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異世界デビューに失敗しました  作者: トルトネン
第五章 ヘッジホルグ共和国
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第三十四話 晴れときどき曇り

 中央研究所での大規模な事故から一週間、研究都市レイキャべスは事故の影響により暗い影を落とすと思われていたが、実際はその逆、街には人馬が溢れ、活気に満ち溢れていた。その大きな要因の一つに研究所の中核とも言うべき動力部が無事だったことが上げられる。ウンディーネもどきに吸い上げられたと考えられていた動力部だったが、大きな損傷もなく使用可能だったのだ。


 動力部を保存食にでもするつもりだったのか、動力部周りには一切の瓦礫がなかったらしく、ウンディーネもどきが瓦礫から動力部を守ったというのが、通説だ。また、主要研究員と重要な機材の大半は、警備隊の壊滅という代償により、安全な場所へと運び出されていた。見た目の被害とは裏腹に再建は十分に可能らしい。既に精霊もどきが這い出した大穴の周りには仮設の足場が組まれ、目隠しされている。周囲の瓦礫も一部は撤去され、道も繋がった。


 大量の資機材と人が流れ込み、土木、建築、輸送、警備など、ヘッジホルグ共和国の中でも多岐に渡り、仕事のある街となっていた。労働者が集まればそれを目当てとする商人も集まる。しばらくはこのバブルのような状況は続くだろう。


 とは言え、全てが過去の通りになる筈も無く、議会や現場の責任者数人が責任を取らされ、文字通り、首が飛んだとも言われている。だが、所詮は冒険者や作業員の噂話だ。どこまで本当か分からない。酷いものでは、巨大なウンディーネの核の結晶をまた新たな研究素材にするという噂まである。


 俺もこの事件では散々な目にあったが、一つ良い事があった。それは数少ない突入部隊の冒険者の生き残り全員に対しての、ランクの昇進だ。


 研究所か、国軍か、どの機関か分からないが、ギルドに昇進の推薦があったらしい。これが好意ならば良いのだが、実情は臨時報酬と口止め料だ。後の報告会でも口外するなと遠まわしにそう伝えられた。


 そうした推薦のお陰でもあり俺のランクはBの下位となった。ランク昇格を喜んでいたらニコレッタからは『シンドウは元々詐欺のようなランクじゃない』と冷たくあしらわれてしまったが――。


 ゆっくりと流れる時間を実感しながら、久しぶりの休みを様々な事を思い返しながら一日を過す。


 刃を研ぎ、油を塗り、装備の手入れも済ませた。流石にセルガリー工房で製作して貰った小鉄球は無理だったが、消耗したスローイングナイフなどの投擲物の補充も行なった。


 遅めの昼食も済ませている。今日は大蒜をベースに食べやすい大きさにざく切りにしたカブが入ったスープとライ麦のパンだった。こちらでは毎日パンを作るのは、薪などの燃料の消費を考えれば非効率であり、パンを纏め焼きするため、日が経ったパンが出される事が多々ある。今日食べたパンは1週間ほど日数が経ったパンであり、手で千切るのすら一苦労だった。


 そういう時はスープなどの水気のあるものとの食べ合わせが多く、今回もそれに漏れず、セットとなって出て来た訳だ。


 十分に休憩を取り、装備の手入れを済ませた。休みもいいが、何もする事がないと暇だ。こちらの世界じゃ娯楽品は高価で、おいそれと手が出せるものではない。本はその中でも特にそれに当たる。


 安価での紙の大量生産、印刷機が普及している現代では、本は手軽に売っているが、この世界では読み書きが出来る層が数ヶ月を掛けて模写を行い、本を製作する。掛かる人件費だけではない。紙と背表紙の製作、インクなど様々なものがかかる貴重品なのだ。


