四章 集束する各自の調査結果と収束しない議論の結論について
1
すでに十二時近かった。買ってきた酒も無駄になってしまった。もし、何事もなく飲んでいたらまだ起きていただろうが、そんな気分ではなく、みんな寝てしまったようだ。しかし、奈美香は密室の謎が気になり、目が冴えていた。色々な可能性がある。けれども、どれも弱い。 猪狩なら何か思いついているだろうかと思った。彼は昔から観察力や閃きが良かった。誰も気がつかないところに気がついたり、疑問を感じたりしていた。その度に「なんで、そんなこと気にするの?」とか「別にどうでもいいじゃん」などとまわり言われていたから自然と喋らない事を覚えたのかもしれない。
そう、昔はもっと喋る少年だったのだ。
彼のところに行こうか考えたが、もう寝ているだろうし、あまり興味がなさそうだったので無駄だろう。どちらにせよ今日はもう遅い。明日にしようと思ったとき、ふと真崎の事を思いついた。
「真崎さんなら、何か思いついているかも……」
まだ起きているだろうか、少し話を聞いてみたいと思った。そう決心して、奈美香は部屋を出た。
真崎の部屋は二〇二号室だ。寝ていても起こしてしまわないように軽くノックするが反応はなかった。
「寝ちゃったかな?」
無理もないと諦めて、部屋に戻ろうとしたところだった。
「あれ、どうしたの?」真崎が階段を上ってきた。
手には缶のコーラを持っている。それを買いに行っていたようだ。
「あの、少しお話がしたくて。事件の事なんですけど……」奈美香は上目遣いで話す。
「うーん、前も言ったけど探偵ってそういうことはしないからなあ……」まいったな、というように頭を掻いている。
「でも、何かは考えていますよね?」
「いや、まあ。うーん、いいよ、わかった。けど、明日にしよう。あんな事があって僕も眠いんだよ」そう言って真崎は欠伸をする。
「わかりました。こんな遅くにすいませんでした」奈美香は頭を下げた。
「いいよ、じゃあ、おやすみ」真崎は手を振って自分の部屋の扉を開けた。
「おやすみなさい」奈美香はもう一度頭を下げた。
2
結局、奈美香はなかなか寝付けなかった。そのせいで寝坊してしまった。怜奈に起こされて食堂に行ったときには、もうほとんどの人が来ていた。
猪狩、藤井、怜奈と中井もいる。彼女は従業員と思われる若い男と話している。彼が貴裕だろうと奈美香は判断した。真崎と尾崎は向かい合わせで話をしている。事件のことだろう。そのほかには中年の夫婦だけである。彼らとはなかなか接点が持てなかった。
「おはよう」奈美香は怜奈の隣に座る。
挨拶を交わしたがそれきりで、口数は少なかった。無理もない話だが、誰もが本調子ではないようだ。
「そういえば、今日、真崎さんと事件の話をするんだけど」奈美香は思い出した事を言った。
「お、いいな、それ」藤井が食いついてきた。
「面白そうね」怜奈も興味を持ったようだ。
「帰るんじゃなかったのか?」猪狩だけは興味がなさそうである。
「いいじゃない、別に一日中話をするわけじゃないわよ。今日中には帰るわよ」
「ならいい」猪狩は黙って食事に手を付けた。
しばらくして、大竹と年配の刑事、竹口というらしい、その二人がやってきた。竹口が全員に向かって話し出した。
「皆さんおはようございます。今日帰る方もいらっしゃると思います。それは構わないのですが、お聞きしたい事がある場合には連絡いたしますので。また、何かお気づきの点があれば遠慮なくおっしゃってください。以上です。失礼します。」
そう言って二人は去っていった。
奈美香はコップに水を注ぎに行くついでに真崎のところまで行った。真崎と、尾崎までが彼女を見た。
「あの、昨日のことなんですけど」
「ああ、いいよ。朝食が終わったら僕の部屋に来てくれるかい? 彼らも来るんだろう?」
「はい、お願いします!」奈美香は笑顔を見せる。
3
奈美香は真崎の部屋をノックした。
しばらくして真崎が扉を開けた。「やあ、どうぞ」
「失礼しまーす」
四人は真崎の部屋に入る。すでに荷物が整理され綺麗に片付いていた。
「真崎さんも今日帰るんですか?」怜奈が聞いた。
「ああ、仕事があるからね。」真崎は椅子にに腰掛ける。四人はベッドの端に腰掛けた。「まったく、とんだ一人旅だ。で、何から聞きたいんだい?」
