第二十七話 強欲
自爆したオルゾロフのお陰か、あれほど煩かったウンディーネの追撃は無く、正面にも横の通路にもその姿が全く見当たらなかった。
(くそったれのウンディーネどもが)
廊下に響くのは三人分の走る音だけ。何処からもウンディーネの存在を示すような音は聞こえて来ない。
幾つもの細道を走り続け、主要な通路の一つに出た。この通路には見覚えがある。警備室に向かうのに一度通った道で、あと僅かな距離を移動すれば、外へと通じる階段があるはずだ。
「この通路は」
「ええ、行きに通った道ね」
無事に外に出られるかもしれない。そんな期待が高まる中、通路に並ぶ部屋の扉が弾き折れた。何が起きたかは見なくとも理解できた。《生存本能》が絶叫を上げる。
疲労が生んだ隙は、俺自身を逃げられない物では無く、ニコレッタも間一髪それから逃れる事が出来た。問題は俺たちの援護を貰えなかったクロフトだ。
暗く閉ざされた扉から現れたのは部屋一杯のウンディーネ。濁流のように流れ込んで来たそいつらは、クロフトの身体を貫き飲み込んだ。
「がぐ、ふぎぃ」
短いうめき声は殺到するウンディーネの立てる音により掻き消えた。俺たちが反撃しようとする頃にはクロフトはウンディーネの渦の中だった。
「ク、クロフト!!」
ウンディーネの群体が咀嚼するようにクロフトを揉みくちゃにする。ニコレッタが火炎放射器を構えたが、攻撃を躊躇った。今噴出させたらクロフトまで焼き払うことになるからだ。
「こいつら……」
仲間ごと焼き払う事が無いと思っているのか、クロフトがよほど美味いかは分からないが、ウンディーネもどきは一体もこちらにやって来なかった。
「あれじゃもう……」
飢えたライオンに投げ込まれた獲物のようにクロフトは揉みくちゃにされ、ブチッという音と共に四肢が千切られる音がする。あれでは生きていても地獄の苦しみだ。それならば俺たちの手で止めを刺してやった方が――
「畜生っ」
ニコレッタがクロフトごとウンディーネを焼く決意を固め、トリガーに指を掛ける。
そうしてクロフトの姿がウンディーネ達の体で完全に消えた時、それは始まった。毛穴という毛穴が逆立ち、全身から汗が吹き出した。《生存本能》がこれまでに無いくらいに騒ぎ立てる。それだけではない。発動させていない《暴食》までもが歓喜するように心を揺らした。それは目の前のウンディーネに対するものではない。ウンディーネよりも遥かに禍々しく、本能を揺さぶるもの。
「なんだ、ソレは」
ずるりとウンディーネ達の隙間から出てきたのは、何かを掴むように揺れる手、虚空を繰り返し噛む口、辺りを見回すギラついた目。それらの無数のパーツがウンディーネを突き破るように、隙間から飛び出した。人間か魔物かすら分からないそれらがウンディーネに牙を向く。
「――――!?」
一部のウンディーネは即座に反撃に出た。鋭く変形させた腕をクロフトだったものに突き立てる。だが、突き刺した箇所からまるで侵食するように幾つもの腕が張り付き伸びて行き、ウンディーネの身体を握りつぶした。数箇所の欠損なら直ぐに回復するウンディーネだったが、回復を上回る勢いで身体を削られてしまい、露出した核を砕かれ死滅した。
対処が早く、運良く捉えられなかったウンディーネも、伸びてきた一際大きな腕と通路の壁に押し潰された。手の形が壁に転写してしまうほどの圧力だ。当然、核も無事では済まない。
また、あるウンディーネは巨大な口に挟まれた。もがき暴れるウンディーネを不揃いな歯が繰り返し咀嚼する。最初は暴れていたウンディーネだが核を潰されたのか、どろりと溶け去った。
俺もニコレッタも距離を取っていて正解だった。拘束から逃れる為に暴れ続けていたウンディーネ達だったが、一体、また一体と葬り去られて行く。最後のウンディーネは何十もの口に繰り返し噛まれ、飲み込まれた。肉片、水滴すら一つ残っていない。あれだけ居たはずのウンディーネは一分と掛からずに消え去った。
