第三十話 ザルツア砦の攻防2
空高くまで上がった黒煙がこれからの目的地であるザルツア砦から立ち上っているのは直ぐに理解できた。
「小火騒ぎか?」
疑問を口にするとリアナが付け足した。
「独立派との小競り合いか、何らかの工作かもしれません」
荷台に居たアーシェがするりと荷台に入り込んできた。
「んー、油と木の臭いだね。人が焼ける臭いも混じってる」
鼻を押さえて嫌そうにアーシェは言う。獣人であるアーシェの嗅覚は猟犬並みだ。嗅ぎ間違える訳がない。
「どっちにしろ、警戒されてるな。これ以上は荷馬車で近づくと見つかるな」
ハンクの言葉に全員頷く。
荷馬車は砦から2km程離れた脇道に無理やり乗り上げ、木々の後ろに停車している。
折れた草や地面など痕跡は出来る限り消し去っているが、それなりに訓練を受けた人間ならば、直ぐに位置が露見するだろう。
馬の嘶きに、目を向ける。話し合いのついでに、馬達には休憩に入らせている。
水を飲み干した馬達は我先に草を貪っており、好みの草を横取りされた馬が他の馬に抗議している様だ。
4頭仲良く旅を続けている為、喧嘩には発展していない。馬の中には特定の草しか消化できない馬や食べてはいけない毒草を見抜けない馬もいる。
野良馬はそんな事は無いが、貴族のぼんぼんが甘やかした馬は、見分けも消化も出来ず、戦場で下痢になってしまう馬もいるそうだ。
うちの4頭は飼い主のハンクに似たのだろう。多少の毒草を食べてもピンピンしているし、爆音や多少の破片であればものともしない。
頼もしく感じた俺は手を伸ばし馬の背中を撫でてやった。馬も満更でない様子だ。馬は俺におねだりすれば水が貰える事を理解している。相思相愛だ。
「俺が様子を見てくる」
四人の中では、俺とアーシェが斥候役に適している。俺は何度も経験は積んでいるし、何より死に辛く火力がある。
アーシェの耳と鼻も捨て難いが、いかんせん近距離武器しかない。逃走するのに足を止めて戦う訳にもいかないだろう。
三人は顔を見合わせる。修羅場を何度も潜った仲だ。無駄に言葉を交わす必要も無かった。
「分かりました。気をつけて下さい」
リアナが三人の代弁をする。既に準備は整えてある。
腰には新たに魔力袋をつけてある。これさえあれば、元の世界の某ゲームの敵キャラの様に、投擲し続ける事ができる。イタリア風にして言えば、まさにマンマミーヤだ。
別れを惜しむ様な事はなく、何処ぞのコンビニにポテチを買いに行くような気軽さで見送られる。
『トラック、電車、黒穴には気を付けるのよ。うっかりすると転生するわよ!』っとくだらない台詞を浮かべ、ひたすら足を進める。
姿勢を猫背気味にしながら、足元を選び、木陰から木陰へ。優しく草を抑え足を進める。
草の折れた跡や周囲とは異なる方に草を向けてしまえば、それだけで痕跡となる。
俺のにわか仕込みとは異なり、本職の斥候はそんな小さなミスも見逃してくれるほど、甘くない。
20分程掛けて、砦から5、600mのところまで来た。遠目だが、哨戒する兵士の姿も見受けられる。
腹を地面に着け、首を伸ばし、様子を窺う。マントが暴れないように、折り畳み縛り、付属するフードはそのままにしている。
首から肩のラインは人間を特定する上で重要な役割を果たす。汚れた麻のフードは周囲に溶け込んでくれる。
口元には雑草で染めた薄緑の布を当ててある。肌の色は自然界では目立つ。その上、虫が嫌う効果のある薬草入りだ。
こうしておけば地面と草木に紛れるには最適だった。時に中腰になりながら這う様に足を進め、城門を見据える。
二箇所ある城門は開け放たれていた。中では人が慌ただしく往来し、馬や荷馬車に物資を詰め込んでいる。
城門から20m離れた位置に人だかりがある。二人一組で衣服だけ身にまとった死体を運ぶ姿が見えた。角度的には見えないが、恐らく掘ったであろう大穴に死体を放り込んでいるに違いない。
