第九話 アインツバルド武術祭
「では、予選からの参加選手は、こちらに並んでください」
大会の運用衣装を着た若い女性達が、会場に隣接した建物に予選からの出場者を集めていく。
武術祭前の健康診断、この世界にその発想があったことにも驚きだが、屈強な武人達が列を成して自分の番を待っているのは、非常に笑えてくる。体育会系の健康診断はこんな感じなのだろうか。
「なあ、ギルゼン。前回の武術祭も健康診断をしたのか?」
「毎回予選からの勝ち上がり組は健康診断をするようだな。出場者の病気が発覚することもあるので、好評ではあるらしいが」
予選トーナメントを勝ち抜いたのは俺とギルゼンだけだ。ミケーレは良いところまで行ったのだが、相手が女性で油断したらしい。ミケーレらしいと言えばミケーレらしいが――
「ふーん、健康診断ねぇ……」
若い女性を連れて個室に入って行くその様子は、怪しい店そのモノだ。怪我なども王宮治療魔術士が無償で治してくれるので、高待遇だが、逆に高待遇過ぎて何か納得出来ない。
(確かに、万全の状態で選手が戦えば賭けは盛り上がりそうだが、それだけのことでここまでするか……はぁ、考え過ぎか、この世界に来て嫌なことしか最初に考えなくなったからな。良いんだか悪いんだか)
「ええっと、すいません。ネームプレートの位置が高くて見えないので、屈んで貰えますか? はい、ありがとうございます。638番のギルゼン様ですね」
女性の係員がギルゼンの首から下げたネームプレートを確認するのに、ギルゼンを屈ませた所為で女性とギルゼンの顔がかなり近くなっている。
女性には慣れてないらしく、あの巨体で顔を赤くしておろおろとしている。どっしりと構えていればいいのに、意外にうぶな奴だ。
「ではこちらにどうぞ」
女性係員に連れられ、個室に入って行くギルゼンをニヤニヤして見ていると、声を掛けられた。
「178番のジロウ様ですね。こちらにどうぞ」
係員に連れられ入った部屋は、診察台の他に機材が置かれたテーブルや椅子などが用意されている。俺を担当するのは若い女性と壮年の男性の二人組だ。
「最近身体で気になる所や調子の悪い所はありますか?」
「いや、特にないな」
大小の怪我は多いものも、その殆どは異界の治癒力で治っている。酷い怪我でも薄っすらと跡があるかないかぐらいだ。
「そうですか、では、早速検査をしますので、服と装備を外しますね」
今俺が身に付けている装備は、国が貸し出した武器と使用が許可された武器・防具などだ。腕甲や脛当てを外し、鉄製の胸当てと服を脱ぐ。胸当てを外す時に女性の胸が背中に当たりなんとも気持ちが良い……。
「では失礼します」
彼女はそう言うと俺の身体を触り始めた。医療の心得があるのか、僅かに跡が残っている古い傷を指でなぞっていく。古傷など触られたこともないので、くすぐったいような妙な感じだ。
「回復魔法でもなさそう……変わった治り方をしていますね。自然治癒ですか?」
俺に質問する間も彼女の手は止まらない。
「自然治癒と回復魔法が半々」
スキルも自然治癒に入るので、嘘は言っていない。
「そうですか、回復魔法で傷跡は直りますが、治しましょうか?」
「ああ、頼むよ」
「光よ彼の者を救え」
彼女は詠唱を済ませると、古傷に手を当てながら魔法を放つ。魔法の効果が及んでいる場所は暖く、眠くなっていく。
ちらりと横を見ると、壮年の男が手にした紙に一心不乱に何かを書き込み、そして腑に落ちないような顔で悩んでいるではないか。
(え、なんでそんな顔をしているんだ)
「ちょっと離れるからその間、頼むよ」
壮年の男は彼女にそう言うと、足早に部屋を出る。はっきり言ってかなり不安になる。検査中に医者が慌しいなんて、患者の不安を全力で煽るようなものだ。
その後、数分間治療を受けていると、後にある扉が開いた。壮年の男性が戻って来たのだが、足音が1人分増えている。
(足音が増えている。なんだ?)