 そこまでして作った物、大多数の市民に取って、必要不可欠なものではない。買うとしたら高給取りの裕貴族や僧侶、軍人などに限られる。値段が張るのも仕方ないと言えた。


 暇なときは外に出るに限る。国中から労働者が集まるのだ。面白い話の一つや二つは聞けるだろう。ベッドの上から飛び降り、身支度を始める。


 靴紐を硬く縛り、装備品を固定するためのベルトを巻きつけ、防具を身に付ける。続いてバスタードソードを腰にぶら下げようとした時にノック音が部屋に響いた。


 続けざまに木製のドア越しに話掛けられる。ここ最近ですっかり聞きなれた声だ。


「ニコレッタか、入っていいぞ。鍵はかかってない」


「こんにちは、調子はどう?」


 扉から現れたのは共に修羅場を潜り抜けたニコレッタだった。1週間の警備生活の中で、幾度か見かけてはいたが、警備箇所が違うため、詳しく話をする事はなかった。


「良くも悪くも毎日警備ばっかだったよ。ウンディーネやアルカストラネの生き残りがいるとまずいからな。それも昨日でお仕舞いだが」


 ギルドハウスから半脅迫と半懇願され、一週間は現場の警備に当てさせられた。俺を初めとする何人かの冒険者も断ろうとしたが、警備隊の壊滅により防衛戦力が著しく低下した今、まともに戦えるのは≪魔力の杖≫の支隊のみ。その支隊ですら精霊もどきとの戦いにより少なくない数の戦死者や負傷者を出している。


独力で数百もの警備兵とギルドハウスを抱えていたレイキャべスの周りには、大規模な国軍の拠点は無かった。加えて主道の一つが逃走劇の最中に粉砕。


 こうした中で戦える冒険者に暇を与えてくれるほど、ギルドハウスは甘くない。幸い、化け物の生き残りも無く、警備という名目で重労働にも参加しなかったので、国軍の増援が到着する最終日辺りには、逆に申し訳なくなってしまったのは、日本人特有のものかもしれない。


「シンドウは遺跡の担当だったものね。私は街の外延部担当だったから、忙しかったわよ。あいつのせいで道はぐちゃぐちゃにされていたし、まあ、そのお陰でいい物を見つけたけど」


 自身の顔の横に大きな袋をぶら下げた。くたびれた様子のニコレッタだが、その表情はにやにやと何やら嬉しそうだ。


「袋か、何が入ってるんだ?」


 袋の中が気になった俺が尋ねると、得意げな顔で机にそれを広げ始めた。半透明、多角的なカット、独特の光量と光沢。それは間違いなく魔法石だった。


「ま、魔法石。こんな量、それもこの輝きは……」


 素人の俺にも分かるくらいの純度の高さだ。俺が投石で使ってしまった魔法石には劣るものの、それでもその辺の露天であれば目玉商品に匹敵するような物が、袋からごろごろと出てくる。


「まさかあのときの積荷か!?」


 ウンディーネからの逃亡の際に荷馬車から転げ落ちた魔法石の積荷だった。


「残業代ってことでいただいて来たわ。≪魔力の杖≫の指揮官も荷馬車の積荷くらいくれてやるって言ってたから。クロフトには渡し損ねたけど、私の分は取ったし、テルマにも分けてきたから、それ全部シンドウの物よ」


「ありがとう。……流石は冒険者、抜け目が無いな」


 彼女もしっかりと冒険者だった。


「まあ、そう言うシンドウも、ちゃっかり通信魔道具持ってきてるじゃない?」


 ベッドの横に隠すように置かれた通信機を見て、二人で大笑いした。








 街の入り口では大量の馬車が行き来している。この全てが、中央研究所の復旧の為の馬車だ。こんな渋滞、リュブリス以来と言えた。


 尤も、交通の要所であり長年そのような状態が続いているリュブリスでは、交通のルールがあり、幾つかの防止策も取られているので、このような無秩序な渋滞は存在していない。普段通りならば問題はないのだろうがこの非常時により、レイキャベスでの馬車や人を受け入れる対応能力が飽和しているのだ。


「おい、いつまでも止まってんじゃねぇ、進めよ!!」


「わかんねぇのか、詰まってんだよ」


「列を乱すな。並べ!!」


 個々が好き勝手動かれてはたまらないと、交通整理に当たっている役人や兵士の声が鳴り止む暇もない。


「この馬車の量なら、リュブリス並みかそれ以上か……っ?」


 お気の毒にと、役人達から馬車の列に視線を移す。大半は資機材やら食料品の輸送だろう。そんな馬車の列の中に違和感を見つけた。


 その違和感は一台の馬車によるものだ。特別な装備がある訳でもなく、豪華な装飾がある訳でもなく、高名な貴族が乗っているわけでもない。その馬車は商人がよく使うタイプの荷馬車だ。


「う、うそだろ!?」


 そんな荷馬車に視線を釘付けにされた。荷馬車の上には茶色いセミロングの女性の少女が鎮座していた。その体には獣人を示す茶色の犬耳と尻尾。見開かれた目は俺のことを完全に捉えていた。


