第五話 ハイゴブリンの日常
ハイゴブリンのお話です
「たく、夜勤とかついてねぇよ。最近は魔物が活発になったせいで、門番の数も増やさなけりゃならんし」
ケルケットの愚痴がいつものように始まった、と街の守備隊長のケルヒンはため息を付いた。この町の守備兵力はパートタイムの民兵を入れて70人前後。常時、兵士をしているのは、40人程度に過ぎない。そのため兵士達は頻繁に深夜帯の門番を担当することになっている。
人口の割に戦力が多いのには理由があった。この町は農業の町だ。森にいる魔物を駆逐し、森を切り開いて来た。だからこそ、魔物との戦闘に備え、ここには兵士が多い。ケルヒン自身も魔物を駆逐しながら木を切り倒す作業をしている。
「ケルケット、愚痴はそのぐらいにしておけ」
隊長であるケルヒンが戒めると、素直にケルケットは黙った。粗暴な人間であるケルケットも仲間の言うことには素直に従う。
ただ、ケルケットが愚痴を言うのはケルヒンも仕方ないと思う。最近、森の中の様子がおかしいのだ。冒険者や旅人が凶暴化したオークの群れに襲われることが頻発している。更に、森の中にいたゴブリンを討伐しようとしたこの町の守備隊が返り討ちに合い、数人が犠牲になっていた。
狩り慣れたゴブリンの思わぬ反撃に、ケルヒンはケルケットなどのやり手の兵士を動員してゴブリン狩りを行ったが、結局十匹ほどしか狩る事が出来なかった。
「今度、村長がリュブリスの冒険者ギルドに調査を依頼する。それまでの辛抱だろうが」
「リュブリスて、ここから数百キロも離れてんじゃねぇか」
リュブリスは帝国との重要拠点の上に、迷宮もあるから数千人近い冒険者と数万人以上の兵隊がいる。非常に頼りにはなるがいささか遠いと言えた。会話には他の守備兵も会話に加わった。
「そんなもんか」
「うげぇ、徒歩だと往復12日はかかるじゃねぇか」
それからも朝までの時間をつぶすために、たわいも無い会話は続く。椅子に座り、量だけは取れる不味い木の実を齧っているケルケットや兵士にケルヒンは小声で声をかける。
「……おい、武器を持て、向こうに誰かいる」
ケルヒンが指差す方向を兵士達は見るが、何も見えない。兵士達が首を傾げようとした数秒後、離れた松明に人影が映る。二人組みだった。
「……」
兵士達は無言で立ち上がるとある程度散開して武器を持つ。ケルヒンもロングソードは抜いてはいないが、すぐに抜刀できるような格好であり、不測の事態には対応できるはずだ。
「こんばんわァ、アレ、もう町に入れないの?」
二人組みの内、片方は女だ。髪は腰近くまで伸び、緑色をしている。フードのせいではっきりとは見えないが顔は整って、胸もそこそこあるだろう。アホな高級娼婦にも見えなくも無いが、手にはロッドを持っているから案外魔法使いの類かもしれない、とケルヒンは感じた。
「いや、入れるぜ。最近、ゴブリンなどの魔物が小うるさいからなこうやって門番を増やしてるんだ」
女だと分かった瞬間、スケベなケルケットが近寄っていく。
「ほら、特にコイツとかな。夕方森に入った時に狩ってたんだ。ゴブリンの癖に人間みたいに抵抗して、最後はゴブゴブ叫んでいたぜ」
そう言ってケルケットは槍に刺さったゴブリンの首を持ち出してくる。
昼間倒したゴブリンを自慢しているようだ。確かにあのゴブリンは強くて厄介だったが、そんな風に扱うこともない。ケルヒンはケルケットを呼び戻そうと声を上げた。
「戻れ。ケルケット」
「あら、イイのよ、別に。それにねェ……」
「だとさ、隊長。ねぇちゃんもそう言ってるんだいいじゃねぇか。それよりアンタ良い体してんなぁ」
女の唇の隙間から伸びた赤い舌は、柔らかい唇をなぞり、潤していく。官能的だけではない、何か危険な香りを漂らせていた。他の兵士達も女に釘付けになっていた。
「そんなこと言われると、アナタを殺しづらいじゃない」
女が顔を上げると、ケルヒンと目が合った。爬虫類のような目を細め、楽しそうに笑っている。
「離れッ――」
本能が真っ赤な警告音を出し、ケルケットを呼び戻そうとするが手遅れだった。
呆けていたケルケットの首から血が吹き出る。あの女が刃物のような爪でケルケットの首を切ったのだとケルヒンは判断した。呆けた表情のままケルケットは倒れ込む。
「ケルケット!!!!」
守備兵の叫びが聞こえるが、ケルヒンの耳に入るが今やることはそうではない。
無言でロングソードを抜き、空いていた距離を一瞬で詰める下段から一撃で首をはねるコースだ。ケルヒンが冒険者時代にこの技で盗賊共を血に沈めてきたが、呆気なく鉄製のロッドで受け止められた。
受け止める敵は今までにも数人いた、それは想定済みだとケルヒンは次の行動に出た。ロングソードはロッドの表面を滑るように移動し、そのまま女の腕を切断しようとするが、柄で弾かれてしまった。
(早い!?)
