第三十九話 石切場の戦い
石切場に辿り着いたアルカニア兵は、既に軍勢というには統率に欠け、兵種もバラバラだった。
武具も敗走時に失ったものも多い。石切場から後方に逃げ出そうとする者や留まろうとする者、指揮系統は既に崩壊していた。
「何を休んでいる。何を呆けている」
不思議とその声は通った。俺の近くで殿を務めていた兵士の一人だ。煌びやかな服装は汚泥と血肉に染まり、激戦を潜り抜けたのが一目瞭然だ。
「ディエン様だ……」
「生きておられたか」
兵が夢遊病の様に集まってくる。指揮官だとは思っていたが、驚いた事にグラント家の次期当主だったらしい。
この状況下だ。次期当主が生きていた事が彼らの希望なのだろう。ディエンは再会を嬉しがる事なく犬歯を剥き出しにして叫んだ。
「貴様らは何をしている。早く廃材を集めろッ!! 旧道を塞げ!! 荷馬車など崩せ。ここが我々の決戦場だ。無駄にするな。無駄にするな。殿が命で稼いだ1秒だぞ。1mmでも高く1mmでも厚く積み上げろ、それがお前らの命を守る聖なる防壁だ」
ディエンの形相と物言いに兵士は、唖然としている。
「当主が死んだ、騎士も死んだ。それがどうした。まだ負けていない。ここには俺が居る。奴らの死体でこの旧道を染めるのだ。さっさと糞袋狩りの準備を済ませろ!!」
兵は弾かれる様に動き始めた。グラント家は文武に優れた英雄を輩出する家だとアーシェに聞いた。兵士の様子から察するに、普段と言動が違うのだろう。完全にキレている。
又は元来はあの性格で、教育により矯正されていたかだ。生き残った指揮官を集めて手早く命令を下すと、俺に大きく手招いた。
「冒険者のシンドウだな? 俺はディエン・グラントだ。道中世話になった」
「ああ、ジロウ・シンドウだ。俺も一人で逃げずに済んで助かった」
社交辞令ではなく事実だ。奴らは名のある指揮官と護衛に群がるお陰で、俺はそこに投擲して追手を減らすだけで済んだからだ。
「屋敷ならば客室に招待をして歓迎をするところだが、時間が惜しい。簡潔に言うぞ。手伝え、仲間と逸れたのだろう。見ていたぞ」
「……」
俺がハンクの荷馬車と分断されていたのを見ていた様だ。返答を考えていると、渋っていると思われたのかディランは言葉を続ける。
「勿論、報酬は惜しまない。たとえ俺が死んでも生き残った一族に払わせる。俺は撤退戦でシンドウの投擲に目を奪われた。もはや一種の兵器と言っても過言では無い」
総合力は長所かと思っていたが、投擲に関してここまで俺を褒める奴は珍しい。
「此処は高さのある石切場だ。しかも物資の集積場も兼ねている。投げるものには困らない。それに加えて一本道の旧道の他に道はない。独擅場だぞ。意味は分かるな?」
「ああ」
こちらの世界に来て最も恵まれた環境で、労働に勤しめるかもしれない。ディランにつられて笑い差し出された手を握り返す。
「十人ほど専属で付ける。戦果の程、楽しみにしている」
更に人まで付けてくれる。もはや言うことは無かった。
かつての石切場は道に面した場所に存在していたが、石を切り出すにつれ、奥へ奥へと採石場所が移動していた。
そして初期の採石の名残りである天然の岩石の塔が、石切場のシンボルとして残されている。
「駄目だ。使われている石が分厚くてビクともしない。アレを崩すには直接殴り込むか、足元から土属性魔法で崩すしか」
部隊に少数配置されたローマルクの魔法使いが、塔を忌々しく見上げる。塔とは言ってはいるが、飾り気は一切なく、鋭く太い岩石の大剣が大地に突き立っている様にしか見えなかった。
魔法使いがマグリス兵に聞いた話では、あの塔は石切場でも特に硬い岩石を元につくられており、塔の一部として残したのではなく、掘削できずに残ってしまったらしい。
単なる昔話だと鼻で笑っていた者も、現状を鑑みると、実話なのは間違いない、と認めていた。
度重なる襲撃により、焼け焦げ表面に多数の傷はついているが、屈する様子は無い。正確には非常に手間暇をかければ掘削できるらしいが、それは金槌と杭で根気よく削る必要がある。
