第十一話 決着
腕甲や装備品を脱ぎ捨て、丁寧に整えられたベッドに飛び込む。僅かな弾力とシーツの柔らかい感触が、試合ですり減らした神経を癒してくれる。そのままベットの上で寝返りし、木製の天井を見上げた。
こうしてアルカニア王国側が用意してくれた個室でポーションを何本も飲み干し、横になっているが一向に魔力は回復しない。
(これじゃ異界の投擲術は一発使えるかどうかか……)
俺が休む闘技場に隣接する施設の個室に、武術祭の試合による歓声が飛び込んでくる。これで何試合目か分からないが、歓声の大きさから言って、決着が付いたのだろう。
試合まであと数時間程度、魔力消費が大きい異界の投擲の使用は絶望的だ。属性魔法もそう多くは使えないだろう。
【名前】シンドウ・ジロウ
【種族】異界の人間
【レベル】26
【職業】魔法剣士
【スキル】異界の投擲術、異界の治癒力、運命を喰らう者、上級片手剣D、上級両手剣D、中級火属性魔法A、中級水属性魔法A-、 奇襲、共通言語、生存本能
【属性】火、水
【加護】なし
ステータスを開くが大会中に変化したのは上級片手剣と上級両手剣が両方D-からDに成長しただけであり、実戦でなければ上がり辛い魔法のスキルは全く成長していない。
(使えるのはファイアーボール2、3発程度、魔法主軸に戦うのも厳しいか)
かと言って剣技では相手の方が確実に上だ。森の中での記憶が蘇るが、低く見積もってもシルヴィアのスキルは上級片手剣Cはあるだろう。それに情報屋に聞いたアレもある。
「……」
ユルゲンとの試合での魔力消費が悔やまれるが、初見それも奇襲に近い攻撃方法だからこそ勝てたのだ。剣や魔法で上回るユルゲンに一瞬でも手を抜いていたら試合は負けていた。
(切り札はもう使えない。奇襲も無理)
様々な事が頭を巡るが、どれもシルヴィアに勝てるとは思えない。
(クソッ、考えろ、持てる戦力を最大限に生かせ、俺がシルヴィアに勝っているモノは――)
考えている分だけ時間は進み、歓声を共にして試合が終わっていく。
「はぁ!? ユルゲンが負けただって……」
二回戦が終わり、身体を休めていたシルヴィアはエミリーからのとんでもない報告に休憩どころではなくなっていた。
ユルゲンは若干のナルシストや異常なまでの装飾を除けば、優秀な騎士であり、アルカニアの重要な戦力だ。
ユルゲンが使う七色の剣は、射程が長く高火力であり、対飛竜や集団戦に於いても無類の強さを誇る。そんなユルゲンが無名の冒険者に負けるとは、シルヴィアにとっては性質の悪い冗談にしか思えない。
とは言え、リチルならともかく、真面目なエミリーがそんな冗談は言わないだろう。ましてはその対戦相手はエミリーが負けた相手なのだから――
「ユルゲンの対戦相手は魔法剣士のジロウか」
エミリーが負けた相手であり、数種類の魔法と剣を合わせて使う魔法剣士だったとシルヴィアは思い出す。確かに厄介な相手ではあるが、それだけではユルゲンは負けないだろう。
「確かにシンドウ殿は“魔法も”使うのですが、正確には投擲物に魔力を込める、あるいは強化する類の固有能力持ちの魔法剣士でした。私の試合でも一度だけユニークスキルを使用していたのですが、ユルゲン様との試合では威力が全くの桁違い、ナイフ一本でユルゲン様の七色の剣を相殺していました」
「ナイフ一本でユルゲンの七色の剣と同威力、間違いなくユニークスキルだろうな。予選では魔法剣士とだけしか情報が出てなかったから、隠していたのか」
ユニークスキルは他のスキルに比べて飛び抜けて強力で、特殊性が高い。その中でもユルゲンのスキルは良い意味でも悪い意味でも目立つので、誰しもユルゲンの攻撃方法を知っている。
(そんな条件でユニークスキル持ち同士が戦えば、ユルゲンが負けても不思議じゃないか)
「私はもう少しでシンドウ殿に勝つことが出来たかもしれない、と考えていたが違ったようです……」
エミリーは自分の判断が的確ならばまだ試合は判らなかった、と試合後考えていたが、ユルゲンとジロウの試合を見たことにより、それは自惚れだと気づかされた。
