第二話 国境線
自国と外国、この二つを遮る一つと言えば国境線だ。島国であれば海、陸国でも河川、交通の要衝、天然の要害などで分けられる事がおおい。しかし、国全体がそう言った場所で区切られるはずも無く、ただの平地に杭を打ち、国境線とする場合もある。
「進めど進めど同じ様な景色だなぁ」
この辺りは、ローマルク、ヘッジホルグの境界線ではあるが、風景はそう変わりはない。それどころかほぼ同じと言える。
この2カ国の境目と言えば、主要な道を石積みの防塁で別け隔てているだけだ。
「関所が見えたよ!」
アーシェが馬車の屋根から荷台へと滑り落ちてきた。狼の獣人だが、猫の様なしなやかさだ。
関所を確認する為に半身を乗り出したリアナが言う。
「あれが関所ですか、なんと言うんでしょうか、想像していたよりも……」
「ボロいな」
「はい、ボロボロですね」
行路や主道ともなれば、高い塀と深い堀を備えた砦、数百人単位の守備隊が張り付いているものだが、俺たちが通ってきたのは、辛うじて踏み固められたような小道だ。
前方に見える関所は、通っている小道の規模相応の防御施設と言われれば納得はできた。
2メートル程度の石塁に、木製の扉は縦と横方向に鉄板が等間隔で埋め込まれ、小規模ながらも監視台まで備え付けられている。石塁の前の広場では、数人ずつの兵士が思い思いの場所に立ち、注意深くこちらに目を向けていた。
ところどころ苔も生えているとはいえ、門を閉じて籠城すれば、同数程度なら簡単に追い払う事ができるだろうか――
「なぁ、ハンク。ローマルクはどういう国柄なんだ?」
「そうだなぁ。一口にローマルクと言ってもレネディア大陸最大の国だ。国の端と端とじゃ異国の様に景観が違うぞ。装備を見ても分かるだろうが、ローマルクはその豊富な資金と人材、張り巡らされた交通網のおかげで、技量差や装備差が小さい」
実際、ハンクの言う通り歩哨達の装備は、リュブリス攻防戦で見たローマルク軍の物と同一だ。これがアルカニアやヘッジホルグでは目立つ鎧などは似せて作ってはいるが、細部まで見れば異なる部分が多い。
「つまり、同一の大量の装備品を作るだけの技術と資源、それを運ぶ手段があるってことか?」
「おお、そういう事だ。才覚ある英雄集団、有能な魔法使いを生み出す機関、卓越した技術力、人間離れした種族がいる訳でもない。なのにローマルクが強いのは、ひとえに道によるものって言われてるな。整備された道のお陰で必要な物を、必要な時、必要な分、必要な場所へ移動させる事が出来る。それが資材であり、食料であり、兵隊でもってな」
「ローマルクの初代皇帝からの思想でしたよね?」
馬車の奥で話を聞いていたリアナが確かめるように言う。
「ああ、大したもんだよ。こんな一大貿易路を作っちまうんだ。人が流れる場所には金も物も集まるからなぁ。他国も真似をしてはいるが、続いて上手くいったのは、領土の小さな商業国家リグリアぐらいなもんだ。他国は、限定的な効果ばかりでうまくいってない」
まるで物流の基礎を聞いているような話だ。話だけなら簡単だが、国を横断する道を幾つも作るには、途方も無い時間と資金が必要なのは素人にも分かる。
「そろそろ近くなって来たからお喋りはおしまいだ。準備しとけ」
いよいよ馬車が関所に近寄ると、短槍を持った三人の兵士が片手を突き出し、馬車を制止した。
「そこで止まれ」
馬車が停止したのを確認した兵士達のうち、二人が馬の横まで足を進めて来る。
「おーい、アーシェ。馬を頼む」
御者台上からでは印象が悪いからか、アーシェに手綱を渡したハンクは、御者台から地面へと飛び降りた。
「何か身分を提示できるものはあるか?」
「ああ、俺は商人ギルドと冒険者ギルドのカードが、後ろの三人も登録済みだ」
「四人ともカードを見せられるか?」
本来なら、集めて渡したいところだが、ギルドカードの紛失は、冒険者にとって最も避けるべき一つだ。
