第三十八話 戦場の思惑
「鬼人1人を殺すのに、何人やられてるんだ」
ローマルク中央軍集団・緊急展開群所属の兵士の視線の先には、呻き、苦しむ友軍の姿が映る。前線から運ばれる負傷兵の数は増えるばかりだ。運んでいる最中に出血により、息絶える者も少なくない。
「アレはマティアス大隊の奴らか、俺達と交代で入ったばかりなのに」
地面に両足を投げうち、上半身だけを起こした兵士は現状を嘆いた。自身の額も切り傷を塞ぐ為に、包帯で強く結ばれている。
前線からは雄たけびに混じり、轟音が響く。嵐に響く雷鳴ではない。兵士達が聞き慣れてしまった攻撃魔法によるものだ。
運ばれてきた負傷者は、衣類と皮膚の境目が分からなくなるほど、焼け爛れていた。横になり休んではいるが重症だ。兵士は戦場で火傷を何度も見ているが、ここまで酷いものは、魔法使いの火属性魔法以外に考えられない。
「み、ずを、水をくれ」
うわごとの様に水を求める重症兵に軽傷の兵が水を与える。
「少しずつだ。一度に飲み干すな」
横に並ぶ負傷者も鋭利なもので半身を袈裟斬りにされていた。兵士が目を凝らして傷跡を見る。薬草の軟膏を塗りたくり、包帯で締め付けていた。鎧の上からの斬撃による傷は深いが、致命傷ではない。
「嫌だね。魔法による傷だ。アルカニアの悪鬼が子分を引き連れ出てきたか。マティアス大隊がああなるのも無理ないか」
「手下を引き連れ、飽きもせず暴れ続けてる」
敵の将軍自らよく出て来るようになったと包帯を巻いた兵士は顔を引き攣らせた。
「逆に言えば悪鬼自ら動かなきゃいけない訳だろ。余裕がある訳じゃないが、俺たちはこうして交代で休める程度の戦力はいる」
「大隊長の話じゃ、中央の奴らが悪鬼に懸賞金を懸けてる。討ち取れば一生働かなくとも済むGが貰えるそうだ」
「長生きしたきゃ、無駄な欲は出さんことだ。取り巻きの鬼人1人で手一杯、末端の俺たちが手出しすると肝まで喰われるぞ」
リュブリス北西部の森で、鬼人と剣を交わした十人長は血気盛んな若い兵士を諌める。
「それはそうですけど……」
「北部の連中、騎兵と歩兵大隊を一個半潰されたが、その後はリュブリス北西部最大の領主ターニス・グラントを討ち取ったからな」
噂程度だが、兵士も話は聞いていた。北部軍集団のマグリス派遣旅団が切り札を切ったというのだ。
「ああ、今頃、石切場の輸送路で残党を討ち取りながら敵主力の背後を取っているはずだ。押収した独立派の財産半数はマグリスの物だが、もう半分はローマルクが押収していいんだろ。戦争の雌雄を決めたともなれば、取り分はデカイ」
「イグナール連隊長も少なくとも悪鬼を討ち取り、緊急展開群の意地を見せたいだろう。まあ、何にせよ、数に勝る俺たちは、決戦を避けつつ、持久戦に持ち込んで嬲り殺せばいい」
悪鬼自ら前線で戦い続けてはいるものの、じわじわと戦闘力が削られている。運ばれてくる負傷者が減り始めたのだ。
「いやねェ。負け戦なんて、勝たなきゃ意味が無いというのにィ」
オサは眼前の敵兵を火属性魔法で吹き飛ばした。40体作り上げたゴーレムもその数を半分にまで減らしていた。
状況はオサにとっては最悪だった。左翼を守っていたターニス・グラントが討ち取られ、片翼が崩壊したのだ。
オサは包囲殲滅を防ぐために、イスパノとバルキアに加えて一個大隊を回したが、好機を逃す筈もなく正面からはボノム・イグナール率いる緊急展開群による猛攻が続いている。
リュブリス北西部でも剣を交えた相手ではあるが、今回は完全編成の連隊に加え、鬼人対策に竹束や大盾の数が多い。
「流石はローマルクの主力の中でも選ばれた精鋭ねェ。中々死んでくれないわァ」
今しがたも火属性魔法を撃ち込んだ相手が死なないどころか、竹束で受け切り前進を続けていた。ゴーレムも水属性魔法を繰り返し浴び、脆くなった所を砕かれている。
「オサ、その割には、嬉しそうというか楽しそうというか」
まるで負け戦を楽しんでいるかの様な主人に、側近の一人であるベルンは呆れ半分、恐れ半分で尋ねた。
「あ、あのー、オサ楽しんでます?」
「あら、私に苦悶を浮かべて怯えろと言うのォ?」
「まさか、そんな事はありませんッ!!」
何度も首を振り否定するベルンだが、妙な所が器用なのか、迫る敵兵に槌矛を振り下ろし、ガードの上から叩き潰した。
「冗談よ。ええ、楽しい。楽しいわねェ」
鉄と鉄と、肉と鉄が混じり合う音、臓腑の悪臭、悲鳴と嗚咽が混在した兵士の断末魔、最早、開戦当初の勢いは嘘の様だった。
それでもオサは心の底から言えるだろう。闘争を楽しんでいると——運命の女神や神などに頼る心算はオサには無かった。
イグナールは敵の右翼が崩れた段階で総攻撃を敢行した。敵はリュブリスの悪鬼に率いられる軍勢だ。結果は同数の兵を削るだけを削られる結果となったが、十分な成果と言えた。