一流の魔法使いの魔法にも匹敵する攻撃の絶え間ない応酬、その一撃、一撃が致死攻撃であり、頑丈なはずの闘技場のリングが簡単に破壊されていく。
魔法剣士の戦闘スタイルでさえ、エミリーは勝てなかったというのに、そこに高火力の投擲魔法による絶え間ない攻撃も加わるのだ。知らなかったとは言え、もう少しで勝てると思った自分が恥ずかしく、悔しかった。
「エミリーはまだまだ若いだろ、鍛えれば幾らでも強くなるさ。ユルゲンが相手だと思ってたが……試合が待ち遠しいな」
ユルゲンすら倒す無名の強者と戦う、シルヴィアは楽しみで仕方なかった。
異世界に来て数ヶ月、この世界でここまで人に会いたいと想い焦がれたことはない。
「はぁ――」
小さく息を吐き、身体を軽く動かす。少しぎこちない気もするが、試合が始まれば直ぐ収まるだろう。迷宮でもクエストでもそうだが、どんな場面でも戦闘が始まれば、身体が動いて頭が冴えてくる。
(異世界に来てからの癖か)
通路からリング上に歩き出す、前の試合と同様に数万を軽く超える観客、リング上で佇む審判。違うのは対戦相手ぐらいだ。リング中央に近付くにつれてその姿は鮮明に見えてきた。
数ヶ月前、森で見かけた姿と変わらない。ショートカットの赤毛で、並みの男よりも大きい身長、白銀の鎧を身に纏い、ホーングリズリーを打ち倒したときのショートソードとラウンドシールドを持っている。
そのまま歩き続け、遂に目の前にシルヴィアが現れた。
(久しぶりだな。会いたかったよ)
頭に浮かんできた言葉に思わず苦笑してしまう。まるでしつこいストーカーのようだ。
「シルヴィア様、“また”お目に掛かれて光栄です」
「……どこかで会ったか?」
シルヴィアは怪訝な顔で俺を凝視する。俺の顔と身体を見てもまだ思い出せないようだ。
「ええ、四ヶ月前のリュブリスの北東の森の中で、あの時は言葉も分からず服もない俺を暖かく出迎えてくれて、感謝のあまり涙が出ました」
既に笑いが止まらない。遂にここまで来たのだ。
「……あの時の変態か!? はははっ、俺を追いかけて武術祭のこんな所まで」
「意識しなかったと言えば嘘だが、武術祭に出たのは偶然だ。それと俺は変態じゃない。理由があってあんなことになっていた。錯乱していた俺も悪かったが――それだけでアレは納得できない」
死に掛けていたとは言え、裸で詰め寄った俺も悪かった。この世界で騎士にあんなことをすれば不敬罪で殺されても文句は言えないし、殺されなかっただけマシだ。それに結果的にはホーングリズリーからも助けて貰った。だが、それで納得出来るかと言えば別だ。
「それで、何がしたい?」
「奴隷になったり、魔物や盗賊に殺されかけたが、強くなってここまで来ることが出来た。それをシルヴィア様に見せたくてな。……簡単に言うとアンタを殴り返しに来た」
「ふはは、とんだ大馬鹿野郎だ。闇討ちでもなんでもすればいいのに武術際でわざわざ俺を殴りに来るなんて」
審判が俺たちの会話を聞いて、どうしたものかと慌て始めている。
「なんとでも言え――審判、試合を始めよう」
この世界特有の価値観があるように、俺には俺の価値観がある。
俺とシルヴィアが位置についたことと、観客からの試合を早く始めろ、という野次に押されて審判は迷いながらも試合の説明に入る。
「ルールは一本勝負、武器は刃を潰した物か、アルカニア王国が提供した物のみ、10秒ダウン、リングアウト、二人の審判が致死攻撃と判断したら負けだ。武人として何があっても“恨む”のは無しだ」
妙に恨むのところだけ声が大きかった気がするが、気のせいではないだろう。
「二人とも準備はいいか?」
「大丈夫だ」
「……」
二人の返事を得た審判はカウントダウンを開始する。
「3、2、1、試合始め」
「炎弾よ敵を焼き尽くせ」
審判の合図と同時にシルヴィアにファイアーボールを撃ち込むが、シルヴィアは意に介さずこちらに向って来た。
爆発したファイアーボールの火炎がシルヴィアに襲い掛かるが、シルヴィアは炎の中を平然と動いている。
(シルヴィアは火神の加護で火には強いと聞いてはいたが、ここまでとは!!)