頭を動かし、扉の方を見ると、壮年の男に加え、1人の女性改め、1人の老婆が立っていた。
「ちょっと気になる点があったから、専門家を連れてきた」
「イッヒヒ、アタシがちゃんと見てあげるから大丈夫だよ」
「心配しないでベットに横になってな。もうアンタは良いよ。後はアタシ達に任せな」
彼女(?)はトカゲのように音もなく素早く俺に駆け寄ると、俺の背中を触り始める。
(ひぃいいい)
その感触に俺は引きつった顔で耐える。横目で壮年の男性と係りの女性を見ると、気の毒そうな顔でこちらを見ているではないか――俺の目線に気づいた二人は気づかないふりなのか目線を逸らす。
「イッヒヒヒ、引き締まった良い身体してるじゃないか、アタシもあと40年若ければ相手してあげたのに、ふーん、アンタ傷の治りが早い方だろう、恵まれた身体してるね。筋も骨も健康そのものだよ。寧ろ“健康”過ぎるねぇ」
言っていることは間違っていないので、腕は良いのだろうが、老婆は人間の手とは思えない手つきで俺の全身を高速で調べていく。怖くて老婆の手は見れない。
「内臓も大丈夫そうだし、なんの問題もないよ」
数分間の出来事だったが、その何倍にも長く感じられた。
「あぁ……ありがとう」
「アンタならまた見てやってもいいよ、イッヒヒヒ」
「いや、もう結構です……」
ふら付く足を何とか踏み出し、装備を身に付け外に出て行く。全く、酷い目に遭った。
「……記録は纏めたかい?」
「はい、しっかりと」
「あれは当たりだねぇ、魔法も剣も高い水準。なにより何かスキルを隠し持ってる。全てを“鑑定”出来なかったのが残念だねぇ。イッヒヒヒ」
普段は、剣闘士達が鎬を削る闘技場は5万人を超える入場者で溢れかえっていた。この円形闘技場は、長径200メートルの円形で、高さは50メートル、収容は5万人を超えるこの世界ではかなり巨大な建造物だ。
特徴としては最前列や試合が見やすい場所は貴族席、または高額の席代を払って金持ちが座る。そして周囲よりも高い位置にあるのが王族専用の席、その周辺も身分が高い者しか座れない仕組みだ。その他の席は市民でも見れるように金額が低く設定しており、席取り戦争の勝者のみが座っている。
アルカニア国王の開会宣言で幕を開けた武術祭は既に中盤、既に半数の選手の敗退が決定している。流石にこれから試合ということで選手待合室は殺気に包まれていた。
(息が詰るな)
初参加は結果を残し難い、というがこの重圧に耐えられないからかもしれない。目の前の選手もさっきからカタカタと貧乏揺すりが止まっていない。
「178番のジロウ・シンドウ様、そろそろ試合ですので、通路に移動お願いします」
「ああ、わかった」
俺が椅子から立ち上がると、周りにいた選手が声をかけてきた。
「おう、頑張って来い」
「エリート様の鼻をへし折ってやれ、そっちの方が俺も試合がし易い」
「ああ、任せてくれ」
待合室から連絡通路を通り、試合会場に繋がる通路で待機する。俺の目の前には一人の男だけだ。大盾と剣を持っているが鎧はほぼない、機動性を生かした剣士なのだろう。彼の試合が終わったら俺の出番となる。
「よぉ、調子はどうだ?」
「ああ、最悪だよ。相手があの七色のユルゲンだ。アンタも白銀騎士団が相手だろう。大変だな」
「まぁな……」
死線なら何度も潜ってきたが、この歓声には飲まれてしまう。5万人の歓声で闘技場全体が震えているのだ。どうやら決着が付いたらしい。
「さて、そろそろか、奴の魔法を何とかしてかわさないとな」
「魔法――?」
「ああ、奴の二つ名にもなった魔法剣だ。反則みたいな技だが大振りで隙も出来る――っと、もうか」
「アンタも精々頑張れよ」
男は係員に連れられ、闘技場の中央へと進んでいく。ユルゲンもリング中央に歩いてきた。金髪の長身でミスリルと黄金で出来た鎧。マントには金の刺繍が施している。
(なんて目に悪い奴だ)
特設のリング上で両者が構え、試合が始まった。男は大盾を構えながら一目散にユルゲンへと突撃をする。対するユルゲンはツーハンドソードを大きく構えたまま迎え討つ気だ。
(居合いか――?)
