第八話 真夜中の遠吠え
大人しく帰ってくれれば、助かるのだが、食いしん坊な奴らはまだ諦めていない。
夜風によるものか、剣山獣によるものか時折、茂みが揺れ、落ち葉や枝を踏み潰す音が聞こえた。
複数匹いるらしく、同時に物音がする。何より発生元もばらばらで、周囲のあちらこちらに注意を払わなければならない。
(今度は逆側――品定めでもしているのか?)
剣山獣は馬車の周囲を徘徊して、こちらの様子を伺っていた。
見張りをするときは、視点を一箇所に固定するのではなく、全体を見る。景色に違和感を感じたり、何か動いていれば、気づく事ができる。
問題は、集中力の維持で、長時間、これを続けられないということだ。
狩猟を得意とするアーシェは、こう言った監視や待ち伏せを、集中力を切らさずに根気良く続けられる。
最初の襲撃から二度目の襲撃は、二時間ほど時間が空いた。次の襲撃は何時になるか――
草木が揺れるたびに、構えた投槍を投擲したくなるが、探り投げで当たるほど、残った敵は甘くない。
“食事”をしたとはいえ動悸や空腹など《暴食》による影響は残っている。まだ、十分に食欲が満たされていないのかも知れない。
「なあ、誰か、食べ物を持ってないか?」
この非常時に何を言っているんだ、とは自分でも思う。周囲には、剣山獣の死骸が転がり、人と魔物の腸が、湯気と悪臭を放っている。
《暴食》が発動しなければ、吐き気を抑えるので精一杯だっただろう。それが今では唾液を飲み込むのに必死だ。アレ以上は、剣山獣を食いたくはない。
「……乾燥芋でいいか?」
戦闘中、奥で震えていた使用人が、片手いっぱいの干し芋を差し出してくれた。
「ありがとう、助かる」
保存食用に徹底的に水気を抜いているのか、一般的な干し芋と比べても、とにかく固い。
繊維を歯で潰し、飲み込む。芋特有の甘みが口の中に広がるのと同時に、水分を持って行かれる。
「はは……干し芋で助かるなら大儲けだ」
なけなしの虚勢を振り絞った使用人は、掠れた声で引き笑いをする。
「ふふ、そうだな。干し芋や干し肉で助かる事は多々あるからな」
「……?」
干し肉をくれたアルフレート元気にしているだろうか、もう遠い昔のように感じる。
使用人は負傷者と非戦闘員が集まる焚き火の中心部に戻って行った。最悪、突破されてもハンクと使用人が僅かながらでも時間を稼げるだろう。
それに重傷者には悪いが、回復魔法で治療中のリアナも戦闘に回れる。1人で一角を守る俺よりも、戦力は充実していた。
手の平の干し芋を1枚1枚味わいながら飲み込む。
8枚か9枚目の干し芋を噛み始めた時、草木がざわつき、折られた枝がパキパキと悲鳴を上げる。続く咆哮が襲撃を知らせてくれた。
乾燥芋をくれた使用人に謝りながら、口の中に残る乾物を吐き出し、身構える。
「一匹、来たよ!」
「こっちもだ」
アーシェ、レラウがそれぞれ担当する角に、剣山獣が襲いかかったのだ。
直ぐに戦闘が始まった。今の所、剣山獣は二匹のみだが、戦闘時の情報を纏めた結果、少なくともあと二匹はいる。
自分の担当する角に意識を向けていると、真横の森が揺れた。暗闇から音を伴い、影が複数、飛び出す。
「新手だ!!」
警告を促す、隣のウェイバーとエバートも気付いたようだが、悲壮な声が森に響いた。
「二匹は釣り出しだ。ラッシュをかけてき、うぁっあ、あああ゛」
「ウェイバー!!」
均衡が崩れるのは一瞬だった。ウェイバーの体は殺到する剣山獣により、覆い隠され、見えなくなる。
(三匹同時!?)