「リアナッ!! いた。いたよ!! ジロウだ」


「本当ですか!?」


「俺も確認した。間違いない、シンドウだな。ありゃ」


 御者台に座っていた強面の男を押しのけるように荷台からまたも少女が出て来た。黒髪のロングヘアーで、腰にはロングソードと独特の形状の短刀を吊り下げていた。間違いない。ソードブレイカーだった。


 獣人の少女とソードブレイカーの少女はそれぞれ屋根と御者台から飛び降りると凄まじい速度でこちらへと迫ってくる。


「う、あ……ああ」


 思考が完全に混乱している。右往左往とはこのことだろう。進退すらも定まらない。そうこうしているうちに距離は詰まり、二人が何をしようとしているか気づいた。


「ちょ、ま――」


 本能的に両手を突き出し防御の体勢に入ったが、どちらの手も振り払われた。


「問答無用!!」


「食いしばれッ!!」


「「こォの大馬鹿があぁああああああァッ――」」


「ぶがぁあああああああァアア!!」


 頭から真後ろに後退した俺は、そのまま一回転すると後方へと吹き飛んだ。顔から上が無くなったかのような鈍痛と地面に擦られた体が酷く痛む。


 ゆっくりと頭を上げると、俺を見下ろす二人の少女がいた。


「ああぁ……」







「何も言わないで出て行くなんて本当に馬鹿なの!?」


「勝手に助けて、勝手に居なくなるなんて酷くないですか? ねぇシンドウさん?」


 椅子に縮こまるように座った俺の前には、二人の少女がいた。片方は異世界に来て最初に行動を共にしてきたアーシェ。もう一人ではリュブリスで仲間になったリアナだ。


 大通りでは目立つという事で、半ば引きずられる形で、酒場の隅に座らされた。賑わう酒場の雰囲気とは裏腹に、重い空気が周囲には漂っている。


 般若のような顔の二人の横には、久しく見なかったハンクもいる。相変わらずの商人とは思いがたい凶相だ。


「……申し訳ありませんでした」


 頭を下げ、精一杯、謝罪を行う。


 酒場に入店してから暫くの時が経つ。一頻り会話はした。何も言わずに出て行った事について、《暴食》について、そして一番の衝撃は俺が異世界から来た人間についてだ。長らく行動を共にした結果か、オサが漏らしたかは、分からないが、俺が異世界から来た人間ということもバレていた。


「だいたいさ、《暴食》だっけ? 冒険者をしていれば危険なんて日常茶飯事だし、年老いるまで生きてる冒険者の方が少ないんだよ。それを覚悟で冒険者をしてるのに、今更そのぐらいの危険は何とも思わないから」


 憤怒の表情をしたアーシェが呆れた様子で言う。


「ただでさえ《暴食》持ちの上に、俺は異世界から人間で、その……その事を言ったら拒絶されるんじゃないかと……」


 この世界に来た当初は、裸で言葉が喋れないと言う事で、奴隷にまで身を落とす羽目になった。身分や出身を明かせば厄介ごとに巻き込まれる事はあっても、良いことは無い。


 後ろめたい感情は確かにあったが何も言わずに出て行ったのは、本当に自分勝手だったと思う。


「はぁ――? 異世界から来たからって何か違うの? 同じ人間でしょ」


「あ……ああ、何も変わらない」


「そりゃ、異世界から来たと言われて驚いたけど、別に他の国から来た人くらいの感覚だよ」


「ですね。寧ろ教養がある分、その辺の冒険者なんかより断然好まれると思います」


 二人の顔はいたって真剣。同情や嘘から投げ掛けた言葉には見えない。何か喋ろうとしたが、上手く言葉が出なかった。ようやく捻り出したのは謝罪の言葉だ。


「……何も言わずに出て行ってしまい。本当に申し訳なかった。《暴食》のせいで仲間を食べていたかもしれない自分に怖くなったんだ。正直、オサがいなければどうなっていたか……それに――異世界から来た得体の知れない人間と見られて、目の前で拒絶されるかもしれない、と考えたら……」


