第十三話 迷宮の死闘
ほぼ戦闘
先に動いたのはホブゴブリンだ。俺とアーシェに二匹ずつのホブゴブリンは迫ってくる。その動きは速く、下位の冒険者の速度とは比べ物にならない。6メートル近くあった距離はあっと言う間に縮まろうとしている。
二匹の剣はシャムシールとフランベルジュだ。
フランベルジュは炎のように波打った刀身を持つツーハンドソードだ。その刃で傷つけられると、他の武器に比べて傷口が大きく複雑になる。その上、傷は治りにくく、芸術品のような姿に反して、非常に凶悪な剣だ。
シャムシールは剣先が滑らかな曲線を描いていて、柄はその逆向きに反っているのが特徴だ。柄頭が小指側にカーブを描いているので、小指側に力をかけやすく、連続した斬撃を得意としている。どちらの剣も手合わせしたことはない。接近戦になれば不利になるのは目に見えている。
(速い!?)
二対一、近付かれるまでに戦力を削らなければ、そう判断した俺はスローイングナイフを引き抜きフランベルジュを持ったホブゴブリンに投げつける。
一瞬だけ魔力で強化された身体から繰り出されたスローイングナイフは、投擲する動作からは予想出来ない速度でホブゴブリンに迫る。
(この距離であの速度、まず致命傷だ)
が、そんな俺の想像をホブゴブリンは軽く超えてきた。直撃の軌道を描いていたスローイングナイフを横に飛び、あっさりと避けたのだ。腕に多少の傷を与えることが出来たのが、唯一の救いか。
(初見、それもあの距離で避けた!?)
もう一度、スローイングナイフを投げるが、今度は完全に見切られ、回避される。
シャムシールを持ったホブゴブリンが間合いに踏み込んでくる。片手で持っていたバスタードソードを両手に持ち替え、横にバスタードソードを振う。
その場でバックステップしたホブゴブリンに俺は突きを繰り出す。ホブゴブリンは屈むように姿勢を低くしバスタードソードから逃れると、そのまま踏み込んでくる。
顔面に向け下から突き出された剣先を弾こうとバスタードソードを軽く振りかけた時、シャムシールの軌道が急激に変わる。
このホブゴブリンは急所を狙ってるんじゃない。明らかに足を斬るつもりだ。
「クソッ!!」
咄嗟に膝から体当たりをして、ホブゴブリンを突き飛ばす、素の身体能力はレベル上げの甲斐もあり俺の方が上らしい。
飛ばされたホブゴブリンは体勢を整え、再び斬撃を繰り出そうとしている。
これじゃ距離を取る隙もない。
俺は目の前のホブゴブリンに気を取られ過ぎていた。不意に横合いから殺気と剣圧を感じ、バスタードソードを振る。
ガギャという金属同士がぶつかり合う高音。視界に入ったのは特徴的なフランベルジュの刀身だ。
(もう一匹か)
フランベルジュを持ったホブゴブリンが一瞬で間合いを詰めて来たのだ。
スローイングナイフでホブゴブリンの片手が負傷していたので、剣を振る速度が鈍っていた。あれがなければ完全にやられていた。
シャムシールのホブゴブリンも突っ込んで来る。バスタードソードを振り、フランベルジュのホブゴブリンから距離を空けようとするが、ピッタリと張り付いて不可能だ。
シャムシールの鋭い刃が俺の体を襲い、鉄製の胸当てや腕甲に傷を付ける。そして幾つかの斬撃は俺の体を切り裂いていた。
血が見る見る失われていく。フランベルジュの一撃が俺のわき腹を直撃した。だがそこにはスローイングナイフが三本付けてあり、衝撃は逃がさないものの、斬撃は防いでくれたようだ。
「グウッ……」
「ジロウ!?」
強敵が相手だと言うのにアーシェは俺の心配までしていたようだ。アーシェから見たら致命的な一撃に見えたのだろう。
頭で《生存本能》が真っ赤なアラーム音を鳴らし続ける。このままではなぶり殺しにされることは確実だ。防御に徹してこの状況、どうする。
その時、部屋の空気が変わった。広いはずの空間が狭く感じられる。
「ああアアァ!!!!……グルルルルッ、ァアアアア!!!」
アーシェと戦っていたホブゴブリンの片腕が大剣によって吹き飛んだ。剣技でもなんでもない。圧倒的な力技だ。
(獣化!!)
