第二十二話 山狩り
ガザンダ村周辺にある山林の夜は夜行性の小動物や夜鳥が餌を求めて、徘徊しているが、危険度の高い魔物や大型の動物は存在していない。
そんな山林は喧騒に飲まれていた。金属の装備が擦れる音、薄暗闇に浮かび上がる明かり、そして多数の影の主は、冒険者を追いかけるマグリス王国騎兵連隊に所属する2個小隊であった。
山狩りは兵5人を一班にし、班を10m間隔で横隊に並べ行われている。月明かりの他に兵士が頼りになるものは、松明や携帯用のランプのみであった。
凶悪犯が山に逃げ、取り逃せば甚大な被害が出る事から、村からは山に慣れた狩人が3人とシルバーウルフ2匹が動員されていた。
村の狩人は父と兄弟、そして兄弟が育てた若いシルバーウルフ2匹だ。父の名はディーラン。兄の名はアディ、弟の名はラディであった。
よく言えばシンプルで分かり易い。悪く言えば手抜きの名前であったが、ディーランも妻も子供の名前を気に入っていたし、兄弟も満更では無かった。
ディーランは狩人で生計を立て30年のベテランであった。アディとラディも19歳と18歳であるものの15歳から森に入り、2人でみれば一端の狩人と言えなくもなかった。
狩人達も夜の狩は滅多にしない。危険度は低いとは言え、少数のゴブリンやワイルドボアを代表とする魔物も出没する恐れがある。
それでも今回は国軍でも鍛えられた兵が揃う騎兵中隊に護衛されての山狩りだ。心配は要らない。そうアディとラディは考えていた。
国軍に守られ、犯罪者を追い詰める役の一端を担えると兄弟は意気込んでいたが父ディーランは違った。
「なあ、俺とラディはもう一つの小隊に居た方が効率いいんじゃないのか?」
父であるディーランに耳打ちする様に兄アディは言った。弟ラディも頷き兄に同意する。
「俺達だってもう一端の狩人だぜ。おとうは心配性だよ」
兄弟はそう言いつつも、折れた枝や足跡が無いか、入念に目を向ける。それは手綱で繋がったシルバーウルフ二匹も同じであった。
フンフンと鼻先を鳴らし、微かに漂う臭いを嗅ぎ分けようとしている。
ディーランは振り向きもせず言った。
「お前らも多少マシになったがまだまだだ。慣れた頃が危ないんだよ。……それに」
父の小言がまた始まったかと兄弟は顔を見合わせていたが、最後に一際声を下げてディーランは言った。
「これだけ探して殆ど痕跡が無い。そいつらはバカ犬だが鼻は本物だ。なのに大体な方向が辛うじて分かる程度だ」
それについてはアディも何となく感じ取っていた。慣れ親しんだ山ならアディも拙いながらも痕跡を隠す事ができるが、山に逃げた奴らはよそ者でしかも夜だ。
「おとんも分かってないんだ。俺達だけ探せてないかと思った」
「バカ犬を使っても微かな、微かな痕だけだな。……よく聞け、重要な事だ。脅しじゃない。今日追い掛けてる相手は本当に危険な相手だ」
いつにもなく真剣な父の声に兄弟は黙って耳を向ける。
「山での動きだけでも間違いなくプロだ。そいつらは村で国軍を15人以上返り討ちにしてる。宿の亭主は言っていた。それに酷い臭いだっただろう」
他の村人は爆音ばかり話題になっていたが、兄弟と飼い犬(狼)だけは臭いに隠された意味を理解していた。
「本当は断りたかった。いいか、戦闘になっても妙な正義心は要らない。手柄も立てようとするな。いいな?」
「う、うん」
「わかったよ」
心配性の父と笑う事はあったが、今日の助言は家族としてだけでなく、狩人としての助言だと兄弟は理解していた。
歩き続け3時間、兵士達も疲労の色が濃くなっていた。
「なぁ、ディーラン。本当にこっちであってるのか?」
「ああ、途中偽装もあったが、間違いない」
兵士もディーランの狩人としての腕前が高いのは、知っている。狩の成果は、騎兵中隊の砦までもたらされ、オークやオーガの討伐に道案内とスカウトで駆り出された実績もある。
それでもちっぽけな灯を頼りに、注意深く山を探し回るのは、兵士の精神を削り、疲労を蓄積してゆく。
兵士が言葉を続けようとした時、森に爆音と光が生じた。
