第三十二話 物資泥棒
砦の城門に着いた俺達は一斉に荷馬車から飛び出す。続いて馬車に不慣れな巨体の鬼人が降りる際は車体が軋む様に揺れた。
オサから事前の連絡があった様で、大きな混乱は生じなかった。問題と言えば、俺が玉蹴りをした歩哨の下半身がずぶ濡れだった事だ。
歩哨の傍に桶がある事から強制洗濯されたに違いない。
それに加え上官らしき男に叱責されていた。俺に襲撃を許し、武器まで奪われたのだ。『馬鹿者が、実戦では死んでいたぞ』と言う怒号まで聞こえる。
「ありゃジロウのせいだな」
俺は見られない様に漏らした歩哨とは逆側の荷馬車側面に移動する。ハンクは気付いた様で、叱られる歩哨に哀愁の目を向けていた。
城門近くは綺麗に片づけられていたが、砦の中は運び出されている物資で溢れ返っている。
槍や剣等は幾つかに纏められるとロープで一塊に縛られている。防具に関しては、装着できるだけ装着しているようだった。
武器や防具だけではない。付属の施設からは壁が剥がされ、柱や屋根すらも解体されている。
放棄する砦に対し、徹底的な破壊工作に出ているのかと考えたが、どうやら野戦時の陣地に転用するようだ。
元の世界の戦争でも民家は勿論、墓石までトーチカの素材に転用した赤くて大きな国があったから、資材不足の戦いでは、珍しいものではないのかもしれない。
そんな物資の山の中に、緑色の髪を腰まで伸ばした人物を見つけた。向こうは気づいていた様子で視線が合う。小さく手招きをされた。
俺達は大人しく従い、距離を詰める。
「オサ、連れてきました」
鬼人三人組は報告を済ませると、解体作業をしている集団に交じり消えて行った。
「あらリュブリス以来ねェ。みんな元気そうで何よりだわァ。みんな纏めて傘下に欲しいくらい」
いきなりのオサの露骨な勧誘に4人で愛想笑いを浮かべる。
「あの後大変だったのよォ。武勲を上げ、王様に私達を高く売ったとは言え、いきなり王都で子爵の爵位を与えられて」
あの何事にも動じるという事を知らなそうなオサがげんなりした様子で言う。
「うちは武官ばかりで、文官が殆ど居ないから私の負担が凄いのよォ。苦情や周辺への根回し、予算の管理、流入してくる人口の把握、上げればキリが無いわ。他の貴族との繋がりも少ないどころか、疎まれているし、私このままじゃ過労死してしまうわねェ」
言われてみれば、以前見た時よりもクマが酷い気がする。周囲の兵は巻き込まれたら堪らないとばかりに、皆聞こえないフリをしていた。
「やり甲斐のある……仕事だな」
「そ、そうですね。子爵様なんて大変な名誉です」
「すごーい、アタシ達にはとても真似できない」
「三流商人の俺なんかには手伝いすら出来ねぇな」
演技の下手な4人はそれぞれ棒読みの台詞を吐き出し、如何にか言い逃れようとした。オサはそんな四人に、一人一人舐め回す様な視線を送る。
「冗談よォ。みんな酷いわねェ」
そう切り出すオサであったが、その声は何処か枯れていた。
リーマンだった俺には分かる。組織の規模が大きくなれば大きくなる程、しがらみが増え、何をするにも手順が煩雑化するのだ。
複雑な背景、溢れ出る不満、それらの問題は、強力なリーダーシップを持つ者にしか解決できない。
文官は勝手に育たないのだ。教養と能力を合わせ持つ人間など限られる。特に義務教育の無いこの世界では、学習の機会など限られてしまう。
貴族、騎士、商人、聖職者、真っ当な教育を受けられるのは、この辺りくらいだろう。
俺も手順を習えば三流文官擬きくらいには成れるかもしれないが、書類地獄は御免だ。この世界では無関係でいたい。
「それで、これからどうしたいのォ?」
渋々、本題に移ったのであろうオサは俺たちに尋ねる。一瞬仲間内で顔を見合わせると、ハンクが代表して答えた。
「マグリスからアルカニアへの抜け道を使わせて貰いたい」
「そうねェ、使わせて上げてもイイけど、私に何か見返りはあるのかしら。馬車一台通るにもそれなりに大変なのよ。ただ働きは嫌よォ」
平時ならまだしも今は戦時だ。軍が雌雄を決しようとしている時に、能天気に許可など出す奴は居ない。
「見たところ、物資の移送に手こずってる様子だが、荷馬車一台でも借りたいところなんじゃねぇか」
ハンクは、いいところを突いた。オサも望んでいた解答の一つだったようだ。
「そうね。優先物は運び出せたけど、まだまだ足りないのォ。グズグズしていると、追手も来てしまうし、決戦時に間に合わないのでは、意味が無いわァ」
何やら考え込んでいたオサはボソリと漏らす。
「今度の戦いにアルカニア側で参戦してくれると嬉しいのだけどォ、駄目かしら」
