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異世界デビューに失敗しました  作者: トルトネン
第六章 ローマルク帝国 マグリス独立戦争
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第十七話 ホットドッグ

 右脇腹への軽い鈍痛と圧迫感を感じ取り、意識が戻る。


 状況を理解するために、目を開けると眼前に広がっていたのは、アーシェの首から胸だった。


「……アーシェ、また踏んだぞ。横着せずに二足歩行しろ」


 抗議している間に視界は、鍛えられた腹筋からしなやかな大腿四頭筋に移り変わっている。


「あーごめん、おはよ……お?ぉー、やっと晴れてる」


 アーシェが四つん這いのまま、荷馬車の入り口まで這っていくと、嬉しそうに耳を立てて言った。


「……お、おはよう、ございます」


 数秒間の再起動を経て、リアナも続けて起きたようだ。恐らく俺と同様、アーシェに踏まれたに違いない。


「ああ、おはよう」


 振り返り、ハンクにも挨拶をしようとするが、御者台付近にハンクの姿はない。深夜に見張りの交代をして、外に出たままなのだろう。


 連日続いた雨は荷馬車の幌を鬱陶しく叩き続けていたが、やっと昨日の晩に止んだようだ。


 雨のせいで、昨日も火の番に苦労させられた。強い雨と風のせいで、なかなか火が安定しないのだ。


 薪や枝も水分を含むと着火し辛くなり、煙も多くなる。最初の種火作りが肝心だ。


 幸いこのパーティーは火起こし機代わりの俺が居るが、他のパーティーはそうはいかない。


 大木と荷馬車で焚き火の位置を挟み、軽く穴を掘り、そこに荷馬車で乾燥させていた枝や薪を格子状に重ねて行く。中央部にナイフで削った木屑と細かく裂いた薪を格子の中心部に入れ、あとは火起こし機の出番だ。


 嵐や台風にまで発展すると最悪だ。火で暖をとる事も出来ず、食事も冷たい保存食をそのまま指で口で引きちぎる事になる。


 アーシェとリアナは寒さ対策か、二人でくっ付いて寝てる事が多い。寝ぼけたアーシェがリアナを踏むところまでが一式の流れだ。今回は俺まで巻き込まれたが——


 混ざるわけにもいかない俺は一人で寝る事になるのだが、一度寝入った二人を見た後に、ハンクと目が合ったが、それだけで意思は伝わる。


 お互い首を振り、鼻で笑いそれで御仕舞いだ。女子二人と違う、俺とハンクでは絵面が汚すぎる。


 剃り残しの髭感覚、絡み合う臑毛、そこに吐息まで加わるのだ。想像しただけでも鳥肌ものと言えた。


 一式の準備を済ませ、外に出るとハンクが木にもたれかかり、白湯を啜っていた。


「おはよう。全員お目覚めか」


「ああ、おはよう。白湯かと思ったが、少し甘い匂いがするな」


「果実の塩漬けを湯で戻して飲んでる。飲むか、寝起きには丁度いいぞ」


 カップを片手に、3人が集合するとハンクは手慣れた様子で注いで行く。


「それじゃ俺は寝るぞ。朝飯なら先に済ませたから、各自テキトーに取ってくれ」


「ああ、食事をしたら撤収はしておく」


「私が御者台に入りますね」


 任せてください、とばかりにリアナが拳を胸まで上げた。最近ハンクに荷馬車の扱いを習い何度も走らせたため、自信が付いたのだろう。


 炭と化した薪に次々と枝を投入して、火を強くして行く。幸い、昨日焚き火近くで乾燥させた枝がある。


 塩漬けで保存された腸詰め肉をスキレットに乗せて焼き、昨晩のスープの残りでふやかした悪名高き黒く硬い黒パンを腸詰肉の横で焼く。


 スキレットで熱せられた腸詰め肉から油が染み出ると、音が耳を心地よく刺激する。料理てのは視覚も大事だが、嗅覚と聴覚でも楽しめる。


 どこぞのグルメ評論家気取りな事を考えつつ、木製のまな板の上に、塩漬けにしたピクルス、キャベツの漬物であるザワークラウトを適度にナイフで刻む。刻む度に独特の酸味が優しく鼻腔を刺激する。


