第十二話 納屋と冒険者
村の周辺は薄暗い闇に飲み込まれていた。頂点の月を除けば、心もとない数と間隔で置かれた篝火が暗闇に抗うのみだった。
人の行き来も、談笑も、生活音もしない。小さいとは言え、村の中であると言う事を考えれば、異常の一言に尽きる。
灯と会話が漏れているのは、村長から借り受けた納屋の周りだけだ。
更に一台減ってしまった荷馬車で、納屋をコの字に取り囲む。
焚き火と篝火で照らされたこの納屋が、村唯一の防御施設だ。
村の周囲を囲むように設置された柵も存在はするが、年月を重ねた結果、半ば朽ち果てており、剣山獣どころかオークやゴブリンの侵入を防ぐ事も難しい。
「リブロフスキーの馬車隊は駄目でしたか」
商人のデニスは残念そうに頭を掻く。
村に到着してから一晩が経ち、状況は移り変わっていた。隊商を構成していたハンク、デニス、リブロフスキーの3つの商隊の内、リブロフスキーの馬車が村から離脱した。
「リブロフスキーは仲間が目の前で1人食い殺され、積み荷の件もある。無理も無いな」
顔を歪め、苦虫を潰したようにレラウは歯を食いしばる。
剣山獣の脅威もそうだが、積み荷にも問題があった。
ハンクの荷馬車はヘッジホルグで手に入れた魔法石の売買が目的だ。デニスの荷馬車も食料品の取り扱いはあったが、装飾品、衣服、日用品の方が割合が大きい。
リブロフスキーの荷馬車は食料品の輸送を受け持っていた。小麦に加え、芋類、たまねぎなど比較的長持ちする物が多かったが、それでも限度がある。
大雨による泥濘みに加え、剣山獣の襲撃、雇った冒険者の戦死、決して儲かっている商人の分類では無かったリブロフスキーの財政的な余裕は吹き飛んだ。
心配はそれだけじゃない。
確かにリブロフスキーのパーティも冒険者を一人失っていたが、一番被害が大きかったパーティはレラウのパーティだ。この3日でレラウは仲間の半数を失い、状態は回復に向かっているとは言え、身動きの取れない仲間も二人いる。
リアナが傷口を回復魔法で塞いだとは言え、動けば傷が開き、出血死やショック死の恐れがあった。
目の隈は、疲労と寝不足で相も変わらず黒いままだ。パーティリーダーとして、心身が摩耗している。なるべく休息を多く取らせた方がいいだろう。
「で、シンドウ達は本当に良いのか?」
ローマルク帝国軍の到着までのシフトをどうやりくりするか考えていると、カイエランが言葉を投げ掛けてきた。
「成り行きとは言え、乗りかかった船だ。途中で投げ出すのもな……」
同意する形でリアナが続いた。
「まあ……慣れてますからね」
表情一つ変えずに言ったリアナに、新米のラリーが食いついた。
「あんなのが慣れてるんですか」
「いや、あれよりも酷い目にあったのは何度かあるぞ」
ハンクは過去を回想する様に空を見上げる。とは言え、見上げた所にあるのは、納屋の大梁と小梁、蜘蛛の巣くらいなもんだ。
「どうもジロウが来てから、アタシ達は運が無いんだよね……冗談だって!」
近くにあった拳大の石を拾い上げて、投げ心地を確かめていると、アーシェは慌てて手を振り、冗談だと否定をした。
掴んだ石を地面に転がす。冗談もこんなもんだろう。
間の抜けた冗談で、頃合いだと判断したのか、レラウは自身の太腿をピシャリと叩いた。
音に反応した冒険者の面々の注目が集まったのを確認すると、レラウは仕上げに入った。
「こんなところか、話が逸れたが纏める。やる事はシンプルだ。ローマルクの正規軍の到着まで、村の防衛を行う。村からの報酬は……まあ、せいぜい酒場で騒ぐ程度の微々たるものだ」
納屋の冒険者達は一斉に、罵倒混じりの愚痴を上げる。勿論本気ではない。
「“上品な”冒険者諸君、続きに入るぞ。村全域の警護は範囲が広く各個撃破の恐れが強い為、この納屋を中心に襲撃があり次第、迎撃をする。三交代制でAチームが俺、Bチームがリアナ、Cチームがカイエラン、それぞれ指揮を行う。しんどいとは思うが、気を抜かずに行くぞ」
「「「オォ」」」
深夜という事もあり、控えめの掛け声と小さい返事はなんともシュールだ。こっそり一人で口角を上げ、心の中で微笑した。