三匹もの剣山獣の正面に立つことになったウェイバーは、なす術もなく地面へと倒れた。
致命傷を防ごうと前に突き出した両腕は、噛み砕かれ、上がることなく、裂かれた喉からは血が流れ出る。エバートも襲われ、腕の一部と防具を抉られたが、戦闘は可能だ。
幅広なラウンドシールドが幸いして、致命的な一撃を防いでいた。
ウェイバーを踏み越えた剣山獣は、他の冒険者を蹂躙するべく、歩を進める。
(位置的には、次は俺か)
魔力は枯渇寸前だ。派手な威力の炸裂型の投擲物は投げられない。貫通型もガス欠により威力不足だ。あとは燃費の良い小規模な魔法のみとなる。
火属性魔法は詠唱時間から現実的ではない。よって残るは水属性魔法だが、頑丈な肉体を持つ剣山獣に、致命傷を当てられるような水属性魔法は、覚えていないし、使えない。
(悩むな。時間が無い。牽制くらいにはなる)
詠唱を開始し、予め地面に刺したバスタードソードを尻目に、槍を小さくコンパクトに投擲する。
命中しても致命傷になり難いが、モーションが短い分だけ避け辛い。飛来した投げ槍の槍先6、7センチが剣山獣の胴に突き刺さる。
あの毛むくじゃらのガチムチ体型を考えれば、臓腑までは達していない。かえって剣山獣の闘争心に油を注ぐ形となったが、槍が突き刺さったまま向かってきたため、槍が邪魔して幾分か足が鈍る。
引き抜いたスローイングナイフを左右の手で1本、2本と続けて投げる。1本目は、前足の根元に突き刺さり、短期的には効果がなかったが、2本目の眼球に突き刺さった投げナイフは、剣山獣を悶えさせ、一時的に足を止める事に成功した。
(このまま続けて――ダメか)
のたうち回る剣山獣に追撃を掛けようとするが、都合良くは進まない。残る剣山獣二匹が、俺へと突進を開始した。
地面に刺さるバスタードソードを引き抜く。腕をしならせ、抜いた勢いそのままに、左から右に振り斬る。刃を避けるために一匹は急停止したが、もう一匹は、足を緩めるどころか、加速して迫る。
横向きになった手首を返し、上段へと持ち替えたバスタードソードで迎え撃とうとするが、その心配は要らなかった。
振り下ろされた槌矛が剣山獣を捉えたからだ。
「援護に来たぞ」
カイエランの槌矛で、鈍い音と共に左肩を抉られ、怒りに溢れた鳴き声を剣山獣は上げるが、短槍がその抗議を却下した。
伸びた槍は、二度、三度と突き繰り返され、間合いに剣山獣が飛び込んでこれないように牽制を続ける。
短槍の使い手は、駆け出し冒険者のラリーだ。槍さばきは、褒められたものではないが、突きの威力は、充分だ。
「ラリー、そのまま突き続けろ!!」
「は、はいィ!!」
隙をつき、ラリーに飛び込もうとする剣山獣をベテランのカイエランが見事に封じている。
残るは二匹と思ったが、眼球に投げナイフが突き刺さった剣山獣は、リブロフスキーの冒険者達が引き受けてくれたようだ。三人がかりで、防御と牽制を行っていた。
(リブロフスキーの隊か――まじかよ。他の二角は空っぽか!?」
こうなると他の角はガラ空きとなるが、俺、ウェイバー、エバートがやられれば、どの道、総崩れになると判断したカイエラン達が、持ち場を放棄して増援にきたようだ。
ベストな判断だったかは、これから次第だが、俺にとっては、これ以上ないタイミングだ。
更に一、二匹が仕掛けてくるかもしれないという疑惑も浮かんではいるが、どの道これ以上は対処のしようが無い。
リスクに目を瞑り、頭の片隅へと追い込む。残る剣山獣と対峙する。横薙ぎのバスタードソードを回避したやつだ。
手緩いはずも無い。間合いを詰めてくる剣山獣に対し、突きを繰り出し、素早く引き戻す。ラリーの真似では無いが、近寄らせないのは重要だ。
剣山獣と言えど、全ては回避できない。直撃は無いが、それでも剣先が肉へと食い込む。
やはり斬り辛い。
距離を開ければ投擲物が待っているのを理解しているらしく、容易には投げナイフを抜かしてはくれない。
既に魔法の詠唱は終わったが、水属性魔法では決め手に欠ける。使うとすれば距離を稼ぐか、牽制目的にだ。
突きに混じり、逆袈裟斬りや横薙ぎで一撃を狙うが、上手く躱された。
強靭な四つ足が無理な姿勢や動きを可能としている。重心も低く剣が出し辛い。
(動き方を変えてきたな)
羽交締めにできないと悟った剣山獣が、爪や牙で、手足の関節を狙ってくる。
どうしても避けきれない攻撃を、剣で押し返し、時には具足と手甲で受け止める。マントの一部や服が爪により、引き裂かれた。
攻防を繰り返す中、突きの引き戻しと共に、懐へと剣山獣は飛び込んできた。
(入り込んできた)
俺も小さくバックステップをすると、引き戻したバスタードソードを斬り下す。当たる寸前で巨体を転がし、避けた剣山獣との距離は、手で触れられる距離だ。
剣を更に横薙ぎに払うか、水属性魔法を放つか、幾つかの選択肢が頭に浮かぶ中、猫科特有の大きな耳が目に入った。
完全に思い付きだ。意識を左手に集中させる。そうして詠唱を終えた水属性魔法を放った。
「水弾よ敵を薙ぎ払え」
高圧の水球が剣山獣の頭部、とりわけ外耳へと殺到する。耳道を通して、高圧の水が内耳を荒らし回したのだろう。
剣山獣は、手足をばたつかせて陸の海を泳ぐ。懸命に立とうとしているのは明らかだが、虚しく虚空と地面を鉤爪で掻くばかりだ。
鼓膜は破られ、三半規管を激しく損傷したに違い無い。猫科の三半規管は、高性能ではある反面、敏感だ。あんな圧力で水が殺到したら人間ですら耐えられはしない。
(貰ったァア!!)
