第三十六話 亡霊
「ガービン騎兵大隊は100騎余りを残し全滅、大隊長も戦死」
「アドムス歩兵大隊も側面を取られ、総崩れです」
北部軍集団、マグリス派遣旅団を預かるマウリッツは飛び込む凶報に顔を歪めた。
「マウリッツ旅団長、もはやこうなっては——」
「分かっている。左翼のハイネリウス王から兵を借り受けるしか無いというのだろう」
参謀の一人の言葉の続きをマウリッツは遮った。
属国の兵を指揮下に置くのはマウリッツも異論は無いが、劣勢時に借り受ければ、間違いなく舐められる。派遣旅団を預かる身としては許せなかった。増援を得るにしても一時的に押し返し、ローマルク帝国の威光を見せつける必要がある。
「リグネッサ」
マウリッツは名前を呼ぶのも忌々しい魔術師の名前を呼んだ。
「おやぁ、お呼びになりましたかー?」
天幕の端から現れたのは、マウリッツの胸程度の背しかない女だ。くすんだ銀色の癖毛に不健康そうな肌とクマが刻まれた両眼。
遠目から見れば、器量の良い女子に見えなくもないが、目を見れば得体の知れない生き物だと分かる。更に素性を知っているマウリッツにとっては、絶対に信用をしてはいけない亡霊の類だった。
何せ最初期に確認されたのは、アルカニアの勇者時代よりも以前だ。アルカニア、ヘッジホルグ、バルガンでは重罪人として懸賞金まで掛けられている。
真相はぼかされているが分かっているだけでも、《アルカニアの勇者》の急死、エルフ領での龍種の暴走、《魔力の杖》の研究所の消滅など、一国を揺るがす事件ばかりだ。
「お前の実験体の成果を見せろ。アルカニアでの収集物も全てだ」
リグネッサは首を傾けると、待ちきれないとばかりに笑った。
「それは素晴らしいですねー。勿論72体の準備ができていますよぉ。みんな今か今かと元気いっぱいですねー。あ、投入時に歩兵は離して下さいねー。間違って喰われますぉ」
「良かろう。歩兵大隊には伝えておく。大事に育てたそいつらで、重装騎兵を止めてみろ。十数年の滞在費は決して安くないぞ」
「お任せをー」
リグネッサは配下と共に天幕を後にした。
「あの様な者を使うなど」
参謀は不快感を隠そうとせずに、マウリッツに詰め寄るが手で制した。
「どの道、投入しろとの事だ。北部軍集団の本部経由だが、命令元は中央の参謀本部。それも皇帝陛下の魔法銀印付だぞ。我々どころか北部軍集団の司令部すら拒否権がない」
マウリッツは何もかも気に入らなかったが、この劣勢時だ。猫の手どころか、虫でも死者でも構わなかった。
戦果に比べれば小さいとはいえ、被害を受けたグラント重装騎兵は手早く再編を済ませ、再びローマルクの歩兵大隊を屍に変えるために、突撃を再開した。
敵の歩兵大隊も槍衾での対抗が予想されている為、直前で進路を曲げ、突入の位置を変えながら魔法と騎兵の衝撃力を持って隊列を蹂躙する予定であった。
隊の切っ先たる最前列の騎兵は全員がマジックユーザーで固められている。国内外でもここまで魔法兵の集中運用はヘッジホルグぐらいなものであった。
「歩兵大隊正面に100人規模の小集団!」
ターニスは部下からの報告に逡巡する。囮か、逃げ遅れか、どちらにしても中途半端な位置と規模だ。それに隊列と呼ぶにはあまりに乱れすぎている。
かと言って無視できる規模の兵でもない。逡巡する主人であるターニスに、中隊長の一人が意図を読み取る。
「グラント様、ここは私の隊が」
「任せるぞ」
