第二十八話 袋小路
気持ちが一気に失意のどん底に落とされた。後ろからは追い詰めたとばかりにエントランスにウンディーネが侵入して来るのが見える。
俺達が呆然と立ち尽くしていることから嬉々としているだろうが、こんなところで諦めるなんて冗談じゃない。
「正面から4体…… 上等だ!! 散々追い掛けやがって、こんなことで諦めると思うか」
ここまで来たら完全に開き直れた。階段近くに設置してあった火炎放射器を掴み、ウンディーネへと構えた。俺が持つ物を理解した精霊もどき共は慌てて急停止するが、炎からは逃れられない。自ら炎に飛び込んだウンディーネは手足をばたつかせ為す術もなく燃え尽きる。
「無抵抗で死ぬのだけは御免だ。ニコレッタ、クロフト。代案だ、代案を考えるぞ。何処かたてこもれそうな場所、通気口みたいな他の階層の出入り出来る場所、なんでもいい。考えろ!!」
ニコレッタもクロフトも予備の火炎放射器を拾い上げ、ウンディーネとの戦闘を再開した。ウンディーネの相手をしながら、重くて置き去りにしていた装備を拾い上げていく。今拾ったのは鞄に入れた爆弾だ。爆弾単体では持ち運びが不便だったので、物色中に見つけた鞄の中に予め詰めておいたものだ。
「一先ず、一方向からしか敵が来ない場所に行きましょう、ここじゃあまりにも不利だわ」
階段前はエントランスのように開けていて、そこから4方向に通路が分岐している。俺もニコレッタと同意見で、立て篭もるにしてはこの場所は出入り口が多過ぎる。
「各階は独立した酸素循環システムで、他の階層に繋がる通気口は存在しないね。立て篭もれそうな場所は、そうだね。実験品の保管庫は頑丈に出来ている。鍵は保管庫の入り口にある棚に掛けてあるよ。もしかしたらこの騒ぎで、開きっぱなしかもしれないね。そして何よりこの場所から近い」
本体のことを考えると、そこも鉄壁ではないが、当面の危機を乗り越えるのにはここよりもふさわしい場所なのは間違いない。
「よし、保管庫に行こう。装備を拾うぞ。クロフトもその辺の白衣を着ろ。何時までも半裸はまずい」
保険として上層で集めた武器を集めていて正解だった。豊富な火器の前にあれほどわずらわしかったウンディーネが怯んでいる。
「こんなことならモヒカンと棘パットでも付ければよかったか……くそ、面白くも楽しくもねぇええ!!」
火炎放射器でウンディーネを焼き払う中、鼓膜がせり上がって来る水音を捉えた。冷や汗と共に嫌な予感が過る。
「……嘘でしょ」
ニコレッタの絶句とともに、信じがたい物を改めて認識することとなった。今日何度目かの目を疑う光景だ。通路からは鉄砲水のように押し寄せるウンディーネが見える。
その勢いは止まらず、詰まっていた水道管から水が溢れる様にウンディーネがエントランスに噴き出した。火炎放射器でも対処が間に合わない。原始的な飽和攻撃だ。
「後退だ。後退しろ!!」
絶叫しながら火炎放射器のトリガーを引き続けるが、ウンディーネは減るどころか、増え続ける。
何か手はないかと部屋に視線を走らせていると、目に入って来たのは積み上げられた木箱。下に運ぶ前に中身は確認した。粉末状の爆発物だ。
(中身は、爆薬――悩んでる暇は無い)
事前に拾っていた鞄に収まっている爆弾の信管を作動させて、鞄の紐を掴み遠心力を利用して投げ付ける。一昔前の据付ゲーム機程度の大きさのある爆弾は重く、軌道は直ぐに垂れてしまったが、どうにか狙い通りの場所へと着地した。
「伏せろォ、鼓膜が飛ぶぞぉおおお!!」
最初から投げる物として設計された手榴弾とは違い、この爆弾は起爆までに十分な時間がないとホルムスが教えてくれた。その教え通りに間髪を入れずに爆弾は起爆した。二人が物陰に飛び込みながら口を開け、耳を抑えるのが見える。俺が床に飛び込むのと同時に、他の爆発物へと誘爆した。