最後の反撃を警戒しながら詰め寄り、暴れ苦しむ剣山獣に向け、バスタードソードを振り下ろす。
十分に勢いが乗った刀身は、頭蓋を斬り破り、頭部を斜めに横断する。暴れていた剣山獣が糸が切れたように動かなくなった。
念のために、もう一撃、喉にバスタードソードを突き入れ、完全に息の根を止めるために捻る。裂いた喉から血が溢れ出た。一切反応をしないところを見ると、初撃で息絶えていたに違いない。
先ほどと同じ轍を踏まぬように、注意深く周囲を確認するが、増援の剣山獣は見当たらない。これで打ち止めだったようだ。
バスタードソードを左手に持ち変え、右手でスローイングナイフを抜く。グリップの握りを確かめるのもそこそこに、リブロフスキーの冒険者が担当する剣山獣を目掛けて、投擲をする。
《奇襲》の効果もあり、後ろ脚の腱に刺さった投げナイフの効き目は顕著なものだ。踏ん張りが利かなくなり、細かい動きの止まりも動き出しも渋い。更に三人の冒険者の攻撃を避けるために、動き回れば、腱の傷口が広がり、更に動きが鈍る。
「残る足を狙え、一撃で倒さなくていい」
「皆、聞いたな」
腰が引けながらも三人の冒険者は、脚を執拗に狙い、引裂き、叩き潰していく。
最初は期待していなかったが、動きがいい。近いうちに、EランクからDランクに昇格するかもしれない。
注意が逸れた瞬間に、残り少ないスローイングナイフを投擲する。
歯が横向きに刺さった投げナイフは、肩の関節、肩甲骨と上腕骨の間に突き刺さり、剣山獣を転倒させた。
四つ足のうち、無事な脚は既に無くなった。後ろ脚は骨と筋を突かれ斬られ、前足は大型の槌矛により、あらぬ方向に折れ曲がる。
動きの取れない剣山獣を三人は、仕留めに掛かった。
手足を潰され、地面をのたうち回るように転がる剣山獣に対し、槍を突き入れ、槌矛を叩きつける。
繰り返される斬撃と打撃に、ピクリとも動かない。
戦況はこちらに傾いていたが、決め手は、アーシェの一太刀だ。
ラッシュを掛けた三匹とは別に、単独で乗り込んできた剣山獣は、行動に釣り合うだけの頭脳と体を有していた。
繰り出される大剣の剣圧に怯むことなく、鉄の暴風をくぐり抜け、アーシェに爪と牙を向ける。
対するアーシェもフェイントを織り交ぜながらも、正面から迎え撃った。
俺も手負いの剣山獣で手一杯で、最後の一撃だけしか視界に入らなかったが、最後はタイミング悪く踏み込んだ剣山獣が、大剣を口に受けると、そのまま下顎より上を飛ばされた。
お互いの速度と体重が、それぞれ口と大剣の先で衝突した一撃は、剣山獣の身体を死後も数秒、四つ脚で立たせたままにするほどの斬れ味だった。
残るはラッシュ組の一匹、レラウが足止めをする一匹だけだ。
この二匹を仕留めたら、片がつく。
「アーシェ、他のメンバーと正面を頼む、俺はレラウの方を殺る」
剣山獣の血がこびり付いたバスタードソードを一振りし、そのまま駆け出す。切れ味は万全の状態に比べれば悪いだろうが、十分に切れる。
例え、それで剣山獣の筋骨を断ち切れなかったとしても、斬殺から撲殺に変わるだけだ。
走る俺はある音を捉えた。アーシェもリアナも冒険者も商人も同じ様に聞こえたはずだ。決して大きな声だった訳ではない。
乱戦の中であったら埋もれても可笑しくない大きさだ。それでもその遠吠えは、良く響き良く通った。
「なんだ、アレは……」
それまで引くことを知らずに暴れ続けてきた剣山獣が、遠吠えがした森に向かって一目散に走り去っていく。
あまりの引きっぷりに、追撃を躊躇ってしまう。いや。この場合は躊躇って正解だった。
焚き火により、うっすら闇夜から浮かび上がるのは、この夜で見慣れたはずの剣山獣だ。四つ脚に上顎から鋭く伸びる牙、猫科特有のしなやかで強靭な筋骨。そんな剣山獣のはずなのに違和感しかない。