 二度目の謝罪の後に幾つかの間が空き、二人の口が開いた。


「はぁ――馬鹿だよね。拒絶なんかしないのに。まあ……ジロウも無事だったみたいだったから、別にいいよ。許すよ」


「噂に聞くレイキャベスとは状況がだいぶ違ったので、心配したんですよ? また何かしでかしたんじゃないかって」


「しでかしたって……」


「ジロウがいく所が、平穏だった例がないからねぇ」


「時期が悪いんでしょうが、素直に同情する運の悪さです」


 二人の言葉に引きつった言葉しか返すことができない。見かねたハンクがフォローをくれる始末だ。


「まぁまぁ、俺らも人の事を言えたもんじゃないだろう? 三人とも奴隷にされてんだからな」


「ど、奴隷ですか?」


 困惑した様子でリアナが呟く。


「そうそう。隊列が盗賊に襲われたおかげで自由の身になったんだけどね」


 懐かしむようにアーシェが眼を閉じて、思い返している。 


「そう言えば、二人はどうして奴隷なんかになったんだ?」


 ハンクが不思議そうに尋ねてきた。それを聞くなら俺もハンクが奴隷になった理由が気になる。


「んー、アタシは前に組んでた仲間がクエスト中に瀕死になっちゃって、助けようとしたんだけど、結局死んじゃったんだよね……まあ、そのまま治療費やら何やらで奴隷になっちゃった」


 さらりと重い話をするアーシェになんて言ったらいいのか分からない。リアナは過去を思い出したのか黙り込んでしまった。


「その……仲間は残念だったな」


「アーシェは良い奴だなぁ。仲間も嬉しかっただろうに。商人なんかその辺ドライだから、笑いながらアイツは死んじまったか!! なんて話しちまうもんさ」


 ハンクはうんうんと頷き、俺の方を見る。この意味は次はお前の番だ、という催促に違いない。


「俺は……休日帰りの山道を移動していると、気づいたら全裸で森の中にいた。その後にホーングリズリーに襲われて、間一髪のところで、白銀騎士団と、たぶん周辺の村の討伐隊だな。それに助けられたんだが、死にかけてたのと状況が分からなくてパニックになっていた。そこに言葉も通じず、全裸で駆け寄ってたらリンチされて、そのままあの悪徳奴隷商人に売られた」


「なんというか、残念だね……」


「不運の一言です……」


「ハハッ、あの白銀騎士団に全裸で駆け寄ったか、そいつは傑作だ。よく殺されなかったな。運が良いんだか悪いんだか」


 全員からの酷い言われようで、乾いた笑いしか出ない。


「そう言うハンクはどうなんだ?」


爆笑しているハンクを恨めしい目線で抗議するが、特段気にする事も無く自身の身の上話を始めた。


「俺か? 俺はな、商売のチャンスと全財産をかけて飛び込んだんだが、読みが外れてな。お陰で奴隷になっちまった。手堅くやればよかったんだろうが、夢に負けたな!!」


「なんか三人の中じゃ、唯一私利私欲にあふれてますね……」


「まぁ、ハンクらしいと言えばハンクらしいけど」


「ハンクの夢って何なんだ?」


ふとした疑問を口にすると、待ってましたとばかりにハンクが語る。


「そりゃ、商人の夢と言えば決まっているだろう。大・商・人だ」


 多数の使用人を従え、公爵に匹敵する権限すら持つ者もいると言う大商人。私利私欲的だが、この中では一番無邪気のハンクを羨ましい様な羨ましくないような。


「大商人か、そりゃ死に物狂いで働かなきゃなれないな」


「大商人クラスのような流通の要となるには、遠い道程ですね。ところで、シンドウさんはこちらに来るまで何の仕事をしていたんですか?」


「あー、何というか商品を売ってた。簡単に言えば商人の使用人だ」


「ジロウ、使用人だったの!?」


「言われてみれば、そう違和感もないです」


 驚くアーシェと何処か納得した様子のリアナだ。思い返せば、こちらに来るまで武器らしい武器も持ったことの無い、善良な一般市民だったのだ。


「俺が大商人になったあかつきには、シンドウを使用人として雇ってやろう」


ふんっ、とわざとらしく息を吐いたハンクは尊大な顔になった。


「はは、そいつは助かるよ。読み書きと計算なら任せてくれ」


 仮に年老いたり、戦えなくなっても、ハンクさえ大商人になっていれば、冒険者後の再就職先を確保できた。尤も、ハンクがまた勝負に出て、奴隷に返り咲く可能性もある訳だが――流石に二度目は無いと信じたい。