「それは勘弁してくれねぇか」
マグリス兵から逃れる為にオサに頼み込んでいるのに、戦争に加わったら元も子もない。魔物ならまだしも人相手の戦争だ。
俺達は戦闘狂でも無いので、避けられる戦闘は避けたい。ハンクが全員に確認するまでも無かった。
「移送の手伝いと、私が負傷者の治療ならご協力できると思います」
リアナは妥協案を出した。砦は手早く落とされた様だが、手勢も無傷とは言えない様子だった。
「残念ねェ。贅沢も言えないわ。……それで手を打ちましょうかァ。露払いをするとは言え、時間も無いわねェ。早速仕事に取り掛かりましょう」
交渉は無事に完了した。俺達は指示された通り、兵士と一緒になって砦内を駆けずり回る。
砦の物資のみではなく、野戦陣地構築のために建物は破壊され、資材にされていく。哀れなザルツア砦だ。陥落するだけでは無く、その存在を抹消されようとしている。
荷馬車には建物に使用されていた支柱や小梁が積まれていく。馬はまた積載ギリギリの荷物を背負わせられるのかと、悲しげに嘶いている。
悲しいのは俺も一緒だ。もはや荷台の中には俺とアーシェが乗るスペースは存在しない。屋根まで荷物は積まれた。
リアナに関しては移動病院として道中の負傷者を治療する役目がある為、最低限のスペースが設けられていたが、俺たちは蜥蜴の様に荷台に張り付くしか無い。
目敏く魔法袋まで見つかり中が資機材だらけになっていく。オサも魔法袋は複数所有している様だが、兵站に利用している為、この場には存在しない様だ。
獲物を見つけた様子でオサの目が細くなるのを見逃さなかった。敵だったら間違い無く追い剥ぎされている。
俺達が砦を離れる際には、ゴーレムと鬼人の大槌により目につく物は全て破壊し、燃やされた。さらばザルツア砦、マグリス兵が見たら目を疑うだろう。
荷馬車は徒歩よりも僅かに早く進んで行く。周囲は鬼人やアルカニア兵だらけだ。中には独立派の現地人だろうか、マグリス兵の装備を身に付けている。
敵味方を判別するつもりか、赤い布を皆腕や頭に巻きつけている。染めるものが無ければ血を使うそうだ。
道中、リュブリスの森で出会った顔馴染みの鬼人も見つけ、挨拶を行う。水魔法を使う事を覚えていたらしく、干物と引き換えに水筒5個を満タンにしてやった。現金な奴らだ。
掴まっていた荷物を固定するロープから手を離し、縁を蹴って地面に着地する。僅かに遅れてアーシェも続いた。
荷馬車はその足を止め、一時的に停車している。道を外れ森の中に入る。木々は間隔を空けて生えており、荷馬車が乗り入れるのに邪魔となる障害物もない。
俺達以前にも誰かがここで一夜を過ごしたのだろう。火を消した跡や不自然に集められた石が見受けられた。
「ハンク良さそうだ!」
俺が合図を出すと荷馬車は乗り入れ始めた。馬の馬銜を取り、誘導を行う。
ハンクは荷馬車を木の横に付けると荷馬車から降り、馬の連結を外す。
今のうちに馬に周辺の草を食べさせ、糧秣を節約する気だろう。俺も手伝いに寄ると馬が俺に頭を擦り付けた。
水を強請っているに違いない。
「分かった、分かった。俺はみんなの水道ですよ」
ハンクが馬具を外す間、俺は水属性魔法を詠唱し、容器に水を貯めて行く。
それを目の前に差し出すと争う様に飲み始めた。何度か補充を行い四頭とも満足した様だ。
馬の興味は周辺の雑草に移り、歯で食いちぎるともしゃもしゃと咀嚼を始めた。
リアナは放棄された焚き火跡を利用して、食事の準備を始めている。
アーシェは森に入ると手際良く小枝を集めて来ていた。
「倒木あったから借りてくね」
アーシェは俺の手斧を持って行った。前にふざけて大剣で斬れないのか尋ねたら鋭く睨み返されたので、もう言わないと心に決めている。
手斧を手首で回しながらアーシェは再び森に入って行く。アーシェは斧も好きらしい。
意識を手元に戻す。持って来てくれた枝の中には、多少生乾きの枝も多いが、上級火属性魔法の使い手である俺の敵では無い。
ドヤ顔をしながら無詠唱で火を付けると、ハンクが恨めしそうに馬の影から覗いていた。
まだ根に持っているらしい。次は詠唱有りで調理用の水を出す。そうして準備を進めていると、道が騒がしくなる。
どうやら水を分けた鬼人達が追い付いた様だ。野営をするのに適した場所は多くない。
俺達を見付けると、ニコニコしながら近寄って来た。鬼人の笑みなので、お察しである。
独立派の勢力内とは言え、俺達だけでは心許ない。数が多ければ見回りの負担は減る。
手招きして呼んでやった。決してその手に持った4羽の野鳥や野草に目を取られた訳ではない。