 香りを楽しみ息を吐き出すと、次の工程に移った。


 黒パンの中央に穴を開け、熱せられた腸詰め肉とピクルスとザワークラウトを合わせる。


 更に大金を叩いて買い漁った俺の調味料セットから秘蔵の一品を投入。


 そこいらの商人でも敵わない種類の多さもそうだが、特に城塞都市リュブリスで手に入れた調味料は俺を歓喜させた。


 正確に言えば、リュブリスの商人が持っていた調味料に対し、助言と提供をする事により、より一層俺好みの調味料へと昇華したのだ。


 期間にすれば僅かに3日であったが、あの商人とは代え難い友情が結ばれた。


 商品名に俺の名前を付けてくれ、謝礼金までくれると言ったが、俺が元の世界の調味料を再び口にする事が出来たのだ。寧ろ、俺が謝礼金を払わせてくれと逆に言い合いになった。


 調味料と育った俺にとっては、この世界の味付けはアバウト過ぎる。都市部では、舌を巻く様な料理も出てくることはあるが、農村部は……控えめに言って、素材の味を生かしましたッ!というのが実情だ。


まあ、俺のどうでもいい味覚の話しは、頭の片隅に追いやり、意識をソレに向ける。


 カラシナもどきの種子、ワインビネガー、白ワイン、小麦粉、ターメリックもどきパウダー、ガーリックもどきパウダーからなるそれは“マスタード"であった。


「マスタ〜ド」


 昔懐かしいアニメのBGMを頭で鳴らし、似ていない声真似を小さく呟く。


 共感もケチャップも無いのは残念だが、トマトさえあればそう作るのは難しく無い。再会を約束した商人にケチャップ作りを依頼して、再び度肝を抜いてやる。


 隠居をしたらリュブリスダンジョンの入り口でビールを出しながら、ホットドッグ屋も悪くないかと馬鹿げた妄想を垂れ流しつつ、マスタードを適量乗せる。


 芳しい脂の匂いは、噛んだ際に溢れ出る肉汁を想像させる。


 ピクルスとザワークラウトの酸味がよりいっそう食欲を誘う。


 最後はマスタードだ。警告色のような黄色だが、程よい辛味とカラシナの粒が全ての具材とマッチし、料理として纏め上げる。はっきり言おう。


 この世界に置いて至高のホットドッグがそこにあった。


 惜しいと言えば、オニオンチップス、ケチャップという頼もしい仲間が居ない事だが、そんな事はどうでもいい。


 早く口に運ばなければ、これは理性では無い。本能がそう訴えかけている。芳しい匂いが脳を痺れさせる。


 だがどうであろう。珍しく皿に盛り付けたホットドッグを口に運ぼうと手を動かすが、ピクリとも答えてくれない。


 俺は悟った。何が起きているか——


「どうしたリアナ、アーシェ?」


 威嚇する様に 、2人に言葉を放つが、意に介した様子はない。


「……シンドウさん、何を持っているのですか?」


「ジロウ、アタシ達ってさ、苦楽を共にした仲間だよね」


 リアナは右手を、アーシェは左手を握りしめていた。強靭な握力で握られた両手首は、振り解けそうもない。


 更に俺の太ももに膝で体重を掛け、下半身も動けなくしている。


(クソ、動けん。手練れの冒険者め、どうする、こうしている間に冷めていくぞ。首と上半身だけで一か八かホットドッグに噛み付くか……幸い、拘束箇所は両手首と両足のみだ)


 羞恥心からか2人は俺に、絞め技を掛けず、上半身をフリーにさせた。これは奴らが起こした最大の失態だ。


(詰めが甘い奴らだ)