そんな俺の推測は吹き飛んだ。大きく構えていたユルゲンが男が近付く前にツーハンドソードを振った。
そしてなんとツーハンドソードからは虹色の光線が飛び出した。
「なんだそれは!?」
男はそれを読んでいたようで、大きく跳躍してかわそうとするが、放たれた七色の光線は床にぶつかると爆発した。爆炎までもが虹色だ。
その魔法剣を見た観客からは驚きの声と一部の黄色い声援が送られる。
爆炎に飲まれながらも男は突き進む。そこにユルゲンは光線の追撃をする。放たれた光線を男は大盾で受けるが盾は弾け飛んだ。しかし、そこに男の姿はない。光線が到達する前に大盾を投げて光線にぶつけたようだ。
そうして男はユルゲンを捕らえる間合いに入った。本選にまで来る選手だけあってかなりのやり手だ。
間合いに入った彼はユルゲンに大振りをさせない戦いを繰り広げる。ただ、七色の光線での負傷が命取りとなり、彼の腹部にツーハンドソードを叩き込まれ、試合が終わった。ユルゲンには汚れ一つ付いていない
(七色のユルゲンてのは七光りだけじゃなくて、あの技だったのか)
ユルゲンの試合が終わり、俺の試合の番となった。大会用の床板はユニット化されており、壊れた床板だけ剥がして置き換えれば、直ぐ試合に移れるようだ。
ユルゲンのお陰で無駄に客席のボルテージは高まっている。対戦相手のエミリーは女性の中では高い背、艶のある長い黒髪、整った顔など、白銀騎士団だけあってそちらの方もかなりレベルが高い。
ただ、この甲冑を見ていると、なんとも言えない気持ちになる。
「どうかしましたか?」
俺が鎧を凝視してるので、彼女は不思議そうに尋ねてくる。
「いや――今日はよろしく頼む」
(俺は何を考えているんだ。相手の地位や所属も関係ない。全力で戦うだけだろう)
「はい、よろしくお願いします。お互い武術祭は初めてのようですね。全力で戦い勝負を付けましょう」
「ああ」
そうして背を向け、決められた開始位置に移動する。
「ルールは一本勝負、武器は刃を殺した物か、アルカニア王国が提供した武器のみ。10秒ダウン、リングアウト、二人の審判が致死攻撃と判断したら負けだ。武人として何があっても恨むのは無しだ」
「二人とも準備はいいか?」
「はい」
「……」
俺は詠唱を始めたため、審判の目を見て無言で頷く。
予選と同じ、ゆっくりとした審判のカウントダウンが始まる。
「3、2、1、試合始め」
開始の合図と同時に、彼女は間合いを詰めてくる。そこに予め抜いていたスローイングナイフを異界の投擲術でなく、最上級投擲スキルとして左手で投げる。
良くも悪くも最上級スキルで放たれた、ただのスローイングナイフだ。勢い良く加速したスローイングナイフだったが、呆気なく避けられてしまう。だが、その避ける動作を作るには最適だと言える。
「炎弾よ敵を焼き尽くせ」
空いた左手から放たれた火球はエミリーへと向かう。
「風よ敵を置去りにしろ」
エミリーはバーストを使いファイアーボールを難なく回避した。俺は構わず直ぐ次の詠唱へと入る。
(エミリーが風属性の魔法を使うのは、想定していたが、タイミングが完璧過ぎる。事前にこちらの攻め手を知っていたか)
追加のスローイングナイフを抜く暇はないので、このまま切り合いに移行するしかない。
盾を向けて切り込んでくるエミリーに対し、強引に力で薙ぎ払う。
「はッ!!」
エミリーはバスタードソードをラウンドシールドで弾くように防ぎ、突きを繰り出そうとするが、俺のバスタードソードの方がリーチは長い。素早く引き戻したバスタードソードで逆に突きを繰り出す。
エミリーはバスタードソードの突きをロングソードの突きで相殺しようとするが、俺の力が上回り、ロングソードは弾かれ、防ぐことはできない。
凄まじい勢いでラウンドシールドに剣先が衝突し、剣が傷んだ気がするが無視する。
アルカニア王国の運営側から借りたバスタードソードなので、いくら傷ついても俺の知ったことではない。寧ろ、いつも以上に武器を痛めつける使い方でエミリーに切りかかる。
剣技も力も俺の方が上であり、幾度も防御を崩そうとするがエミリーの防御は固い。
俺はイラついた顔で全力でバスタードソードを打ち込むふりする。エミリーは急な変化にも対応出来る様にラウンドシールドでそれを迎え撃つだが、俺はいきなり大きく後に跳躍した。
(頃合か!!)