このまま消耗戦を続けて、北部軍集団が背後から襲いかかった所を、一気に畳む。中央は優勢、左翼のハイネリウスは互角の戦いを続けている。
右翼に関しては石切場さえ抜ければ一挙に背後から襲い掛かる事ができる。
「ハイネリウスとウェインザードの勝負はほぼ互角だ。民兵混じりの寄せ集めながらウェインザードはよく戦ってるな」
大隊長の一人であるマティアスを同じ大隊長であるエグリルが諫めた。
「マティアス、敵を褒めてどうする」
肩を竦めたマティアスは意に介さずと言葉を続ける。
「そうだな。この場合、ウェインザードを褒めるというよりもハイネリウス王が情けないか。直下の部隊はまだしも、残りは勝ち戦だと気楽なものだ。手柄欲しさに押している間はいいがな。それなりに戦う連中と、滅亡が掛かってる連中じゃ必死さが違うか」
「そこまでだ。本題に戻るぞ。マウリッツ旅団長はなんと言っている?」
逸れた話をイグナールは戻した。マティアスは武勇には優れるが、話が逸れ気味になる癖を知っている。マティアスも連隊長の言葉には素直に従う。
「伝令によれば、採掘場で手こずってるようです。凹凸の多い採掘場の地形、採掘場の石を利用した投石で頑強に抵抗を続けていますが、マウリッツ旅団長は、今日中には採掘場を陥落させ、一挙に戦争を終わらせると」
エグリルがイグナールが把握したかった情報を伝えた。1個大隊を残し、残る主力が追撃を行いながら石切場の輸送路から後方に襲い掛かる手筈だった。
イグナールとしては、手堅く石切場の輸送路を一個歩兵大隊で塞ぎ、中央のオサを兵力差で押し潰したいところであったが、マウリッツ旅団長がそれを拒否した。
北部軍集団所属ではあるが、マグリス派遣旅団として国外に駐留するマウリッツ旅団長は、『本国に返り咲きたい』と周囲に漏らしてる事をイグナールは知っていた。
マウリッツは勝利よりも大勝、後方を遮断して残党を残らずここで葬る気だった。そうなればマウリッツの旅団の戦果は揺るぎないものとなり、中央で旅団長以上のポストを狙えるだろう。
実際、取り逃せば残党の討伐に手を焼く事を考えれば、マウリッツの策も一理ある。
イグナールが得た情報を纏めた結果、敗走した敵は石切場の旧道に1300人、中央に700人が分断されて残されている。
「あの強気のマウリッツ旅団長が今日中にはか——攻め難い場所では無いが、あの数の敗残兵に食い止められているのか」
北部軍集団は、中央のオサには無傷の一個大隊1000人を割いているが、旧道には中隊規模の騎兵200、二個半の歩兵大隊2600人が振り分けられている。
しかも特別試験中隊——遺跡から出土した呪具で制御された72体の死虫アルカストラネも旧道に投入予定だ。72体のうち30体しか残らなかったそうだが、それでも馬鹿にはできない。
イグナールは参謀本部経由で詳細の情報が伝えられた。宿主の生前の技能を使う化け物だが、素体に関しては最低ラインでBランク冒険者、各国の百人長クラスが使用されている。特に《氷の一族》により遺骸が氷漬けで確保された《勇者の末裔》を利用した個体二体は強力無比で、中・大隊規模の戦術すらひっくり返すそうだ。
どちらの案であれ、ローマルク・マグリス側の有利は揺るがない、と考えていたイグナールだが、気になる情報が耳に入った。
「投擲を多用する冒険者が、敵の撤退を支え、想定よりも多く敵を取り逃す事となった様です」
投擲という単語を心の中で繰り返し呟いたイグナールは、リュブリス北西部の森で遭遇したもう一人の厄災が脳裏を過ぎった。
「アルカニアの悪鬼、オサは出てきたが……アルカニア北西部の森にいたもう一人の怪物が出てきていない」
「旧道の方にいるってのか」
直接剣を受けたマティアスは心底嫌そうに顔を歪める。
「最悪の事態は考えるべきでしょうが、投入するならもっと早い段階。わざわざ窮地に陥ってから出てくるのは考え難いです。幾つか可能性はありますが――」
「ただの投擲が上手い冒険者か、別働隊、もしくは、そもそもここに居ないか」
「何らかの事情で遅れた増援というのもあり得ます」
巻き込まれただけのシンドウ達だが、イグナール達はそれを知る筈もない。
「そもそも類似性は冒険者と投擲だけだろう。あの再生力と膂力は報告に上がって来てないぞ」
マティアスも油断や楽観視するつもりはなかったが、考えたところで答えは出ない。
現状優勢であったがイグナールも楽観視する事が出来なかった。代替可能な多数の人員を持ってすれば、英雄・化物も討伐可能ではある。だが特化型のスキル持ちは、特定の状況下では数さえもひっくり返しかねない。
「投擲者が強力な冒険者の恐れがあると、連絡しておく」
そこでこの話題は終わり、引き続き対面する鬼人の処理にイグナール達は追われていく。