獣の咆哮、全身が悪寒に包まれる。誰のモノか一瞬判断が付かなかったが、アレはアーシェの声だ。ホブゴブリンの猛攻が止まる。その僅かの隙に距離を空ける。ホブゴブリンは直ぐに対応してきたが数アクション分の時間は稼いだ。
「お前、オマエ、オマエラ!!」
神に愛されたその体は、圧倒的な力でホブゴブリンに迫る。それでも鉄の暴風雨を退け続ける二匹のホブゴブリンはやはり異常だ。異常な者には異常な攻撃しかない。
(無傷で済むはずないよな)
俺はスローイングナイフをフランベルジュのホブゴブリンに投げつけた。ホブゴブリンは今までのように最低限の動きでそれを避けようとする。が、俺のスローイングナイフに込められた魔力で、意図に気付いたようだ。
(もう遅い)
放たれたスローイングナイフはホブゴブリンの後方に刺さり、そして魔力が爆ぜた。ホブゴブリンは強大な力により全身を圧迫され、そして千切れた。爆風範囲にいた俺やシャムシールのホブゴブリンにも容赦なく余波が襲い掛かる。
目の焦点が合わない。強烈な衝撃により鼓膜を刺激し、頭を激しく揺らす。全身打撲、それも内臓が圧迫され、強烈な吐き気が訪れる。残存する魔力での最大出力だ。数メートル離れていた程度では、気休めにしかならないと分かっていた。
「ゲッ、フゥ……ハァハァ」
俺より爆心地に近かったはずのシャムシールのホブゴブリンは、立っている。フランベルジュのゴブリンと自身の血で黒い鎧や喜びを司るお面が汚れているが、笑っている。人間と同じ言葉で
「ふ、ふは、ははははははーー」
そいつは俺目掛けて突っ込んでくる。片手が満足に使えない状況なのにホブゴブリンの斬撃の数がどんどん増えていく。俺はシャムシールごと叩き折るつもりで応戦するが、ホブゴブリンは全て受け流し、それ以上の手数でシャムシールが振られる。
(打ち合ってる手ごたえがない)
切られることに気を取られていたが、シャムシールは突く事も出来る剣だ。左腕の腕甲と鉄の胸当てとの隙間を抉られた。距離を空ける為にバスタードソードを振るうが、ホブゴブリンは既に手元に引き戻したシャムシールでバスタードソードを弾く。
ホブゴブリンは負傷して鈍った左側に回りこんでくる。そうしてシャムシールを巧みに扱い攻撃を繰り返す。
迎撃する俺の斬撃を突きから引き戻した剣で擦るように軌道をそらす。
(熟練した武芸者の技をなぜ!?)
未来位置に向けてバスタードソードを振り落とすが、ホブゴブリンは左へ傾いていた体を急激に停止させ、俺の一撃をぎりぎりのところで回避する。ホブゴブリンは俺の腕目掛けて突きを繰り出す。
自分から当たりに行き、腕甲に刃先をぶつけて防御する。夥しい出血と繰り返される刃により、俺の体に限界が迫っていた。出血のせいか何時ものように視界が保てない。足が縺れていく。
アーシェの獣化によって劣勢になった仲間に援護に行くためか、ホブゴブリンは俺を仕留めるつもりだ。斬撃のラッシュをかけてきた。無数の刃に俺の体が削られていく。
(気持ち悪いのか、気持ち良いんだか分からなくなってきた)
姿勢を維持できない。体が歪む。ホブゴブリンの攻撃は手足などの外堀を埋める作業から、本丸である急所に切り替わっていた。
「あははははh、ふぁあはっhーー」
ホブゴブリンは、狂ったように笑う。そうして剣先が俺の喉に迫る。鈍った俺の動きでは防ぐことはできないだろう。
尤も“鈍った体”ではだ。
一瞬にして体に活力が戻る。血が身体の中で濁流のよう流れて行く。無意識に俺は笑っていた。沈んでいた腕を引き上げ、迫っていた刃を押し返す。
「ははぁはは!?」
ホブゴブリンは初めて距離を空けようとする。
軋むほどの圧力で下半身に力を込め踏み込む。加速した俺の体は、ホブゴブリンに迫る。そうして両手で右から左へとバスタードソードを振り抜いた。
咄嗟にホブゴブリンはシャムシールで弾くが、腕が上がり完全に体勢は崩れた。ホブゴブリンの左真横に踏み込んだ形になった俺は、右足を軸にして反転すると、上段からバスタードソードを首に叩き込んだ。
ホブゴブリンの首元から斜めに入った刀身はホブゴブリンの血管を引き裂き、大動脈を切断した。ゴブリンからは血が噴出し崩れていく。
「ふあ、はは……あ」
(勝った……? あ、アーシェは!?)
アーシェが戦っていた方を見ると、そこには鎧を貫かれて腹部に大剣が突き刺さるホブゴブリンとアーシェによって殴られ続ける隻腕のホブゴブリンがいた。既に原型を留めないほどグチャグチャだ。
「グルルルルッ、グウウ」
ホブゴブリンを殴り続けるアーシェに声をかける。
「……アーシェ」
恐る恐る呼びかけると、アーシェは血走った目でこちらを睨み付けてきた。
「グルルッ、あ……ジロウ、生きてたんだ、良かった――」
正気に戻ったアーシェは、牙や爪が元に戻っていき、獣化が解けて行く。
「う、ゴメン、気持ち悪いよね……」
ふさふさの耳と尻尾をペタンと寝かせ、顔を伏せている。獣化が見られたことが相当ショックなようだ。
「何言ってんだ。それより大丈夫か!?」
俺はアーシェに駆け寄り怪我の具合を確かめる。どうやら致命傷はないようだ
「良かった無事か」
「ジロウ……」
その時、風が吹かないはずの迷宮の中で風が吹く。
「ふ、ふは、はははははは」
「うふふふふうふふふふふ」
「ふぅ、うっ、ううぅぅぅ」
「ァ、ああ、アアアアアア」
部屋の中に気味の悪い喜怒哀楽の声が響くと、ホブゴブリンは溶けていった。本当にアイツらはなんだっだんだ。
「俺たち、勝ったのか」
「うん、そうみたい」
部屋には先ほどの死闘が嘘のように静寂に包まれていた。その場に残されたのは、ドロップアイテムと宝箱だった。
遅れて強烈な空腹感が俺に襲い掛かる。あの効力を考えたら、この程度のデメリットは小さいものだが、こんな時ぐらいは勘弁して欲しい。