第三話 交通渋滞にご注意を
ルーべを発ってから四日目の朝、俺達は王都の周辺まで来ていた。
荷馬車が通る道はしっかりと整備され、揺れが少ない。それにすれ違う隊商や冒険者の数が尋常ではなく、馬車が多すぎて渋滞や危うく事故が起きるほどだ。
パトロールをする守備隊や騎士団まで定期的に見かける。王都の周辺が絶対的な治安を保っているのも納得だ。こんな光景は、大都市に分類されるリュブリス城塞都市でも見ることができない。
「しかし、人ばっかりだな」
人口密度が高い日本とは違い、人が密集していないこの世界では珍しい光景に目を奪われる。
「こんなに人がいるのは初めてだろう。俺も王都に来たときは毎回目が回っちまうよ」
「ああ……」
俺のいた世界はもっといた、とも言わず曖昧な返事を返してしまった。
ハンクやアーシェと暇な時間にした雑談によると、レネディア大陸西部を支配下に置くアルカニア王国、その王都アインツバルドは都市計画を元にした城塞都市であり、街並みが非常に合理的に作られているそうだ。
リュブリス城塞都市と比べても数倍。周囲まで含めると6倍近く規模が違うらしい。
アインツバルドに近付くにつれてその話は本当だと分かる。周囲にある集落などですら、他の地域にしたら村、町並みの設備と広さを持っているのだ。
「四年に一度のお祭りが一ヵ月後に開かれるんだよなー。アタシは見たこと無いんだけど、ハンクはあるのか?」
荷馬車の上で、座っていたアーシェがいつものように縁からだらりと体半分垂らしハンクを覗く。
「ああ、あるぞ。大通りが人で埋め尽くされて人に酔うほどだ。王直轄の白銀騎士団や王宮魔法団のパレードなんかも見物だったな。何十人というマジックユーザーが魔法を使うのなんざ、そうそう見れないからな」
「ええ、いいなぁ、アタシも見たかった」
訓練場の座学で習ったが、《白銀騎士団》は女性だけで構成されており、魔法と剣術を併用して使う実力者が多い。その戦闘スタイルと華やかさからアルカニア王国の男女から絶大な人気を持つ騎士団だ。
《王宮魔法団》は国中から優秀な魔法使いを集めて作られた集団で、規模こそヘッジホルグ共和国の戦闘集団である《魔力の杖》に劣るが、実力は同等とも言われる花形部隊である。
「ふーん、つまり、国威発揚の場って訳か。わざわざ高い金を出して、観光客を集めるだけなんてしないよな。国内外に力を見せ付けるのが目的なのか」
「また、ジロウのアレが始まった」
憧れを貶されたと思ったのか、アーシェにジト目で見られてしまった。
「ジロウは田舎から出てきたんだよな。どこかで教育を受けたのか? 妙に博学だが」
「ああ、まぁ、ちょっとな」
そりゃ、20年間、それも異世界で教育を受けていましたなんて、口が裂けても言えない。
(どう返答するか……)
「いいじゃないの、昔の話なんて、それとも年取ると昔話がしたくなるのか」
返答に困っていると、アーシェが話しを逸らしてくれた。
「なんだと、俺はまだ29だ。俺は年寄りじゃないぞ!!」
「ふふ、やっぱりふけ顔気にしてんだ」
ハンクもアーシェも良い奴だ。俺が答えられないと分かったからわざと話しを変えて、それに乗ってくれた。こいつらになら話しても良いと思えるが、やはり、今はまだ無理だ。
(いつか話せる時が来るのだろうか)
空を見上げるとアホみたいな青空が広がっていた。
王都アインツバルドに入るには、リュブリス城塞都市のように城門前の検問場で積荷の検査と訪れた目的を検問官に言わなければならない。この検問官は王都の安全や交通量を左右するので、通常の兵士よりも洞察力と戦闘力に優れているそうだ。
