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二章 急展開する事件の展望と停滞する本来の目的について

     1


 猪狩は怜奈が差し出した二枚のカードを見比べた。右のカードに手をかけて怜奈の表情を伺う。左のカードに手をかけて変化を探る。

 猪狩は思わず舌打ちした。

 怜奈は見事なポーカーフェイスだった。これが藤井ならば、おそらく表情から何らかの情報は読み取れるのだが、玲奈と奈美香だとそうはいかず、運に頼らざるを得ない。

 これだから女性は怖い、そう思った。

 猪狩は迷って右のカードを引き抜いた。瞬時にため息が出た。

 人の不幸を喜ぶような笑みの死神の絵柄だった。

「しゃっ」怜奈がガッツポーズをする。

 二枚のカードをシャッフルして怜奈の前に提示する。

 今度は怜奈が、猪狩がしたように左右のカードに手をかけて感情を読み取ろうとしていた。次第に怜奈の表情が曇る。猪狩もポーカーフェイスには自信があった。

 結局、意を決したのか、一枚のカードを引き抜いた。

 その瞬間、怜奈が歓声を上げた。

「やった!」

「昔からこれは嫌いなんだ」猪狩はつい不満を漏らした。「運の要素が強すぎる」

「あんた、昔から運悪かったからね」奈美香が自慢げに言った。

 猪狩は何か言い返したかったが言葉が出てこなかった。とりあえず、残ったジョーカーを無造作に放り投げた。

 藤井の部屋では、ババ抜きや大富豪をしていた。圧倒的に奈美香が強かった。他の三人は大富豪では横一線だったが、ババ抜きでは猪狩が圧倒的に弱かった。

 そのあとも、何度かゲームを続け、あっという間に時間は過ぎ七時になった。結局、猪狩が巻き返すことはできなかった。

 別に修学旅行ではないので時間きっちりに行く必要もないが、トランプも飽きてきたということで食堂へ向かう事にした。

 食堂は一階ロビーの左側にある。食堂に入ると何人かの客はすでに来ていて、思い思いの席についていた。

「あ、あの人」奈美香が指を差して言った。

 彼女が指した方向を見ると、昼間彼女とぶつかった男が座っていた。奈美香が格好良いと言っていた男である。

 彼はこちらに気づいたようでこちらに向かって微笑んだ。軽く手も振っている。奈美香はそちらに向かっていった。

「あの、ここ、いいですか?」奈美香は笑顔で聞いた。

「うん、いいよ。君たち大学生?」

「はい、矢式奈美香っていいます。O大です」席に着きながら奈美香が答える。彼女は男の向かいの席に座った。

「へえ、O大か。頭いいね。僕は真崎和哉っていうから。よろしく矢式さん」

 真崎に対して、奈美香は笑顔で応対している。だが、それは作っている笑顔だと猪狩はすぐにわかった。猪狩の両親にもそうだし、彼女は基本的に目上の人間には猫を被るのだ。

 三人も自己紹介をして、そのあとはもっぱら奈美香が話していた。よほど真崎のことが気に入ったらしい。確かに、見た目は良いし、話しているのを聞く限り、性格も良さそうだ。

「真崎さんって何のお仕事をしているんですか?」

「うーん、まあ一応探偵やってるけど……」真崎が歯切れ悪く言う。

 猪狩は話半分で周りを見ながら聞いていた。なので、探偵という聞きなれない職業(一部の読書家は聞きなれているかもしれないが、職業としてはかなり異質であるはずだ)に反応した客が何人かいたのが観察できた。特に、テーブルの向こうで食事をしている女、今日出かけるときにロビーで見た女だが、彼女が興味深そうにこちらを見ているように思えた。

「え!? すごいですね。やっぱり殺人事件とか解いちゃうんですか?」奈美香は目を輝かせている。

 奈美香はミステリーをよく読む。それを猪狩は知っていたので、奈美香の興奮ぶりは納得できた。だが、理解はできなかった。

 昼間に階段で会った男も興味深そうにこちらを見ている。これだけ大声で探偵だの殺人だの言っていれば注目を集めてしまうのは無理もないだろう。

「いや、そう思うでしょ? だからあんまり人に言いたくないんだよね」真崎は苦笑する。「そういうのは小説の中のお話さ。警察が探偵を頼る事なんてないよ。というよりは、法律がそういうふうに作られていないからね。本来の仕事は素行調査とか浮気調査とか、あと人探しとか。地道な調査が主な仕事だよ。まあ、だいたいが浮気調査なんだけど」