死体が衣服だけなのは奇襲を受けたか、装備品を根こそぎ取られたせいだろう。その集団の中に一際巨影が目に映る。
「ゴーレムか」
先日、村で戦ったチェーンゴーレムよりも作りが簡易的で相手にし易いだろうが、問題は数だ。10体のゴーレムがのそのそと動き回っていた。
砦の中を含めれば更に数が増えるかもしれない。一端のゴーレム使いでは精々片手の数程度しか操れない。入念に準備を整えた一流であれば両手の数操れるだろうか。
正規軍が勝ったか、独立派が勝ったか見極めたかったが、武器や防具は鹵獲しているであろう。装備では見分けがつかないに決まっている。
判明した事実は砦の物資を何処かに移送しようとしていることだ。既に見ているだけでも、荷馬車や物資を背負った兵が反対側の城門から出発していた。
普通は列を揃えて、集団で進むものだ。あれだけ慌てていると相当時間がないのかもしれない。
独立派との戦闘に備えてか、砦を陥落させた独立派が物資を運び出しているか、微妙な線だ。
戦闘痕は残っているが、城門には大きく傷が付いていない。どうにも判断に悩む。
内心で考え込む俺の視界に歩哨が映る。俺はゆっくりと首を縮こませ、地面にへばりつく。
(ばれたか?)
俺の心臓は早鐘を打つ様に、鋭く鼓動する。脳からアドレナリンが放出され、全身があらゆる事態を想定して、瞬時に動ける様に身構える。
魔法袋からは抜身の短刀を取り出す。刺すにも投げるにも使える。歩哨はどうやら相方と離れて一人で来ている様だ。
下手くそな鼻歌が耳に入る。随分と上機嫌な様だ。進路は逸れない。苛つきながら、じっと耐える。その間抜けは一直線にこちらに向かって来る。
距離はどんどん縮まる。そいつはズボンの紐を緩めながら、歩みを止めない。用を足す気だ。
5m、4m、3m——遂に1m横に並んだ。そいつがそのまま視界の外に消え掛かる。
やり過ごした。そう確信した時、そいつは首を傾けた。
(馬鹿野郎ッ!!)
狭い視野の中で違和感を感じたのかもしれない。そいつが完全に振り返る前に俺はそいつの口を押さえながら、地面に引き倒した。
事態が呑み込めていないのか、歩哨の動きは緩慢だった。抵抗はない。
「騒いだら喉を切る」
衝撃で状況を理解できずにいるそいつに耳元で囁く。喉に先端を押し当てると、目が恐怖に染まった。
「ゆっくりうつ伏せになれ、両手は頭の上だ」
男は全て指示通りに行った。震える男の体を膝で踏み体重を掛ける。間抜けの相方は騒ぎに気付いていなかった。
腰の剣、短刀、槍を奪う。何れもマグリス兵の物であった。装備とは裏腹に肉付きは悪く、警戒心が薄い。正規兵とは思えなかった。
手は傷だらけでごつごつしている。戦で付いたような傷はない。農民に多い手つきだ。
「はい、いいえで答えろ。マグリス兵か?」
「い、いいえ」
一息掃き出し間を待つ。嘘か見極めたかったが、怯えていて判断が効かない。
「なら独立派か?」
「……は、はいっ」
こいつの話が本当ならば、砦は独立派に堕ちた様だ。男の装備も何処か浮いており、日頃から武具を着けなれている様には見えなかった。
考え込んでいると鼻にアンモニア臭がついた。地面は黒く染まり広がっていく。失禁しやがった。
男の失禁など興味がない。膝に体重を乗せると男は喚いた。
「ごめん、ごめんなさいぃいいい」
「騒ぐな」
ナイフをいっそう食い込ませると男は、陸に上がった魚の様に口を開いた。
「アンディー?」
歩哨の相方であろう男が仲間を呼んだ。失禁間抜け野郎のアンディーは最低限、歩哨としての役目を果たそうとしていた。
殺すか——逡巡した俺だが、その考えを否定する。国軍に加えて独立派と揉めてどうする。
『ごめーん、間抜けな歩哨のせいで、つい二人殺しちゃった。てへ⭐︎』では済まないだろう。