普通の通路よりも高さも広さもある階段前のエントランスだったが、それでも密閉空間には違いない。行き場を失った衝撃波と爆炎が反射を繰り返し、持てる威力を存分に発揮するのは自然なことだった。入り口に雪崩れ込んで来たウンディーネが見えない手に握り潰されたかのように千切れ飛び、拡散する。
まるで豪雨のようにウンディーネの破片が身体の上に降り注いできた。全身が濡れて肌と服が水分によって張り付き、酷く不快だ。ましてやそれが雨でもなんでも無く生物の肉片なのだ。気持ちが良いはずが無い。
ウンディーネと距離というクッションがあったにも関わらず、衝撃波によって叩かれた全身がフラフラとする。あれがもっと水分が無いゴブリンやオークだったら衝撃が逃げることなく、俺たちに襲い掛かり、目眩だけでは済まなかったかもしれない。
「ニコレッタ、クロフト、無事かっ?」
「なん、とかね」
物陰から起きたニコレッタが元気のない声で、返事を返してきた。クロフトも健在を示すように手を振っている。視界の端で何かが動いた、目を凝らし確認するまでも無い。
「ちっ、お前らもかよ」
望ましくない展開に、思わず舌打ちしてしまった。俺の視線の先には、部屋の隅や通路で身体の一部を失いながらも、再生を始める精霊もどき共がいた。早いものではもう動き出している。
近場のものから火炎放射器で焼いていく。後ろから微かに重低音が響いた。それはどんどんと大きくなっていく。一瞬、また何かが襲来してきたのかとも思ったが、それは俺の思い込みだった。
地下施設に入り、何度か聞いたことのある音に俺の口は緩んだ。
「よっしゃぁあああ!! お前ら、道ができたぞ!!」
「まさかさっきの爆発で気づいてくれたの? ああ、もう最高ね」
一度は完全に閉ざされていた隔壁がゆっくり開き、隙間から風が吹き込んで来る。階段からは風とともに俺たちを呼ぶ声が響いた。
「おーい、い、生きてるっ!?」
階段へと駆け出す、俺たちに精霊もどきも事態を理解したらしく、一斉に階段へと向かい始めた。
「こいつら、割り込んできやがって、クロフトは早くしろ、今度こそ置き去りにされるぞ」
階段の手前には火炎放射器を持ったテルマが見えた。他の冒険者も火炎放射器を持って階段を駆け下りて来る。ホルムスの姿は見えないが、非戦闘員であることから隔壁の操作に専念しているのだろう。
「ひぃいい、それがウンディーネ!?」
「薄気味悪い笑顔をしやがって……」
冒険者達は迫るウンディーネを見て、嫌悪感を示した。テルマにいたっては怯える言動と行動が一致しておらず、ウンディーネが見えた途端にその顔面へと、火炎放射器を噴射させた。
俺たちの援護を行いながら、冒険者達は階段を駆け上がっていく。俺もそれに続き、どうにか階段の上まで辿り着いた。
臓物や肉の焼ける臭いが充満したフロアは、とてつもない臭気だ。それでも下のフロアよりも安心できる。
登り終えて下を覗くと、ウンディーネが階段を上がろうとしていた。
「あ、上がってくる。ホルムス、まだ閉められない!?」
テルマが隔壁の操作をしていたホルムスに声を掛けるが、帰ってきた言葉はNOだ。
「無理だ。隔壁は一定速度でしか開け閉めできない」
ウンディーネも黙ってやられていく訳ではない。どこから見つけて来たのか、鉄板、テーブルなどを盾代わりにして、炎に炙られながらも前進を止めない。まるで城門を攻め落とそうとする歩兵のような動きだ。
「まずい火炎放射器が効かない。突破されるぞ」
慌てふためく冒険者を尻目に、火炎放射器を放り捨てた俺はあるものに飛びついた。それは脂が入ったドラム缶のような大型の容器だ。
大型の容器に抱きつくと傾斜を掛けて転がすように移動させる。そうして階段を駆け上がってくるウンディーネに向かって脂入りのドラム缶を落とす。階段の段差によって勢い良く転がり、防御板ごとウンディーネを巻き込んで底へと落とした。