「へえ、そうなんですか……」奈美香は少しがっかりしたようで、肩を落とした。


     2


 食事のあとは風呂に入った。小さなホテルだが、温泉が付いていてなかなか立派だった。

 猪狩と藤井が湯船に入っていると、やや遠くで真崎と男が話しているのが聞こえた。たしか、階段ですれ違ったなと猪狩は思った。つまり、食事の時に興味深そうに話を聞いていた男である。

「あんた、探偵なんだって?」男が聞く。

「はい、そうですけど……えっと」

「ああ、悪い悪い。俺はフリーのライターをやってる尾崎っていうんだ。最近あまりいいネタが無くってさ」

「なるほど、で、僕が探偵だって聞いて記事になると思ったんですね? でも本当に何もないですよ」

「いや、そんなことはないだろう」

「いや、まあ」

 真崎は一度言葉を切る。

「死体に遭遇した事は何回かありますよ」

「ほう……」

 そのあとの会話は猪狩には聞くに堪えなかった。猪狩は風呂から上がることにした。藤井は少し興味深そうにしていたが、彼もすぐに上がってきた。

「わあ、グロ……」藤井が手を掃う仕草で言った。

「まあ、あとでもっと凄い話になるんだろうな」

「まさか、あれ以上はごめんだぜ」

「とりあえず、前隠せ」

「なんだよ。みみっちいな。男なら堂々としろよ」

 藤井が猪狩のタオルを無理やり奪おうとするので、軽く頭を殴って黙らせた。

 着替えを済まし更衣室から出ると、ちょうど奈美香と怜奈も女湯から出てきた。もう一人大学生くらいの女性が一緒だった。

「あ、康平。えっとねこの娘、中井夏美ちゃんっていうの」奈美香が紹介する。

「よろしく!」中井はにっこりと微笑んだ。

「どうも」猪狩はそれだけ言った。それ以外に言葉が思いつかなかった。

「よろしく。えっと、一人で来たの?」藤井が猪狩を押しのけ前に出て聞いた。

 目が輝いているが、誰が見ても下心丸出しなのがわかる。

「うーんと、来たのは一人なんだけど、彼氏がここでバイトしてるから」

 猪狩は藤井が一瞬うなだれたのを見逃さなかった。

 それにしても従業員がいたのかと、そちらの方に興味を持った。よく考えれば、いくら小さいとはいえ、オーナー一人で何とかなるものではない。もちろん奥さんもいるだろうし、子供がいるかは知らないがアルバイトの一人や二人いてもおかしくないなと納得した。ただ、家族経営というのはよくあることだったし、逆にアルバイトを雇うのはコスト面ではどうなのだろうかと、猪狩は少し考えた。

