第二十五話 鉄鎖のホロベック
物陰からゆっくりと伸びた左手は、背後から兵士の口を覆う。反射的に兵士が抵抗を開始する前に、勢い良く喉にソードブレイカーを突き入れられた。
痙攣する身体を押さえつけ、リアナは音が立たないように丁寧に、死体を地面へと転がした。
様子を見守っていた俺も行動を開始する。助走を付け、ペアを組んでいたであろう兵士目掛けてショートスピアを投擲する。
一直線に飛翔したショートスピアは、抵抗なく兵士の首に突き刺さると、背を預けていたであろう壁に貼り付けにした。
重要な動脈と神経を破壊された兵士は、ぴくりとも動かない。即死した兵士は項垂れるように首と手を下げ、握っていた盾と槍を地面に落とした。
幸い舗装された場所ではなく、土を踏み固められただけの地面に、落下音は飲み込まれた。
宿への奇襲と森での断続的な戦闘にも関わらず、村の住民を誰1人として見掛けていない。
村長命令か軍の命令かは分からないが、室内から出ない様に厳命されているのだろう。
俺は立て掛けていた二本目のショートスピアに魔力を込め、ゆったりとした動作で槍を引き、狙いを定める。
目標は、敵の仮設前線指揮場だ。聞こえは大そう厳重そうに聞こえるが、実態は数人の兵士が出入りを繰り返している大きめな倉庫であった。
助走を付け放ったショートスピアは、壁に突き刺さり、内蔵する魔力を消費して爆ぜた。薄暗闇が瞬間的に明るくなると外壁が爆散、屋根の一部も破片と爆発に耐え切れず、吹き飛んでいる。
外壁越しの為、余程外壁近くにでも居ない限り、中の兵士は死んではいないだろう。
指揮場を吹き飛ばされ、無事だった兵士が半壊した小屋に集まってきた。兵士目掛けてスローイングナイフを投擲する。
狙い通り、首の真横から刀身が入り込んだスローイングナイフは、兵士を絶命させるのには十分な威力を有していた。
倒れ込んだ兵士を見てか、何処からともなく襲撃を知らせる声が響く。火に集まる兵士を狙う腹積もりだったが、既に警戒されている。
大きく数を減らしながらも有力な指揮官が残っているのだろう。これ以上削るのは難しそうだ。
既に爆発を合図にして、馬車を駐車していた宿へとアーシェ、リアナ、ハンクが走り込んでいる。
荷馬車には監視の兵士が1人付いていたが、あの3人なら問題にもならないだろう。それよりも馬が荷馬車から離されているのが厄介だ。
さっさと村から離れたいが、荷馬車を捨てて行く訳にもいかない。連結には7、8分は掛かる。
敵もあれだけの兵士を消耗しているのにも関わらず、依然として統制を保ったままだ。このまま見逃してくれるとも思えなかった。
荷馬車の護衛に徹するか、このまま牽制を続けるか悩んでいると、小屋から薄い光とともに、轟音が走った。
「……嘘だろ?」
信じがたい光景が目の前に広がる。残っていた外壁と屋根が、夜空高くに舞い上がった。轟音と共に落下物は地面に砕かれ、撒き散らされる。
長く太い剛腕によって振り払われたのだ。腕の主は人間では無い。無機質で生命を感じさせない肌質だ。間違いない。現れたのは二体の土人形だった。
リュブリス北西部でオサが使役していた関係で、ゴーレムとスケルトンはよく見慣れた存在だ。
問題なのは数を優先して作ったオサのゴーレムより大型で形が洗練されていた。何より特徴的なのは、太い両腕、そして全身にチェーンが巻きついている点だ。
土単体よりも強度が出るのだろう。ゴーレムが残骸を払い進み始める。その後を術者と思しき兵士が続く。
刺繍が施され、飾り気のある服と鎧は、今日出会った敵の中で最も派手だ。敵の指揮官に違いない。
更に度肝を抜かれたのは、腰袋しかない空間からロングメイスとラウンドシールドを取り出したからだ。
どういうスキルか魔法か悩んだが、噂を思い出した。
「あれが魔法袋か」
内蔵できる大きさや容量は、リュックサックから大型倉庫まで多岐に渡るが、その重要性から物流や兵站など、国や軍部が独占する事が多い。
俺の居た世界に比べ、この世界は物流網が話にもならないほど低い。数万以上の兵力を動員できる最大の理由が、この魔法袋や収納のスキル持ちによる恩恵だ。
勿論、補給面以外にも利点は大きくあるのは、どんな素人でも考え付く。現に目の前でそれは発揮されつつあった。
大きさもそうだが、短時間であの精度のゴーレムを作り出す魔法持ちだ。