接近戦でこの対応、杖を使うということは接近戦も得意な剣士よりの魔法使いだろう。距離を置くと危険とケインズは攻めるのを止めない。
迫り来るロッド先端の刃をラウンドシールドで弾く、女の力とは思えない力で振られたロッドを片手で耐えたケルヒンはロングソードを振る。
ラウンドシールドで受け止めた先端とは反対のロッドの下部がケルヒンに迫る。女の方が早いだろうが、鎧を着けた胴体なら刃のないロッドは耐えられる。この位置に誘導して正解だったとケルヒンは笑った。
歯を食いしばり、ロッドを耐えようとするが、それは間違いであると気付かされた。ロッドの下部には魔法の揺らぎが見える。
(あれは!?)
魔法の刃が鎧ごとケルヒンの腹を切り裂いた。この女は武器に魔法を帯びさせることができるのだ。詠唱もいらない為、一流のマジックユーザーが多用する攻撃方法。
傷口はかなり深い。複数の内臓まで達した致命傷とも言える傷だ。
出血と痛みで鈍るケルヒンの動きに、続けざまに突くような形でロッドが迫る。ラウンドシールドで防ごうとするが、魔法が込められていたロッドによりラウンドシールドが吹き飛んだ。
体勢が崩れるケルヒンに、女は先端の刃状になっているロッドを叩きつけてきた。
「がっ、あ゛、ちくしょ――」
ロングソードで受け止めようとしたケルヒンだったが、ロングソードを女の空いている手で払われ、そのまま体を袈裟切りにされた。
「が、ぐぅあ、っあ」
口から意味のない言葉が漏れる。ケルヒンには痛みはない。痛みが体の許容を超えてただしく感覚を認識していなかった、ただ、体の半分が熱いだけだ。地面に倒れこんだ状態で目を動かすが、他の守備兵はもう一人の男に倒されていた。
こんなことならCランク上位の強さで満足するんじゃなかったと、辺境ならこの強さがあれば安泰だと思い込んでいた。ケルヒンは自分に呪詛の言葉を呟く。上には上がいるのだ。
「イイ表情じゃない。次生まれてくる時はゴブリンにおいで、面倒見てあげるわァ」
女が恍惚とした表情で言う。その後からは大量のゴブリン、ホブ・ゴブリンが町に押し寄せている。襲撃に気付いた者が叫ぶが、門は開いている。中が阿鼻叫喚の地獄になるのは時間の問題だろう。
「ニンゲンの戦争もこんなものでしょ、先に手を出したのはアナタ達なんだから仕方ないわよねェ」
(ゴブリン、いやまさか、ハイゴブリン。なんでこんな辺境なところに)
冒険者時代の様々な記憶が思い出され、いよいよ自分が駄目だとケルヒンは確信した。
(ふは、まあ、もうどうでもいいか)
ケルヒンの意識は薄れていく。もう何をしても助からないだろう。何せ、体の半分が無いのだから。
「もう喋れないみたいね。お休みなさい。名も知らぬ兵隊さん。楽しかったわ」
そう言って女は。愛おしそうにケルヒンの顔を覗き込み、スラリと頭を撫でる。燃えるような痛み、燃え行く街、けれど、ケルヒンの中で不思議と憎悪はなかった。
こんなモノは繰り返されてきたことなのだから、精一杯戦い良く戦ったと見取られ死ぬ。こんな最後も悪くない。次生まれるときはゴブリンでもいいか――、一瞬そう考えていた自分が馬鹿らしくなったケルヒンは苦笑した。
「ハァ、詰らないわね」
他人に運命を委ねる弱者には興味はなかった。女が欲しいのは強者か、最後まで抗う者。ここにいるのは戦いもせず、泣いて命乞いする者だけだった。
その点、入口の男は良かった。最後の一瞬まで戦った。抵抗を止めなかった。あれこそ生物のあるべき姿だと女は考えた。
入口以外は大した抵抗もなく、今日まで鍛えてきた群れに損害はない。女が考えていた当初の目標は完璧に遂行された訳だが、やはり物足りない。群れの長としては望ましいことだが、個人的にはもっと強者がいて欲しかった。入口にいた男やあの冒険者のように――。
「はぁァ。楽しみ、早く会いたいわぁ、でも我慢、ああ堪らなくて頭がおかしくなりそう」
今度会うときはどんな情熱的な戦いになるか、女は頭で思いを馳せる。
「オサ、オサ」
「ん、どうしたのォ?」
手下のゴブリン達が女を呼んだ。
「コイツラ、ドウスル、イイ」
手下のゴブリン達が、残った数十人のニンゲンの扱いを女に聞いていた。役に立たなくて鈍間だったが、最近は少しだけマシになってきただろう。
「お願い助けてくれ!! 俺たちが悪かった。頼む、死にたくない」
「いやだ、嫌だ――」
見ていて実に詰らないじゃない。そう女はため息を吐いた。
「詰らないわねェ、アナタ達、同じ事をゴブリンが言って助けてあげたことがある? ああ、そもそも言葉が通じないし、通じる努力もしたことないわねェ。大丈夫ちゃんと供養してあげるわァ」
短く手下達に命じる。
「好きになさい」
ゴブリン達は一斉に咆哮を上げ、襲い掛かった。
夜が明けるにはまだかかる、日が出た頃にはこの町からは一切の生き物が消えているだろう。証拠は一切残さない。女が欲しいものを手に入れるにはまだまだ戦力がいるのだから。