そんな検問場の前は馬車や徒歩の人間でごった返していた。一国の中枢が集まる王都だけあって馬車の数が尋常ではない。
(この世界でも交通渋滞がおきるのか)
そう思うと苦笑にも似た笑いがこみ上げてくる。
「お、珍しい地竜じゃないか」
「いやー、大きいね」
アーシェやハンクの視線の先には、象に近い体格に車を付けた竜車がいた。
竜車を引くのは退化した“龍”である地竜だ。退化したとは言え、腐っても“龍”の末端である地竜は、ほとんど飲まず食わずで長大な距離をひたすら進むことが出来る。それに劣化したとは言え、龍に近い頑丈な鱗はBランク最強の防御力を誇っていたはずだ。
どうやらどこかの貴族の竜車のようで、その護衛に付いている私兵も煌びやかな装飾を付けている。やはり竜車が珍しいのか周りから注目の的だ。
「これで退化しているなんて、本物の龍てのはどんな生物だよ」
「よく言われるのは飛竜の飛行性に強化されたブレス、地竜を上回る体格と鱗を持っている、て話しだね。あとは底を知らない魔力かなぁ」
「聞いただけでも最強の生物だよな。俺も龍は見たことはないが、数十年前に未到達地域に現れた黒龍とアルカニアの勇者が死闘を繰り広げたって、話しは有名だぞ」
そんな相手に互角と言うのは、自国からしてみたら英雄、他国からしたら悪魔だろう。悪い噂も絶えないが、流石は一人でアルカニアを大国に押し上げた勇者だ。
「どっちが勝ったんだ?」
ハンクは周りに聞こえないように小声で言う。この人ごみだ。耳の良い獣人でも聞こえないだろう。
「アルカニア王国が言うには勇者だが、相打ちが通説だな。黒龍は鱗を砕かれ、勇者は片腕を食いちぎられたそうだ」
「しかし、龍でも殺せなかった勇者の最後が、女に溺れて死ぬとは、なんとも情けないな」
俺が小声でぼそっと言うと、ハンクは同意するように笑った。
それから二時間近くして、ようやく検査が始まった。俺とアーシェはギルドカード、ハンクは商会のカードを検問官に見せる。
積荷を調べ、続いて手荷物の龍の鱗やミスリルを見てしまった別の検問官が一瞬顔色を変えたが、何事もないように作業を続けたのは、流石プロだと言える。
俺達の荷馬車は水堀にかけられた橋を渡る。王都に入る橋が跳ね橋でないのは構造上大きさに限度があり、交通量が限られてしまうからだろう。かけられた橋は大きく馬車が数台並走しても、広さ、耐久性ともに問題ない。大門を抜けるとそこは王都アインツバルドだ。
大門から続く道は、都市内を横断する形で作られたメインストリートであった。交通の基軸となっており、無数の馬車と人とが行き交い、人や馬車が絶える事が無い。
「どっちに行くんだ?」
「このまましばらく直進するぞ。ルーべとリュブリスから酒樽と小麦粉を持ってきただろ。指定された店があるからそこまで積荷を運ぶ。悪いが積荷を下ろすのを手伝って貰うぞ」
「ええー、アタシもか」
「アーシェが一番力があるんだから当然だろ」
ハンクの荷馬車は一台だけだが、あの一件で稼いだGで、それなりに大きい馬車と四頭の馬を買っている。なので詰める物資も竜車を除けば、積載量はかなりのモノなのだ。
(はぁ、重労働になりそうだなぁ)
石作りの道を荷馬車で揺られて進んでいると、大きい店の前で止まった。
「ジロウ、アーシェ、着いたぞ」
三階建てのその店は、壁は白い漆喰で塗られ、屋根も赤茶色のアルカニアでは典型的な建物だ。しかし、看板は鉄製の立派なもので、建物自体も質の良さそうな木材を使っていた。