「敵ではない。敵なら殺している」
追撃を防ぐために、俺は中腰になると渾身の力を込めて、股間に蹴りを入れる。
「うひっ——っウゥ!!」
中腰のまま全力で森を駆ける。幸い草木で隠れ、もう一人の歩哨からは見えていない。
ただ、間抜けのアンディーと異なり、もう一人はまともだった。異変に気付いた様だ。
「アンディー!! 返事をしろ」
数秒待って返事のない歩哨は叫んだ。
「敵襲だぁああああ!!」
砦の中からアリの様に兵が飛び出て来る。俺は中腰で走り続ける。森の中が直ぐに騒がしくなる。
「あの小便やろう」
邪魔な岩を避け、倒木を跳ねて乗り越える。一直線に荷馬車には向かえない。何処かで痕跡を偽装しながらくの字に曲がる必要がある。
10分間走り続けた。それでも気配が消えない。追手がしつこく俺を追い掛けていた。
(リュブリスに居た時よりも体力が落ちているとは言え、甘く見ていたか)
明らかに森に慣れている。諦めて木の根本に身を隠す。スローイングナイフを魔法袋から取り出し、息を整え、そいつを待つ。
小枝を払い、雑草を押しのけ、そいつは飛び出してきた。上半身の捻り、肘と手首をしならせ、スローイングナイフは投擲された。
足に向けて投擲したスローイングナイフだったが、器用に手を下げて盾で掬う様に受け止められた。
(止められた)
そいつは投擲物を嫌い、木々の隙間を縫う様に接近して来る。
(いい判断だ。訓練を受けた正規兵だ)
ここまで来ると、手加減などできない。左手でスローイングナイフ、右手でバスタードソードを抜き、詠唱を開始する。
木から飛び出した大男はメイスを上段に構えながら、ラウンドシールドを突き出して迫って来る。
「ウッラァアアアアアァア゛」
頭2つ俺よりも大きい。唸り声は俺の鼓膜を揺さぶる。位置を知らせると共に、己を鼓舞している。
刃が届くギリギリの間合いで、肩を目掛けてスローイングナイフを投擲する。再びラウンドシールドで受けた男だが、上げたラウンドシールドで俺を一瞬見失う。
俺はバスタードソードを下段に構え、右に身体を傾けながら、低い姿勢で足目掛けて斬り込む。
大男は視界に俺が居ない事を理解して、後ろに引きながらメイスを振り下ろした。
迫るメイスを半身で躱し、俺も後ろに飛ぶ。
男は開いた間合いを詰めようとするが、詠唱していた魔法を放つ。
放たれた火球は地面に到達すると、大爆発を齎す。身を縮め、ラウンドシールドで衝撃と火炎から逃れた男だったが、ダメージにより地面から起き上がれない。
反転して駆け出そうとした時《生存本能》が真っ赤なアラームを鳴らした。視界の端で何かが迫る。
上体と首を逸らせた俺の眼前をショートスピアが到達する。木に刺さった短槍は、反動で揺れ動いている。
飛来した方向に目をやると二人の大男が佇んでいた。顔は何処か得意げだ。片割れは投げた短槍の代わりにロングソードを抜いた。
俺はバスタードソードを地面に突き刺すと短槍を木から引き抜き、御手本を見せてやる。
最小限の動作で投擲されたそれは、投擲のモーションとは裏原に、一直線に持ち主へと送り返される。
慌てて大男がラウンドシールドを構えると、表面の鉄板と裏地の合板を食い破り、そのまま貫通して肩に突き刺さった。
笑みが消えたそいつは、罵声を放つ。肩から槍を引き抜き吠えるが、俺の手元を見て、黙り込んだ。
両腕にスローイングナイフ、口は魔法を詠唱していることに気付いた様だ。
たじろぐそいつらに投擲を開始しようとすると、薄暗闇の森の中から。俺を制止する声が聞こえる。
「はイ、ストップ。楽しそうで止めるのは悩ましいけド、それ以上はこの子達が死んじゃうわァ」
もう聞くことは無いだろうと決めて掛かっていた声の主がそこには居た。俺は顔を歪めて再び逃走しようとするが、回り込まれて、それは叶わなかった。