「火属性魔法、ファイアーボールか!」
炎は第3小隊の方で踊っていた。立て続けに轟音が森に響く。最初のファイアーボールとは異なり、黒炎が一瞬広がると悲鳴が次々と増えてゆく。
「爆発が五度続けてだぞ。どうなっている」
「第六班を基点に回り込むぞ。逃すな」
第一小隊長の命令で横隊は片方を基点に、半時計周りに回転を始め、戦闘が続く場所へと向かう。
「絶対に離れるな!!」
生涯聞いた事のないディーランの怒号に、兄弟は浮ついた返事を返した。
第一小隊が戦闘地点に辿り着いた時には、第3小隊は混乱を極めていた。
「ああ゛ぁああああ、痛い、痛いぃい!」
「小隊、小隊長は何処に?」
「距離を意識しろ。個々に挑むなぁあ」
「後ろだ。くそ、その木に後ろに入り込んだ。合わせてい——」
僅かな光が敵味方の影を映し、直ぐに闇に溶ける。眼前にいたはずの敵を追えば、暗闇から伸びた大剣が同僚を両断する。
声を上げていた班長が鋸状の短剣に喉を削がれ、動かなくなる。敵討ちと飛び込んだ兵士達を待っていたのは背後から迫る火球だった。
ファイアーボールの直撃を受けた兵士は手の一部と耳を中心とする感覚器を失い、更に絡みつく火に、狂った様に地面に転がり回る。
それは周囲にいた2人の兵士も同様だったが、何とか消し終える前に、脇と首に差し込まれた刃先が致命傷となり、燃えた地に伏せ動かなくなった。
統制を保ったまま、敵に斬り込んだ第一小隊の面々であったが、出迎えたのは剣でも槍でもなく致命的な投擲物だった。
第六班と第五班で立て続けに起きた爆発で、3人が即死、3人が重傷を負う。
尚も駆け足を続ける小隊に向け、暗闇から立て続けに何かが飛び出てくると兵士の胸と下腹部に命中した。
ラディは
「な、ナイフ!?何でスローイングナイフが鎧を貫通するんだよ」
鎧越しに命中したスローイングナイフは根本まで兵士の胸と下腹部に突き刺さり、兵士は自らの胸と下腹部に刺さったナイフに手を添え、声を漏らす。
ディーランは2人の首を掴むと、大木の影に引き込み、命令した。
「明かりを消して木の影から動くな」
兄弟は繰り返し頷き愛狼二匹を地面に伏せさせた。二匹は血の臭いに興奮するどころか、耳と尻尾を限界まで下げると、地面と落ち葉に体を埋めた。
「犬の方が賢いな」
ディーランは息子2人を揶揄ったが、唇は乾き手足を強張らせないので、手一杯であった。息子達も普段であれば冗談まじりの抗議の一言も上げるが、今は犬を見習って姿勢を低く息を殺すのに忙しかった。
「固まるな。足を止めるな。距離は相手にしか味方しないぞ」
小隊としての機能を失いつつも、第一小隊の小隊長は、部隊の統制をどうにか続けながら1人の冒険者を捕捉した。
暗闇で大剣を易々と振るそいつは報告にあった獣人に間違いなかった。
先行した部下2人のうち1人はガードしたラウンドシールドごと腕を潰され、斬り返した大剣が上段から叩き落とされ、兜ごと頭を潰し斬られた。
残された兵士はショートスピアーを突き入れるが、鉄板で補強された槍先を容易く切断される。
兵士は残された柄を獣人の顔に投げ付け、ショートソードを引き抜き、再度斬りかかる。
獣人は投擲された柄を寸前で避け切ると、足の指が地面が食い込むまで踏ん張り、一呼吸入れる暇もなく大剣を突き入れた。
2人の犠牲により、小隊長と部下2人は、間合いに入り込んだ。
兵士の1人がバトルアックスを振りかぶり、そのまま獣人に投げ付ける。
獣人は大剣を引き戻すと、突き刺さったままの兵士だった“モノ”でバトルアックスを受け止めた。
小隊長は踏み込んだ勢いのまま獣人の首を目掛け剣を振るうが、上半身を後ろにスウェーさせた獣人は片手で大剣を振り切った。
水平に迫る刃に対し、ラウンドシールドとロングソードで受け流しを図るが、ラウンドシールドは表面の合板が一撃で叩き割られ、ロングソードも大きく刃こぼれする。
小隊長の動きに合わせ、部下2人が獣人の両側面より迫るが、片方の兵士は、胸に深々とスローイングナイフが刺さり、その場で膝を突いた。