「あ、そうだ。ハンク」


「なんだ、どうした?」


 商売という事で、肝心な事を思い出した。


「良い物があるんだが、見てみないか、驚かせる自信がある」


「ほう、そいつは楽しみだな」


 口角を軽く上げ、笑みを浮かべるハンクは実に商人らしい姿だった。







「うわぁー、いっぱい」


「ゴロゴロ出てきますね……」


「どうしたんだ。この魔法石は?」


 ふざけていたハンクの態度はがらりと変わり、小声で魔法石の出所を確認してきた。


「まあ、色々あって、あ、盗んだ訳じゃないぞ!! 臨時報酬みたいなものだ」


「言わなくともなんとなく分かる。レイキャベスの研究所絡みか、で、これをどうしたいんだ?」


「前みたいにハンクに売って欲しい。俺が持っていても宝の持ち腐れだ」


「簡単に言ってくれるな。戦争の影響のせいでアルカニアじゃ、前みたいなオークションは暫く行われんからなぁ。ヘッジホルグで売っても値段は下がる。ローマルクも大手の商人が邪魔で自由に捌けない。そうなると黒鉄かリグリアのどちらかになるな」


「リグリアと黒鉄の国ですか? 随分と遠いですね」


「だね。何カ国も通らなきゃいけない」


 ハンクが次々と出した国の名前は、軍事、領土、経済など大陸でも有数の大国ばかりだ。唯一の例外は商業国家リグリアだが、冒険者ギルドや傭兵など、国家規模に見合わない強大な戦力を有している為、違和感は無い。


「今はアルカニアとローマルクの国境が閉じてるから、このままヘッジホルグ共和国からローマルク帝国に入国してマグリス王国を抜けてバルガン国家群に入るのがベターか」


「マグリス王国? 確かローマルクの属国だった場所か」


 ギルドが運営する訓練場の座学では、アルカニアとローマルクのような大国同士が直接対峙している場合、争いが絶えない事が多く、緩衝帯として未到達地帯や小国が存在するのが一般的と習った。その大国間の緩衝帯の中でもアルカニアとローマルクの間にあるのがマグリス王国だったはずだ


「流石に勉強しているな。マグリスは数百年、ローマルク寄りの緩衝帯として機能してきた国だ。特別目立つ物がない国ではあるが、バルガン国家群に入るには都合がいい場所にある」


「んー。アタシも賛成かな。バルガン国家群の他の国境は片道で悪名高い《龍の巣》や《大山脈》に加えて、大型の魔物が彷徨いているから、南西方面じゃ一番入国し易いと思うよ」


「そうと決まれば直ぐ出発だ。久々の黒鉄の国だ。他にも商品仕入れて儲けるぞ。うはははは」


「も、もう行くんですか?」


「家出してたシンドウも捕まえたしな。思い立ったが吉日だ。安心しろ出発は明日だ。忙しくなるぞ。黒鉄で売るのは勿論だが、別の物も道中でも売れるぞ~。バルガンで高く売れるのは確か――」


 懐から取り出した手帳を見返し、独り言をぶつぶつと呟き、あーでもない、こーでもないと自分の世界に入ってしまった。


「リアナ、ああなったハンクは止まらないよ」


「そのようですね。今日は久しぶりの街を満喫する事にしました。後で街に行きましょうアーシェさん。あ、シンドウさん案内お願いしますよ?」


 リアナに何も言い返すことも出来ず、催促されるがままに店を後にした。







 街の案内と買い物に連れ出され、頂点を指すように天空へと鎮座していた太陽は、地平線へと消えようとしていた。


「それじゃ宿はハンクと一緒のところか、最近はなだれ込んでくる商人や冒険者で、空き宿など無いにも等しい状態だったのにな。よく見つけたもんだ」


「まあ、一つの部屋だけどね。馬車が止められて、寝れる部屋があるんだからアタシは言うことは無いかなー」


「私は馬車の中で寝ることに慣れましたから、宿が取れないなら馬車で寝るつもりでした」


 レイキャベスを訪れる旅人や上流層向けの宿は勿論の事、民宿までいっぱいとなり仮設の天幕、酷いものだと家畜小屋に備蓄された藁の上に寝る冒険者も少なくない、それを考えれば上出来と言えるだろう。


「あれー? シンドウじゃないの。どうしたの可愛い子なんて連れて――」


 唐突に掛けられた声は路地裏から発せられたものだ。それも今日の昼ごろ聞いたものだった。昼頃とは違い、随分と甘ったるい声になっている。


「へー、意外にやるのね。女の子の冒険者、それも二人と逢引するなんて」


 いやーんとわざとらしく体をくねらせたニコレッタは酷く可笑しそうに笑い声を上げた。やり取りを聞いて、俺の知人だと判断した二人は特に警戒する様子は無い。寧ろ、何故だか機嫌が良さそうに2人してにやにやと口角を上げている。


