第十六話 マグリス王国
茂った葉と枝の隙間から光が漏れ、時折吹く風によって、影が揺らぐ。
樹木の間を引き裂く様に、1本の小川が森を横断していた。水量は膝下程度、水底まで透けて見え、小魚や小石の間にはサワガニなどが生息しているのも確認済みだ。
俺が潜む老樹の前で、川は緩やかなカーブを描いていた。他の箇所に比べて川幅がふた回り程広い。
川辺を監視しながら片膝を立て、もう片膝はべったりと地面に密着させていた。空いている左腕を堂々と育った幹へと掛ける。
グローブ越しにもざらざらとした樹皮を感じられる。大樹の張り巡らされた根は、しっかりと俺の体重を支えてくれた。
加えて、周りに生える雑草は、俺の姿をすっぽりと覆い隠してくれる。
それは俺の隣で息を殺している獣人にも当てはまった。
地面と一体になるように這いつくばり、川辺からでは背丈のある雑草に紛れ、まず視認はできない。
微動だにしない体とは裏腹に、その瞳と獣耳は忙しない様に動き、辺りを探っていた。
30分とも40分とも取れる時間が流れる。時折手や足から這い登ってきた虫を指で弾く。小煩い羽虫まで寄ってきた。
我慢大会だ。ただ待つというのも辛いものだったが、アーシェがゆっくりと指を指す事により、待ち惚けは終わりを告げた。
木々の隙間から現れたそれらは、水辺で喉を潤し、食事をするつもりだろう。
音が鳴らないよう、細心の注意を指先に集中させ、地面に転がしていた拳大の石を拾い上げた。川辺では丸く投げ易い石など安易に調達できる。
スキルの都合上、消耗してしまうスローイングナイフに比べ、投石は精度・威力こそ劣るものの、安価(無料)で入手が容易なのは、素晴らしい利点だ。
中腰を少しずつ浮かせ、スローイングするために右手を後ろに逸らしていく。
上半身の捻りと肘、手首、指先と連動したそれは異界の投擲術の補正を受け、ターゲットへとめり込んだ。
断末魔もないまま卒倒した1羽には目もくれず、狙いは飛び立とうとする2羽目に向ける。群は狂乱に包まれながらも、即座に離脱を計ろうとしていた。
流石に大空を飛び回れてしまうと当てる自信が無くなる。もたついたそいつは飛翔する為に、狂った様に翼をバタつかせていたが、一歩遅かった。
狙い通り、面積の大きい胴部にめり込んだ投石は、鴨を数メートル吹き飛ばし絶命させた。
「やったー。ご飯ゲット!!」
地面に潜んでいたアーシェは、持ち前の脚力で一目散に鴨の元へと跳躍した。
両手に鴨だったものを掴んだアーシェは上機嫌だ。
「ジロウも手加減上手くなったよね。昔はよく鴨や野ウサギを爆散させてたもんね」
アーシェは、昔を思い出すかのように、わざとらしく目を閉じると何度も頷いた。
「いや、加減って難しいんだからな」
リュブリスの森で狩猟を始めた頃は、手加減も分からず、小型の獲物に対しても、容赦無く投擲を繰り返していた。
結果残るのは小動物や鳥だったもののミンチだった。
ミンチなら良い方で、周辺に血肉ぶちまけ、あら不思議、うっかりこの世から消失させる事も少なくはなかった。
そんな理由で、俺は自然とワイルドボアやワイルドブルなどの頑丈な獲物の方が好きだった。
「今日の晩ご飯は豪勢になりそうだね」
「ああ、鴨2羽、サワガニ22匹、キノコ6本、野草20本か」
サワガニは泥抜き、野草はアク抜きが必要で、手前時間は掛かるものの、その手間で味は変わってしまう。
『料理は一手間が大事なんだ』とハンクが言っていたのをぼんやりと思い出す。あんな見た目と声をしているが、パーティの料理番だ。
包丁代わりのナイフ捌きも、無駄が無く。野菜の皮剥き、魚の三枚おろし、動物の皮剥きまでお手の物だ。
狩猟に慣れたアーシェですら、解体の綺麗さにはハンクには勝てない。
「馬車に戻るか」
持ってきた籠に獲物を入れ、水辺を後にする。本来であれば水辺に集まる大物を狙っていたが、長く滞在する訳にはいかない。
それに鴨もいい獲物だ。特に冬場の鴨は脂が乗っているが、それでいて後味はしつこくなく、鍋にしても炙っても良しの食材だった。
