第三十三話 ユーラテロガ平原
ユーラテロガ平原には多数の旗が乱立していた。旗が示す物は、アルカニア王国、独立派である旧ウェインザード王国の国旗であった。
対峙する形で、遠目に見えるのはローマルク帝国、属国マグリス王国の軍勢だろう。
平原の両端に集結しつつある軍勢は万を優に超えていた。歩兵が大地を鳴らしながら前線に向かい、馬の群れが陣地前を駆けていく。
その様相はまさに決戦、一戦により雌雄を決し、主力である野戦軍を葬るつもりだ。
草原を貫く形で走る道は、幾つかに枝分かれしているものの、独立派最大の拠点とアルカニアまでを通す交通路は、大きく分けて二つらしい。
一つはバルガン国家群に冒険者として落ち延びた旧ウェインザード王国の最後の王族、ハロルド・ウェインザード王が陣を貼る国道、もう一つはリュブリス北部最大の領主であるターニス・グラント伯爵が守る旧道だ。
かつての主要道だった旧道は石切場、伐採場へと繋がっており、国内外への資材の重要な供給源となっている。国道に比べれば、道幅が狭く、補修も万全とは言えないが、大軍が通るには、困らない場所だそうだ。
俺たちは旧道を使用して脱出するらしい。旧道に配置されたターニス・グラントには許可を得たそうだ。
道中を共にした兵士たちによれば、オサが配置されているのは草原中央部であり、後方が森に囲まれているらしい。左翼はターニス・グラント伯爵、右翼はハロルド・ウェインザード王が陣を構えていた。
オサは正面の敵への対処は勿論、左右の部隊を援護し、繋げる役割を持つ重要な場所だ。同時に兵站線にもなっている二つの交通路に接していないため、負け戦になれば包囲され易く、最も逃げ辛くなる。
そんな機密に該当しそうな情報を俺にして大丈夫なのか、逆に尋ねたが、斥候や密偵の応酬で、凡その配置や数は割れているらしい。
それに『アインツヴァルド武術祭で上位に食い込み、リュブリス攻防戦でもアルカニア側について、重要な攻城戦部隊を襲撃しこれを撃破。再び属国であるマグリス王国の一個騎兵中隊の半数以上を壊滅させた奴が敵の密偵のはずないだろう。俺が敵なら拷問して首を刎ねてる』と言われた。
最早言い逃れが出来ない状況である。二度とローマルクや属国入りはしない。
「急いで運べ! 穴は出来ている、後は地面に立てて埋めるだけだぞ!!」
「その柱は本陣じゃない、前線での騎馬の突入防止用だ」
「次だ。よし、引っぱり出せ」
同伴した兵達は積まれた資機材を運び出していく。数日前とは打って変わり、全員が覚悟に満ちている。
ただの戦闘では無い。国家の行く末を掛けたユーラテロガ平原での決戦なのだ。気合いの入らない者など存在しない。
オサは後発だったが、途中で速度を優先して馬を乗り換えたのか、俺達よりも先にユーラテロガ平原へと辿り着いていた。
「ありがとう、道中共にした兵が喜んでいたわァ」
「ああ、俺達も楽しませて貰った」
どうやら道中の出来事も知っている様だ。
「本当に口惜しいわねェ。身が焦げる想いだわァ。行く場所が無くなったら何時でもいらっしゃい。ああ、それと早く出発した方がいいわよォ。近いうちに両軍がぶつかるわ」
オサは犬歯を剥き出しに大きく笑うと、心底楽しそうな笑みを浮かべて去っていった。何時もなら他愛もないやり取りが続きそうなものだが、異様にあっさりとしている。まるで新しい玩具が待ちきれない子供の様に——
「「「……」」」
幾度も修羅場を切り抜けてきた冒険者と商人だ。俺にも苛烈な経験によって形成された勘というべきものがある。
「拙いぞ。他の奴らが居ない。荷を纏めろ。荷馬車内で出来る作業は後回しだ。直ぐに出るぞ」
巻き込まれては堪らないと荷馬車は動き始める。一部混じっていた他の商隊の姿が消えていた。不穏な空気を察したか、期限か、警告が始まったのかは分からない。
それでも到着時に少数見かけた商人も冒険者も綺麗に消えているのだ。完全に出遅れていた。
リュブリス東北部最大の領主であるターニス・グラント伯爵は長い髭を一撫ですると口を開いた。
「敵の左翼が動くな。右翼もそれに合わせている。中央は一歩引いた位置か、鶴翼の陣に近いが、異なる方面軍と属国の軍を繋ぎ止めるのが、中央軍集団の緊急展開群の仕事だな。一当てでの様子見か、崩れる様ならそのままハロルド・ウェインザード王の首を狙うつもりか」
ターニスは物見の報告に考えを向ける。敵右翼は歩兵と騎兵の混成で5000から6000の増強混成連隊と言うべき集団だ。対する指揮下の兵は1個重騎兵大隊1200名、2個歩兵大隊3000名だ。数こそ一歩劣るものの、ほぼ互角と言って良い。
中央は敵の精鋭である中央軍集団の緊急展開軍の一個連隊4000人だ。リュブリスでも確認された連隊であり、消耗した人員も補充されているという。
