第十話 静寂な森
今年も残り五分になりましたが、良いお年を
太陽が地平線から姿を消し、襲撃から二度目の夜が訪れた。
日中警戒に当たっていたリアナと変わり、仮眠を取ったアーシェが屋根に上がっている。
俺も荷台から警戒を行う。そうは言っても鬼人や獣人の特定種ほど夜目が効くわけでも、鼻が効くわけでもない。
俺が頼りなのは、荷馬車の外に吊り下げられたうっすら光るヒカリコケのランプのみだ。
ヘッジホルグを出た時は、1個しかなかったランプもリアナの丹念な飼育が身を結び、2個までに増えていた。
あるかどうか知らないが、将来はヒカリゴケの生産農家にでも転職すればいいかもしれない。
下らない妄想を頭の隅に追いやりつつ、直ぐに行動が取れるように片膝を立て、暗闇を見つめる。
通り過ぎてきた道は、森を縫う様に曲りくねり、カーブの先は暗闇に紛れて、視認することができない。
代わり映えのない風景がひたすら続く。見張りや待ち伏せは継続的に集中力を使うので、慣れていないと直ぐ疲れてしまう。
バスタードソードを軽く撫で、続いて投げ槍、腰に下げた投げ斧、シースに収まった投げナイフを触っていく。
どの武器も共通して、ひんやりとした金属特有の冷たさが指先から伝わってくる。
剣山獣やここまでの道中で出た魔物のせいで投擲物は減っているが、後2戦ぐらいならば持つ量はある。
視覚だけではなく、聴覚も懸命に働かせる。森は死んだ様に静かだ。馬の蹄が地面との擦れる音、がたがたと荷馬車の車輪が軋む音、直ぐ背後からのリアナの寝息くらいしか聞こえない。
荷馬車の幌に掛けてある袋から干し肉を一切れ取り出し、歯と指で千切る。塩で良く漬けてあり塩辛く、木片の様に硬い。
ヘッジホルグ共和国で仕留めたワイルドボアの肉だ。近年稀に見る大物であり、投擲で急所を貫かれた後も暴れ回ったせいで、槍を1本駄目にされた。
こちら側に来て初めて食べた時は、ワイルドボアは獣臭くて食べれたものではなかったが、今ではワイルドボアどころか、剣山獣を生で食らっている。もう少し好き嫌いがあっても良かったのに、“厄介なスキル”だ。
長時間座りっぱなしで、血流が止まらない様に足を組み替え、再び細かく千切った干し肉を口へと放り込む。
「停車するぞ!!」
3枚目を完全に食べ終わる頃、レラウの声で車列が止まった。
荷台から飛び出し、周囲を睨む。怒号も戦闘音も聞こえない。
「襲撃? いや、それにしては――」
「はい、静かです」
荷台から顔を覗かせたリアナが言った。停車に反応して飛び起きたようだ。
横目で確認すると、寝起きで衣服が乱れたせいか、緩やかな丘陵を持つ胸元が、露出しそうになっている。
不自然じゃない程度に目線を逸らす。こんな時に馬鹿か俺は——
「装備を整えますので、警戒をお願いします」
「あ…ああ、任せろ」
俺の返事を得て防具を身に付け始めた。手際が良く、軽装のリアナならば20秒もあれば十分そうだ。
「アーシェさん、何かわかりますか?」
手甲、胸当てをつけたリアナは具足の紐を結びながら尋ねる。
「微かに、左の路肩から光が見えるよ。多分だけど、焚き火かな」
剣山獣は恐らく焚き火はしないので、少なくともヒト型だ。
「もう大丈夫です」
きっかり20秒で装備を整えたリアナが俺の肩を叩いた。
「後は頼む。俺は先頭に行ってくる」
木々と馬車の隙間を抜ける関係上、投げ槍は邪魔だ。馬車の荷台に立て掛け、バスタードソードの柄を握り込む。
僅かな抵抗の後に鞘から抜けたバスタードソードを中段に構え、足を進める。
上段、下段の方が力を込めて剣を触れるが、暗闇に加え幅が狭い場所を抜けるとなると、中段で進むのがベターだ。
馬車が6台もいると、夜間での衝突防止の車間距離も手伝ってなかなかに長い。
停車に警戒して、荷馬車に乗り込んでいた冒険者達が車外にいた。全員が抜き身の獲物を掴み、臨戦態勢で殺気立っている。途中の馬車を一台一台確認するが、全員無事で異常は無かった。
先頭の荷馬車には、複数の影が揺れていた。
「レラウ」
「シンドウか、ここだ」
松明を持ったレラウが暗闇から浮かび上がる。その後ろには6人の人影が見えた。
剣や斧で武装した男女、間違いなく冒険者だろう。その後ろの3人は、遠目に見える仕事道具から察するに、馬車を直すための大工か――
バスタードソードを構えながら近寄った為だろう。男女達はギョッとした様子で目を見開く。
「いきなり剣で挨拶とはあんまりじゃないか?」
冒険者の1人は非難するような口調だ。
「すまない。敵意があるわけじゃない」
