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「中々いい門構えじゃないか」
眼前に聳える――とはあまりに大仰だが、今、私の目の前には洞窟が広がっていた。横幅は人二人がゆうに入れるほどで、奥は暗く先を見通すことはまるでできそうもない。
私たちが今、拠点にしている村から少し行った所。山の麓にその洞窟はあった。
「ふうん、懐かしい感じね」
そう言って私は精霊様へと祈りを捧げる。
「――”光壁”」
修道会の秘術の中、最も簡単な防御祈祷だ。洞窟の中が安全とは言い切れない。それに、あの医者も「中はちょっとしたダンジョンになっておる」などと言っていた。
ダンジョンと言えば罠だ。罠が仕掛けられていた場合、私はそんなのを見つけれないし、解除も出来ない。だから、踏み抜くか、見える部分だけ避けて通るしかない。この光壁はそんな場合のちょっとした保険代わりというわけだ。
しかし、ダンジョンを前にしての不安より、私の心の中は祈祷が届いたことへの安堵の念でいっぱいだった。
「……よかった。今度はちゃんと出来た」
もし、今回も発動しなかったら――。
嫌でもそんなことを考える。考えてしまう。……考えさせられる。
幼い頃から修道会に所属し、そこでずっと、勇者と旅をするようになってからもずっと、精霊様へと祈りをささげてきた。私の人生と精霊様への祈りはほぼ同じだ。
だからこそ、それは祈祷術となって。
だからこそ、私の力になった。
「――だから、私は勇者と旅が出来た」
もし、それが使えなくなったというなら……。
考えるだに恐ろしい。そこから先は考えたくない。
それは、今までの私を否定してしまいそうになる。
「ううん、切り替えだっ!」
パチン、と頬を叩く。じんじんとした痛みが走った。
「早く、薬草を取ってこないとなっ」
そう、誰にともなく呟いて、私は洞窟の中へと足を踏み入れる。
洞窟の中は真っ暗だった。外から見ただけでそれは分かっていたことだったが、中に入ってみるとそれは更に感じてしまう。
「――”光照祈祷”」
簡単な祈祷をし、光の球を呼び出した。光の球は私の視線の少し上に漂い、周囲を照らす。松明でも良かったのだけれど、こっちの方が手早い。
照らされたことで、先の道が見える。洞窟の先までは光りが届いていない。完全な暗闇が待ち構えている。それは、この洞窟が深いことを現している。
軽く踏み固められたように感じる土の上を私は歩いていく。
すたすたと、足を進めながら、私は医者の言葉を思い出していた。
「薬草じゃ」
初老の医者はあっさりとそう言った。
「薬草? なんだかベタだな」
「若造が何を言うか。こんなもんはのう、ベタなのが一番なのじゃ」
魔王を指差しながら医者はそう言った。こんなのって、ひどい言い様。
「病には薬、そして休息。これは覆らん。人間の知恵と培った歴史がそう裏付けとるからの」
はっはっは、と医者はそう言って笑った。
「……それで、どんな薬草が効果があるのですか?」
我ながら疑問の色の現れた言葉だった。だが、それを全く気にしないかのように、
「湿度の高い場所に群生する、細長い葉の草じゃ。常に表面が水気に覆われておるのが特徴で、ここいらではの朝露草なんぞと呼ばれておる。ワシらは大体の病気ではそいつにお世話になっとる。精力増強じゃ精力増強」
初老の医者は笑いながらそう言った。
「とにかく、その薬草がいいんだな。で、どこにあるんだよ、その薬草。売ってるんなら買ってくるぞ」
「いんや、今は時期じゃないからの。何処にも売ってはおらんよ」
「「ダメじゃないかっ!?」」
私と勇者の突込みがハモッた。
「まあ、最後まで聞け。手に入らんのならそもそもこんな話はせんわい」
「っていうと……」
「これもベタじゃがの、ここからしばらく行った所の洞窟の中には生えておる」
「べ、ベタだな……」
「ベタだ……」
勇者との旅の間、いくつかそんな話があったのを思い出す。
「ベタベタ言うな。理由もあるわい。そこの洞窟は滝の近くにあっての、湿度が高く水気も多い。朝露草の生育には適しとるというわけじゃ。それに、そもそもがそこにあったのを村の者が取ってきての、それから使うようになったんじゃよ」
「まぁいいよ、別にそんな由来は。んじゃ分かったし、ちゃちゃっと取ってくるよ。そこにはあるんだろ?」
もちろんじゃ、と初老の医者ははっきりと答えた。
