第二十六話 帰路
「こうやって改めて見ると、まともな人は誰も居ないのよね。大罪がどうこうは分からないけど、外に出てから話し合えばいいんじゃないかしら? 今は時間が無い。そうでしょう」
緊迫した雰囲気を感じ取ったニコレッタが間に入って来た。何時ものように安い笑顔に戻ったクロフトを一瞥してから俺は視線を戻す。
完全に割り切れたとは言わないが、それでも何を優先してすべきかくらいの分別はある。
「……確かに、そうだな。2人ともタンクの燃料は残っているか? 俺はさっきの戦闘で使い切ってしまった」
俺は既に重荷となる火炎放射器をタンクごと捨ててある。背負っているタンクを二人が叩いた。音から判断すると中身はそう多くは無いだろう。
「残りは半分もないわね」
「僕は3分の1程度しかないよ」
あと一度、二度大規模の襲撃を掛けられたら2人の燃料は完全に切れる。燃料どころか魔力すらない俺は戦力としてはかなり弱体化してしまった。
「オルゾロフとクロフトは何かしらの魔法は使えるか?」
「使えないことはないが、戦闘に使用できるようなものではない」
「僕も同じようなものだね」
聞きたくは無い返答に俺は頭を押さえた。ただでさえ、発動させたばかりで頭が痛むと言うのに、どんどん状況が悪くなる。《暴食》により周辺の精霊もどきはあらかた片付けたことが唯一の救いだ。
「階段に行こう。早く着いたとしても予備の武器がある。ニコレッタ、先導を――」
空気を揺るがし、耳に飛び込んできたのは微かな飛翔音。身体が反応した時には手遅れだった。
俺自身はソレを避ける事ができた。ニコレッタも回避した。運の良いクロフトにも当たらなかった。けれど、この暗闇からの奇襲に、運が無く、非戦闘員であるオルゾロフは逃れる事はできなかった。
ずぶりッ――鈍い音と共に悲鳴を上げてオルゾロフが地面に倒れこんだ。その足には水晶のような棒状の何かが突き刺さっている。
「ぐぁァあああ゛ああ」
痛みに耐え切れなくなったオルゾロフの絶叫が通路に響いた。
「避けろォ!!」
続いて飛来する氷槍を回避、倒れ込んだオルゾロフの腕を掴み、わき道へと引き摺り込む。クロフトもニコレッタが通路に押し込んだことで無事だ。
「ウンディーネの攻撃ッ!?」
「違う。これは」
それが何なのかは理解できなかったが、この攻撃には覚えがあった。しかし、それはこの時、この場所に居るはずが無い相手だ。
「くははは、これはこれは、リュブリスの化け物がいるじゃないか、今日も仲間を食い殺すか?」
通路の奥から男の声が聞こえて来た。忘れもしない。リュブリスの森で冒険者を殺しまわったメルキドの一人だ。あの森で一人残らず死んだと思っていたが、まさか残党が居たとは――。
「なんであいつが生きていて、ここにいるんだ!?」
残党が居たとしても、チェックの厳しいこの施設内に冒険者だけで入り込めるはずがない。理不尽な出来事に悪態を付いていると横に居た人物が答えを口にした。
「あの声はジグワルドくんだね。材料集めが終わったら早速裏切るとは、どうも僕は知人に恵まれないよ」
「お前は、本当に碌な事をしないな!!」
心底吐き捨てるように言うと心外だとばかりにクロフトは抗議の声をあげてきた。
「酷い事を言うね。僕は義手を報酬に仕事を頼んだだけだよ? ジグワルドくんと言う労働力を持つ商品を買ったら、何故か命を狙われたんだ。理不尽だね」
通路手前に氷槍が殺到した。俺が健在なことがよほど気に食わないらしい。
「無駄話をするなッ、お前らが上げるのは惨めな悲鳴だけだ!!」
壁に隠れて、覗き込むが壁に衝突した氷の破片により、頬が切れた。傷口からはうっすらと血が滲む。壁や通路に突き刺さった氷は砕け散り、辺りに散乱する。
「う、ぐ、あァ、足っ……足がぁ」
視界の端では、手足をばたつかせオルゾロフが呻いている。
「オルゾロフ、氷は抜くなよ。出血死かショック死するぞ」
オルゾロフの顔色は酷く悪い。既に床には少なくない量の血が流れ出ている。ここで氷を引き抜けばまず死は免れられない。
「お前らはなぁ、ここで死ぬんだよ!!」
残り僅かになったスローイングナイフを取り出し、通路の奥を睨んでいると異変が起きた。大声で騒いだせいでジグワルドがウンディーネの標的とされたのだ。
(いいぞ)
皮肉にも今までの敵を応援する形になってしまったが、期待には答えてくれなかった。腕から伸びた氷がウンディーネの胸を貫くとその傷口から全身が氷結。一瞬にして氷へと固められたウンディーネ達は義手で粉砕された。砕かれた体が床を滑るように散乱する。
