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私が歩いていた。
私が、というのは些かおかしい表現かもしれないが、それが事実だった。
『私』の前に――歩いている『私』がいた。
「――――」
私は何も言わず、額どころか顔中に珠のような汗を流しながら歩いていた。
肩を大きく上下に息をし、剣を杖に整備されていない道なき道を歩いている。金色の髪も土埃に茶色。編み上げの靴や革鎧は泥が模様のようにこびりついている。
あーあー、なんて女子力のない見た目だ。自分のことながら情けなくなる。
息が苦しいのか顔はみっともなく歪んでいるし。
一見して必死さが見て取れる、というよりは必死さしか見えない。
でも――知っている。
そうなる理由を知っている。
何も言わないんじゃない。何も言えないんだ。
これは、かつて、私たちが勇者と旅をしていたときのこと。
馬車や馬も使えない、魔界での旅。開門都市を抜けて東の地に行く際、山を越えていたときのことだ。私は足を怪我していた。
ずきり、ずきり、と踏み出すたびに襲う痛みを今でも覚えている。一歩進めるだけで背筋が冷たくなる。痛みを我慢するのに精一杯で、声を出すこともままならない。
『私』がそんなことを思い出している間も、『私』は必至に山を登って行く。
ふらふらと、まるで千鳥足のように体を揺らして歩いていく。
いや、歩いていると思っているのは『私』だけだろう。
今こうして見ている『私』には、あれが歩いているようには見えない。
歩幅と呼ばれるものが全くなく、足をそのまま引きずる様に――実際引きずりつつ、杖代わりの剣を軸に進んでいる。
それでも、それを周りに悟られないように『私』は必死で歩いていた。
この時、私は足を痛めていることを誰にも言っていなかった。
私の前を進む弓兵の爺さんにも、眠そうに箒に乗る女魔法使いちゃんにも、そして、一番先を行く勇者にも、言ってなかった。
「――――」
どうして、言わなかったのか。
――今歩いている『私』に聞けば、心配をかけたくなかった、と答えるだろう。でも、今思えば単なる意地で言わなかっただけに思える。
そう、単なる意地。ただの我儘。自分でもよく分からない感情。
『私』は一生懸命歩いていた。
本当に一生懸命。
見た目にも、思い出でも。
『私』は一生懸命だった。
それを努力と言うのは烏滸がましいかもしれないが、私は「努力」していた。勇者や他の仲間に心配をかけず、今回の旅を何事もなく成功させるために。
でも、知っている。その努力が報われないことを。そして、そこから先――
『私』が力尽きることを。
私はどうにか動かしていた足を止め、杖代わりにしていた剣も倒し、その場に崩れる様に――いや、比喩でもなんでもなく、その場に崩れた。
体力の限界。気力の限界。痛みの限界。
『私』はもう立てなかった。
これっぽっちも動けなかった。
動きたくなかった。
山道に座り込む。俯いたまま、顔は上げようとはしない。今だから、こうして見るからわかるけど、ひどい顔だった。自分でも驚くぐらいに、弱弱しい顔だった。
とてもじゃないけど、勇者になんかは見せれないような顔だった。でも、勇者は――
「おい、大丈夫か?」
『私』が崩れたことに気づき、足早に『私』の元まで駆けつけていた。
『私』は何も言えない。
手で押さえる足――その時は隠そうとしたのかもしれない――を見て、勇者はあっさりと私の怪我を見抜く。
「女騎士、お前、足怪我してたのかよ。何で言わないんだよ。ほら、手貸せ。もうちょっと行けるか?」
そう言って勇者は、私の腕を取って、自分の肩にかけた。そして、私を立ち上がらせる。
「……うん」
『私』は小さく答えた。
嬉しかった。
どうしてか、嬉しかった。
あれだけ、言いたくなかった――知られたくなかった足の怪我がばれたのに、嬉しかった。
その気持ちは、今でもはっきりと覚えている。
私の手を取った勇者の手の感触も、肩にかけた腕から感じる勇者の体温も、すぐ横から聞こえる勇者の吐息も、全部覚えている。
忘れることなんて出来ない。
だって、これは、私が――
ああ、そう考えて、私は思い至った。
……ああ、そうか。私は――
勇者に肩を借りて歩く『私』を見送るよう、私の視界は白んでいった。