残る兵士は一度の鍔迫り合いの後、離れ際に脹脛を半ばまで斬られ、落ち葉へ倒れ込んだ。
再度踏み込んだ獣人は大剣のリーチ差を生かし、下段から大剣を振る。
「化け物がッ!!」
圧倒的な膂力と大質量の鉄塊は、半壊したラウンドシールドを食い破ると、剣先が小隊長の額を切り裂き、小隊長の両目はあらぬ方向を向くと木に抱き付く様にもたれ掛かり、動かなくなった。
「なんだよ。アレ」
ラディは目の前で繰り広げられる戦闘に、震える四肢を抑える事だけに必死になっていた。
兄アディも主人を残して、逃げようとする愛犬二匹を抑えるのに手一杯だ。
そんな中、ディーランの前を走っていた第二班に火球が迫る。
ディーランは息子2人の首を掴むと、地面へ沈めた。
班員は素早く回避行動を行なったが、1人が避けきれず、火に飲まれた。
手にした武具を捨て、絶叫を上げながら地面に身体を擦り、暴れ回る。
ディーラン達も肌が熱風で炙られ、その熱量に冷や汗が止まらなくなる。
兵士達は、同僚の悲痛な姿に目をやる暇も無く、それは現れた。草木に紛れて、低い姿勢で飛び出したのは、ロングソードと片刃が間隔の広い鋸状になった短剣を持つ女の冒険者だ。
火球で分断され、孤立した兵士は素早くロングソードを突き入れる。一撃目は躱され、二度目の突きを入れた時、ロングソードを鋸状の刃に絡め取られ、受け止められた。
無理に引き抜こうとして兵士の指にロングソードが叩き入れられた。五指のうち三本を失った兵士の手からはロングソードが滑り落ちる。
身を守る為ラウンドシールドで上半身を固め、指のない右手で喉を隠すが、狙われたのは右膝の側面であった。
膝当てのお陰で膝自体の機能は失う事が無かったが、側面から食い込んだ刃は、骨と腱の一部に被害を齎した。
死角に回り込む冒険者に対し、正面を維持しようとする兵士だったが、フェイントに引っかかると左の脹脛にロングソードを突き刺された。
罵声を浴びせる兵士のトドメを刺す様に見えた冒険者だったが、素早く軸足の向きを変え反転する。
眼前には水平に振られた兵士のロングソードが迫っていたが、冒険者は同じロングソードで受け流し、肘にソードブレイカーを引っ掛け、引き寄せた。
ぶちぶちと服の繊維と肉が裂かれる音と共に、引き寄せられる兵士の目に対し、ロングソードの柄を差し込み倒した。
残る兵士に対面した冒険者は興味を失った様に別の班へと足を進める。
鹵獲されていたのであろうショートスピアが兵士の脇腹から肺まで突き刺さっていた。
兵士は項垂れる様に座り込み、ショートスピアを抜こうとするが出血とショックで短槍が抜ける事はなかった。
ディーランが続く戦闘で見えたのは三人の冒険者だ。
卓越した二刀流と立ち回りで撹乱する冒険者。
規格外の膂力と大剣で捻じ伏せる獣人の冒険者。
そして多人数を相手取るのを可能としているのが、火属性魔法とユニークスキルの圧倒的な火力を持つ冒険者だ。
常に動き回り途切れる事なく魔法と投擲物を投げるそいつにより、頭を刈り取られた二個小隊を壊滅に追い遣ろうとしていた。
「アディ、ラディ、1人ずつ助かりそうな兵士に肩を貸してやれ。下山するぞ」
「「分かった」」
ディーランも腕に火傷と骨折を負った兵士を掴む。息子達も片足に深い傷を負った兵士、片手を失った兵士をそれぞれ肩を貸している。
「うっ、あ。すまない、すまない」
「ま、まだ戦闘が——」
「兵隊さん腹を括れ、もう無理だ」
ディーランは戦場に目を向けるが、戦っている兵士は10人程度だ。とても勝てるとは思えない。
それに戦闘が終わり、命乞いする我々を見逃してくれると思う程、ディーランは馬鹿ではない。
ディーランの言葉が兵士の心を完全に折ったのか、手助けされるまま兵士は足を進める。
それから数分もしないで戦闘音は完全に止み、元の静寂な山へと戻った。あれは夢か幻かともディーランは思いたかったが、山に漂う死臭は、戦闘が現実である事を物語っていた。
感想と評価ありがとうございます
お気に入りとポイントが増え、ニヤついております