「おい、待て、なんだその顔は、違うぞ。仲間だぞ?」


 右手で静止するように突っ込むが、気にした様子もなくニコレッタは捲くし立てた。


「両手に若い女の子を連れて何を言ってるのよー」


 普段のニコレッタが皮肉や冗談を言うことはあるが、随分と饒舌だ。喋り言葉も何処か間延びしている。思い返せば、前に一度この状態に遭遇している事に気がついた。


「ニコレッタ、まさか――」


 遠くからでは分からなかったが、一歩二歩と近づくニコレッタの頬は軽く朱色に染まっている。


「酒を飲んだな!?」


「あー、よくわかったわね」


 口からはアルコールの臭い、足取りは泥酔とまでは行かないものの、ぎこちない足取りは間違いない。


「それだけ臭いを漂わせれば獣人じゃなくても分かる!! まて、止まれ。ちょっ――」


 道路に転がっていた石につまずいたのか。前のめりになったニコレッタが俺の胸部目掛けて突進してきた。身長差により肩口辺りに頭が入った。


 買い物と街の案内に、防具と剣は重いと宿に置いてきたので、酔っ払いが合金製の硬い防具に衝突することはなかったが、かなりの勢いで衝突してきたため、俺の方がダメージが重かった。


「痛ッ――鎖骨、鎖骨が折れるだろ!?」


 肩口に入った頭部が鎖骨へと直撃し、鈍痛となって神経を刺激していた。両手を使い引き剥がそうするが、怪力により少しも離れない。膂力で言えばアーシェと良い勝負をするだろう。


「えーいいじゃない。私も混ぜなさいよー」


 首にしっかり抱きついてきたニコレッタの腕が俺の顔を覆った。女性特有の柔らかい感触に、甘い吐息が顔に掛かる。そうして極めつけは、下腹部に確かに感じるぬめぬめとした何か――。


「うひぃ、まて、そんなもの出すな。――こんな所で服の中に入れるなぁああああ」


 言うまでも無い。触手だ。ジタバタと触手から逃れようとするが、ぴたりとへばりついたソレが離れることは無い。


「な、何してるの!?」


「こんな路地裏で破廉恥ですよ!! まさか噂に聞く痴女というものですか!?」


 顔を真っ赤にしたリアナとアーシェが抗議の声を上げると、ニコレッタは首だけそちらの方に向けて確認する。


「私はニコレッタって言うの。よろしくね」


 基本的に礼儀正しいリアナが挨拶をされて返さないという事はできないようだ。


「はぁ、私はリアナと言います。よろしくって何で抱きついて来るんですか。え、えー? な、なんか出た。何これべとべと……って触手?。なんで触手がでているんですかあ!? ひぃいいい。アーシェさん!!!!!」