「じゃあ、後でね」そう言って中井は奈美香と怜奈に手を振り、階段のすぐ隣の一〇一号室に入っていった。

「さて、これからどうする?」先ほどのショックから立ち直ったのだろうか、藤井両手を挙げて伸びをしながらが聞く。

「え? 飲むんじゃないの?」と奈美香。さも当然のように言った。

「さっき買ったお酒、誰のところにしまったっけ?」怜奈が首を傾げながら言う。

「あ、俺の部屋だ。じゃあ、行くか」藤井が答えた。

 藤井が先頭に立って階段を上ろうとしたとき、どこからかベルのような音が聞こえてきた。

「何? 何の音?」怜奈がびっくりした様子で周囲を見渡した。

 猪狩は耳を澄ました。どうやら左奥の部屋、一〇三号室から聞こえるようだ。

「あの部屋かな?」猪狩は指を差して言った。

「あれ、何の音かな?」

 四人以外の声が聞こえてきて、全員が振り返った。そこには風呂から上がった真崎と尾崎がいた。話しかけてきたのは真崎の方である。尾崎は顔をしかめている。

「うるさいな」尾崎が部屋の方へと歩いていく。「おい、うるさいぞ!」

 扉をノックするが反応がない。

「いないのかな?」怜奈が首をかしげる。「誰の部屋かな?」

「鍵はかかってます?」猪狩は聞いた。

「掛かってるぞ」尾崎はドアノブを回す仕草をしたが、ガチャガチャと音を立てるだけで、それは動かなかった。

「オーナーに言って鍵を開けてもらいましょうか。人の部屋に入るのは気が引けるけど、これじゃあ、うるさすぎる」真崎が提案した。

「あ、私行ってきます」いち早く反応した奈美香が走っていく。

「なんか、目覚まし時計みたいだな、これ」藤井が独り言のように言った。

 猪狩もそう思った。最近の電子音のものではなくて、昔ながらの鐘を打つような音だった。

「さあ、部屋には備え付けられてなかったと思うけど」猪狩は答えたが、本当に独り言だったらしく、反応は返ってこなかった。

 ロビーからオーナーと奈美香が歩いてくる。

「うーん、お客さんの部屋に勝手に入ったら駄目なんですけどね……」オーナーは渋い顔をする。オーナーからするとプライバシー管理の問題があるのだろう。開けることに積極的ではないようだ。

「そんなこと言ってもこれじゃあ迷惑だろ」尾崎はかなり気が立っているようだ。

「秋山様? どうしました?」

 鍵を開ける代わりに、ドアを強くノックして、呼びかけるが反応はない。

「明けた方がいいんじゃないですか? もし、中にいなければ、これを止めればいいですし、仮に中にいるんだったら、それはそれで深刻な事態じゃないですか」真崎が訴える。

「仕方ないですね」オーナーが扉に近づきマスターキーを差し込んだ。キーを回し、カチッという音が鳴った。

 オーナーが扉を開けた。

 そして、誰もが絶句した。


     3


 部屋に入ると奈美香の視界に真っ先に入ってくるものがあった。

 女性がうつ伏せに倒れているのだ。

 その背中には刃物が刺さり、血がにじみ出ている。いつの間にか音は止んでいた。

 怜奈が短い悲鳴を上げた。そして、目をそらしロビーの方へ走っていった。

 奈美香は一瞬も目を逸らさなかった。どうしてだろうか、足を一歩踏み出した。

「おい!?」誰かが驚いて叫んでいるようだ。おそらく猪狩だろう。

 しかし、彼女は足を止めない。一歩、また一歩。 

 なぜ、歩いているか自分でもわからなかった。ただ、何かを確認したかった。死んでいる事か、あるいは死んでいない事か。自分ではどうしようもないことはわかっていた。ただ、どうしようもなく確かめたかった。これは単なる好奇心だろうか。

「入らないで!!」真崎が叫び、奈美香は無理やり引き止められた。

 そこで奈美香は我に返って冷静になった。真崎を見上げると、彼は今までになく真剣な表情をしていた。

「まだ生きているかもしれないけど、現場は荒らさない方がいいだろう」

 彼はそう言ったが、誰も生きているとは思っていないだろう。刃物は引き抜かれていないので、血が飛び散っているわけではないが、傷口からにじみ出ている血を見れば、素人目に見ても明らかだった。

 真崎が倒れている女性の方へ向かう。しゃがみこんで何かをしている。脈を測っているのだろう、手馴れている。

「オーナー、警察を呼んでください。救急車は、そうですね、呼んでください。でも、無理でしょう」真崎は首を横に振った。

 オーナーは天を仰いだ後、ロビーへと歩いていく。死者への冥福を祈ったようにも、自分のホテルで死者が出たことでの落胆にも見えた。

 真崎がテーブルへと向かう。何かに気が付いたようだ。

 ポケットからハンカチを取り出した。それはたたまれてはおらず、くしゃくしゃになって入っていたようだ。意外にズボラなところもあるのだなと奈美香は思った。

「……馬鹿じゃない、私」

 こんな時に一体何を考えているのだろと、思考をすぐに元に戻した。

 真崎はハンカチでテーブルの上のあるものを掴み、振り向き、それを入り口に立っている者たちに見せて言った。

「鍵だ」

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