「真崎さんはこの事件どうお考えですか?」奈美香は単刀直入に聞いた。
「どう、ね……」真崎は考える仕草をする。「たぶん内部犯だろうね。外の誰かがあの状況を作ったとは考えにくい」
四人は頷く。
「あと分かっているのは、誰にもアリバイがないって事かな」
「そうですか?」奈美香は首をかしげる。
「被害者が発見されたのは九時過ぎ、僕が最後に見たのは食事のときだから七時半くらい。彼女、お風呂に来た?」
「いえ、来てないです。」怜奈が答える。「私たち、八時過ぎにお風呂に入りました。」
「お風呂に来たかが確かな証拠にはならないけど、まあ、だいたい七時半から、三十分から一時間の間に彼女は殺されたと考えていいよね。警察が死亡推定時刻を教えてくれれば早いんだけど。その間、何してた?」
「えっと、夕食が終わってからは怜奈と一緒にいたよね?」奈美香は怜奈に確認した。
「うん」怜奈は頷いた。
「俺は部屋にいたかなあ? 八時半くらいに風呂に入ったけど」藤井が首を傾げながら言う。「俺もです」猪狩は頷かずに答えた。
「みんな、同じようなものだと思うよ。僕も自分の部屋にいたから。ほら、アリバイなんて大したもの持ってないよ」
「それじゃあ、誰にでもできるって事ですか?」奈美香は腕を組んで考える。
「そう。だからアリバイからのアプローチは無意味ってこと。煙草吸っていい?」真崎はポケットから煙草を取り出す。
「じゃあ、密室のトリックから、それができた人物を割り出すしかないですね」
「もう一つあるよ」
「動機、ですね。けどそれは私たちにはわかりません」
「賢いね、矢式さん」真崎は煙草に火をつけた。「僕らが考える必要もないし、考える余地もないんだけど、唯一余地があるとしたら、密室のトリックだろうね。これも必要はないけどね」
「そもそもどうやって部屋に入ったか」と猪狩。
「少なくとも窓ではないわね。さすがに被害者も悲鳴を上げるなりしたと思う。だから、外部犯説も同じ理由で、なし。内部の人間、つまり、従業員かホテルの客なら何らかの理由をつければ知り合いじゃなくても警戒されずに部屋に入れたんじゃない?」
「親しい人物なら簡単だけど、そういう人が客に中にいた様には見えなかったし、その辺のつながりは警察が調べるだろうね。動機はどうやったって僕らにはわからない。話を密室に戻そう」
「どんな方法があると思いますか?」藤井が聞いた。
彼は先ほどから腕を組んで難しそうに考え込んでいるように黙っていた。だが、おそらく何も思い浮かんではいないのだろう。
議論はもっぱら奈美香と真崎、そして猪狩が少し口を出すだけで、ほとんど二人で進行している。
「色々あるよ。一番簡単なのはカウンターのマスターキーを使った。良く考えたらこの鍵があるんだから密室じゃないね」真崎が笑いながら言う。「オーナーの目を盗めば、誰でもできる」
「それは、無理ですよ」怜奈が反論した。「伯父さんに聞いたんですけど、あ、オーナーの事です。マスターキーは持ち出されないように鍵をかけて保管しているんです。番号式でオーナーしか知らないそうです」
「君、オーナーの姪っ子なんだ? へえ……じゃあ、この方法はオーナーしかできないね」
真崎は一本目の煙草を灰皿でもみ消した。
「でも、伯父さんにはアリバイがあるんです」
「いつの間に調べたんだよ?」藤井は目を丸くしている。
「気になったから昨日のうちに調べたの。えっへん」怜奈は笑顔を見せる。「で、アリバイなんですけど伯父さんはその間ずっと事務室で仕事をしていたそうです。アルバイトの高石君が証言しています。あ、けど、彼は伯母さんと一緒に夕食の片付けをしていたそうで、事務室でずっと一緒にいたわけじゃないみたいなんですよね」
「用意がいいね新川さん。他の人のアリバイとかはわかる?」
真崎は二本目の煙草に火をつけた。どうやら、かなり吸う方らしい。
「いえ、伯父さんたちの事しかわかりませんでした。」
「夏美は食堂にいたって言っていたわ。高石君とお話して、それからお風呂に入ったって言ってるから。たぶん高石君はそのあとずっと夕食の後片付けをしていたのね。だから、アリバイは間違いないと思う。オーナーについても、高石君が見かけているし、奥さんも高石君と一緒にいた。オーナー夫妻も間違いないんじゃないかしら」奈美香は説明した。