「ぎゃぁあああリアナ来ないで、ヌメヌメするよ!?」


 触手に絡め取られたリアナがアーシェの方に逃れようとしたので、二人してニコレッタの触手に巻き込まれた。


 見ている分には楽しいが、絵面的にも感覚的にも絶対に巻き込まれたくは無い。一歩下がって安全圏内へと逃れた俺は遠巻きに女体へと絡みつくそれを眺める。


「ああ、人間ならなんでもいいのか、助かった」


「ジロウ、見てないで何とかしてよー!?あーもう、全然剥がせないし!!」


手足をジタバタさせ、救援求めてくるが、首を振り断る。


「いやー、触手に絡まれる趣味は、俺には無いから」


「そもそも何で触手なんですか!!」


「話すと長くなるのだけど、要約するとオーガと戦ってたら生えちゃったッ」


「ひぃいいい、意味が不明です!!」


 幸い日も暮れて、人通りの少ない路地裏だ。酔った冒険者が騒いでいるぐらいにしか見えないだろう。実際、酔った冒険者が騒いでいるのも事実だ。


「おーい、お前ら……こんなところで何を騒いでるんだ?」


 別行動を取っていたハンクまでもが騒ぎを聞きつけやってきた。


「おお、凄いな、アーシェとリアナが触手に捕まってる」


目の前で触手をぶんぶんと振り回されてもハンクは慌てず眺めている。


「なんでハンクさんは、そんなに冷静なんですか!?」


「驚いてはいるが、商人たるものポーカーフェースは重要だ。それに驚きよりも好奇心の方が勝っているしな。で、その女性はどちら様だ?」


「ああ、このびっくり軟体触手人間は、研究所で一緒に戦ったニコレッタだ」


ハンクに気付いたニコレッタが片手上げて返事をした。


「よろしくハンク。ところで、まだ飲み足りないのだけど、一緒に飲まない? 一人じゃ寂しいのよ」


それだけ出来上がっていて、まだ飲もうとするニコレッタに顔が引きつってしまう。


「いや、ニコレッタ。程々にしといた方が……」


止めようとしたが、後ろから思わぬ裏切り者が出た。


「美人の誘いは断れんな。今日はもう仕事も終わったし、再会と出会いを祝って、豪勢に飲むか。シンドウ」


「え、本気で……?」


「ああ、本気だ。なぁに、この都市には古い付き合いの店がある。ちょっと作法と治安が悪い地区だが、触手の一本二本くらい受け止めてくれる。この面子なら大丈夫だろう。行くぞお前ら、付いて来い!!」


振り返れば二人は抵抗を諦め、大人しくニコレッタに引き摺られている。


「はは……」


一言乾いた笑いを浮かべ、左右にふらつく隊列に続く。今日の夜は長くなるだろう。


実際、馬鹿騒ぎをし、大酒を食らい、他の客が入り混じり、大宴会となって、それは実証された。


窓から差し込む暖かな光、都市に響く鐘の音、冬毛を蓄え始めた小鳥のさえずりが朝の到来を知らせていた。店内を見渡せば、打って変わって、攻城戦さながらの様相だ。


カウンターには、空の瓶が並び、地面には転がる酒樽に混じって客達が寝息と呻き声を上げている。店内の隅では絶命した様に壁に寄りかかり、パンを握りしめた日雇いの冒険者が目に入る。


寝息立たせる前に日雇いの冒険者は「やった、金だ。金を見つけた!!」とはしゃいでいたが、起きて握り締めているのは、儚くも亭主特製のパサパサしたパンだけだ。


客だけではない、店の店主ですらも無事では済まなかった。服はしわくちゃとなり、口から飲みきれなかったのであろう酒が服に付着している。開店前はふさふさと生い茂っていた髭と髪の毛だったが、一発芸と称した口からの火吹きにより見事にチリチリと焼け縮んでいた。話を聞けば20年前は冒険者をしていたらしく、その血に逆らえ無かったのだろう。


「水ぅ、水ぅうう」


掠れた声で誰か呼ぶ声が聞こえてくる。気怠い足を動かし、踏場の無い店内を縫うように歩く。そうしてカウンターから水の容器と無事なコップを探し当て、声の主である飢えた冒険者に手渡す。


「ほら、しっかり握れ」


コップの中身を一気に流し込んだ冒険者は、再び横になると、もぞもぞと姿勢を整えてイビキを撒き散らし始めた。


首を回し、背筋を伸ばすが、纏わり付いた倦怠感は払い切れない。


「ああ、シンドイ……」


テーブルに突っ伏した俺は、そのまま手を伸ばす。そこにあるのは林檎に似た果実、そしてそこに刺さるスローイングナイフだ。


こんな感じのスローイングナイフが突き刺さった果実はまだゴロゴロある。何故なら店主とハンクを筆頭とする冒険者に懇願され、一発芸でスローイングナイフを投げ刺していったからだ。


Bクラスの冒険者を道化師代わりに使うとは、とんでもない連中だが、酔った身でこの果実にありつけた事は、感謝すべきだ。


突き刺さったスローイングナイフ引き抜き、前歯と奥歯を使い思いっきり林檎(仮)を噛みちぎる。


多少、酸化してしまっている林檎(仮)だが、シャキシャキとした食感と甘い果汁が今の俺を癒してくれる。


「あー、あま、うまぁ」


現実を逃避するように、果汁が与えてくれる甘さに俺は酔っていた。


暫く齧り満足した俺は、両手を枕にして、うたた寝に入る。


結局、店が日常を取り戻すのは太陽の高さが頂点を迎える頃だった。









 崩壊した研究所では、《魔力の杖》を主力とする探査隊が組まれ、深層部の調査が引き続き行われていた。


足場が悪く、動力部と寸断された各階層は暗闇に包まれている。人が立ち入りした場所やヒカリゴケ製の非常灯が健在の場所は、まだ明かりがあったが、区画ごと粉砕された場所では明かりがあるはずもなく、ランプや松明を頼りに探査隊が道なき道を進むしかなかった。