領主の許可を得た中隊長は、率いる隊を本隊から分離させ、孤立した集団に襲い掛かる。中隊規模の重装騎兵の突進だ。同数以下の歩兵には勝ち目は無い。
誰しもそう考えていた。戦場に火炎と暴風が現れるまでは——。
七つの火柱が立つと吹き荒れる暴風により、一つの火炎旋風と化す。重装騎兵の先頭100騎が絶叫と共に火に消えた。
炭化するまで燃え尽きるか、筋肉や肺の中まで焼かれ、ゆっくりと地上で溺れ死んで行く。
「散開しろぉおお!!」
咄嗟に進路を変えた者やシールドを展開した者も人馬ごと焼け爛れ酷い火傷を負っていた。それに加え、隊は咄嗟に左右に分かれた為、大きく二つに分かれてしまっている
「そんな筈は、この最上級の大規模魔法の行使は」
麾下の部隊を焼く大規模魔法攻撃に、ターニスは見覚えがあった。それはアルカニアが誇る一騎当千と名高い二人により使われる筈のものだ。
炎の切れ目から現れた姿に、ターニスは否定する様に叫んだ。
「あり得ない。勇者の末裔オルド・バルクス、ソルデン・アルバーナだ。奴らはリュブリスの要塞戦で討ち死にした筈だぞ」
ターニスだけでは無い。指揮下の兵も口々にその名前を言葉にする。
「オルド様、ソルデン様、何故!?」
「鉄をも焦がす火炎旋風、間違いない、勇者の末裔だ」
「遺体は見つからなかったと聞いていたが、裏切ったというのか」
動揺する重装騎兵だったが、火炎と暴風が止んだ中から影が殺到する。
グラント重装騎兵は、足を止められ、隊を分断されたとは言え、単独の歩兵に負ける様な腕も装備でも無かった。
それが次々と討ち取られていく。ある者は魔法に絡め取られ、ある者は大剣で人馬ごと両断される。突然降りかかった厄災に重装騎兵達は死に物狂いで抵抗を始める。
その中で幾人かが気付いた。
「こいつら……バルガンの獅子族だ。それに黒鉄のドワーフ——リュブリスに居たAランク冒険者までいやがる」
「ローマルクに内通していたのか、いや待て、こいつらみんな死んだ連中じゃないのか!?」
「気狂いで蘇りか、あり得んだろ」
騎馬としての機動力と衝撃力が地形すら変える魔法により、削がれていた。一部の獣人種を除けば、魔法を駆使して名を高めた者ばかりだった。魔法を行使できない敵も人外の膂力で猛威を奮っていた。
足元の地面ごと崩され、火炎が人馬ごと包む。展開したシールドは続く魔法で破壊されて行く。
「まともに付き合うな。距離を取るのだ!!」
ターニスは戦場に良く通る声で叫んだ。主導権は完全に握られた。一度離れて立て直さなければ、潰滅もあり得る。
「ターニス様!!」
部下の警告にターニスは目を向けると、迫る人影が目に入った。アルカニアの最高戦力の一角にして、リュブリス防衛の主力を担っていた筈の男——。
「ソルデンッ!!」
憎悪と疑問が入り混じった感情をぶつけるターニスだったが、答える事はなかった。
ソルデンは耳に残る奇妙な叫び声を上げながら、風の様な速さで身近な騎兵の一人に張り付く。槍を突き入れ反撃する兵士だったが、呆気なく首をねじ切られ地に捨てられた。
主を失った馬をソルデンは奪い取ると、全速力で地面を駆ける。
風の精霊の加護を持つソルデンが操る騎馬の移動速度は異常の一言に尽きる。追撃を試みた騎馬は振り切られた。
次の目標は明らかであった。騎上で胴に腕を巻き付ける様にロングソードを構え、虚空を斬る。風を纏ったロングソードから轟音と共に魔法の刃が発生すると、ターニス目掛けて飛来する。
「《シールド》」
