第十五話 対魔討伐派遣隊3
アグロッサは左右に目線を飛ばし、素早く戦場の情報を纏めた。変異種の剣山獣は胴部に3つの矢傷、右半身にバスタードソードによる大きな裂傷、右前足にも突きによる裂傷を負っている。
ほんの15m程度しか離れていない場所で繰り広げられていた、バイザー、ククリア班と剣山獣の戦闘も終わりに近づいていた。剣山獣は、短槍による刺し傷が体中に刻まれ、折れた短槍は胴に2本残っていた。
アグロッサの見たところ、9人の完全武装の兵士の内、3名が負傷しているが装備のお陰で、命に支障は無い。
待機中のメイサの班は、ショートスピアとラウンドシールドを手で保持。ショートソードを腰から吊り下げているものの、殆ど防具を身に付けていない。
無理にこちらの戦闘に加えれば、相手は変異種の剣山獣だ。防具無しでは更なる犠牲者が出る恐れがある。
それに姿を現さない剣山獣の備えとしても必要な戦力だ。決意を固めたアグロッサは、目の前の剣山獣を仕留める事に引き続き、全力を注ぐ。
繰り返される斬撃、射撃を前にしても、剣山獣はその猛威を存分に振るったが、一個体ではやれる事が限られる。
アグロッサ達は5人掛かりで剣山獣の選択肢を潰して行き、対するアグロッサの選択肢は次々と広がって行く。
剣を入れるために、幾たびのフェイントを入れ、剣山獣の猛攻を3人で防ぐ。3人が囮となり猟兵2人の矢を幾本も命中させた。
仲間の攻撃を隠すために、身振り、足音、装備品の擦れる音などで巧妙に意識の集中を裂いて行く。
攻撃は一貫して右側面に対し、回り込んで行われた。剣山獣の傷は右半身に集中していた為、アグロッサはこれを利用したのだ。
5人の精鋭の攻撃を持ってしても、アグロッサは幾たびも反撃を受けた。鎧は正面から側面を横断する形で、五筋の傷が刻まれた。ラウンドシールドも、牙による刺突で中央部に、大きく2つの穴が空いている。
ラウンドシールド越しに、手甲までも大きく傷付けられたが、幸い肉や骨に達する事は無かった。
正面で牙と爪による猛攻を受け止めたアグロッサの鎧と盾は、限界を迎えつつあったが、所有者の肉体を保護するという防具の役割を果たす事はできた。
休む暇も無く続く攻め手に、剣山獣の動きは僅かに鈍り、緩慢になって行き、そしてその時は来た。
サイエンとダスタイヤーの牽制により、姿勢が著しく崩れた剣山獣は実に無防備であった。
突き主体の戦闘を得意とするアグロッサだったが、この時ばかりは筋骨を断ち切る為に、大きく振りかぶり、剣山獣の頭部へと叩き落とす。
巨躯を誇る剣山獣が前足を浮かせたが、既に遅い。自然と笑みを浮かべたアグロッサだったが、息が止まり、背筋が凍る。
仕留められようとしている剣山獣が、まるで人間の様に笑みを浮かべたからだ。
(なんだ——まさか技能)
浮かせた前足を地面に叩き下ろした剣山獣が淡い光と共に発動したのは、土属性魔法に分類される大地よ、牙を向けの亜種——地面が顎門の如く開き、アグロッサの足元を飲み込む。
万全の状態であれば回避も可能であったが、止めを刺すために、アグロッサは腰を落とし重心を下げていた。
通常種でもごく稀にスキルを使いこなす魔物がいる。変異種の場合は、身体能力が著しく高い個体、又は何かしらのスキルを持つ個体が多い。
アグロッサは無意識のうちに前者の個体だと思い込んでいたが、巨躯に加え、スキル持ちの個体であった。
誘い込まれたのか——焦るアグロッサだったが既に遅かった。
剣山獣を中心として地面が割れ、その亀裂に三人全員が飲み込まれた。アグロッサは一刻も早く這い出そうとしたものの、眼前には見下ろす様に立つ剣山獣。そうして前足が揺らいだ。
僅かに遅れ反応したアグロッサは、一撃目をラウンドシールドで受けるが、鉤爪をラウンドシールドに食い込ませられ、器用に剥ぎ取られた。