一人ずつ各々の保管場所から金属製のプレートを見せていく。殆どの冒険者は首からチェーンで提げ、服の中に押し込み保持している。
この方式ならば無くすことはまずない。盗難などを除けば、それこそ首が取れるや体がバラバラになるなど、冒険者が死亡する時ぐらいだ。
三人が終わり、最後は俺の番だ。胸から提げた鎖を引っ張りだし、続いて首からチェーンを外して、鎖部分を握り締めたまま、兵士に見せる。体の熱で暖められていたのか妙に生暖かい。
ギルドカードを指先で摘み、裏表を一通り見た兵士は、納得した様にギルドカードから手を離した。
「特に偽装じゃなさそうだ。冒険者を掛け持ちの商人か——後ろの三人も冒険者だな」
片割れの兵士が勿体無いとばかりに言った。
「しかし、Bランクが三人? 馬車一台に随分と豪華だな」
個人商人の馬車では、EランクやDランクの冒険者が警護を受け持つのが一般的だ。5、6台の馬車を持つ商隊クラスでもC、Bランクをリーダーに据えたE、Dランク混在の護衛が多い。
未到達地域などの危険地帯、治安が著しく悪い場所なら兎も角、長らく戦争も重大な脅威となる魔物が居ない地域では、Bランク三人も警護に使うのは、明らかに過剰と言える。
「昔馴染みが多いもんで、全員が友人であり仲間だ」
「ふーん……そうか」
幼馴染の冒険者や仲の良い冒険者でグループが形成される事は特段珍しくも無いのか、兵士の質問は次へと移った。
「入国の目的は?」
「バルガンやローマルクで商品を仕入れだ。ヘッジホルグじゃ随分と騒動があって、儲けのチャンスだからな」
「積荷は魔法石、食料、毛皮か。随分毛皮と牙は新しいな?」
「道中やりあった相手だ。寝込みを襲われて、あの日は寝不足になっちまった」
「加工屋に売るのか?」
「ああ、そのつもりだ」
「幾らだ?」
「――?」
質問の意図を図っているのか、幾ばくかの空白の後に、ハンクが指で数字を示す。
「それに気持ち程度だが、上乗せで売ってくれないか?」
提案を咀嚼するように少しの間を置き、ハンクは首を縦に振った。
「よし、売ろう! しかし、また、なんで狼の毛皮を欲しがるんだ?」
「近隣の家畜を襲った魔物がいてな。食い荒らし方から言ってデカいウルフの群れの仕業と判断された。それで近々周辺の兵と冒険者で、広域に渡り魔物の一斉討伐する予定だったんだが、これでうちらのノルマは達成できそうだ。奴ら逃げ足が速いからな。数匹狩れたら上出来とは思っていたが――毛皮の量から言えば8匹もいるじゃないか。討伐した証拠さえ出せば、毛皮は好きにしていいと言われている。これで防寒対策と討伐の提出には困らない」
わざとらしく息を吐き出した兵士の口からは煙のように水蒸気が立ち込める。取引で気分を良くしたのか、兵士の態度は明らさまに軟化した。よほど買い物が嬉しかった様に見える。
「ここから村まで少しある。休んで行くといい。じきに昼だ。飯はどうする。無料とはいかないが、安くしとくぞ?」
兵士の提案にハンクはにっこりと笑う。
「そいつはありがたい。偏らないようにしていても、馬車の飯は飽きちまう」
とんとん拍子に話は進み、ローマルク兵と関所の兵士宿舎で食事する事になってしまった。
「今日の飯当番の責任者は誰だ?」
「ディッキーの奴ですよ」
今まで話していた兵士は。関所の指揮官なのか、部下から飯当番の担当者を確認すると、両手を叩き喜んだ。
「お、ディッキーか! フェリペじゃなくて良かった」
「馬鹿にせんでもいいじゃないですか……」
関所の塀の上から男が不貞腐れた様子で声を上げた。状況的にフェリペと呼ばれた兵士に違い無い。塀の上から俯いた所為でずり落ちたのか、兜を深く被り直している。
「同じ食材を使ってるのにどうも味が落ちてしまうからな。まあ、ディッキーは料理が美味いから安心してくれ。っと、まぁ、そういう訳だ。四人分追加で支度してくれ」
「分かりました」