咄嗟にシールドを展開したターニスだったが、二度三度と襲い掛かる魔法の刃がシールドを砕き、到達した刃は騎馬の前脚の付け根から首までを裂き、絶命させた。
死馬から投げ出されたターニスは、数度跳ねながら地に体を打ち付ける。衝撃で肺から空気は吐き出され、地面がターニスを痛め付けた。
「何としても止めろ!!」
駆けつけようとした重装騎兵達の進路が火の壁により阻止される。騎兵は発生させた使い手を睨む。
「オルドまでもか!!」
ソルデンと常に戦場を共にしていた勇者の末裔オルドだった。火の精霊の加護を受け。強力な火属性を操る。リュブリス要塞戦で死んだ筈の亡霊が重装騎兵に立ち塞がったのだ。
火の壁に取り残された者は、ターニスと3人の重装騎兵だけとなった。残された重装騎兵達が馬から飛び降り、ソルデンの前に立ち塞がる。
「炎弾よ敵を焼き尽くせ」
接近戦での不利を感じ取り、重装騎兵の1人が魔法を撃ち込む。命中するかと思われた火球だったが、馬を飛び出したソルデンが風属性魔法で加速した事により、馬を爆散させるだけに終わる。
「間に合わん、覚悟を決めろ」
それぞれ槍を構えた兵士達は、一斉に槍を刺突させるが、一撃を首を傾け避け、二撃目は手甲で逸らされる。最後の三撃目を繰り出す筈だった槍は、刃先の根本ごと切断される。
槍を引き戻そうとする兵士達だったが、風属性魔法により瞬間的に加速した刃が、二人の首を裂いた。
「かっぁ、ひゅ、っう」
三人目は咄嗟に踏み込み、喉の代わりに頬を大きく切断される。左手で鎧を掴み引き寄せながら、右手で腰から短刀を抜いた兵士だったが、両腕に鋭い痛みが走った。
両腕共にあるべき筈の肘から先が消えていた。ソルデンにより斬り落とされた事を悟る頃には、他の兵士と同様に喉を裂かれた後だった。
「己ッ、ソルデェエエエン!!」
配下が惨殺される様を見せつけられたターニスはラウンドシールドとロングソードを構え斬り掛かる。
帰ってきた言葉は、意味の成さない獣の様な叫び声だけだった。
「きさ、がびっがり、りあぁあああ゛あああ!!」
「国を、民を想っていた筈のお前がどうしてだ。お前らに何があった!!」
問答に対する答えは斬撃のみ、防戦に徹するターニスだったが、鎧ごと身体を削られていく。そうしたやり取りで、ターニスは理解した。
「まさか、人ですらないのか、何をした、何をしたローマルク!!」
鍔迫り合いの離れ際、ガントレットに守られた筈の人差し指から薬指までもが切断される。剣を握る指を失ったターニスはシールド、ラウンドシールド、防具を駆使して八度の斬撃を防いだが、踏み込みと同時に突き入れられたロングソードが鎧ごと心臓を貫いた。
「うっあ、あっふ、そ、そる、デン」
捻りながらロングソードを引き抜かれると、ターニスは力無く座り込んだ。首も上がらず、目だけで剣を追う。ロングソードは頭部を目掛けて振り下ろされる。その凶刃がターニスの最後に見た光景となった。
戦場に奇声と悲鳴が響き続けた。
「あっ、あ、んかぎいい、あっゥアガガガガッがガ」
「ああ、そんな領主様が——」
「ぁあ、腹が、俺の腸が」
「畜生、離せ、やめろ、やめ、ろ゛ああ、ぁああ゛」
重装騎兵の指揮官であり、領主を失った重装騎兵は大混乱に陥る。それを見逃すほどローマルクはお人好しでも愚かでも無い。
「好機だ。敵陣まで一気に押し込めぇええ!!」
ローマルクは勝負を掛けるべく、増援のマグリス兵一個歩兵大隊を加えての総攻撃の開始した。それは片翼の戦線崩壊を意味していた。