左翼はマグリス国の国王、ディベルティア・ハイネリウスの四個歩兵連隊12000、一個重騎兵大隊1000の編成であった。
ターニスが目を凝らすと、隣に陣を設けるオサの兵団が目に入る。左右の集団を相手取っている最中に、横から叩かれれば厄介だが、相手取るのは成り上がりのオサという鬼人だ。
村長という意味のオサがそのまま名前になってしまっているのだ。何とも可笑しな話だと貴族の間では嘲笑の対象だが、ターニスは笑えなかった。領地と爵位に加えて、我が国王はカウフェルトと言う家の名を与えた。
王は汚濁だろうが飲み込み、国の糧にしようとしている。リュブリス攻防戦で名誉を失った者や家が断絶した者も少なくはない。
成り上がりが爪弾き者を集めていると蔑む間に、武官や文官を雇い入れ、民を増やし、未踏破地域を中心に領土を広げ、旧ウェインザードまで道を繋げた。
恐るべき速度だ。ターニスとて未踏破領域を削り取り領土にしてきた一族だ。その困難さは、他の貴族よりも理解している。
それを奴は成し遂げた。それもリュブリス攻防戦から半年の速度でだ。手勢の消耗無く、通行路の利権や新しい領土の見返りがあったとは言え、資金も人も多少貸したのは失敗だったとターニスは悔やんでいた。
「これ以上、影響力を与えるつもりはない」
誰に言うのでも無く、己に言い聞かせるようにターニスは言葉を漏らした。
積極的に敵対関係になるつもりも、足を引っ張る工作もターニスは行うつもりは無い。示すのは武力だ。ターニス家には歴史があり、それを裏付ける資金力も兵力もある。
大した傑物だとターニスはオサを認めた。それだけだ。武官に関してはそれなりに揃っているだろうが、それは強力な個人たるオサに付き従っているに過ぎない。
爵位と言う首輪に縛られた相手には幾らでもやりようはある。ターニス家の寄子には文武に優れた者も多い、ターニス自身の子であるディエンも有望な武を有し、民や臣下にも慕われている。
「父上、何か仰りましたか?」
横に控えたディエンがターニスに尋ねた。臣下は皆ターニスの若い頃に似ていると喜んでいた。
「なに、独り言よ。ディエン、手筈通り歩兵は任せるぞ。お前は立派な将となったが、臣下の進言はよく聞き、驕りなく戦え」
「はい、父上、臣下の皆、特にジェフにはリュブリス攻防戦でも良く助けられました。彼が居なければ敵将を討ち取る事も叶わなかったでしょう」
リュブリス攻防戦では、臣下達がディエンの剣、盾となり戦い抜いた。その中でも敵の大隊長を討ち取った老練の騎士たるジェフに対し、ターニスは全幅の信頼を置いていた。
「その言葉に安心したぞ。私にもジェフは良く仕えてくれた。騎乗で奴と共に敵の本陣に突入したのは、今でも思い出す」
ターニスの言葉が切れ、会話が終わったのを待っていた兵士が報告を始めた。
「ターニス伯爵様、カウフェルト家から要請のあった冒険者達が本陣の裏を通るそうです」
ターニスはオサから報告のあった冒険者を思い浮かべる。ターニス自身もアインツヴァルドの武術祭でその戦いぶりを観た。
短期間の単純な火力で言えば、七色のユルゲンにも匹敵する優れたユニークスキルを持つ冒険者だ。剣の腕も良く、傘下に欲しがった貴族は多く、重騎兵の底上げを目指すターニスもその一人だった。
「シンドウだったか、リュブリス北西部の森でもカウフェルトのもとで戦ったと聞く。此度の戦いでも敵地で破壊工作をしながら馳せ参じたかと思っていたが、違うようだな」
「あの腕があれば何処でも士官出来ると思いますが、何故、冒険者を続けているのでしょうか」
ディエンは腑に落ちないと漏らす。
「冒険者は独自の考えがある。それも上位になればなるほどだ」
ターニスは他の上位と呼ばれる冒険者にも誘いを掛けたことがあるが、良い返事を貰えた方が少なかった。家にも土地にも国にも縛られない優れた冒険者を傘下にするのは難しい。
それでも他の都市や国に比べれば恵まれてはいる、とターニスは考えていた。リュブリスは迷宮を抱える事から、地に縛られた冒険者の任官が多いのだ。
「確かに、十人十色と言います。勿体のない話ですが」
「そう言うのならば万人の男女を引き付ける魅力を持て」
「はは、手厳しいですね」
ディエンは苦笑いを浮かべ、乾いた声で笑った。
「そろそろ持ち場に戻ります。父上、ご武運を」
「うむ、ターニス、武運を祈るぞ」
親子は武運を祈り合い、陣地を離れた。残ったターニスは平原の遥か先に列を成す集団を見据える。
「さぁ、始めるか。ローマルク帝国、マグリス王国。大地を血で汚すのは貴様らだ」
ターニスは笑いを堪える様に口に手を置き、髭を撫で回した。