剣を構えながら男が近づいて来て、敵意が無い、と言うのも無理はあるが、落ち着いているレラウを見て、冒険者は肩の力を抜いた。
「分かった。で、そちらの冒険者はどういう経緯で、こちらに?」
レラウが代わりに返答をしてくれた。紹介と説明に入ったレラウの横で、バスタードソードを鞘に納めた。
「名前はシンドウだ。事故の後に更にもう1パーティ商人が来たんだ。聞きたいことも話したい事もあるだろうが、単刀直入に話す。俺達は複数の剣山獣に襲われ、半数以上の冒険者を失った。どうにか逃れる事が出来たが、まだ剣山獣は残っている。ここも安全とは言い難い。村まで戻るから、直ぐに身支度を整えるんだ」
レラウの言葉を飲み込めない6人は、辛うじて言葉を絞り出した。
「剣山獣……? Bランクの魔物の剣山獣か!?」
「は?、えあ、じょう、冗談か?――ッロウは?カイエランは?ウェイバーは?パパラは?」
「ロウは重症、カイエランは無事だ。ウェイバーとパパラは亡くなった。……本当に、時間がないんだ。こんなことになって訳が分からないとは思うが、今は村まで戻るのが先決だ。わかってくれ」
「……ああ、直ぐに支度をする」
村から来た大工も護衛の冒険者も困惑し、答えを求める様に、レラウと俺を見る。
ゆっくりと首を振ると、ようやく事態を飲み込めた護衛の冒険者は、大工の腕を掴むと駆け足で野営場所へと戻る。
「い、急げ。アンタらも荷物も纏めろ。剣山獣!?まじかよ。冗談じゃない」
焚き火に照らされ、慌てる大工と冒険者が浮かび上がる。馬に荷物置きの機能も併せ持つ、荷鞍を付け、広げていた装備品や道具を放り込んで行く。
休んでいた馬は起こされたせいで、不満そうに蹄で地面を削り蹴った。大工や冒険者は、火を松明に移し替え、焚き火を土をかけて消す。遠目にだが、火は完全に消えたようだ。
慌て過ぎていたが、撤収は素早く完了した。撤収までの安全確保の為に、俺達は周囲を血眼になって警戒したが、かえって大工や護衛の冒険者を慌てさせた様だ。
「配置はどうする。中央か?」
増えた6人を何処に入れるかレラウに尋ねる。有力な冒険者の騎兵であるなら鈍重な荷馬車に代わり、先頭で前衛か、最後尾で殿も理想的だが、レラウの仲間を除けば、怯えた大工と日雇いの冒険者だ。どちらの役も無理がある。
「ああ、中央だ」
「分かった。俺は戻って隊列の奴らに、事情と出発を知らせて来る」
駆け足で隊列に戻り、荷馬車に情報を伝えていく。仲間の無事を祝う言葉や短い応答が繰り返される。
レラウが先頭の馬車に戻り、短い合図と共に、隊列は走り出した。俺は道の脇で控え、合流した奴らに声を掛ける。
「大丈夫、隊列の中央は一番安全だ」
「そ、そうだな。剣山獣と言え、まだこれだけ冒険者が居るんだ。大丈夫だな」
大工は自分を落ち着かせるように、繰り返し、呟く。他の大工達や護衛の冒険者も似たり寄ったりだ。
落ち着かせる為に一番安全とは言ったものの——実情を言えば間延びした隊列は側面からの攻撃にひどく脆い。襲撃されれば先頭や後尾とそう変わりはしないが、わざわざ教えてパニックになられても困る。
レラウの仲間はそんな状況を理解しているのか、気休めの言葉に引き攣った笑みで答えていた。
商隊が前進を始め、大工達も列に加わった。通り過ぎて行く馬車を見送りながら警戒を続ける。お目当の荷馬車も直ぐに現れた。
ハンクに手を振り合図を送る。荷馬車は速度を緩めたが、停止することは無い。荷馬車に追走する形で小走りする。縁に手をかけ、荷台へと上がる。中ではリアナが無言で手を伸ばし、拾い上げてくれた。
「ありがとう」
「いえいえ」
短い御礼の投げ返しを済ませ、床へと腰掛ける。骨組みの壁に紐で吊り下げていた水筒を掴み、そのまま喉に流して行く。
眠気覚しに、顔にも水を掛けようとしたが、横から伸びた手に阻止された。手の持ち主はリアナだった。
「どうした?」
何故水を掛けるのを止められたか分からず、リアナに尋ねる。
「水を掛けたら目が覚めてしまいます。私はもう十分に睡眠を取ったので、シンドウさんが寝る番です」
そうは言っても時間にして2時間半程度。急停車で起こされたので、もう少し短いかもしれない。
「いや、でもな……」
「リアナがそう言ってるんだから、大人しく寝た方がいいよ」
俺よりも歴が長い冒険者の言う事も無視できない。実際、かなり疲労と眠気があるのも事実だ。
水筒の蓋を閉めて、壁へと戻す。
「助かる。ありがとう」
御礼と同時に装備を外す。身に付けていた物が減るたびに、圧迫感が無くなり、身体が軽くなる。
床に倒れ込むように寝転び、マントを枕にする。意識が途切れ、熟睡するのに、時間はかからなかった。