば治療魔術士の言うとおり死ぬかもしれないだろう。
「ただ、私は治療魔術士ですから骨折や怪我をしたのなら喜んで治しますよ」
満面の笑みだが、どうしても引っかかる笑顔だ。仕事を趣味にするのは良い事なのだろうが――
「……どうしても、どうしても明日、戦いたい相手がいるんだ」
「はぁ、そうですか、それだけの覚悟があるならいくら止めても無駄でしょうね」
治療魔術士は呆れたようにため息を付く。そして聞分けのない子供を相手にするように言う。
「明日の朝一番に治療室に来て下さい。少しでも万全の状態で戦いたいでしょう。特別ですよ?」
「分かった。無理を言ってすまない。治療ありがとう」
「いえいえ」
治療魔術師にお礼を言い廊下に出ると、代わりに治療の順番待ちをしていた他の選手が部屋の中に入って行く。
(宿に帰って飯を食べて寝るか、明日に備えよう)
「しかし、疲れたな」
重量物を持ったままリング上を駆けずり回ったので、流石に疲れた。
深いため息を付き、エントランスに出る。選手専用なので広い割には人はほとんどいない。いるとすれば――大柄で赤毛の女ぐらいだ。
大柄の赤毛の女の太ももは包帯で巻かれ、片手には松葉杖を持っている。間違いないさっきまで戦っていたシルヴィアだ。
足音で振り返り、俺に気づいたシルヴィアと目線が合う。
「……痛そうだな」
「お前がな」
俺が露骨にニヤッとして言うと、シルヴィアは三角巾で固定された俺の腕を見てそう返してきた。
試合中は無我夢中で気にならなかったが、こうして目の前にいると流石に怒りがこみ上げて来る。
「……こっちにも落ち度はあったが、もう少し丁寧に拘束は出来ないのか、そもそも俺はお前らの所為で奴隷になったんだぞ」
強制労働こそなかったものの、不味い飯と一週間以上も自由を失い、もう少しで物として売られるところだったのだ。冗談ではない。
「奴隷? あの商人のところで教育を受けていたんじゃないのか」
「はっ、それは奴隷としての教育か?」
俺の嫌味にシルヴィアの顔は苦虫を潰したような顔になる。
「ああ、そういうことか、あのクソ商人嘘を付きやがったな!!」
「どういう意味だ?」
「シンドウを任せたあいつは俺に“この男を教育を施した後に偉大なアルカニア王国の市民にしてみせます”と言ったんだ。奴隷にするとは聞いてない」
「はっ?」
(は、えー、つまりあれか、異世界に来て数ヶ月、成金とこいつらの所為で奴隷になったと思ってたが、実際はあの成金の独断だったって訳か)
それが本当だとしたら確かに俺が奴隷になった責任はあの商人にあるのだろうが――
(今更それだけで割り切れるかよ!!!!)
「そんな言葉だけで納得出来ると思うか? 牢屋に入れられ何度も死に掛けたんだぞ!?」
「……奴隷の件は済まなかったな。あの商人を連れてきて落とし前はつけさせる」
シルヴィアは頭を下げて俺に謝る。
「くっ、ぅ、責任も何も、あの男は死んだよ」
「殺したのか? 殺されても仕方ないとは思うが」
「違う、隊商ごと盗賊に襲われてだ」
死体集めの時に確認したが、あの成金はもう死んでこの世にはいない。成金の死体は、槍で数度突かれたであろう腹から大小の臓物が飛び出し、消化し切れていない食べ物とどす黒い血が馬車に溢れるという、集めた死体の中でも最悪の状態だった。
「もうなんなんだよ、ここに来てこれか、ふざけんな!!」
近くにあった椅子に俺は思いっきり体重をかけて座る。体重をかけられた椅子はぎしりと軋むがそんなのは気にしてられない。
今までの恨み辛みをぶつけるために様々な事を考えていたのに、その相手は悪くなく、一番に仕返しをすべき男はもうこの世には存在しないのだ。
(奴隷の件をシルヴィアに言うのは筋違いだろうが、この怒りの矛先はどこに向ければいいんだよ)
「はぁ――奴隷の件は完全に納得し切れないが……わかったよ。ただ、あんなに殴ることはないだろう」
「シンドウには悪いが、抵抗する気がなくなるまで殴った方が手っ取り早い。騎士団としたら全裸で詰め寄られて何もしない訳にはいかないんだよ。だからそっちは謝るつもりはない。それに喋れるならちゃんと喋ればよかっただろうに、そもそも何で全裸で森にいた?」
「……」
なかなか痛い所を突いてくる。まさか異世界から来たから全裸で言葉を喋れなかったとは言えない。
「――まあ、いいか。固有能力を持った奴は変な奴が多い。俺は用があるからもう行くが、何か用事があるなら騎士団の受付にでも伝言を入れてくれ」
シルヴィアは俺にそう言い残し、松葉杖をつきながら医務室を後にしていく。
「今更、やってられるかよ……」
何がいけなかったと言うんだ。価値観か?言葉の壁か?俺が裸だったからか?
(その全てなんだろうが……災害に巻き込まれるてのはこんな気分なのか、……やり切れねぇよ)
今日一番の深いため息をついて俺は診療所を後にする。
「はぁ、今日はいろいろあり過ぎて疲れた」
食事を済ませ、大会側が用意した個室へと戻る。宿に戻っても良いが折角の良い部屋で用意された飲食物は無料なのだから使った方がいいだろう。
用意されていた葡萄酒を軽く飲んで一息を付き、剣を壁に立てかける。そのまま部屋の奥で装備品を外し休もうとしていると、扉を叩く音が聞こえてきた。
(誰だ?)