あの日の夜、激しい襲撃を見せた剣山獣だが6日経った現在、不思議と村への襲撃は皆無だった。
興味が他に向いたか、単純に“手持ちの肉”で腹が満たされているのか、分からない。
村人からも行方不明者や目撃情報は齎されていない。上げるとするならば村に定期的にやってくる商人が定期的にやって来ないというところか。
日々の暮らしを維持する為に、国軍の到着まで怯え引き篭もる訳にもいかない村人達は、普段通りの仕事に戻っていた。
住民達が落ち着かない様子で農作業に従事するにあたり、村人上がりの冒険者と若い男性を中心とした自警団が畑の周囲に目を光らせる。
主な装備は、私物の短刀に木の棒を括り付けた即席のショートスピア、クワ、斧など、距離が取りやすい物か、普段使い慣れた農具が中心であった。
服も厚着している。布一枚で刺傷を防げる場合もある。微々たるものとは言え、全くの無駄ではないだろう。
村で一番の資金を持つ村長の一族は、ショートソードやラウンドシールドなど、戦闘に必要な最低限の武具は整っていた。
懸命の努力により誕生したインスタント兵ではあったが、張子の虎でも女子供を中心とする村人達には、頼もしく映っているようだ。
実際は3分そこらで作られる即席麺では、専門的で高度なニーズが満たされる筈もなく、“舌が肥えた客”が来店した際には、満足行く対応は望めないだろう。クレームが出ない事を祈るしかない。
その一方で、村長を始めとする一部の村人は、その危険性を理解しており、未だに表情は固く険しかった。
日が落ち、農民達は一斉に家々への帰路に着く。6日で慣れてきたのか、初日のように、村中から明かりと音が消える事は無かった。
片手で首を揉みながら、停車している荷馬車へと足を進める。月は頂点を迎えたところだ。時計が一般化されていない世界では、月や太陽が時間の感覚を伝えてくれる重要な存在だ。
これが時間に縛られて生きてきた社会人にとっては、中々どうして慣れるのに時間がかかる。
良くある待ち合わせで言えば、定番どころは“太陽の頂点や月の頂点“だが、実際のさじ加減は当人次第の為、体感で一時間以上待たされる事もあった。
「アーシェ、リアナ、時間だ」
夜間の見張りが終わり、荷馬車の中にいるアーシェとリアナに交代を告げた。
荷台の中は暗いが、ヒカリゴケの光でぼんやりと輪郭が浮かび上がる。アーシェは四肢を布団代わりのマントに収め、うつ伏せ気味に丸くなっていた。
マントから出ているのは、後頭部と獣人の証で有る獣耳だけだ。俺の声を認識しているようで、ピクピクと耳が動く。
「……おはようございます」
「ああ、おはよう」
アーシェと異なり、寝相と寝起きのいいリアナは、呼び掛けから僅かに遅れて起き上がると、直ぐに身支度を進めた。
「うー、交代?」
「そうだ」
「そっかー」
アーシェは、マントからしなやかな四肢を出すと、目一杯伸ばしていく。
こういうところの仕草は犬っぽいが、本人に言うと小突かれそうなので黙っておこう。
リアナに続き、身支度を終えたアーシェも荷台から飛び降り、納屋へと向かう。
直前まで二人が寝ていたお陰か、荷馬車は多少の熱を持っていた。これなら床冷えが多少マシになる。
手にした投げ槍を荷馬車に仕舞い込む。残りの装備は荷馬車の中で外そう。
縁に手をやり、荷馬車に潜り込もうとした時、別の馬車から声が上がった。
「シンドウか、見張りが終わったのか」
声の発生源は、レラウだった。
「ああ、ちょうどさっきな。今日も不気味なくらい静かだった」
「何もないなら良かった。……そうだ。ちょっと付き合ってくれないか?」
レラウが馬車に踵を返すと、何かを手に戻って来た。
持ち上げられた片手には、薄茶色の液体の入った瓶、逆の手にはグラス二個が握られていた。
「酒か、支障の無い程度だったら喜んで」
「こっちにいい場所がある。と言ってもほぼ隣だがな」
レラウの後を追い、案内されたのは古ぼけた物置の一つだ。村長が所有する納屋とは違い、質素で大きさも小さい。
村人の休憩場を兼ねているのか、農具や藁に囲まれ、木製の椅子と丸机が鎮座していた。隙間風こそ吹くものの、寒さ避けにはなる。
「村長には使用許可を貰ってる。汚さなければいいそうだ」