巨人二体を引き連れ、行進を続けるそいつが手練れである事は、一眼見ただけでも理解できた。
何より問題なのは、そいつが駐車している荷馬車に一直線へと向かっている事だ。
「まずいな」
巨体から繰り出される拳は、一撃で荷馬車を粉砕するだろう。
素通りさせる訳にもいかない。連戦で残り少なくなった魔力を込め、指揮官を目掛けてショートスピアを投擲した。
結局、指揮官には向いていなかったか——
外壁が吹き飛び倒壊する倉庫の中で、ホロベックは自嘲していた。
バルガン国家群との戦闘で手柄を立て、騎兵中隊の長となって7年の歳月が経っていた。
手柄を立てるような機会も上の席も空く事もなく、こうして無様に地面に飛び込み身を固めている。
ホルベックは地面に手をやると、普段通り無詠唱で土魔法を使った。
ホロベックは隆起した土壁で梁や外壁といった障害物を払い、倒れていた兵士2人に駆け寄る。外傷は様々だが致命傷は無かった。
「死にたくなければ立て、戦闘はまだ続いている」
伸し掛かる瓦礫が無くなり、中隊長の激励に兵士達は立ち上がる。
兵士達は戸惑っていた。神経質に頭を抱えていたホロベックが、一転して獰猛な笑みを浮かべ、拳を握り締めていたからだ。
どう声を掛けるか悩む兵士達だったが、知った声がそれを解決してくれていた。
「ご無事ですか、ホロベック中隊長!」
「ヤディアか、丁度いい」
ヤディアは土壁の隙間を縫う様にホロベックに近付いていく。
「よく聞け、残存する兵士を纏めて砦に帰還しろ。村長宅にいる負傷兵はそのまま匿って貰う」
先ほどまでとは様子の異なる中隊長に、ヤディアは恐る恐る尋ねた。
「……中隊長はどうされるのですか」
「私が殿を務める。奴らとの戦闘が再開されたら散らばっている兵士を集めろ」
「しかし、中隊長お一人では——」
「誰にモノを言っている。こんなところで飼い殺しにされてはいるが、二つ名持ちだぞ。とは言え、指揮官としては三流だった様だが」
ホロベックは前線から離れて7年、多少の実戦はあったものの体の衰えは拭えない。重くなった体に、小賢しい事ばかり考える様になった頭。
かつての自分が見たら腹を抱えて笑われるだろう。
「そうだとしても、我々はまだ戦えます」
瓦礫の下敷きになっていた2人の兵士がホロベックを見据えている。
良い兵士じゃないか、ホロベックは部下2人を見てそう思った。ますますこんな場所で、こんな理由で失う訳には行かなかった。
「気持ちだけ受け取っておこう。身を以て味わったが、お前らには荷が重い。離れていろ。良いものを見せてやる」
ホロベックは魔法袋に左右の手を入れ、目的の物を掴み出す。
それは重厚な二つの兜に魔石が埋め込まれ、兜より下は鎖が長々と伸びていた。
ホロベックは詠唱を始め、魔法が発動されると二つの兜を中心に土が隆起していく。
生み出された2体のチェーンゴーレムは、背丈は3m、重厚な巨軀の中でも一際大きい両腕と身体中に半ば埋没した鎖は、見た目以上の堅牢さと破壊力を生み出す。
かつて小隊を率いて、バルガン国家群の獣人部隊が守る砦を攻め落とした、ホロベック最強の手札であった。
「見惚れるな。包み隠さず今回の件を連隊長に報告しろ」
ホロベックは更に鉄甲を素早く身に着けると、瓦礫を掻き分け進軍を始めた。
最後に愛用していたメイスと盾を魔法袋から取り出し、ホロベックの懐かしき闘争は再開された。
年を重ねた事により下腹部が少し出た。丸太と称された腕も足も以前より細くなった。代謝が落ちた肌からは、ねっとりとした汗が垂れる。そんな些細なことなど、今のホロベックには最早関係無い。
闇に紛れた僅かな風切音の後、鈍い低音が辺りに広がった。ホロベックが従えたゴーレムの一体が投擲された槍を腕で受け止めたのだ。
ホロベックは驚かずにはいられなかった。人が放ったとは信じがたい軌道と速度で迫って来た槍は、自身の喉元を狙っていたからだ。
それも防いだゴーレムの腕の半ばまで入り込んでいる。かつて近接武器でゴーレムの守りを打ち破った者は何名も居たが、遠距離からゴーレムの装甲を痛めつけるものなどホロベックは見たことがない。
戦いが、闘争が半ば腐りかけていた男を再び呼び戻した。
帰って来た。再び帰って来た。逸る気持ちを抑えるように、ホロベックは奥歯を噛みしめ、大きく笑みを浮かべた。