ファイアーボールが何らかのダメージを与えるか、牽制程度にはなるかと思ったが、全くそんなことはなかった。神に愛されるというのは、実に凄まじい。
(火属性魔法は使えないな、とことん相性が悪い相手だ)
借りた投槍を構え、シルヴィアに投擲する。投槍の投擲を読んでいたシルヴィアは軽く避けようとしていたが、投槍の予想外の速度に体勢を崩しながら避けた。
そんなシルヴィアに続けて投げナイフと投斧を投げ付ける。投げナイフをどうにか避けたシルヴィアだったが、投斧が回避しきれず盾で投斧を受け止め、投斧を受けた場所は鈍い音と共に衝撃で凹む。
(盾が凹んだか……)
純粋な剣技だけならシルヴィアは、俺やユルゲンよりも強い。正面から斬りあったのではまず勝てないだろう。俺がシルヴィアに勝っているものといえば体力と最上級投擲スキルぐらいなモノだ。今の俺が勝つには投擲でダメージを与え、スタミナを削り、そこから剣で持久戦に持ち込むしかない。
「投げ物ばかりだな。そんなんじゃ俺は殴れなッ――!!」
そう口を開くシルヴィアの喋りを中断させるかのように投擲物を投げ続ける。
体中に投擲武器を装備した所為で凄まじい重さだが、森で鍛えた脚力と体力ならばシルヴィアと距離を開けて投擲物を投げ続けることは、どうにか実現できる。それに投げていればどんどん軽くなる――
投げた投擲物を回収し、再び投擲もしたが、数十本の投擲物を投げたところで投擲物は底を尽きかけてきた。シルヴィアの防具は投擲物の直撃や掠ったもので痛々しく破損し、盾は大小様々な傷と凹凸が出来ている。
会場も俺のような戦い方は異色らしく、驚きの声が多い。
(頃合か)
俺の投擲物が切れ掛かっていることに気づいているシルヴィアは、間を空けずに突っ込んで来た。それに答えるように俺は投げナイフを投げつけ、今日初めて自分からシルヴィアに迫っていく。
俺とシルヴィアとの距離は瞬く間に近くなるが、途中落ちていた分銅鎖を低い体勢で拾い、そのままの勢いで投げつけ同時にバスタードソードを両手で横に振り、切りかかる。
「はッ、魔力と投擲物が切れたか――」
鎖分銅が傷ついたラウンドシールドに当たり、分銅の重い音と鎖独特の金属音が会場に響く。そしてシルヴィアは後に飛び退きながらも水平な状態で迫るバスタードソードをショートソードで斜め上部に弾く。
刀身はギリギリでシルヴィアに届かない。そのまま上段から手首を返し、斜めに斬りつけようとするが、ラウンドシールドでバスタードソードを受け止められ、真下に受け流される。
そしてショートソードで俺の胸上部目掛け、突きが繰り出される。上半身を逸らし、突きを避けるが、追撃は止まない。
(体力を削ってこれか、嫌になるな)
一進一退の攻防が続くが、全体的にどうしても俺が押されている。だが、騎士団使用の重い装備の上に、連続で動いてきたシルヴィアの体力は限界に近付き、僅かだが動きが落ちて来た。
「はぁ……お前はどんな体力してるんだ!!」
俺はシルヴィアを休ませないように常に張り付き、激しい斬り合いを続けていた。
短期間で幾度も過労死寸前まで身体を追い込み、異界の治癒力で強引に回復してきた俺の体力は、既に人外の域に達している。