手に走る鈍痛など、一切消え失せ、アグロッサの脳内は危険を知らせるアラートで真っ赤に染まる。
手甲で爪を受けようとしたアグロッサだったが、振り下ろされた鉤爪が僅かに早かった。
二撃目は、顔面から胴までの範囲を切り裂いた。アグロッサが咄嗟に頭を下げたことから、兜に守られた頭部は無事であったが、左瞼から顎先までを5つに割かれ、悲鳴を上げる。
「う、っあがあぁあ!!」
嗜虐に酔った様に剣山獣は再び前足を上げるが、殺到する矢と短槍にたじろぎ、自身が作り出した震源地を後にした。
「アグロッサ隊長ッ!!」
駆けつけたのは待機していたメイサの班だ。アグロッサを救う為に、所持していたショートスピアを全て投擲していた。
既に、もう1匹の剣山獣の襲撃に備えている状況では無いと判断したのだ。
遅れて亀裂から抜け出したダスタイヤーは、即座に宣言する。
「隊長を下げろ。ここからは俺が正面を受け持つ」
まだ終わりでは無い。そうダスタイヤーは意気込む。メイサ班の6人に加え、サイエンを始めとする猟兵3人も残っている。
隊員達は改めて眼前の剣山獣に全力を注ごうとした時、魔物使いのウルフが反対の茂みを吠えた。飼い主共々戦闘力が低く、若干駄犬が入ったウルフだが、警戒心は人一倍高いのは、隊の全員が知るところだった。
「どうした。何かいるのか」
繰り返し吠えるウルフの意図を察した猟兵の一人が続け様に矢を放つと、茂みから飛び出したのは、剣山獣だった。それも幼獣から成獣へと成長を済ませている。
「冒険者との戦闘で、成獣を迎えたか——」
前後を挟まれた窮地に陥ったかと思われたダスタイヤー達だったが、同時に視界の端に、バイザーとククリアが現れた。
ダスタイヤーは死闘が繰り広げられていた場所に目を向ける。片腕の先を失い、折れた槍先が4つ、頭蓋を叩き割られ、倒れ込んだ剣山獣が見えた。
トドメを刺したのは、バイザーのバトルアックスだろう。バトルアックスの両刃から血が滴り落ちていた。
「くそ、まだ居るのか」
9人いた歩兵のうち、両班長を含めて5人だけだった。戦死者は出ていないが、残りの4人の兵士は地面に倒れ傷口を抑えるか、武具等に寄りかかり、辛うじて鎮座していた。
新手の剣山獣は舐める様な視線を向けながら、変異種の剣山獣へと合流する。
「ラッチェ、犬と引き続き警戒を続けろ。もう居ないという保証はないぞ」
「は、はい」
ダスタイヤーの指示を受けたラッチェは、ウルフの動作を直ぐに読み取れる様に、体を寄せると片膝を立て、残りの膝を地面に付けた。
ラッチェ自身も忙しなく目と首を動かし、警戒するが、見えている全ての箇所が怪しかった。
一時的な睨み合いが続く中、激痛により地に伏せていたアグロッサがゆっくりと立ち上がった。
「隊長——何を!?」
鉤爪により、深々と傷を付けられた顔からは、止め処なく血が溢れる。潰されなかった目も、血に埋もれ、機能を果たしていない。
アグロッサは邪魔だとばかりに、剣を地面へと突き刺し、兜を投げる様に脱ぎ捨てた。
放り出された兜は、けたたましい音を立てながら数度跳ねる。
顔を振り、血を拭うと、腰の雑嚢からポーションを取り出し、顔面へと掛ける。激しい痛みが全身を駆け抜けるが、奥歯で噛み締めアグロッサは耐えた。
続き包帯を雑嚢から取り出したアグロッサは、左顔面を包帯で大雑把に覆い、きつく結ぶと戦列へと復帰を果す。
あれだけの傷と出血で戦闘を続けられるのか疑問だが、アグロッサが普段の半分でも戦闘力を有していれば儲けものだとダスタイヤーは割り切った。
「大丈夫ですか、まだ血も止まってもいませんよ」
「馬鹿を言うな。アレが居るのに悠々と地面でのたうち回っていられるか」
幸い、左の目玉は潰されなかったが、出血により視界は失われている。細かい距離感など掴む事も出来ず、精々、士気を下げない為の銅像の役割と数度だけの盾役が良いところだろう、とアグロッサは自嘲した。