「そこの足場、気をつけろ。脆くなってるから踏むと崩れるぞ」


 隊列の先頭の兵士が後続の仲間に注意した。ただでさえ足場が悪い上に、生き残りの精霊もどきやアルカストラネ対策の重装備が隊員達の足取りを重くしている。


「どのくらい移動したと思う?」


 隊を指揮する部隊長が部下の一人に尋ねた。閉鎖空間では時間の感覚が鈍る。一人だけの感覚では不十分と判断したのだ。


「上の階層から1時間ほど移動しましたから、そろそろ下の階層への階段のはずです」


 本来ならば部隊はもっと短時間で下の階層への階段へとたどり着くはずだったが、精霊もどきのせいで通路は瓦礫で埋まっていた。そのせいで大回りを余儀なくされたのだ。


 部隊長は列の先頭に目をやり、続いて最後尾を視認する。前後合わせて8人。落伍者はいない。慣れない装備に特殊な環境下だ。幾ら屈強な隊員と言えども消耗は免れることはできない。


「次の部屋で小休憩を取るぞ」


 部隊長の一言で隊員達の表情は安堵の笑みが浮ぶ。部隊長が選んだ部屋は工作室だった。棚に下がった幾つもの工具に、作業にも耐えうる金属でできた机が見える。


「戦闘痕か」


 室内の工具は床に散らばり、どういう訳か机は壁に半ばめり込んでいた。そして正規の入り口ではない場所には大穴が開き、すっかりと通路へと変貌している。


 冒険者が使うような投げナイフが落ちていた事から、この場所で戦闘が行われたのは間違いないだろう。上の階層でもそういう痕跡は幾つもあった、特に警備室周りは、死骸こそ根こそぎ精霊もどきに食われていたが、血痕や肉片などは綺麗に掃除してくれるはずもなく、隊員達は凄惨な虐殺が行われていた現場を見る羽目となった。


実戦を幾度か潜り抜け、死体などに見慣れた兵士ですら、胃酸が込み上げてくるような有様だった。


 隊員総出で周囲は隈なく捜索したが、精霊もどきもアルカストラネも見つからなかったため、部屋での休憩を決定した。


 部屋で休む隊員の一人は、不自然な水溜りを発見した。


「この水溜りは?」


「あの化け物の死骸じゃないのか」


 ウンディーネもどきは核を破壊されると、体が維持できなくなり、ただの水へと変わる。研究所の内外ではそんな水たまりが幾つもできていたので、例に漏れず精霊もどきの一部かと隊員は疑ったのだ。


「いや、違うあれの残骸はもっと粘度が高いんだ。おい、迂闊に触るなよ」


 同僚が水溜りに腕を伸ばそうとしたので、隊員は制止しようとしたが、同僚は慌てる様子もなく答えた。


「落ち着け、ただの水だよ。しかし、冷たいな。近頃は冷えてきたとは言え、まるで“氷の塊”がさっき解けたみたいだ」


 肌に刺さるような冷たさは雪解け水のようだ。近い感覚を思い出そうとして考え込んだ隊員の脳裏に浮かんだのは、仲間が使うような水属性魔法だった。

二話分で二万文字となります


大変申し訳ありませんが、更新優先の為、感想返しは遅れます


次回から新章

台詞ネタバレ注意


「ぼ、僕は使用人だ。武器なんか持ったことない!!」


「……趣味だ。あまり……見るなよ。余所見してると食われるぞ」


「人間で言う成人式だよ。人間を狩ってこそ一人前に扱われる。特にそれが強い相手ほど雌にモテるから奴らも必死だ」


「なんだ、こいつらは。マグリスの正規軍か?」


「騎兵の長所の一つは突破力だ。だが、それよりも重要なのは機動力、目的の場所にどれだけ短期間で効率的に移動できるか。支配領域の広さは機動力で決まる。鈍重な歩兵が集まったところで、追い付きもできない」


「こォの化け物がッ」


「遺体は見つからなかったと聞いていたが、奴ら遺体を本国に持ち帰ってやがった」


「右手からだ」


「親指? 小指?」


「小指からにしよう」

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― 新着の感想 ―
[良い点] 全ていいです。まじで。 [一言] 続きがみたいです。 休載中かもしれないけど、シンドーの物語りがみたい、、46歳独身
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