「――!?」
「どいてて、怪我するわよ」
次のドラム缶を掴もうとした俺だが、その必要はなかった。触手を捻り出したニコレッタが残りのドラム缶と砲弾類を纏めて階段へと投げ捨てたからだ。階段にいたウンディーネにはダメージはないものの、避ける事が出来ずにほとんどが底へと転がって行った。
「シンドウ、使え」
隔壁を閉じる作業が終わり、ホルムスが投げ渡してきたのは、さきほど使った鞄に詰めた爆弾。下の階層で使ったものとほぼ同型だ。安全装置を引き抜くと直ぐに爆発を起こす。
信管を起動させて階段の底を目掛けて投げ込む。
「退避しろーッ!!」
数度爆発物を使った事で、嫌でもその威力を味わってきている。冒険者も88mm高射砲で酷い衝撃を食らったことから、俺が発する意味を理解していた。全員が物陰に飛び込み、地面へと身体を押し付ける
底で爆発した爆弾は投げ込まれた脂入りのドラム缶、砲弾に引火。おどろおどろしい重低音の後に、階段からはまるで龍のブレスのように炎が吹き出た。
「あちぃいい!!」
直撃しなくとも炎により皮膚を炙られた冒険者が声を上げた。防具の装飾品に付いていたシルバーウルフの毛がちりちりになっていて、なんとも哀愁を誘う姿となっている。
噴出し、燃え続ける炎も隔壁が閉じた事により、見えなくなった。匍匐から身体を起こして床に座ると固まって動かないテルマが見えた。
「どうした、大丈夫か?」
怪我を心配してテルマに呼び掛けて、ようやくこちらに気付いた。
「え、あ、ニコレッタが、今なんか尻尾? いや触手みたいの出した?」
おどおどとした様子で、テルマは俺に尋ねてきた。咄嗟に使ってしまったが、冒険者達はニコレッタの身体のことを知らない。下に行っている間に俺たちがへんな生物に身体を乗っ取られていると思われても面倒だ。
「何も出してないわよ。ねぇ、シンドウ?」
「これだけ化け物を見たんだ。テルマが疲れて見間違えるのも仕方ない。だいたい人間が触手なんか出せるはずがないじゃないか、HAHAHAHA!!」
まるで典型的なピザとベーコンとコークを愛する某国人のような高笑いをして誤魔化す。
「あ、うん。そうだよね、見間違いか……」
「触手かい? それなら――」
無駄な事を言い出そうとするクロフトの口をニコレッタは笑顔で塞いだ。幸い、テルマには聞こえていない。
揉み合いながらクロフトを脅し終えたニコレッタは立ち上がり、冒険者に喋りかけ始めた。
「……ありがとう、助かったわ。時間が過ぎて二度と開かないと思ってたの」
「爆発音がして、もしかしたらニコレッタ達が戻って来たのかと思って。それで一瞬だけ開けてみようってなったの。に、ニコレッタ達が帰って来ないと私達が酸欠で死んじゃうから……」
冒険者達の生々しい返答に俺たちは苦笑した。
「地下で何があった?」
「色々あって話したいところだが、時間がない。ウンディーネの他に、そいつの親玉が階層の床をぶち破ってる。腕しか見えなかったが、尋常じゃない大きさだ」
「え、それって?」
間違いであって欲しいという顔をするテルマだが、俺は否定することが出来ない。
「俺たちは、まだ助かってない。幸い、通信用の魔道具は手に入れた。このまま早く外に出よう。後始末はギルドか国軍がなんとかするだろう。俺たちじゃ手に負えない」
「それがいい。大体、情報が少なすぎたんだ。研究所のアホどもが……別にホルムスの事を言っている訳じゃねぇえぞ?」
口の悪い冒険者がうっかり言ってしまった失言を訂正する。とうのホルムスはゆっくりと首を振り、口を開いた。
「事実だから仕方がない。それよりも早く外に出ないか? もうこの悪夢はうんざりなんだ」
全員が何の不一致もなく頷いた。誰しもこの悪夢からはそうそうに目覚めたいものだ。