サワガニは脂で揚げたいところではあったが、荷馬車に調理用の脂を用意しているはずもなく、鴨と共に、鍋で茹でられる運命だろう。
籠の中で生け捕りにされたサワガニが、抗議する様に音を立てるが、観念して貰おう。お前らが美味いのがいけないのだ。
背中の籠を背負い直し、二人が待つ荷馬車へと足を進めた。
ローマルク帝国に入国してから2週間半、俺たちが目的とする場所へとたどり着いた。ローマルク帝国とマグリス王国が接する国境線であり、出入りを監視・制限する関所だ。
既にローマルク帝国の関所を抜けたため、眼前に広がる関所はマグリス王国のものだった。
「もう関所だ。準備しておけ」
ハンクの呼び掛けに、荷台から俺を含めた三人が正面を見据える。
「いつも通りお上品にするさ」
「はっ、お上品てのは、投げナイフを敵の首に投げるのも、大剣で鎧ごと相手を叩き斬るのも、ソードブレイカーで皮膚を毟取るのも無しだぞ」
振り返ったハンクに三人は一斉に抗議の声を上げるが、気にもしないとばかりに、正面に視線を戻した。
木々により遮られていた日光が目に飛び込んでくる。
それもそのはず、森の道路がいきなり正方形状に切り開かれていた。
樹木から数メートル離れた位置には、歩廊と胸壁付きの石塁が切り開いた空間を四角に覆っていた。
特筆すべきは四方に迫り出した馬蹄形の側壁塔だ。5.6人の弓手が同時に守備に就ける大きさがあり、石塁は低い場所で2.5m程度のものだが、迫り出した側壁塔からの攻撃で、一筋縄では石塁を突破できないだろう。
「城壁としては、低い部類ですが、精密に積まれていますね」
リアナが感嘆した様に声を上げた。
積まれた石は同じ大きさになるように、削り取られたのだろう。国内に大陸でも有数の石切場と職人集団を有すマグリス王国だからこそ出来る技であった。
本格的な敵の攻勢を防ぎ続けるのは、困難かもしれないが、時間稼ぎと出血を強いるには十分の施設と言える。
関所の出入り口は道路に通じる二箇所のみだ。
門の支柱は、岩を積み重ねて作られた堅牢なつくりだ。入り口は両開きの大門、それに付随する小さなくぐり戸だけだ。
門の上部は一段の櫓が作られ、数名の射手が俺たちを見下ろしている。
検査員も含め、見える範囲では、関所に詰める兵はそう多くはない。見える範囲でも10名程度だ。
中での作業や休憩中の兵士もいるではあろうが、国境線の防衛と監視を行う関所では、不十分な戦力と言えた。
ましてやこの大掛かりな防御施設にこの程度の人数の兵士では不釣り合いだったが、マグリス王国の内情を考えると納得ができた。
ギルドの訓練場で得た知識では、マグリス王国はローマルク帝国が従える4つの属国のうちの一つだ。
総兵力は3万程度ではあるが、最大動員数40万と言われるローマルク帝国が背後におり、他の大国もおいそれとは、手を出すことは出来ない。
また、マグリス王国内にも、対バルガン国家群に対する備えとして、ローマルク帝国マグリス方面軍の1万を超す兵士が租借地に駐屯している。
国境に面している国はローマルク帝国とバルガン国家群に加え、少ない陸路を除けば、国の殆どが魔物が跋扈する未到達地域に囲まれている。
要所さえ押さえておけば、魔物や自然の要害が敵を防いでくれる攻め辛く守りやすい国と言えた。
関所の入り口で、駐車した馬車から、ハンクは飛び降りると、兵士に声を掛けた。
数度のやり取りを終えると、関所の潜戸から数人の兵士が現れ、馬車へとやってきた。
何度も関所を経験すれば嫌でも慣れる。胸元にしまい込んでいたギルドカードをチェーンごと掴み、引っ張り出す。
体温に暖められ、ギルドカードが少し暖かい。アーシェもリアナも同様にギルドカードを取り出している。
「預かるぞ」
差し出された手にギルドカードを渡す。表をじっくりと観察した兵士は、ひっくり返すと裏面も確かめた。
「問題ない。次」
俺が終わると続いて二人のギルドカードも検査された。
「後ろの三人はBランクの冒険者だな?」
