第三十一話 粘着質
陰険な怪物との死をかけた追いかけっこが始まりどれだけの時間が経っただろうか。数体を火達磨にした程度では追走してくるウンディーネもどきは数が減るどころか、その数を増やしていた。
ウンディーネは俺達を喰らおうとする傍で、退避することのできなかった人間をつまみ食いしている。
全力で飛ばしているせいか荷馬車は酷く揺れる。先進的なサスペンションに保証された乗り心地がこの時代にあるはずもなく、荷馬車が揺れれば上下左右に体勢は揺すられた。
「ああ、最悪な乗り心地だ。国産車が懐かしい」
「い、意味のわからない事はいいから早く仕留めてーっ!!」
馬車に取り付こうとするウンディーネを猛炎で歓迎する中、奇妙な物が近付いて来るのが目に入った。
それは全身を刺繍の入ったローブですっぽりと覆った騎兵達だ。何かの部隊証かローブには金色の杖と不死鳥が描かれている。
なんとも可哀想な連中だ。今ここはヘッジホルグ共和国でも屈指のホットスポットだというのに。
今から引き換えせば半分くらいは逃げきれるかもしれない。俺は騒乱に負けないように腹に力を入れて叫んだ。
「あの化け物は俺達がたまらなく美味そうに見えるみたいだ。一緒にいると前菜の代わりにされるぞ」
警告を発したはずだが、騎兵はにやりと笑い奇妙な事を言った。
「なるほど、それは都合がいい」
騎兵の言っている意味がわからなかった。機動性進路上に割り込んで来た新鮮な餌をウンディーネが無視をするはずもない。
「馬鹿っ、さっさと逃げろ!!」
手を伸ばすウンディーネに対し、騎兵も腰を捻って振り向き、手を突き出した。
「炎弾よ敵を焼き尽くせ」
迫っていたウンディーネが火球に飲まれた。あの爆発は火属性魔法によるものだ。魔力切れの俺ではない。
「今の爆発は……火属性魔法ね」
新手にウンディーネの注意が向き、一時的に忙しさから解放されたニコレッタが答えを漏らした。
同族を爆散させられたウンディーネも黙ってはいない。何体ものウンディーネが仇討ちを敢行しようとするが、幾つもの火球により死ぬか、走行不能となった。
「まさか、騎兵全てがマジックユーザか」
それもただのマジックユーザでは無い。全員が上級クラスの火力を有している。いくら魔法使いが多いヘッジホルグでもこの集団は異常だ。
15騎ほどの騎兵が荷馬車を囲んでいた。統一された装備から考えるに何かしらの部隊なのは間違いない。まだ組織的に反撃を行える部隊がいることは嬉しい誤算だ。
注意深く騎兵を見つめていたニコレッタが声を上げた。
「やっぱり《魔力の杖》ね」
《魔力の杖》と言えばヘッジホルグ共和国内でも最強の魔法使い集団だ。虎の子と呼ばれ、温存される戦力が事故に伴い派遣されたのかもしれない。だが、来るのが遅すぎた。数百の命と研究所の動力を吸い上げ成長したウンディーネは並大抵の生物とは無比の強大な捕食者となっていた。
魔力の杖の構成員は精強かもしれないが、今更15騎程度の戦力でどうにかなる相手ではない。
(なら何故危険を冒してまでこんなところにいるんだ?)