ぎょろぎょろと小刻みに動き続けた無数の目は、一斉に俺達を捉えた。顎は威嚇するようにかちかちと開け閉めを繰り返し、腕は虚空を掴む。辛うじて人型を保っているものの、これまであった生物の中でも異質中の異質。
「っ……ぅ」
空気が極限にまで張り詰めている。口の中から唾液が消え、見開かれた目は乾燥を続ける。それでも俺達は一歩も動かなかった。動けなかった。動いてしまったら何かが終わる。声に出さなくともニコレッタと俺の間には、共通の考えが浮かぶ「一歩も動くな」だ。さっきニコレッタがクロフトごとウンディーネを焼き払っていたら、想像したくも無い。
ぐじゅっ……ぐじゅり……
数十秒だっととも数十分だとも言える時間が過ぎた時、その塊はゆっくりと縮んでいった。跡に残ったのは、ビリビリに破れた白衣の研究員だけだ。その顔は酷くやつれている。だが、先程の目とは異なり、その双眼には確かな知性が感じられた。
「クロフト、なのか?」
短い言葉だが、今の状態を確かめるには最適な言葉だ。
「ああ、今は僕だよ」
クロフトははっきりとした言葉でそう宣言した。
「何をした? それが能力か?」
「何って、はぁ、ふ、はぁ、中身が出てきただけだよ。嘔吐する感覚に似ているね。少しなら止められるが、それ以上になると戻れなくなる。今回は運が良い。前に発動した時は襲って来たローマルクの部隊を全て飲み込むまで、収まらなかった。僕の能力は任意で発動できるようなものではないんだ。本格的に発動を始めたら自然に収まるまで止まらない。これ以上出てきたら酷いことになるよ」
飛竜、土竜、オーガと様々な魔物を相手にして来たが、果たして俺はあの状態のクロフトを止められるか、いや、倒せるかも分からない。ましてや狭い通路が広がる地下だ。手持ちの武器も少なく、中、遠距離からの攻撃も望めない。有利な要素は何も無かった。
「あれで本格的じゃないのか? 勘弁してくれ」
「いやぁ、申し訳ない」
俺の言葉に反応したクロフトが済まなそうに笑った。
ウンディーネの襲撃の他に、また危険要素が増えた。不発弾と化したクロフトを衝撃から守りながら地上を目指さなくてはいけなかった。
もたもたしていられない。周囲からはウンディーネの接近を示す音が響いている。
「走れ!!」
ウンディーネに襲われたクロフトの衣服はほぼ存在しない。肩に担いでいた火炎放射器も凸凹に変形させられ、タンクにも穴が空いているので、すっかり邪魔な燃えないゴミだ。
そんなタンクだけが取り残された場所にウンディーネが追い上げて来た。
「まだ来るか、本当にしつこいな」
道具袋から最後となった手榴弾を取り出し、投擲する。手榴弾は丁度ウンディーネがタンクに差し掛かるタイミングで爆発を起こした。爆炎は、ウンディーネを破壊するだけに留まらず、残留していた燃料に引火すると爆轟を起こす。
火に巻かれたウンディーネが踊る様にのたうちまわる。これでウンディーネに対する有効な攻撃手段を持っているのが、とうとうニコレッタだけとなった。
「ニコレッタ、魔力も武器も切れた!!」
「じょ、冗談でしょ!?」
戦力的な意味で完全にニコレッタの紐となった俺の肩身は狭い。この暗闇でウンディーネの核だけを狙って破壊するのは困難を極める。ジャイアント・ビーの討伐に使用したラケット状の武器が思い浮かぶが、こんな場所にあるはずも無い。
「正面から二体来たわよ」
ニコレッタは妨害をするウンディーネを的確に焼き払い、道を作る。俺たちはその出来た道に続く。
「熱い、 熱いよ、シンドウ君。服が無いから火に直接炙られてしまっているよ」
噴射されたばかりの燃料は床や壁に張り付き、燃えている。大した粘性だと感心するが、クロフトにとっては悲惨な状況だった。
「我慢しろ。出すなよ!! 《強欲》は絶対に出すなよ!!」