迫るシルヴィアにフェイントを織り交ぜながらバスタードソードで突く。突きをラウンドシールドで防ぎ、シルヴィアは強引に俺との間合いを詰めると、一気にラッシュを掛けてきた。
(体力が削られる前に勝負に出てきたな)
幾度も繰り返される斬撃とラウンドシールドの打撃をバスタードソードで捌きながら、こちらも手を出していくが、後手に回ってしまう。
俺が大きくバックステップした時にシルヴィアは勢い良く踏み込んできた。
(来たか)
踏み込んできたシルヴィアの右足に向けて、防具に隠していた棒手裏剣を最後の魔力を込め、足に投擲する。頑丈な鎧や盾に守られている上半身ならともかく、比較的装甲の薄い防具なら貫通するはず――
そして期待通り棒手裏剣は、シルヴィアの足の防具を突き破り、右太ももに突き刺さる。
(これで足がとまッ――!?)
棒手裏剣が刺さり、一瞬でも足が止まると思っていたが、シルヴィアは痛みなど存在しないかのような獰猛な笑みで斬りかかってくる。
「はぁあああ!!」
一瞬対応が遅れた俺は、シルヴィアに全力でバスタードソードを叩き込む。強力な一撃に盾は今までにないほど傷つくが、それでもシルヴィアに刃が届かない。そして代わりとばかりにショートソードが喉に迫って来た。
足を動かし、可能な限り上体を反らすが間に合わない――
(負けられないんだよッ!!)
凄まじい勢いで振られたショートソードに自分から左手をぶつける。刃も潰してあり、防具を身に付けているとは言え、その衝撃は全て左手に集まる。
「がッぁ」
歯を食いしばり、全身が震える程の痛みに耐え、どうにかショートソードを防ぎ切ることができた。
シルヴィアは二撃目を繰り出そうとするが、俺は左足を横に振り払う形で蹴りを入れる。シルヴィアの右足には棒手裏剣が刺さっているので、踏ん張ることが出来ず、倒れ込みそうになった。
そんなシルヴィアに右手でバスタードソードを叩き込む。シルヴィアは咄嗟にショートソードとラウンドシールドで防ごうとするが、剣圧に負けて両手が上がる。
それでも体勢を立て直し、戦おうとする闘争心は大したものだ。
「恩返しだ。受け取れ!!」
俺は折れたであろう左腕でシルヴィアに思いっ切りアッパーを繰り出す。顎にクリーンヒットした拳はそのままシルヴィアを真後ろに吹き飛ばすと、シルヴィアをリングの上にだらりと大の字にさせた。
「勝者ジロウ・シンドウ!!!!」
審判の判定と共に俺の勝利が確定した。怪我をしているシルヴィアに審判が駆け寄って行く。
「頭部は――鼻血ぐらいだが、大腿部に棒手裏剣が刺さっているか、抜くと出血が不味いな。医務室に運んでからこれを抜いて、治療魔術士に傷を塞いで貰おう」
太ももに刺さった棒手裏剣を医務室で抜くようだ。
観客は試合の決着に興奮しているが、俺は逆に試合中の興奮が収まってきて、左手が尋常じゃなく痛んでくる。折れた手で殴るのは馬鹿だったが、一発でも殴り返したかったから後悔はしていない――
体力の限界ではないからか、命の危険ほどの怪我ではないからか分からないが、異界の治癒力は発動する様子はない。
(つくづく便利だが、不便なスキルだな)
「君も腕が完全に折れているだろう。一緒に医務室に来たほうが良い」
青い顔をして腕を押さえてる俺に、審判はそう告げる。
勝者、敗者ともに医務室送り。何とも皮肉なことだ。