 気配を気取らせず、ホットドッグができる瞬間に襲撃を仕掛けてきたタイミングは、流石はBランクの冒険者と言えたが、何とも詰めが甘い。


 もしくは俺がそこまでしないと思っているのか、だがもう遅い。


 技巧派の冒険者の技も、獣人の俊敏性もそれらを上回る勢いで、ホットドッグに噛み付く。


 気取られぬように、タメは作っている。後は言語での和解に応じる振りをしつつ、圧倒的速度での強襲を仕掛ければ良い。


「はは、何を言って——」


 勝った。顎門を広げ、可動範囲最大に広がった俺の口は、一直線へとホットドッグへと迫る。2人の反応は明確に遅れた。もう挽回の余地はない。


勝利を確信した俺の首に、何かが巻きついた。


馬鹿な。2人の両手は塞がっている。ニコレッタの様に触手を操る筈もない。


 アーシェの尻尾か——ある程度自由に動かせるのを知っているが、そんなに長くない筈だ。一体何が起こっている。


「ジィロウッ」


 腹立たしくも巻き舌気味に名を呼ぶ声、首元にはジョリとした感覚が走る。これには覚えがある。間違いない剃り残しだ。それにこの声は——


 脳内で幾ら否定を繰り返してもそれは存在していた。


「は、ハンクッ、寝たんじゃ無いのか!?」


 首に巻き付いたのは、ハンクの両腕だ。忌々しい事に、俺の耳元で喋っている。


 これでは首も動かせない。完全に体を制圧された。


「いやぁ、匂いに釣られてな。起きちまったよ。ジロウは料理が下手だと思っていたが、こんな美味そうな物を作るとはな」


 まだだ。まだ諦めるな、リュブリスの訓練所での出来事を思い出せ、諦めた者から死ぬと何度習った。


「朝飯食べたんだろ。食べ過ぎは健康に悪いぞ?」


「少しだけだ。それにこうなったら寝れないだろうが」


 左右のリアナとアーシェを見れば同調するように、首を振った。言い辛い事を全て発言したハンクに乗っかるつもりだ。くそ、ハンクめ意地汚い。


 そうしている間に、ホットドッグの命の灯火は失われていく。嗚呼、そうさ。冷めたホットドッグなどホットドッグでは無い。


 クールドッグ?もはや呼び名などどうでもいい。そんな低次元に落ちてしまうのだ。


 食いしばった歯が鳴る。そうだ、わかっている。徹底抗戦で全てを失う訳にはいかない。損切りをする必要があるのだ。


 苦しい決断を下さなければならない。それがホットドッグがホットドッグであり続ける為には必要なのだ。全てはホットドッグの為に——


 だが、だがな。ただで負けてやるほど俺は優しく無い。要は発想の転換だ。楽しむ趣旨を変えればいい。


 家事全般が不器用と笑われる俺のホットドッグに冒険者3人が口内に涎を溜めて、群がっているのだ。


 簡単さ。あとはほんのひと押ししてやればいい。


「分かった。分かった。人数分作る」


 俺がホットドッグの為とは言え、嘘を吐かないのを知っている。3人の拘束が緩んだ。


 ああ、嘘は言わんさ。ただ、嘘じゃ無いから起きる事もある。


「それは先に食べててくれ。気合いを入れて作ったからなぁ。一番美味いぞ」


 刹那にも満たない時間、一斉に三人の手が伸びる。第二幕、脆弱な同盟は終わりを告げ、闘争の幕開けだ。


 アーシェの右腕がホットドッグを掴む最短・最速で迫ろうとするが、ハンクの肘により軌道をずらされ、リアナの右手によりインターセプトされる。


 体勢が崩れたアーシェだが、リアナの右腕を掴み、左腕で再びホットドッグを狙う。


 ハンクは俺の上から被さる様に、ホットドッグを狙う。アーシェよりも優速に加え、両手が残っている。


 危機を覚えたアーシェの左腕は、ハンクの左手腕を弾き飛ばし、真っ直ぐホットドッグへ向かう。


 これで各自腕一本ずつ、ハンクとアーシェの手が殺到する中、リアナの左腕が側面からするりと侵入すると、その真価を発揮した。


 ソードブレイカーの扱いに慣れたリアナは、同じ軌道で腕を振るう。ハンクの五指の指は側面から叩かれ、フェイドアウトする。


 罵倒を口にする暇もない、一瞬の出来事だった。


 残るはリアナとアーシェのみ、迎え撃つアーシェだったが、下から手首を拳で叩かれ、腕が浮く。


 苦悶の表情を浮かべ、リアナの左腕までも掴み、振り出しに戻そうとするアーシェだったが。遅かった。


 手首を返したリアナがそのままホットドッグを掴み、口に運んだのだ。


 はぐっとリアナにしては珍しく大口で噛みつき、咀嚼する。


 腸詰め肉の弾力とピクルスとザワークラウトのシャキシャキとした食感と酸味、マスタードの程よい辛さ、そしてそれらを纏め、受け止めるパンのハーモニーは言葉にならないだろう。


満面の笑みを浮かべながら。黙々と咀嚼は進む。


 対する2人の顔は、失意・虚無・絶望に陥っていた。確かに勝負には負けたが、みんな色んな意味でいい顔をしてる。


「ふっ、はっはァハハ!」


 腹を抱えて大笑いする。3人の反応は最高だった。


「あー、リアナずるい!!」


「クッ……」


 抗議するアーシェ、歯を食いしばるハンク、頬張るリアナを見れて、俺は幸せだ。


「ほら、散れ散れ、次作るから」


 頬を膨らませていたアーシェ、額を抑えるハンクが大人しく俺の後ろで列になっているのがとても笑えた。


 たまにはこういう茶番じみた馬鹿騒ぎも悪くはない。冷めてしまった腸詰肉の残りを口へと放り込み、食材の準備を進めて行く。

深夜の飯テロ

次話より本編に戻ります

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[良い点] >マスタ〜ド ドラえもんかな
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