代表のハンクが兵士に答えた。
「ああ、そうだ」
「入国の目的は、輸送だな。都市パラクーダからバルガン国家群に入るのか?」
「いや、ヴィスロ平野経由でルハリノ渓谷を抜ける」
「道中幾つか、村がある。大したものは無いが、食料でも調達すれば良い。積荷を確認させて貰うぞ」
荷馬車を覗き込み、積荷を一つ一つ開けて確認していく。大雑把な検査員も多いが、今回は細かい方に当たった様だ。
単独の荷馬車だ。調べる物などたかが知れている。確認を終えた検査員は、言葉を発した。
「特に問題はない。通過していいぞ」
ハンクが感謝の言葉を検査員に述べ、御者台へと戻った。
俺達も荷台側から乗り込み、ハンクが全員が乗車した事を確認すると、馬に合図を送り、ゆっくりと荷馬車は進み出した。
城門を潜り、関所内に入り込む。内部は城壁に反して、長屋が幾つか並ぶだけの質素な作りであった。恐らく、武器庫、井戸、馬小屋など、見せたく無い重要な施設の長屋の裏手側だろう。
そうしてマグリス側の大門を潜り、遂にマグリス王国への第一歩を踏み出した。
「ふん、あの魔法石で俺の一生分か?ふざけた世の中だ」
当番制の検査員を終えた兵士が吐き捨てるように言った。検査時とは打って変わり、だらけた様子で薪木に腰を掛ける。
「まあ、言うなって。お陰で何もせずに稼げるんだ。上手くいけば“積荷分の対価”も上乗せして貰えるかもしれない」
別の兵士が同僚を宥める様に言う。
関所の兵士ともなれば、軍でも精鋭が担当する事が多いが、同盟関係、言い換えれば宗主国たるローマルク帝国軍との国境境に精鋭は配置されないのは、農民ですら知っている。
軍の主力は、厄介な隣人であるバルガン国家群、危険な魔物が跋扈する周辺の未到達地域に振り分けられていた。
日々続く代わり映えのない任務に、兵士は辟易し、腐っていた。
「わかってはいるさ。だがな——」
愚痴話を続ける兵士達を、関所の指揮官が遮った。
「離れたとは言え、獣人は耳が良い。デカイ声で喋るな。それよりも早馬を用意しろ、ラッセン連隊長に伝令を出すぞ。ヴィスロ平野経由の陸路を冒険者の荷馬車が通過する。Bランク3人、Dランク1人、内一人は獣人と伝えろ」
姿勢を正した兵士は了承の返事を返す。指揮官は、返答に満足した様に踵を返すと、そのまま自室へと戻って行く。
兵士達は顔を見合わせた。
「通信魔道具の一つでも欲しいところだな」
「は、遺跡や迷宮からしか発掘されない貴重な遺物だぞ。こんな所に配置などされるかよ。……それよりも俺は検査員だったんだ。当番で馬に乗れるとなると、お前が伝令係だぜ」
ニヤつく同僚を鼻で笑い、兵士は言葉を返す。
「小遣い稼ぎの散歩には丁度いいさ。準戦時下ってのは軍や兵士にとって最高だ」
「本当に開戦したら堪らんけどな。旧ヴィスロ公国の奴らが、私兵を引き連れ帰還すると噂になってるだろ」
殺し合いなど御免とばかりに兵士は両手を上げた。
「何処から出た噂か知らないが、奴らにそんな気配が残ってるのかね。10年も前の締め上げで、目に付く奴らは排除されただろう。仮に生き残りがいたとしても大局は変わらんさ」
「今回の締め上げで、小さな芽までさよならか。ま、巻き添いの冒険者には気の毒な話だ」
「強力なBランクとは言え、あの量の魔法石に対して3人しか居ない護衛は舐め過ぎたな。完全武装の兵士10名程度でお釣りが来る。平時だったら問題無かったんだろうが、運が無い連中だ」
雑談を交わしながら馬小屋へとやって来た兵士達は、馬に手綱と鞍を付け、先程関所にやって来た冒険者とは被らないルートで、目的地を目指した。
【名前】シンドウ・ジロウ
【種族】異界の人間
【レベル】50
【職業】魔法剣士
【スキル】異界の投擲術、異界の治癒力、暴食、運命を喰らう者、上級片手剣B-、上級両手剣B、上級火属性魔法B、中級水属性魔法A、 奇襲、共通言語、生存本能
【属性】火、水
【加護】なし
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