「邪魔をするなァアアア。スライムどもが!! 水の分際で、俺に勝てるはずがないだろう」
周囲にいた他のウンディーネも為す術もなく凍りつき、砕かれる。ウンディーネにしたら氷の固有能力を持つジグワルドは最悪の相性を持つ天敵らしい。凍りついたウンディーネは声にもならない悲鳴をあげた。
壁から腕と頭だけを出した俺は、スローイングナイフを投擲する。もう魔力は残っていない。貫通型で精一杯だった。
一直線にジグワルドに向かっていくスローイングナイフだったが、手から生成された氷槍により迎撃され、ジグワルドの身体には届かない。
「馬鹿が、お前の固有能力は――」
ジグワルドが喋り終わる前に通路に隠れていたニコレッタが身を乗り出し、残り少なくなった火炎放射器を撃った。噴射された炎はジグワルドを燃やし尽くすように見えたが、それは間違いだと直ぐに気づかされた。
瞬時に形成された氷の壁が炎を遮断したのだ。その厚さは優に数メートルはあるだろう。僅かな間、炎に晒されただけでは表面の氷しか溶けていない。
「くははは、なんだそれは、お遊びか?」
器用なことに、俺達の声を聞くために氷壁と天井の隙間を数cmは開けてあるらしい。
引き抜いたバスタードソードを壁に叩きつけるが、表面が僅かに砕けるだけで、僅かに削るだけだ。下手な岩や金属よりも強度があるかもしれない。
「くははは、無様だなァ。本来なら俺のこの手で切り裂いてやりたいところだが、あの化け物に全身を嬲られて死ぬほうが面白い。この目で見れないのが残念だがな」
「シンドウ、炎で溶かす?」
火炎放射器を構えたニコレッタが氷を突破する提案を出した。溶かせないことはないだろうが、時間も燃料も使い過ぎる。
「時間が掛かるし、無駄使いできない」
手榴弾もまだ3個残っているが、あの量の氷を再び出されたら、こちらが無意味に消耗することになる。
「そうなると、別の道を探さないといけないわね。迂回路は?」
「い、一本前の通路を戻らなければ、無い」
足を押さえ、壁に寄り掛かったオルゾロフが苦しそうに答えた。
「氷を壊すのは諦めて迂回しよう。オルゾロフ掴まれ、立てるか?」
「ううっ……」
足を負傷したオルゾロフを肩で支え、氷に背中を向ける。俺達はじりじりと移動を始めるが、クロフトだけがジグワルドを見たまま動かない。
「クロフト、行くぞ」
「分かっているよ。でもその前に、裏切りには代償が必要だ」
クロフトが懐から拳よりも一周り小さい箱を取り出し、蓋を開けた。その開いた箱にはスイッチのようなボタンが埋め込まれている。
「なんだそれは? 爆弾か?」
「いや、ただのボタンだよ」
上の階層で見つけた武器かと期待して尋ねたが、否定された。クロフトはそのまま親指でボタンを押し込む。変化は直ぐに起こった。
「ぎっ、ぐううぅう、なん……だ?」
氷越しに罵倒と高笑いを繰り返していたジグワルドが悶え出した。森で戦った時とは別人のようにおかしくなっていたと思っていたが、とうとう頭がイかれたのかもしれない。
ジグワルドは身体を踊るように激しく動かし、地面へと両膝を付いた。状況が飲み込めない俺に、クロフトは笑顔で教えてくれた。
「予め、ジグワルドくんの義手に仕込みを入れて置いたんだよ。契約違反や危ないときに毒薬が出るように、だって報酬を払ったのに仕事をしてくれないと困るだろう? あの程度では致死量ではないけど、全身を針を刺すような痛みで動けなくなるね」
そういう契約をしたとは言え、ニコレッタに制御用の魔道具を埋め込んで仕事をさせていた人間だ。ジグワルドにだけ何の対策もしない方が不自然だった。
「それじゃ、行こうか」
この階層で動けなくなったとしたら、ウンディーネに嬲られながら捕食されるのが運命だ。それにあの状態では何の脅威にもならないだろう。
どうなろうともろくな死に方はしない。踵を返して来た通路を戻ろうとすると、不意に地面が揺れた。
「なんだ!?」
今度は一回目のように短期間では収まらず揺れが酷くなる。地震大国から来た人間だ。これがただの地震ではないことは分かる。まるで下から繰り返し杭が打ち込まれているような揺れだ。
突き上げるような縦揺れに耐え切れず、とうとう壁に手を付く。そして一際強い衝撃の後に地面が爆ぜた。
正確には、地面を巨大なジェル状の肉が突き破ったのだ。天井に衝突した肉は周囲にばら撒かれると、身動きが取れなくなっていたジグワルドに張り付いた。