誰が来たのか、考えられるのは大会側が棄権についての話しに来た係員か、部屋の日用品を補充しに来た人だろう。
「今開ける。誰だ?」
「やっほう、久しぶり」
「はっ?」
目の前の現象が理解できない俺は、勢い良く扉を叩き閉める。扉の向こうから“ちょっとー!!”と聞こえて来て、扉をノックされるのがさらに現状を理解出来なくする事を加速させる。
もう一度開けて確認するが、栗色の髪に細身の身体、間違いない。リチルだ。
「……何でお前がここにいるんだよ」
「姿が見えたから闘技場から付いて来てみた。話がしたかったから」
「そんなの知るか、散々殴っておいて頭大丈夫か?」
「騎士団に裸で詰め寄る君も悪いと思うけどな。まあ、多めに殴ったのは私も悪いから謝るよ。ごめんねー」
形式上は謝られているのだが、全く謝られている気がしない。
「……一発も殴らずに謝って許すと思うか? 大体、あの後あの成金の所為で俺は奴隷になったんだぞ」
「あいつちゃんと面倒を見なかったのかぁー。盗賊を追跡してて時間が無かったから任せたんだけど、討伐が終わって尋ねてみたら隊商ごと襲われほぼ皆殺し。あの男は死んでるし」
「えーっと、殴った分だけ殴る?」
俺が納得していないのが伝わっているからか、リチルはそんな事を言っている。
「殴ったら俺が襲った、とか言う可能性があるのにここで殴ると思うか?」
「そんな気はないのになぁ。純粋にジロウに興味があるだけだよ?」
俺が信用出来ないと言う目で見ると、リチルは困った顔で考えだした。
「どうするかなぁー。ナイフで刺す?」
「刺せるなら刺してやりたいな」
「そうかそうか」
リチルはいきなり棚に置いてあった鞘に入ったナイフを手に取り俺に投げてくる。物を投げつけられ、反射的に柄を持つ形で俺は咄嗟に受け取る。
「どういうつもりだ!?」
「こういうつもりだ」
瞬時に間合いを詰めてきたリチルに咄嗟にナイフを持った手を突き出す。リチルは素早くナイフの鞘を引き抜く。
そのまま剥き出しになったナイフの刀身は抵抗なくリチルの下腹部へと刺さる。手の感覚から言って、重要な臓器を幾つかに致命的なダメージが及んでいるだろう。
リチルの口からは血が出て、下腹部からは夥しい血が噴出している。このままでは出血多量で死は逃れられないし、何時ショック死してもおかしくない状態だ。
「お前、何をしてるんだ?!」
「え? 刺したいって言ってたじゃん」
ゴプッと口から血を垂らし、水気を含んだ音でリチルが喋る。
「喋るな死ぬぞ!!」
「あーやっぱりめちゃくちゃ痛い。痛くて死にそう。よっと」
立ち尽くしているリチルの傷口をタオルで押さえつけようと、手を伸ばした瞬間、リチルは自分で刺さったナイフを引き抜いた。
「馬鹿、なんで抜いたんだ」
ナイフを抜いた傷からはさらに血が出てくる。
「タオルで押さえつけながら医務室まで走れば間に――!?」
リチルを医務室まで運ぼうとした瞬間、信じられない事に俺の目の前でリチルの傷が瞬く間に塞がっていき、完全に刺し傷が治ってしまった。
「なんだそれは……」
俺が愕然としているとリチルは喋りだす。
「いやー、こうゆう身体だからちょっとやそっとちょっとじゃ死ねないんだよね。勇者の血ってヤツで。クリスとかは有名だけど、私は隠し子みたいなものだから、勇者の血を引いてる事はみんな知らないんだよー。結構多いんだよアルカニアの勇者の隠し子って」
「固有能力!? 怪我が治った時の副作用はないのか」
「副作用?ないよ。……君は副作用がある固有能力知ってるの?」
目の前の出来事に焦っていたのか、俺は口を滑らせてしまった。
「ふーん、もしかして副作用のある固有能力持ってるの?」
タオルで血を拭きながら、リチルは質問を続けてくる。
「持ってない」
「はは、それ嘘でしょ。裸で森にいたり、騎士団に裸で詰め寄ってきたり、体力無くなる程度に殴ったはずなのに、急に元気になったり、君やっぱり面白いね」
「なんで森にいたの?なんで裸だったの?そもそも君どこからきたの?他の国?それなら言葉が喋れないのはおかしいよね。他の大陸?地獄の壁を超えてきたならあんなに弱いはずないよね。そもそも短期間であんなに強くなれるのなんて異常だよ?」
リチルは楽しそうに俺に質問を続ける。
「俺がそれを答えなければいけない理由でもあるのか」
「いやー、興味があるから聞いてみたいだけ、気になる人の生まれた“所”とか聞いてみたくない?」
「そんなの知るか、血を拭いたらさっさと帰れ」
「血を拭くまで待ってくれるんだ。優しいねぇ」
さらに追加のタオルを思いっきりリチルの顔面へと投げつける。
「ぶふぁ」
リチルは10分ほどで床と身体を拭き終わった。
「今日はもう帰る。また来るから次は色々お話しようかー」
「はぁ、さっさと帰ってくれ」
「じゃ、またね」
リチルは軽く手を振って部屋を後にした。
「今日は厄日なのか――?」
小さなボヤキは部屋に消え去っていく。俺の問いに答える者は誰も存在しないのだから――