今までの個体と違いを挙げるとするならば、二つ、胸の毛が薄い桜色に変わっていること、もう一つは馬鹿みたいにでかいという事だ。
一際なんて可愛いもんじゃない。文字どおり大きさが倍違う。
随分と長く生きた個体に違いない。身体だけではなく、これだけの冒険者に殺意を向けられながらも動じる様子はない。
どちらかと言えば、慢心などの類いではなく、場数と経験をこなし得た、経験による落ち着きに感じた。
逃れた剣山獣が新手の剣山獣へと擦り寄る様に近づく。まるで行動も大きさも子猫と親猫だ。
誰かが息を飲むのが聞こえた。ジリジリと足を後退させ、他の冒険者達に合流をする。
気を利かせてくれたハンクが焚き火近くの地面へと突き刺していた投斧を手渡してくれる。
バスタードソードを地面に突き刺し、投斧を握る。距離は直線で20m。十分に有効距離ではあるが、あの老虎に対して必殺の一撃とするには、まず足りない距離だ。
かと言って、近づき投擲すれば必殺の可能性は高まるが、急所を外した際に待っているのは、老虎との乱戦。
老虎も警戒をしているのか、身構えたまま動かない。
時間にすれば10秒足らず、老虎は興味が失せたと言わんばかりに踵を返すと、残った2頭を連れて森の暗がりへと溶けていった。
「逃げた…?」
今回の群れの主か、若い剣山獣の親かは知らないが、勝手に戦わせて勝手に連れて帰る。放任主義もいいところだ。
ここまで荒らし回った剣山獣をみすみす見逃すのか、という思いは全員一致していただろう。
「逃げたぞ!?」
「追わないと……」
「いや、止めとこう。確かに好き放題に暴れてくれたけど――問題は、アレを討伐するのに、ここから何人、残る?」
守備で残るという意味でないのは即座に理解できた。あの老虎を追撃して何人生き残れるかだ。20名を超えていた冒険者で立っている者はもはや僅かに8人。
馬車を盾代わりに利用してこの結果なのだ。闇夜と森のアドバンテージを持つ剣山獣相手に、追い打ちをかける程、無謀な奴はいなかった。
結局、レラウの判断により、防御を固める案で一致した。防御を固めると言ってもあり合わせの木材や石で膝下程度の防壁を一面に作るくらいが関の山だ。
配置も角を放棄し、中心部で方円陣の構えになった。これで再度襲撃を仕掛けられた時には、負傷者や非戦闘員も巻き込みかねないが、既に角を維持する人数はいない。
リアナが傷口に手を当て、回復魔法を使い始めた。
「光よ彼の者を救え」
「い、つぅう」
致命傷は受けなかったエバートだが、三匹の剣山獣に襲われたせいで、全身切り傷だらけだ。
重傷者の2人は汗を滲ませながら寝込んでいた。寝るというよりは意識を失ってるが近いかもしれない。
「交代で休憩しよう。シンドウ、少し休んだ方がいい」
「いいのか?」
「ああ、僕は最後でいい。次はアーシェだ」
「レラウ隊長、俺も休みたいぞ」
カイエランが冗談交じりに抗議するが却下された。
「僕も休みたいのは山々だが、順番がある。カイエランは2人で戦闘していたんだから、我慢してくれ。アーシェとシンドウが先だ」
「ありがとね」
アーシェが礼を言うとレラウははにかむ。
「本当はレディファーストと言いたいけど、シンドウの足が振動しそうだからね」
「「「……」」」
疲労も手伝い、レラウの冗談を誰も拾うことなく数秒が過ぎた。
「し、シンドウ、早く休んどけ」
気まずさを払う為に、ハンクがフォローに回り、俺の腕を引っ張った。
予備の投槍を地面に突き刺し、スローイングナイフを右手に握りしめ、目を閉じた。
左手を枕にし、身を縮める。アドレナリンで無理矢理疲れを忘れていた脳が、疲労を思い出したらしく。意識は直ぐに落ちた。
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