話を聞くと道中、食えそうな物は全て獲って来たそうだ。流石は魔物が跋扈する森で育った事だけはある。
「あれ、増えてる」
帰って来たアーシェが鬼人5人が増えていることに目を丸くしていた。
「もっと燃料あった方がよさそうだね」
アーシェは3人の鬼人達を引き連れ、三度森の中に消えて行く。
また道が騒がしくなった。荷馬車を中心に15名のアルカニア兵がこちらを見ていた。
「……」
俺達もやっと見つけた野営地である。この先に同等の場所が有るか怪しいし、日が暮れるかもしれない。
意見を求める様にリアナを見ると苦笑して言った。
「10人も20人もそう変わらないですね」
既視感のある手招きを行うと、荷馬車が草をかき分けて入ってきた。
「すまない、助かった。なかなか野営地が見つからず困っていたんだ」
申し訳無さそうにアルカニアの十人長が代表をして言った。
「俺達もやっとここを見付けたんだ。広いから荷馬車が一台増えてもスペースは余ってる。気にしないでくれ」
種族は人間だがオサの傘下だろう。無下にも出来ない。
十人長は手際よく荷馬車を横に付けると、野営の準備を進めた。日が暮れるまであと一時間と言ったところか、慌てるのも頷ける。
森の奥からはしゃぐ声が聞こえた。兵達は警戒していたが、声の主を俺や鬼人は知っている。
それでも姿が見えて驚かされた。
「は?」
鬼人2人は倒木という名の丸太を、アーシェと残る鬼人は枝で担架を作り鹿を乗せていた。
「凄いでしょう。暖かい糞があったから探し回ったら居た」
耳を立て、犬歯を剥き出しにしてアーシェは鬼人と喜んでいる。
「って、あれ、また人増えてる。まあ、全員で食べるには丁度良いね」
「本当にいいのか」
十人長は遠慮気味に言う。
「元々は無料だし、追加の枝とか取りに行かなかったら、捕まえられなかったからね。解体とか手伝ってくれたらアタシは文句無いかな」
「まあ、旅は道連れ世は情け、と言うからな。賑やかで良いんじゃないか」
「予備の鍋も出しますね」
全員文句は無い様だ。
「ありがとう。ただ、貰うだけのつもりはない。砦を落とす時に良い物を手に入れてな」
十人長が目で合図を出すと部下達が荷馬車からワインボトル、壺、大袋を取り出した。
「ザルツア砦の貯蔵庫から奪ってきた。豆類、ジャガイモ、ザワークラウト、それにワインだ。加工肉は競争が激しくて、我々の分は得られなかったが、好都合だったな」
十人長が頬を上げると、鬼人達は口笛を吹いて歓迎した。
「支給されたビスケットや黒パンには飽き飽きしてたんだ」
「俺の隊にも細やかだが火と水属性を使える者がそれぞれ1人居る。手伝わせてくれ、残りは解体と野営の準備だ。馬の世話も忘れるなよ」
兵は弾かれる様に動き出す。
野鳥、鹿肉、野草、ジャガイモ、レンズ豆など各自が持っていた物と森での狩猟物が鍋に注ぎ込まれていく。
枝をナイフで削り作った串に鹿肉を刺し、直接炙り焼きにする。凶悪な匂いに口の中に唾液が広がる。
焼き上がった串焼きを渡して行くと、一瞬で消えて行く。
別の焚火では、ハンクが鹿肉をステーキにして焼いていた。
スープが出来上がると同時にジャガイモの蒸しも完了した。
蒸したジャガイモを潰し、塩を混ぜて行く。本当はバターや牛乳を混ぜたいところだが、持ち合わせていない。
焼いた細切れ肉とジャガイモ、ザワークラウト、後はお好みでパンに乗せれば完成だ。
俺が具入りのパンを貪っていると、次々とパンを片手に並んだ兵士の列ができ、具材が消えた。要領の良い者はおかわりまでしている。
少し遅くなったが、十人長によりカップにワインが注がれ、乾杯を告げられる。
荷台に積まれた資機材を薪代わりに使用しようとしたアホが居たが、オサが知ったらただではすまないの一言で、慌てて資機材を荷馬車に戻す。
荒くれ者共は軽く酒に酔い、身を揺すり歌っている。酷く酔っている者も泥酔者も居ない。
一帯を抑えているとは言え戦地だ。それだけの分別は付いているようだ。
哀れな見張りには、酒の代わりに鹿レバーのニンニク塩焼きや具入りのパンが振る舞われた。
レバーは見張り以外には、仕留めたアーシェと鬼人三人しか食べていない。
愉快な旋律が流れる。誰が持っていたのか楽器まである。こんな騒がしいのは久しぶりだった。
輸送用の荷馬車二台、馬8頭、25人もの人間が集まっていた。十人長は分別を弁えて騒ぐ分には、最後の息抜きとして黙認している様だ。
これから始まる決戦でここにいる兵士は何人生き残るのかと考えると、切なくなる。俺も彼らも今この時を生きているのだ。
考え過ぎる頭を切り替えて、俺達もその中に混じった。
そんな日々を三日過ごし、目的のユーラテロガ平原に辿り着いた。