第一話 暗い森の中で
「ジロウ、ジロウ――」
ぼんやりと散らばっていた意識が、一気に呼び覚まされた。視界に映ったのは、肩まで伸びたやわらかそうな茶髪、髪と同じ色の獣耳と尻尾、そして中肉中背だが、引き締まり、獣を連想させる体だ。
「アーシェか……」
名前を呼んでいたのはアーシェだ。片手で俺の体を細かく揺らし、もう片方の手は、愛用の大剣をしっかりと握っている。
太陽はとうの昔に沈み、夕食も済ませた俺たちは交代制で睡眠に入っていた。
数時間したら俺とリアナが見張りの交代の手筈だ。夜空を見上げれば、月の位置はそれほど変わっていない。まだ交代の時間には早過ぎる。うっかり起こすのはまず無いだろう。
寝ぼけていた頭だが、しっかりと覚醒してきた。荷馬車の端に目をやれば、既に俺以外の二人――ハンクとリアナは落ち着いた様子で装備を身に付けていた。ハンクの強面が一層険しさを増している。明らかに非常時に違いない。
「盗賊か?」
小声で正体について尋ねると、直ぐに返答が返ってくる。
「いや、魔物だと思う。10体くらいかなぁ。……炎を避けて、回ってきてるね、まだ仕掛けてきてないよ」
荷台の出口から目を細め、暗闇を睨むが何も見えない。他の五感にも頼るが神経を使うだけで、徒労に終わった。
手首まですっぽりと隠れる手甲を装着し、体に馴染んだベルトを腰に回す。吊り下げられた幾つものホルスターの中にあるスローイングナイフは固定されているが、必要に応じて素早く引き抜ける位置にあった。
皮製のホルスターをひと撫ですると、表面には細かい凹凸が幾つも感じられる。泥、血、火などで汚れ傷つく度に、汚れを落し、手入れ用のオイルで磨いてきた。
暗闇でよく見えはしないが、新品にはない深い味わいとなっている。左指をシースに置き、擦るように撫でると、そわそわした気分を落ち着かせてくれた。
馬車の駐車位置は、道から少し逸れた森の中だ。馬車の二つの出入りである前と後ろは、それぞれアーシェとリアナが張り付き、ハンクは御者台に登り、辺りを伺っていた。
3人へと軽く手を振り合図をした俺は、道路側に面している馬車の右手へと回る。
軽く息を吐いて、空気を吸い込めば、冷たい外気が、口から肺へと吸い込まれた。冬特有の渇いた冷たい空気が、チクチクと肺を刺激する。
バスタードソードを引き抜き、剣先を地面へと向けて息を吐き出す。体内で温められた息は外気と衝突すると、白い水蒸気へと変わって立ち込めた。気配を殺して窺っているということは、向こうはこちらを捉えている。今更息を殺すのは無意味な事だ。
暗闇を見つめ、耳を澄まし、僅かな情報でも得ようとするが、影どころか、草の擦れる音すらしない。
人間の集中なんてものは、そう長くは続かない。戦闘状態ならまだしも、居るかも、いつ来るかも分からない相手を待つのは、非常に神経を削られる。これを長時間続けられる物は、間違いなく狩人や狙撃手に向いているだろう。
(根気比べだな)
バスタードソードを抜き、ただひたすら時間が過ぎていく。風が吹き、夜鳥や羽虫に幾度も驚かされる中、それは唐突に訪れた。
痺れを切らしたのか、好機と判断したのか、微かに土を踏み込み、更に蹴り出す音がする。そんな1つの音が複数に増え、一挙に中心部である馬車に殺到を始めた。街中の喧騒では間違いなく埋もれてしまうような音だが、この状況下では聞き逃すはずもない。
音はリアナの方に集中していた。
(来やがった)
警告を出す前に、リアナは怒号を上げた。
「はぁあああ!!」
威嚇するような吠える音と嗚咽のような鳴き声、複数の鈍い音が聞こえる。
恐らくは、ロングソードが肉ごと血管を叩き切り、何かへと食い込んだソードブレイカーが独特の刃の返しで肉や骨などを引きちぎる音だ。リアナと迷宮や戦場で共闘した際に、何度も聞いているから間違いない。
「ジロウ、任せた!」
「ああ」
アーシェが俺の名前を呼び、指示を出した。この場合は、俺が後ろのリアナの援護というよりも馬車前方とハンクを守る役目だ。
「ハンク、生きてるか?」
「馬鹿言え、このぐらいでくたばるか。第一まだ敵すら見てねぇよ!!」
顔も体格もまさに、粗暴なベテランの冒険者のハンクだが、中身は多少の自衛ができる商人に過ぎない。冗談を交えつつも、ハンクの状況を確認する必要があった。
景気の良いハンクの声を聞き、辺りの警戒に全力を向ける。殺気に当てられたのか勢い良く馬が嘶いた。
「落ち着け」
ハンクが馬に優しく呼びかけた。
アレが全部とは限らないのは、今までの経験で痛いほど理解させられている。防御対象のハンクと馬車を守るので、精一杯だ。下手に二人の援護に行く訳にもいかない。