「オーナーのアリバイは怪しいけど、まあ、仕方ないか。オーナーの奥さんとバイトの子には犯行は無理だね。アリバイトリックをつかえば可能かもしれないけど、今はおいておこう。そもそもアリバイトリックなんて口で言うほど簡単じゃないからね。
で、夏美って子のアリバイはちょっと薄いな。食堂から風呂までの間が曖昧だ。そうそう、尾崎さんは部屋で仕事をしていたって言っていた。やっぱり、みんな大したアリバイは持っていないね。君たちはどう思う?」
「さっぱりッス」藤井は両手を挙げてお手上げのポーズをする。
「うーん……」怜奈は考え込んでいるようだが答えは出せないでいるようだ。
「マスターキーが使えないとなると、鍵なしで外から鍵をかけたことになります。もしくは鍵はかかっていなかった」奈美香はとっておきの考えを言った。
「ああ、それ面白いね。ということは、鍵がかかっていることを確認した尾崎さんと鍵を開けたオーナーは共犯だね」
「オーナーは確実に鍵を回していた」猪狩が否定した。
奈美香は舌打ちをする。猪狩にとっておきを簡単に覆されてしまった。
「うーん、駄目か……」
「やっぱり鍵はかかっていただろうね。じゃあ、どうやってかけたかだね」
「色々方法がありますね。よくあるのは糸とかワイヤーを使う方法ですけど」
それは、もちろん小説の中の話である。実際に「よくある」かは知らない。むしろ、滅多にないのではないかと奈美香は思った。
「そんな隙間あったか?」藤井が尋ねる。
「窓なら? レバーに糸を巻きつけて上の換気扇から外に出して、引っ張ればレバーが上がって鍵が閉まると思うんだけど」
「糸じゃ換気扇のところが摩擦で切れる。ワイヤーだと傷が付くと思う。釣り糸なんかだと無難かもしれないけど、そもそもうまくいくかどうか」またも、猪狩が否定する。
奈美香は彼を睨んだ。揚げ足ばかり取る猪狩に苛々してきた。
「あんた否定ばっかりしてないで何か自分で意見出しなさいよ!」
「いや、特にない」猪狩は素っ気なく答える。
奈美香は舌打ちしてもう一度睨む。物事を否定できるほど考えられるのならば、必ず、何か思い浮かんでいるだろう。だが、彼はそれをしない。彼女にはそれが不愉快だった。
「まあ、まあ」真崎がなだめた。「それなら、機械を使った方が良い気がするな。僕はよく知らないけど結構小さなサイズになると思うよ」
「でも、それなら回収しなきゃいけないですよね?」
「うん、問題はそこだよね。誰にも気づかれずに回収しなきゃいけない。あそこにいたのは僕ら以外では尾崎さんとオーナーだね。けど、そんな素振りはなかったと思うよ」
「あの時、まだ犯人がいたとか?」藤井が思いついたように言う。
「それは昨日も出たわよ。康平がずっと見ていたから、それはないわよ」奈美香はきっぱりと否定した。
昨日出た案ではあったが、ちょうど藤井が事情聴取に行っているときだったので、彼は知らなかったのだ。藤井はがっかりしたようだ。それなりに自信があったらしい。
「うーん、そろそろネタ切れかな?」真崎の煙草はすでに五本目になっていた。
「今のところそれらしいのはワイヤーで窓の鍵をかけたか、機械で扉の鍵をかけたか。前者なら犯人は一階の部屋の人ですよね。一度外に出ても、入り口から入ったら鈴の音でわかるから、自分の部屋の窓からホテルに入るしかないわ。後者なら、もちろん一階の人も考えられるけど、尾崎さん……」
「か、ここにいる五人」真崎はイタズラっぽく笑う。
藤井と怜奈は驚いたが、奈美香は微笑み返す。予想できた答えだったからだ。猪狩は相変わらず無反応だ。
「一階の部屋は誰がいたかな?」
「えっと夏美ちゃんと……」奈美香は考えたが思い浮かばなかった。
「武井さん夫婦」怜奈が代わりに答える。
これも調べておいたのだろう。何度か見かけた中年夫婦の事だろう。
「ま、どっちにしてもちょっと弱いね。でも、そろそろお開きかな」
「そうですね。ありがとうございました。」奈美香は頭を下げる。
四人は立ち上がり部屋から出て行こうとした。
「君の意見を聞いてないね。猪狩君」
また真崎は煙草をふかしていた。
「秋山美冬さんって、変わった名前ですね。秋なのに、冬です」
奈美香は呆気にとられた。怜奈と藤井も同じように口を開けている。真崎だけが微笑んでいた。
「事件については?」
「さあ……わかりません。何かを忘れているのか、答えは出ていません」
そのまま猪狩は出て行った。