同じく監視台上から弓を軽く振った男、恐らくディッキーは、関所の中へと消えていく。人数が増えた分、支度の準備があるのだろう。
「飯代、通行料の支払いといこうか、毛皮代から差し引いた分でいいかな?」
ハンクが支払いを始めたので、俺たちも馬車に来た兵士に毛皮を渡さなければいけない。
毛皮についた薄い脂を削ぎ落とし、ある程度は下処理を済ませたとは言え、まだ毛皮は未完成だ。臭いもするし、破れもする。
「渡すから、気をつけてくれ」
一声呼びかけてから、8匹分の毛皮を差し出す。突き出した腕が毛皮の重みで少し下がったが、それでも落とすことなく受け取り、関所内へと運んで行く。
仕事柄、毎日肉体の鍛錬を重ねているのが兵士だ。あのくらいの量ならば問題なく運べるようだ。
「おーい、冒険者、ヘッジホルグから来たんだろ。何処から来たんだ?」
一人残った兵士は暇になったのか、雑談を持ちかけて来た。
ローマルク兵とは、リュブリスで派手にやりあった所為で、見ただけでも意識してしまう。唾を飲み込み、喉の滑りを良くしてから声を出す。
「研究都市だ」
「はぁー研究都市から来たのか。あそこは魔導士が実験で研究所を吹き飛ばして復興中と聞いたが、ホントか?」
「本当だ。復興のために冒険者と商人がこぞって集まってきてるよ」
「噂は本当だったか、この辺鄙な関所経由で何組も商隊が向かって行ったからな。普段じゃ考えられない」
「ああ、道中で何組かすれ違ったな。道が狭いから躱すのに苦労した」
相手は2、3台以上の馬車を持つ商隊ばかりで、基本的に単独の俺たちの馬車が道を譲らなければいけない。場所によっては避けれないので、わざわざ引き返す事もしばしばあった。
「そいつはついてないな。そっちには悪いが、交通が増えればこの関所の取り分も増える。俺たちは笑いが止まらない」
「取り分?」
「ああ、知らないのか、俺たちの国からの給料は決まっているが、街から離れた地方の関所などは、ある程度の権利は認められている。ごく少額だが、通行料の一部を詰め所の部隊で使っていいのさ。豪遊は無理でもたまにの酒や肉を買う額にはなるって訳だ。……あんまり好き勝手やっていると、抜き打ち検査の時に処罰されちまうが」
ローマルク帝国なりの僻地に配属された不平・不満対策なのだろう。
そうこう雑談を重ねながら、出された料理は、詰め所裏の畑で取れたキャベツを塩と香辛料に付けた塩キャベツ、同じく詰め所裏で栽培された獅子唐とキャベツを手頃な大きさに切り、俺たちが寄与した干し肉と塩で味を調えた獅子唐とキャベツのスープだ。
発酵した塩キャベツの独特の酸味が癖になり、新鮮なキャベツと獅子唐の辛味の効いたスープは、馬車の中では味わえない一品と言える。尤も、干し肉は大鍋で煮られたので、木屑のような大きさの肉が時々、スープに紛れ込んでいる程度になってしまった。それでも兵隊には、木屑のような干し肉が好評だった。
本来、国境を見張るための詰め所で何故、野菜が栽培されていたか、疑問に思い、食事をしながら尋ねると
「そりゃ、俺たちは元は農民だからに決まってるだろう」
そう返答が帰ってきた。
話を纏めると、農民一家が家計に困り、自主的に、はたまた家族が三男、四男を兵隊に出す家も多く、そんな元農民達が腹の足しへと、訓練と警備の合間を縫って野菜を育てているそうだ。ローマルク中央軍集団や西部軍集団などの地方軍集団の主力の部隊は根っからの兵士や軍人が多いが、地方の重要施設ではない警備や部隊は、元農民が含まれる場合が多々あるらしい。
当人達には悪いが、そのお陰で美味しい料理にありつくことが出来て心の底から良かったと思う。
リュブリスの一件では血みどろの殺し合いを演じ、昼前までは如何にも気を使ってしまっていたローマルクの兵士に、妙な親近感が湧いてしまった。
感想、誤字・脱字報告ありがとうございます。
用事があるので、深夜に返事と直しを行います
次回更新は来週の週末を予定。