武器を構えた兵士達はじりじりと間合いを詰めて行く。猟兵達も弓の弦を引ききり、渾身の一撃を剣山獣へと繰り出すつもりだった。
アグロッサは地面に落ちた自身のロングソードとラウンドシールドを拾い上げ、剣山獣を睨む。左腕で盾を突き出し、右腕のロングソードは肘ごと大きく引き、突きによるカウンターに特化した構えだ。
息を吸い込み、アグロッサが斬り込みの号令を掛けようとした時、剣山獣がくるりと踵を返し、森へと小走りを始めた。
あれだけ暴れ回り、死を振りまいた剣山獣は用が済んだとばかり、森へと逃走を始めたのだ。
「逃すな!!」
猟兵2人が矢を放つが、木々の間をすり抜ける剣山獣に命中する事無く、虚空に虚しく吸い込まれた。激怒したダスタイヤーは追撃を掛けようとするが、肩をアグロッサに掴まれ、宥められた。
「止めろ。夜の森は奴らの独壇場だ。それにどれだけの人間が追撃が出来ると言うんだ」
狭くなった視界を補う為に、アグロッサは大袈裟に辺りを見渡す。無事な者などほとんど居ない。兵達の満身創痍に加え、槍は折れるか曲がり、盾も半壊している物が多い。
これだけの被害が出て、仕留められたのは、剣山獣1匹とは、つくづく見合わない相手だ。
「村に戻り、西部軍集団司令部に報告だ。既に駐屯地の討伐隊では手に負えない。こうなっては中央軍集団の対魔広域討伐隊に任せるしかない」
ダスタイヤーは悔しさを顔に滲ませたが、完全に敗北だった。
「バイザー、ククリア、サイエン班、周囲の警戒を続けろ。また襲撃を仕掛けてくるかもしれん。メイサ班は負傷者と遺体を焚き火に集め、その後防具を付けろ。まだ、終わってはない。気を抜くな!!」
隊長の命令を受けた兵士達は、弾かれた様に動き始めた。アグロッサは満足したように、大きく息を吐くと血と唾液が入り混じった唾を吐いた。
「これじゃ俺は用無しですか」
「はぁっ——そんな事は、ない。もう限界だ。後は頼むぞ……」
一頻り指示を出し終えたアグロッサは地面に座り込んだ。傷による痛みのせいで頭が痛む、出血により足元も覚束無い。
部隊も俺も手酷くやられた、とアグロッサは戦闘を振り返ろうとするが、許されなかった。
平衡感覚失う様に揺らいでいたアグロッサの片目だったが、アドレナリン切れにより視界は、端から急速に暗くなり、そしてとうとう視界が途切れた。
座り込んだまま、首まで力無く垂れたアグロッサを見て、ダスタイヤーは駆け寄った。
「隊長!?」
肩を掴み、首に手をやる。動脈は血液を送り続けていた。幸い脈は有り、呼吸も続いていた。
冷や汗が引いたダスタイヤーは、アグロッサの腕を掴み肩を組むと、負傷者の一団の中に引きずって行く。そうして隊員の1人に、兵士に治療を命じた。
負傷したアグロッサに代わり、指揮を命じられたダスタイヤーだったが、出来る事は少ない。
このまま周囲の警戒を続けながら、朝を待ち、森を抜ける。ただそれだけだ。
問題と言えば、負傷者が多い事から、移動は嫌でも遅くなる。更に負傷者で手一杯の隊は、遺体を運ぶ事も出来ない。
ダスタイヤーは離れた地面を睨む。変異種の剣山獣が土属性魔法と見られる技能で開けた亀裂が、地面へと広がっていた。
皮肉な事に少し手を加えれば、遺体を全て埋める事が出来る大きさだ。敵に墓穴まで作って貰うなんて、屈辱以外の何物でも無いが、部下に無用な穴掘りを命じる程、ダスタイヤーは非合理主義者では無かった。
「手酷くやられたな……くそッ」
ダスタイヤーは今回部隊が失った兵の補充、負傷者の治療、練度を戻すための期間を考え、溜息を吐く。そうして考えるのを止めた。
ローマルク帝国は、西部の国境線でのアルカニアとの衝突・小競り合いを抱えたまま、剣山獣の流入・襲撃・繁殖の対策に奔走する事となる。