塔の頂上付近には、幾つかの穴が空いている。岩石の天然の空洞を広げて作られた監視室に繋がる大型のアロースリット(矢狭間)だ。
射手も、魔法使いも、矢狭間を目掛けて、攻撃を繰り返すが、20m以上もある塔の弓や投石用の窓にピンポイントで狙撃は困難を極めた。
「もう一発撃ってみる」
「馬鹿、止めておけ、場所を変えて――」
「ぐぅ、げェっ!!」
魔法使いが言葉を言い終える前に、一直線に飛来した投槍が仲間の腹部を貫き、地面へと張り付けにした。
「投擲者だ!」
周りの兵士達も槍から引き剥がして後方へ運ぼうとするが、続け様に投石が始まった。兵士達はここ数時間で嫌という程思い知らされている。
「運んでいる兵士まで狙いやがる」
「密集陣形だ。隙間を開けるな!!」
古参兵の声掛けにより、頭上に盾を構え、密集する事で直撃を防ぐ。
それでも幾つもの石は盾にめり込み、中には衝突時の衝撃で、ローマルク兵の腕にヒビを入れるものもある。
「早く後方に運べ、貴重な魔法使いだぞ!?」
指揮官とバレないように、盾で顔を隠した百人長が指示を出す。これで短期間では代替不可の貴重な人的資源が幾人失われたか分からない。
不幸か幸運か分からないが、投擲者の興味は他の場所に向けられたらしく、離れた場所から一際大きな罵声が響く。狙われていた兵士達は安堵のため息を吐いた。
「前進だ。突出すると狙われるぞ」
何時もは騎乗しながら派手な服装と大声で指示を出して回る部隊長達は、雑兵に紛れながら部隊に指示を出す。
投擲者からの狙撃に無警戒だった百人長や中隊長達は、軒並み凶弾に倒れるか、負傷により後方へと移送された。
残るは兵に紛れるか、範囲外から指示を出す者だけとなった。命令に忠実で、規律と規格を重んじるローマルク兵にとって、通常時とは異なる命令形態に戸惑い、動きを鈍くさせる。
そして何より投擲者の存在が前線中に、重い重圧として乗りかかっていた。
通常の投擲兵に混じって、1人ないし、数人の桁違いの投擲者がいる。
射程は長大、精度は正確無比で、恐ろしい事に70~100mの距離を体の部位ごとに狙う。何より固有能力ユニークスキルなのか、分厚い装甲を貫通したり、投擲物が爆発することまである。
前触れもなく真横で肩を並べていた戦友の肉片を浴びれば、屈強な兵士でも弱気になる。
その上、石だけでも脅威だというのに、時々混じって投擲される投槍や鉄球などは、盾や鎧を簡単に食い破り将兵を即死させていく。
重武装の兵を先頭に石切場を攻め立ててはいるが、状況は好転するどころか、悪くなるばかりだ。
斬り合いやぶつかり合いならまだしも、範囲外からの一方的な攻撃には、罵声や怒号を浴びせる事しか出来ない。
それに上空の塔に注意を向け過ぎると、今度は正面から歩兵の投石が待っている。塔の投擲者程では無いが、直撃すれば死傷は免れない。
急ごしらえの張りぼてと急造の防壁を舐めて掛かった将兵300人が、今や防壁の一部と化していた。流れ出る血液や臓腑は足元を悪くする上に、士気まで低下する。
敵とぶつかり、生死を掛けて斬り合い殴り合う。この場合なら幾つか士気を鼓舞する方法はある。指揮官達は実戦でも訓練でもそれらを実行してきた。だが、現状は一方的に攻撃される側――与える指示は『耐えろ』だけしかない。
魔法使い、弓使いが休む事なく塔への攻撃を試みてはいるが、塔の破壊にも、投擲者の殺傷にも至っていなかった。
その証拠に、一際鋭く放たれた投げ槍が、ローマルク兵の肉を切り抜き、絶叫を上げさせた。
「押せ、一挙に突破しろ!!」
防壁の前後で激しい刃の応酬が繰り返される。手薄な隙間をこじ開けようとした指揮官だったが幾度か繰り返された光景が再び訪れた。
号令を掛けたと思わしき指揮官に向けて、上下から投石が開始された。
「い、ぎぐ、っう」
「ああ、百人長が——」
「放っておけ、もう助からない」
悲惨なのは、巻き添えを食らった兵士達だ。勝手に隊形を崩す事は出来ず、かと言ってこのままでは嬲り殺しだ。
つい数時間前までは、慢心とまでは行かなくとも、兵や将の間には楽観的な空気が漂っていたが、今となっては遠い昔の出来事になりつつあった。