「オッケー。じゃあ女騎士、ここで魔王を見ててくれよ。俺は――」
「いや」
私は勇者の言葉を待たずに、割り込むようにそう言った。
「え?」
そして、
「勇者こそここに居てくれ。私が取ってくる」
勇者の言葉を奪う様に、そう言った。
――回想終了。
「あーあ、ちょっと無理やりだったかな」
洞窟の中を歩きながらそう呟く。
「そりゃあ、勇者なら私より早くに取ってくることは出来るだろうけど……」
私だって足の速さにはそこそこの自信はあるけど、勇者には負ける。それに、勇者は転移魔法も使えるし、飛行呪だって使える。間違いなく私より早くに薬草を取ってこれるだろう。
それでも――
魔王を一刻も早く助けたいけれども。
――魔王のそばにいて、どんな風にしていればいいのか、分からなかった。
「なんて、乙女なことを考えてみたり」
そう呟いても誰も返事はしてくれない。少し寂しい。
「それにしても……あーあ。自分で言って自分で自己嫌悪だなんて、私は馬鹿みたい」
出てくる時、勇者に言った言葉を思い返す。
『私より勇者が魔王のそばにいた方がいいだろう』
「――か」
それはきっと、事実。
私が魔王の立場なら、きっとそう思う。
弱っている時に、好きな人が隣にいてくれれば、なんて、みんなそう思ってる。
「そう言っちゃうとなあ……」
正直に言ってしまえば、魔王と勇者を一緒に居させたくない。
でも、そんなことは言えない。思えない。考えてはいけない。
それは、私たちの関係において、不実なもののように思えてしまう。
それなのに。
それなのに――。
私が言ったあの言葉は、
私自身がそれを認識しているということを表している。
魔王が勇者にそばにいて欲しいと知っていて、
勇者が取りに行けば誰よりも早いと分かっているのに、
魔王の気持ちを優先させた。
それは――つまり、私が魔王なら、女騎士――私に出て行って欲しいと考えると思うから。
言い換えれば――嫉妬。独り占めしたいという慾望。
「やだなあ……そんな考え」
そう考えながらも私は足を止めることなく進めていく。
罠が予想通りいくつか仕掛けられていたが、それらは全て私の周りに展開する光壁に阻まれるか、剣を軽く振るっただけで除去することが出来た。
「あの医者風に言えば、ベタな洞窟ね。勇者について行った当時だったら苦戦したかもねー」
そんな風に呟いたところで、開けた部屋に出た。光球で照らさずとも、その部屋はほんの少しではあったが見渡せる程度には明るかった。
部屋の壁を見れば、天井付近には穴が開いており、そこから光が漏れていた。耳を済ませば少し「ドドドドド」という音が聞こえてくる。
「なるほど、滝の近くとはそう言うことか」
この洞窟から滝はそこまで近くではなかった。むしろ離れていると言えるほどだった。
更に、洞窟を進んでいくにつれて滝から遠ざかるから、本当に大丈夫なのかな、あの爺さんは適当なこと言ったんじゃないかな、と考えていたところでもあったのだが、どうやら知らずにうちにぐるりと回って滝に近づいていたようだ。
「ともかく、此処が行き止まりのようね。あそこからは先に進めそうにもないし」
そう言って辺りを見渡す。行き止まりはさておき、滝の近くなら目的の薬草――朝露草が生えているかもしれない。
「お、これか」
壁の穴のすぐ近く、その手前。穴から零れる光が当たるその場所に、緑色の草がいくつか生えていた。
近づいてみれば、ほんのりと水気を帯びた細長い草だと分かる。
「他にはないし、これだろうね。全部……は流石に駄目か、いくつか持って行かせてもらおう」
ぶちり、ぶちり、と草を毟り布袋へと詰める。結構な量が生えていたので、残そうと考えるまでもなく、袋はすぐにいっぱいになった。
「うん、これだけあれば十分。さて、と……」
薬草を背に、振り返る。視界に入るのは来た時の道だ。
一瞬だけ考える。それは、ここに来るまでに考えていたこと。
私は目を閉じ、頭を振るう。
「……うん、うだうだ考えてても仕方ないしな。帰ろう。魔王も待っていることだしな」
言い聞かせるように、そう言って、私は来た道を引き返すことにした。
腰に下げた薬草の詰まった袋に重さを感じる。
少しずつ小さくなる滝の音に耳を傾け、通路へと進み部屋を出る――――
ことは出来なかった。
一瞬の浮遊感。前に浮いていたはずの光球が真上に来る。視界に入るのは、洞窟の天井。
――私は、落とし穴に落ちた。