レラウが椅子に腰掛けた。対面する形で、並ぶ椅子の一つに腰を落とす。
作りかけの木片から判断すると、村人達が自分で机も椅子も作っているようだ。専門職では無いのに、椅子も余計なガタもなく、安心して体重を掛けられる。
「飲めるか?」
レラウから差し出されたのは小振りな透明なグラスに注がれた液体だ。
受け取り、鼻に近付ける。アルコール特有の刺激臭がする。度数はかなり高い。
「……蒸留酒か? 珍しいな」
「ああ、前回馬車に同乗していたヘッジホルグの錬金術師から賭け事の代金として分捕ってやったんだ」
レラウは人の悪そうな顔で小さく笑った。
蒸留する技術・器具・手間が必要な蒸留酒は、醸造酒に比べて高価な嗜好品だ。よほど錬金術師は大負けしたらしい。
レラウは何も言わずグラスを持ち上げ掲げた。俺も返答をするようにグラスを掲げ、一気に口に運ぶ。
焼ける様な感覚を伴いながら、アルコールが食道を一気に抜け、胃に収まる。一息を付き、背もたれに寄りかかる。レラウに合わせ、空いたグラスを机に置くと二人分、また蒸留酒を注いだ。
俺も代わりにワイルドボアの干し肉を机に置く。見張り中に口にしていた夜食だ。腹一杯にはならないが、摘む程度には丁度いい。
レラウは何も言わずに、短刀で肉を薄く切り取ると、口の中に放り込んだ。
切った肉を食べ終え、蒸留酒を少し口に含む。蒸留酒特有の匂いが舌、そして鼻腔に広がっていくが、良い蒸留酒が分かるほど通では無い。ほどほど口の中で楽しんだらそのまま飲み込む。
準備の良いレラウは、腰の雑嚢から塩で炒った豆を取り出した。
レラウからのアイコンタクトで合図を受け取り、短いお礼の後に口に含む。
塩と共に炒められ、程よい塩気と香ばしさが舌を刺激する。
そうして暫く酒とツマミを楽しみ、レラウはようやく本題に入った。
「ローマルク帝国軍に村長の討伐依頼が受理されれば、冒険者ギルドからの討伐隊はまず結成され無いだろう」
「どうしてだ?」
魔物の討伐と言えば、険しい山々や深い森に慣れ、追跡に優れた冒険者がするのが一般的だ。
「シンドウは元々はアルカニアで冒険者をやっていたな。ローマルクでは他の大国に比べて、ギルドの戦力・発言力がかなり低い。殆どが村人上がりの自衛や護衛の冒険者だ。中でもこんな田舎じゃ、高ランクの討伐隊が組めるほどの冒険者はいない。相手が剣山獣ともなれば、尚のことだ」
冒険者ギルドの影響力を嫌ったものかもしれないが、冒険者無しで魔物の討伐までこなす余力と戦力を、ローマルクは有しているらしい。
レラウは自分を納得させる様に言葉を続ける。
「俺は護衛の冒険者だ。雇い主の為ならば全力を尽くすが、捕捉や討伐は専門外だ。非情な言い方かもしれないが、俺たちはローマルクの兵士じゃない」
勝手の分からぬ森の中で、剣山獣クラスの魔物を相手にした結果は、考えるに難しくない。
「しかし、あんなに死ぬとはね……22人いた冒険者も9人だけだ。敵討ちもできず酒を飲んで後悔を口にする。俺は駄目だな」
肩を竦めたレラウは、グラスに入った蒸留酒を一気飲みした。
パーティリーダーとして、雇い主にも仲間にも愚痴を零せないのだろう。そして責任のある立場として仲間の敵討ちを果たしたかったのかもしれない。
俺も合わせて中身を呷る。食道から胃を蒸留酒が一気に駆け抜ける。
学生時代のテキーラやウィスキーの飲み比べが脳内でちらつく。分別を弁えれば、馬鹿正直になるには丁度いい儀式だ。
「……気休めに聞こえるかもしれないし、他の奴がなんて言うかも分からないが――俺にとっては良い指揮だったよ。あそこで、ああしていれば、もっと注意を払っていれば、後出しでなら幾らでも言える」
「……そうか」
ボトルに手を伸ばしたレラウは2人のグラスに、なみなみと蒸留酒を注いでくれた。
「何か有った時に、酔っ払って動けないでは洒落にならないな。このぐらいにしておこう」
今度は一気に飲まずに、四分の一ほど喉へと流し込む。ゆっくりと息を吐き、視線を下げる。
グラスを覗き込むと、半透明で茶色がかった表面がゆらゆらと机に乗せられたランプで照らされる。なんとも苦々しい味だった。