「横に回り込んだッ」
「やりました――あとは正面の2匹と……」
声で戦況を判断するしかできないのは、歯痒かった。けたたましい乱闘と裏腹に、俺たちの周囲は静寂を保っている。
「何か分かるか?」
「見えもしないし、聞こえもしない!」
「ぎゃン、ギィ――」
一際大きな断末魔を最後に、戦闘は途切れた。最後の一匹は、風切り音と弾けるような音から、アーシェの大剣の腹で叩き潰されたのだろう。
結局、呼びかけあっただけで、俺とハンクは剣の一振りもしていない。
「リアナ? アーシェ?」
呼びかけに対し、直ぐに返答が訪れた。馬車の影から出てきたソードブレイカーの特徴的な短刀に、表情が緩む。
「無事です。残りは、逃げたみたいです」
「12匹くらいのウルフの群れだったね。半数以上を仕留めたら大人しく帰ってったよ」
姿は見えないが、馬車の裏側からアーシェの声が届いてくる。
「怪我は?」
「ん、大丈夫」
「私もありません」
返事を返すリアナに目を向ければ、ロングソードよりも刀身が短いソードブレイカーが刀身の根元までどす黒い返り血で、染まっていた。
刃を食い止め、叩き折るのが本来の使い方だが、それが生身に向けられたら、どうなるか想像は難しくない。
「汚れてるな、水を出す」
「ありがとうございます」
水魔法で出しても良いのだが、魔力の消費と水圧の調整の兼ね合いから、馬車へと戻り水瓶の中身を水筒ですくい出す。
「飛び掛かって来た最初の一匹の喉元に、ソードブレイカーを突き入れましたので、殆どがその返り血ですね」
真面目なリアナが状況を説明してくれたのはいいが、暖かさや臭いがまだ残る現場で言われるのは、内心苦笑いしてしまう。
「そ、そうか」
前の俺なら間違いなく嘔吐から逃れられなかった。
「さて、シンドウ、アーシェ、リアナ、もう一仕事だぞ」
ウルフ達の襲撃に遭ったにも関わらず、ハンクは満面の笑みを浮かべている。それもそうだろう。ハンクにとっては自分から商品が転がってきたようなものだ。
「まだ。残党がいるかもしれないし、俺は見張りの方がいいだろう?」
懇願する様にハンクの顔を覗くと、大笑いしながら肩を叩いてきた。
「はは、まだ剥がすのは苦手か。この前の野鳥じゃ出来てたじゃないか?」
何かを振り下ろす身振りから、野鳥の首がどういう末路を辿り、俺たちの胃袋におさまったかが、容易に想像できた。
「大きさが違う。それにアレでも相当キツかった」
そう言うバラシの行為には、どうにも嫌悪感と言うよりも耐性が無い。所謂、後天的な嫌悪の一種だろう。料理であれ、宗教であれ、習慣や文化による嫌悪は後天的に身に付くものだ。
後天的嫌悪で思い出されるのは、リュブリスの森での行軍中に
『魚を生で食べたことあるか?』
っと、兵隊達との会話の流れで聞いたところ
『確かに俺は田舎出身だが、そんな獣みたいな事するはずないだろ! Gを積まれても気持ち悪くて、とても無理だ』
っと冗談に受け止められてしまった事があった。あれが本心で聞いていたと発覚していたら、次の日から変人扱いされるに違いない。
どうでもいい思い出に浸っていると、ハンクは首をかしげて、ナイフを引っ込めた。
「まあ、苦手な事の一つや二つあった方が、可愛げがあるわな」
「もう何匹か剥いてるから、別に手伝わなくても大丈夫だよ?」
流石はバルガン国家群の狩猟民族出身だけあって、アーシェは慣れた手つきで、喉から腹、続いて尾の辺りまでナイフを走らせ、毛皮を剥ぎ取っていた。
怪力と言っても過言ではないアーシェだが、この時ばかりは繊細な指使いで、必要以上に伸ばさず、傷付けずに作業をこなしていく。
「剥がすのが苦手でも、脂削ぎやお湯を沸かす作業もありますから、大活躍ですよ」
血塗れのリアナが親指を立てて、褒めてくれるが、絵面のせいでホラー映画の様だ。
「さて、シンドウ、お湯を沸かすから水と火を頼む。それが終わったらリアナと見張りを交換して朝まで皮剥きパーティだ」
「ははっ……」
対して面白くもない冗談を鼻で笑い、大鍋を馬車から降ろす。念のために篝火と焚き火も増やすために、乾燥させていた薪も引っ張りださなくてはいけない。
【名前】シンドウ・ジロウ
【種族】異界の人間
【レベル】49
【職業】魔法剣士
【スキル】異界の投擲術、異界の治癒力、暴食、運命を喰らう者、上級片手剣B-、上級両手剣B、上級火属性魔法B、中級水属性魔法A、 奇襲、共通言語、生存本能
【属性】火、水
【加護】なし
明日も更新します。