疑問を解決させるために、背を向けていた荷馬車の中を見る。そこには無造作に木箱が積まれ、幾つかは戦闘の衝撃で落下していた。
「荷物が欲しいのか?」
もしかしたら貴重品が積まれた荷馬車を俺たちが動かしてしまったのではないか……。返答を待つがどうやらそうでは無いらしい。
「見当違いの答えだ。欲しいのならばその積荷くらいはくれてやる。我々は諸君らを支援する為に来た。ひたすら走れ」
「支援? どういうことだ!?」
構成員は答えた。
「我々が前菜なら君たちは主菜だ。戦力を整えるまでの囮になって貰う。安心しろ。うるさい奴らは魔力の杖が受け持つ。食い逃げはさせんよ」
要するにヘッジホルグ軍が戦力が整えるまで精霊もどきの本体の生き餌になれと言っているのだ。
「冗談じゃないッ。俺たちは釣り餌じゃないんだぞ。突つかれただけで半身が吹き飛ぶ」
抗議の声を上げるも《魔力の杖》団員の興味は俺達からウンディーネに向けられていた。
「護衛が付くだけ安全じゃ無いかな。僕達は気にせず逃げればいいんじゃないかい?」
「いい気分はしないけれど、今はそれしか無いわね」
「ど、どうするの?」
「向こうが支援すると言っているんだ。このまま逃げる」
先ほどまでの忙しさとは打って変わり、火炎放射器が火を吹く事は無かった。代わりに猛炎を吐き出すのは魔力の杖の構成員達だ。詠唱が終わった者が入れ替わり立ち代り、火球を分離体に向けて放つ。
幾ら研究所で人間を食い荒らしたとは言え、ウンディーネも数を減らされるのは容認できないようだ。最初は碌に抵抗もできなかったウンディーネがだんだんと対処を覚え、馬車を囲む騎兵へと距離を詰めてきた。
身を焦がされたウンディーネが地面をのたうちまわり、《魔力の杖》構成員へと襲い掛かる腕を馬特有の機動性で回避する。
幾度かの際どい攻防が続き、とうとう騎馬の一騎が分離体のウンディーネに取り憑かれた。振り払おうと暴れる兵士だったが、既に全身に纏われてしまった。あのままでは身体を溶かされるか、引き裂かれるのは火を見るよりも明らかだ。
「何を!?」
そんな危機的状況をむかえる仲間に対し、あろうことか別の構成員が詠唱していた魔法を放った。
「うぐっぁああああ!!」
まとわりついていたウンディーネは猛炎により溶け去ったが、兵士は無事ではすまない。走行中だった馬は横薙ぎに倒れ、投げ出された兵士が地面を転がる。
大怪我を負い、ウンディーネもどきが群がる場所に取り残された人間がどうなるか嫌でも想像できる。
危機的状態の中、後続の騎馬がサーカスのように馬上で体を地面すれすれに持って行くと、地面に投げ出された兵士を拾い上げた。
二人乗りで重量オーバーとなった馬は大量に息を吐き苦しむが、乗り手は加速の指示を与えた。
「おい、まさか」
嫌な予感は的中した。馬はどんどんと荷馬車に近寄って来る。
「受け取れ」
俺は貨物室の縁ギリギリまで体を寄せる。構成員は自分の背中にもたれ掛かる仲間を荷馬車へと投げた。
手を伸ばし、宙に浮く体を引き寄せる。どっしりとした衝撃を上手く殺し、どうにか兵士を受け止める事ができた。
「意識はあるか? しっかりしろ」
爆発の影響か、虫が鳴くような声でうわ言を繰り返している。露出した肌は焼けただれ、酷く痛々しい。水属性魔法で傷口を洗い流そうとするが、今の俺は魔力が枯渇しており、己の無力さを再確認する羽目になった。
道具袋を無造作に漁る。中からお目当ての水筒を取り出し、縦に振る。揺さぶられた容器の中で水が暴れる音が聞こえた。三分の一程度は中身が入っている。飲料には十分だが、砂にまみれた傷口を洗い流すには些か心許ない。
「おい、水あるか!?」