「炎弾よ敵を焼き尽くせ」
「風よ敵を置去りにしろ」
放たれた火球はエミリーに向うが、そのぎりぎり横をエミリーは突破してくる。
(読まれていたか、この様子じゃ他の魔法も警戒してるか、厄介だな)
急加速して突撃してくるエミリーに体重を乗せたバスタードソードを突き出そうとした時、エミリーは俺の顔面にラウンドシールドを投擲してきた。勢い良く飛んでくる鉄の塊を食らえば、俺の頭部は無事では済まない。
(クソっ、飛んだじゃじゃ馬騎士団だ)
どうにか首を曲げ、ラウンドシールドを避けるが体勢が完全に崩れる。エミリーの突きに対してもなんとかバスタードソードをぶつける。
(体勢を立て直す)
そのまま転がり距離を取ったが待っていた光景に唖然とする。
「風よ、敵を切り裂け」
低い軌道で風の刃が俺に迫っていたからだ。どうにか風の刃をバスタードソードで受けるが、そのままバスタードソードは飛ばされてしまう。
(詠唱は間に合わない。普通に投げたんじゃナイフは回避される――クソッ)
俺が崩れた体勢のままスローイングナイフを抜く。俺の獲物はナイフだけだが、エミリーは一切油断していない。一気に間合いを詰められる。
俺はスローイングナイフを投げた。エミリーは自身に飛んでくると考えていたナイフが床に激突したのを見て目を丸くする。だが、次の瞬間には目を見開く。
リング上で魔力が弾け、爆風が互いに降りかかる。
俺は身構えている分エミリーより早く動く。至近距離での使用は前回で懲り懲りだ。威力は抑えてあるので、俺にもエミリーにも怪我はない。
ナイフを抜こうと思ったが、エミリーの反応が早くその時間はない。俺はロングソードを振ろうとするエミリーの片手を押さえながら、エミリーにタックルをする。
抵抗するエミリーを組み伏せながら、そのまま馬乗りになると、腕を抑え付けてナイフを首に突き付ける。
「ハァハァ……ハァ」
「勝者ジロウ・シンドウ!!」
審判の宣言と共に会場からは歓声が上がった。
(勝ったか!!……あっ)
「……」
傍から見たら今の俺は、乱れた服装の女性に馬乗りになった息の荒い男だ。エミリーは身体をモジモジとさせながら、恥ずかしそうに目線を逸らしている。ちょっと涙目かもしれない。
「す、すまない」
俺は急いでエミリーの上から退けると、エミリーはゆっくりと立ち上がり乱れた服装を直す。
「く、悔しいですが、私の負けです……次は負けません」
彼女は足早にリングから去って行った。
涙目の女騎士にそう言われると、胸に来るものがある。公平なはずの審判の目線が痛い。俺もさっさとリングから降りるとしよう……