この世界では宿泊施設と酒場を兼業している店は多いが、この店は市場で物を売る商人が宿と酒場を経営しており、自らが扱う商品の一部を直接宿や酒場に出しているらしい。他の店に比べ安いし、質も悪くないので、人気な店の一つだそうだ。
手広く商売が出来る人にしか出来ないことなので、周りの宿や酒場では真似ができないのだろう。商魂恐るべし。
「裏手に搬入用の空き地があるからそこに馬車を入れるぞ」
荷馬車の裏手の空き地に進むと従業員が出てきて、馬車の先導を行う。
「いやー、よく来てくれました。この時期やあの事件の所為で全体的に馬車の数が足りなくて困ってたんですよ」
「いえいえ、こちらも商売ですから」
腰の低い従業員はハンクと握手すると積荷の数を書類と照合し始める。
「酒樽の数は大丈夫、小麦も大丈夫だろ……ええっと、はい、問題ないです」
「よっこらせ、と」
俺とアーシェは酒樽や小麦粉の入った麻袋を軽々と持ち上げ、裏手から店内に運んでいく。
この麻袋というのは頑丈な作りなので、何度使っても簡単には破けないし、少々荒く使っても問題は無い。基本的に固形物ならほとんどの物は入れることが出来るし、通気性に優れているので、作物や小麦などが劣化することもないのだ。それになにより安いのが魅力だろう。
途中他の従業員とすれ違い、びっくりされてしまった。そりゃ俺はともかく、女の子のアーシェが片手に一つずつ酒樽を持ってきたら驚くだろう。店内に次々運んでいく。思ったより、それどころか全く疲れない自分の体に驚きを覚えていた。
(この世界に来てから随分と力が強くなったが、いくらなんでも異常すぎないか。俺の世界の常識で考えてはいけないのは分かっているんだがなぁ……)
最後の一つを運び終わり、外で待っているハンクと従業員に報告する。これでも元社会人。ホウレンソウと言えば基本中の基本だ。
「また機会があればお願いします」
従業員に確認を貰ったハンクは、書類を貰い荷馬車で店を後にする。商会に書類を提出するまでが仕事だ。
「よっし、先に荷馬車を宿に置いてくるか、オークションのこともあるし何日もかかるだろう」
「確かに人が多すぎて荷馬車じゃ不便か」
ちらりと周りを見渡すと、人や馬車がごった返している。
料金は高いが馬小屋と馬車倉庫が付いた宿を借りる必要があるだろう。そうこうしている内に王都での一日が過ぎていった。
軽い飲酒の後、四日ぶりのベッドは暖かく、気持ちがいい。ただ――
「ぐごぉぉぉっ、ぐぅ」
「ハンク相変わらずうるさいな……」
とてつもなくハンクのいびきがうるさいのだ。アーシェはいびきの前にさっさと寝てしまっているので寝れたようだが……
「ぐごぉぉぉぉぉ」
「……水弾よ敵を薙ぎ払え」
密かに唱えられた極小の水玉は、敵と認識されたハンクの頭部に直撃する。
「!? 敵襲だ」
飛び起きたハンクがベッドから転がり落ちる。
続いてアーシェがベッドから飛び出て戦闘態勢になってしまった。
「……誰もいない」
アーシェは不機嫌そうにハンクを見る。
「違うんだ。何かが俺を襲ってきたんだ」
そう言ってハンクは濡れた頭部を触っている。まさかこんなことになるなんて――
「く、ふふ」
堪えることが出来ず、笑ってしまった。
「ジロウお前の仕業か!!」
「悪い、いびきが大きかったから、つい出来心で……」
「バカジロウ、アタシまで巻き込むなぁー!!」
そう言って投げられたのは枕だ。加速された硬い枕は俺に直撃し、衝撃をそのまま伝える。アーシェとハンクの攻撃はこれで終わりではない。
長い夜になりそうだ……