意図を察したニコレッタが自身とテルマの水筒を集めて持ってきた。
その横ではクロフトが悪路による揺れで上下左右に振り回され、幌を支える支柱にしがみついている。
「僕は無いよ」
クロフトに聞くまでも無く、見れば分かる。白衣の下がほぼ半裸のクロフトが水筒なんて持ってない事は。
追加された水筒を使い、引き続き洗い流す。相当痛むのか、体を不規則に痙攣させていた。
そんな中でも口は動き続ける。最初はうわ言かと思っていたが、どうも様子がおかしい。何処かで聞いたフレーズを口走っているのだ。
「なんだ? 何処かで……そうか、詠唱か!!」
疑問の答えは兵士の体が発光する事により、氷解した。
「光よ彼の者を救え」
今まで呟いていたのは詠唱であり、発動したものは回復魔法。
あれだけの怪我を負いながらも集中をかき乱される事なく自身を治療している。
怪我は見る見る塞がっていく。流石は魔力の杖の構成員か、火属性魔法の他にも回復魔法をすんなり使いこなしている。
顔は依然青ざめたままだが、起き上がれるまでになった兵士は俺の手を掴んだ。
「み、水ちょうだい」
まるで二日酔い開けのように頭を押さえて彼女は呟いた。
「わかった。今飲ませる」
兵士の首に腕を回し、口に水筒を近づけると自発的に水筒を咥えた。柔らかい唇と歯で水筒の口をしっかり固定している。
「んっ……ふッ、ぅ……ぁ」
彼女は喉を鳴らしながら一口、一口と水を喉に流していく。
荷馬車の外では分離体と《魔法の杖》の戦闘が続いている。怒涛の勢いで迫るウンディーネを兵士達は上手くさばいていた。ウンディーネに直撃した火球がその威力を余すところ無く発揮し、ジェル状の体を爆散させる。
「上だ。回避しろッ、直撃するぞ」
「上? 何が……」
何人かの負傷者を出しながらも、順調に戦闘を続けていたはずの構成員が叫んだ。
「い、一軒家!?」
上空を見上げれば宙に浮く一軒家。正確には木造の小屋が荷馬車目掛けて自由落下してくるところだった。罵声を飛ばしている暇もない。
「進路を左にズラして、家が飛んで来たわ」
「じょ、冗談?ひぃいい、嫌ぁああ!!」
絶叫を伴いながら、ニコレッタの警告通りにテルマは馬の手綱を引き、進路を変更する。
小屋の残骸は数メートル横に着弾した。軋み砕けた木片が荷馬車を叩き、からからと音を奏でる。
「な、なんなのこれぇええええええ、まだ地下の方がマシだったああ」
弱音を吐く、テルマだが操縦の腕は変わらない。
「イイぞ、テルマ。その調子だ」
「はぁ!? 何が!! って……ま、またきたぁあああ」
本体はこちらのお株を奪うように投擲を繰り返す。まるで雑草を引き抜くように木が抜かれ、直上の砂ほこりとともに降り注ぐ。
テルマの操縦もあるが、大半が下手くそだ。見当ハズレの場所に大樹が突き刺さり、地面を掘り返した。
ただ、その威力は絶大の一言。魔法も盾も無意味だ。避ける意外に防御手段が無い。
戦闘を続けていた騎兵の一騎が馬車に並走した。一番最初に声をかけてきた指揮官と思われる男だ。
「時間稼ぎは終わった。今から来た方向に反転だ。研究所東部の丘で我らの本隊がデカブツを受け持つ」
「無茶言うな。 どうやって反転するんだよ!? おい、待て、ああ、どいつもこいつも!!」
受け身になりっぱなしで腹が立つが、選べるような選択肢は無い。ひとしきり悪態を付いてテルマに指示を出した。
「聞こえたな。テルマ反転だ。来た方向に戻るぞ」
「そんなの無茶苦茶!!」
「泣き言は無しだ。いつまでもこいつと鬼ごっこはゴメンだ。馬がバテる前にケリをつけないと喰われるぞ」
「ど、どうなっても知らないから!!」