バス内で吐き気を催した同級生に呼び掛けているようだが、比較はできないほど危険性が高い。バスならば吐いてもエチケット袋が存在するが《強欲》の場合にはそんな便利な安全装置などあるはずもない。
それでも対処法を上げるとするなら、俺の持つ短刀がある。あれが出てくる前に短刀を突き刺せば、食い止められるかもしれない。
敵意や殺意を持つ者なら殺して来た。だが、その対象が顔見知りとなった時に果たして殺せるのか……仮に殺したとしても、まるで自分の末路を暗示しているかのようだ。今はその選択肢を首を振り、否定した。
「撃ち漏らしか」
状況はかなりまずい。彼女が通り過ぎた時には問題はなかったが、俺たちが差し掛かる時には待ってましたとばかりにウンディーネが飛び掛かって来る。
俺は脇をすり抜けられるかもしれないが、クロフトには無理だ。それこそさっきの二の舞になる。
「お触りはお断りだっての!!」
反射的にバスタードソードで切り捨てるが、直ぐに傷口から再生が始まった。再び掴みかかって来ようとするウンディーネの顔面を今度は剣の腹で叩き上げた。
パンッ――
まるで風船を割る様な感覚が剣から手のひらに伝わる。頭部をごっそりと失ったウンディーネは酔っ払いのようにふらつき、俺たちを見失った。
どういう仕組みかは理解は出来ない。ただ、顔面を破壊すれば視覚を失うのは理解できた。再生に手間取るウンディーネを置き去りに逃亡を再開する。
「――!! ――っ!?」
ウンディーネは最愛の人物との別れを拒む様に両手を伸ばす。誰があんな抱擁に自ら飛び込むものか……
敵の隙間を縫う様に快進撃を続ける俺たちだったが、先頭に立つニコレッタが足を止めた為に、俺達も停止した。
足を止めた理由は直ぐに分かった。正面には蠢く壁、正確には通路の天井、側面に張り付いたウンディーネだ。
「はは……絶体絶命って奴かしら?」
ニコレッタは虚勢を張るように言ったが、乾いた声で逆効果だった。
「あは、ははははははははは」
笑った。確かにウンディーネは声を上げて笑った。まるでお前らはここでお仕舞いかのように。
「別の通路は?」
後ろに控えるクロフトに小声で呟いた。
「ここ以外には無いね」
腹立たしい事に、俺たちが上層を目指すと予測して待ち伏せされていたのだ。
俺たちを警戒してか、ウンディーネは駆け込んで来ない。それに対しニコレッタも火炎放射器を構えたまま、じりじりと後退する。
仮にどちらかが仕掛けたら連鎖的に事態が動く。
残された対処法は、クロフトの《強欲》、俺の《暴食》か。だが、どちらも扱うには危険過ぎるし、この場で使えば仲間も含めた三つ巴の殺し合いになるだけだ。ニコレッタの触手もこの人数相手では力不足。
(どうする。考えろ、考えろ)
逃げ出してもジリ貧になるだけだ。それもこの場からただ逃げるだけでは何かしら対処されているだろう。燃料切れ、魔力切れ、頼りの投擲物も使えない。正面からは夥しい数のウンディーネが迫る。
「後ろもダメ」
(一か八か、暴食を使うか……いや、駄目だ。一日二度も使ったことなんてない。だが、どうする。このままじゃ、死は免れない)
顔は引き攣り、心臓は早鐘の様に音を立てる。足を引いた反動で服の中で何かが揺れた。それは普段から首にぶら下げているギルドカード、そして愛用している火属性の魔法石だ。暗闇の中でも魔力を帯びた魔法石はうっすらと光続けている。
頭の中で単語同士が繋がり、俺の中で絶対に使いたくない使い方が浮かんだ。命が掛かっていなければまず使わない、使いたくない方法だ。
(だが、こうするしか)
迷宮の死闘の末に手に入れたそれを握り、首から下がったチェーンを引きちぎる。思えば、アーシェの次に付き合いの長い物だ。
「ああ、ちくしょー! アーシェ、ごめん。投げるぞ」
かつて迷宮の死闘で手に入れ、使い続けた真紅の魔法石が《異界の投擲術》で投げ付けられた。
