プロローグ
「海に行こう!」
すべてはこの一言から始まった。
午後八時。ここは居酒屋の一室。猪狩康平、矢式奈美香、藤井基樹、新川怜奈がそこに集まっていた。
彼らはO大の二年生であり友人である。彼らが友人となった経緯は定かではない。ただ、なんとなく行動を共にし、ただ、なんとなく暇があれば四人集まって飲んでいるわけである。
そして、ただ、なんとなく友人なのである。
今回はテストが無事終わり、夏休みを迎えたことによる飲み会だった。
先ほど、ビールジョッキ片手に「海に行こう!」と言い出したのは藤井基樹である。
彼は坊主頭が伸びたようなソフトモヒカンで、見た目の通り活発な青年だ。
「どうせなら泊まりだ」誇らしげに藤井が言う。
「お、いいねえ」そう言ったのは矢式奈美香。
積極的に賛同し、笑顔でうなずく。赤みがかった長髪が揺れた。
「いつ?」新川怜奈が尋ねた。
彼女も表情は明るい。セミロングで、奈美香と対照な黒髪が印象的な女性である。
「いつでも。なんてったて夏休みだからな。」なんこつのから揚げに手を付けながら藤井が答えた。
「どこに?」ビールを飲みながら聞いたのは猪狩康平。
行く前提で聞いているのだろうが、その表情からは肯定的な感情がうかがえない。
「海」当たり前だといわんばかりに藤井が答える。
「いや、だからどこの?」呆れたように猪狩は聞いた。
「うーん。どうすっかな」藤井は石焼ビビンバを皿に盛りながら考えている。
決めていなかったのか、と呆れ顔のままで猪狩はため息をついた。男にしてはわりと長く、くしゃくしゃになった髪をかいた。
「おいおい、ため息なんかつくなよ」
「あ、私いいところ知ってるよ」と怜奈。「伯父さんがやってるところなんだけど、浜辺が綺麗なんだって。安くしてくれると思うよ」
「おっし、それ!」奈美香が大声で言う。ビシッと怜奈の方を指差した。
「それでいいんじゃない?」猪狩も賛成する。「それと、人を指差すな」
「うん、じゃあ聞いてみる」指差された本人は気にしていないようだ。怜奈は何事もなく答える。
「よし、じゃあ、決まったことだし飲みましょ!」奈美香がビールジョッキを高々と挙げた。
「今までも飲んでた」猪狩が揚げ足を取るようにボソッと言う。
「うるさい!」奈美香は声を低くして猪狩を睨んだ。「あんたもっと飲みなさいよ!」彼女はビールを猪狩の前に突き出した。