急激な方向転換により馬車が悲鳴を上げ、異常な負荷がかかった車輪が軋む。傾斜が復元出来ずに片輪が浮きかける
「ひぃいい、やっぱり駄目っー!!」
「横転するわよ」
「まだだ、反対にしがみつけ」
馬車に詰め込まれていた荷物が転がり始めた。
「掴まれ!!」
宙に投げ出されそうになった構成員に手を伸ばすと懸命に腕を掴み抱き付いて来た。
「あっ、まずいね。これは」
「ちょっと、クロフト!?」
ニコレッタもクロフトに手を差し出したが、手を掴むどころか何も無い場所で自ら躓くと、反対側へ転がって行った。
浮いた車両を戻すため、3人分の体重を掛けるが片輪は戻るどころかますます傾きを増す。
ぶら下がり遅れたクロフトは荷物と一緒に馬車を掻き回せられ、一際大きい荷物がクロフトを押し潰した。
「うぎゃがっ」
死んだか? そんな言葉が頭を過ったが、この中では一番死にそうもない奴だ。木箱に潰されながら、ひょこりと隙間から手が伸びた。
「邪魔だね。コレ」
自身の体の上に乗る木箱を掴むと、まるで空き缶を捨てるかのような気楽さで木箱を外へと放り投げた。
重さにすれば数十キログラム。その重量が消えたことにより、傾き掛けていた天秤が覆った。
浮いたはずの車輪が鈍い音を立てて、地面へと戻る。反動で馬車が数回横に揺れたが、車輪回りは壊れることなく、走行を再開する。
「よくやった、クロフトっ」
地下研究所で出会ってから一番クロフトに感謝したかもしれない。
後方を見れば壊れた木箱からは輝く物を見た。それが散乱する無数の魔法石。それも露天の目玉商品になるような大きさのものだ。
「アレ、全部魔法石じゃないかい?」
クロフトが指を差すが俺は首を振って否定した。
「はは……気のせいだろう。それよりもウンディーネが加速しやがった」
馬車の方向転換に合わせて本体が距離を詰めていた。速度こそは勝るものの、小回りに置いては馬車は圧倒的に不利だ。決死の覚悟、それも実現できるギリギリの最小円で旋回したにも関わらず、生き物特有の俊敏さでショートカットした本体が俺達に腕を伸ばした。
急激に加速する馬車は徐々に距離を離して行くが、先ほど行ったターンの間に詰められた距離を覆し切れない。
「手が来てる。不味いわよ!!」
太陽光によってできた影が伸びて来る。馬車よりも大きな手のひらの影が馬車と重なり、振り下ろされた。
「ふ、伏せろ!!」
人間で言う中指が荷馬車の幌と縁の一部をもぎ取った。尻餅を付いた俺の直ぐ上をジェル状の指が通過する。
皮一枚で助かった馬車だが、2度目はない。再度伸ばされた手は馬車前方を塞ごうとしていた。
「し、進路が」
火炎放射器ごときであの指は払えない。
(火炎放射器じゃ無理だ。飛び降りて逃げた方がまだ……)
覚悟を決めて全員に呼び掛けようとした時、横合いから熱風を感じた。
迫っていた指が飛散し、大粒な雨となって辺りに降り注ぐ。熱風の正体は火属性の魔法だ。
約束通り《魔力の杖》が俺達の援護をしたのだ。むこうは可能な限り俺達を使い潰す気かもしれないが、助けられた事実は変わらない。
「助かった、すまない!!」
大声で叫ぶと、騎兵は腕を振り指差した。そこには信じられないモノが見える。無理な体勢、そして攻撃が決め手となりウンディーネの本体が転けたのだ。
ただの横転だが、それだけで樹木がなぎ倒れ、砂埃が高く舞い上がる。
「……転けたわね」
「そのまま一生寝てろ!!」
捨て台詞を吐くが、直ぐに口を閉じさせられた。倒れたウンディーネは素早く体勢を立て直すと追撃を再開したからだ。
「ああ、鬱陶しいスライムだ。どれだけ粘着質なんだよ」
お久しぶりです。
出先なので感想返し遅れます。