「横の通路に飛び込め、焼死するぞ」
俺が投擲したことにより、状況は連鎖的、劇的に動き出した。
《異界の投擲術》を余すことなく発揮され、投げられた魔法石は正面にいたウィンディーネを纏めて突き破ると、中心で真っ赤に光り輝いた。まるで夜の世界に現れた太陽の様だ。
俺の魔力を吸い取り続け、最上級の魔法石に溜め込まれた魔力は、尋常では無い。視界全てを埋め尽くす業火に、通路を塞いでいたウンディーネは容赦無く巻き込まれた。
勝利を確信していたウンディーネの笑いは悲鳴へと変わった。その悲鳴も灼熱の前に長くは続かない。
使い続けられた魔法石は、天然の焼夷弾と化した。通路を埋め尽くす勢いで集まっていたウィンディーネ達は猛炎に抱かれ、融けていく。
爆心地はあまりの高温に晒された為に床や壁が融解。ウンディーネという消火剤が無ければまだ燃え盛っていたかもしれない。
気化した高温の蒸気が肌を炙った。サウナのような凄まじい熱気だ。
「シンドウ君、熱いよ?」
「うるせー! 黙って走れ。ちくしょうが!!」
「何か嫌なことでもあったのかい?」
「愛用の魔法石を使い捨ての投擲物にすれば、誰でも泣きたいだろう」
通路から群がって来るウンディーネをバスタードソードで叩き払い怒りをぶつける。直ぐに頭部の再生が始まり、再戦力化が進むが、それでも進むのには何の支障も無い。
「もうすぐ階段ね」
正面には、最後の妨害とばかりに10体ほどのウィンディーネが立ちはだかっていた。バスタードソードで四肢を弾き飛ばし進む。核を破壊していないので、直ぐに再生するがそれでも足止めには十分。
恋い焦がれた出口が迫っている。本来であれば嬉しさのあまり泣き出してもいいところだが、出口に近づくにつれてあるべき物が無い。
「ああ、頼むよ。今日は散々なんだ」
風が全くないのだ。その危惧は直ぐに現実へと変わった。
「ダメ、しまっているわ……」
認めたくない現実が目の前に広がっている。唯一の脱出路である階段は固く閉ざされていた。
「間に合わなかった……のか」
【名前】シンドウ・ジロウ
【種族】異界の人間
【レベル】47
【職業】魔法剣士
【スキル】異界の投擲術、異界の治癒力、暴食、運命を喰らう者、上級片手剣B-、上級両手剣B、上級火属性魔法C、中級水属性魔法A、 奇襲、共通言語、生存本能
【属性】火、水
【加護】なし
どうも内臓異常中のトコロフです。
先日の祝日、友人達とキャッチボールを行い、イベントで全国のから揚げを食べ、整体に行き、またキャッチボールを行い帰宅した訳ですが、どうも調子が悪いのです。熱を測ると39度、強烈な内臓の痛みで急病センターへ、レッツゴー。病院でX線を取ると「内臓に異常がありますね(にっこり)」とまさかの宣告。憔悴と焦燥を繰り返す俺を事態が待ってくれるはずも無く、抗菌剤と点滴を手の甲に投入。続いてCTを取るために造影剤をぶち込んだ訳ですが、これが全身がカッとなるほどの一瞬で熱くなりました。まるで度数50~60度の酒を喉に通したような熱が全身に広がる訳であります。腸閉塞、腸ねん転、盲腸など、お腹の中を優しく切り開く作業が脳裏にこびり付いて離れないではありませんか。内心びびりまくりでお医者様の宣告を待っていると「手術は必要ありません」と天使の微笑み。いや、まさしく白衣の天使でした。例えそれが中年のお医者様や看護婦様であってもです。
という訳で、急性胃腸炎で薬漬けの日々を過ごしています。お粥や野菜スープには飽き飽きです。料理屋の前を通り過ぎるときは拷問の一言。換気扇から吐き出される煙は、中毒性のある薬物でも混ぜて撒き散らしてるんじゃないかって程、食欲を煽ってくる匂いが漂ってくるではありませんか。肉を、肉をくれッ(切実)
感想は順次返していきます。
何時も誤字脱字のご指摘、申し訳ありません。
助かっています。