「巨大な腕!?」
氷の向こうで繰り広げられる異常事態にニコレッタが後ずさりした。
「なんだこれは、くそが、クソ虫がぁああ、ぐが、っああ、ァアアアア!!」
ジグワルドの弱弱しい抵抗は無視され、全身に肉が巻きついていく。首を振る自由すら失ったジグワルドは怒号を響かせながら、穴の中に消えていった。
「何あれ……」
氷越しに見詰めていたニコレッタが俺たちの気持ちを代弁した。穴から出たジェル上の肉は脈打ちながら俺達の方にも来たが、氷に触れた途端、上下左右に激しく暴れながら穴に戻っていった。この氷が無ければ俺たちもあの肉に飲み込まれているところだった。
「増殖だと思っていたけど、まさかの分離体だね」
「……最下層の本体が、この施設の動力を吸収、膨張して、こ、この施設から、出ようとしているのか」
研究員の2人がとんでもない話を始めた。今まで俺たちが戦ってきた相手は分離体に過ぎず、最下層に本体が居るというのだ。
「おい、ちょっと待て、まだ、本体がいるのか?」
2人から返答を貰うことはなかった。気配を感じて振り返ると、ぽっかりと空いた穴から、それは這い出てきた。まるで蜂の巣を突いたかのように、それは次々と姿を現す。精霊もどき。オルゾロフが偶発的にも生み出してしまった肉食の流体生物だ。
這い出てきたウンディーネは一直線にこちらへと向かってくるが、ジグワルドが作り出した障害物に阻まれこちらには来れない。
「……」
ウンディーネもどき達はどんどんと氷の壁を数度叩き、嘗め回すようにこちらを品定めすると、闇に溶けるように視界から消えた。恐らくは、諦めた訳ではない。邪魔な氷壁を迂回して俺達を襲うつもりだ。
「僕達がよほど美味しそうに見えるんだろうね。大罪持ち2人に、ヌルドゥルクの適合者だ。大国が戦争を起こしても欲しがる対象だよ」
「軍人や化け物にモテても嬉しくないわよ。それよりも早く行きましょう」
肩で支えていたオルゾロフを引き摺るように運んで行く。一歩踏み出すだけでオルゾロフの息は荒くなり、痛みを耐える為、眉間には深い皺が浮かび上がる。
「はぁ、はぁぐぅうう、う」
「しっかりしろ。まだ歩けるか、オルゾロフ?」
まだ1分程度しか移動していないが、歩けば歩くほどオルゾロフの容体は悪化して行く、今では喋る事すら困難だ。振り返れば流れ出た血液によりべっとりと血痕が続いていた。
「は、あっ、もう……無理だ。刃が太ももの大動脈を貫いている。数分以内に処置しなければ、私は、死ぬ。分かるんだ。そ、それはこの状……況では、不可能だろう。動かしても、死ぬのがは、早まるだけだ。……置いていけッ」
無責任に助かるとは言えなかった。出血は酷く、唇は真っ青に染まり、意識も朦朧としている。オルゾロフは俺の肩に回していた手を外すと、そのまま壁に寄り掛かり、地面へとずり落ちた。
「シンドウ、後ろから来るよ」
ニコレッタが俺に警告を出す。空気を揺るがし、鼓膜から伝わるそれは、まるで漣が迫ってくるような音だ。
「ここまで、私を助けようとしてくれて、不謹慎か、もしれないが、嬉しかった。最後に君たちと話せて良かったよ……行ってくれ」
ニコレッタと目線が合った。何を言っても、気休めにしかならない。今の俺たちにはオルゾロフを助ける能力はなかった。
「ッぅ……分かった。走り抜けるぞ。行こう」
俺が下した非情な選択にニコレッタは頷き答え、クロフトはオルゾロフから視線を外した。
「すまないが、ひ、一つ頼みがある。幾つか、手榴弾を置いていってくれないか? 私が、招いてしまった結果だが、それでも、いっ、生きたままは……食われたくはない」
それが何に使われるか、想像するには難しくないが、拒否する事はできなかった。救うことができない俺ができる唯一の救済だ。
「……」
道具袋から2個手榴弾を取り出し手渡す。オルゾロフはそれをしっかりと両手で握り締めると、通路に横になった。
「さよなら。元気でな」
虚勢なのか、残る力を精一杯出し、オルゾロフは友人を見送る挨拶のように言った。実際は声は震えていたし、無理に笑顔にした顔は酷く引き攣っている。
「ああ、さよならだ、オルゾロフ。……行こう」
少しして、幾つもの負の感情を練り固めた絶叫の後に、後方からは爆音が轟いた。その音に振り返るものは誰もいない。俺は一人静かに奥歯を噛み締めた。
更新お待たせしました。
気が付けば100話。