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私は言葉を失った。
文字通り、何も言えなくなっていた。
あれだけ意気込んでいた私の言葉はどこかへ消えてしまっていた。
「――――」
なぜなら、意気込んで、魔王の返事も待たずに開いた扉の先、そこに――
魔王が倒れていたからだ。
「――っ! 魔王っ!」
一瞬遅れて、声が出た。でも、それは私が出そうと思っていた声じゃない。私が言おうと思っていた文句の言葉じゃない。
「……う、ぅ。お、女騎士か……」
「ど、どうしたんだ!? 誰かにやられたのかっ!?」
駆け寄り、うつぶせに倒れていた魔王を抱き上げる。魔王の体はとても軽かった。目立った外傷は見受けられない。
「いや、ふらっときただけだ。起立性低血圧、もとい眼前暗黒感と言ったものだ」
「何だそれは。よく分からないぞ」
「要するに、立ち眩みというやつだ。長時間、机に向かっていたからなあ。ああ、すまない、昨日作ってもらった食事も手を付けてなかった」
横を見れば、机の上にパンとスープとサラダが昨日持って行ったままの形で置いてあった。
「そ、そんなことはいいんだ。って、魔王! 熱があるじゃない!」
立ち上がろうとする魔王の額に手を当てて寝かせたままにする。その手から、熱さを感じる。それは、明らかに普通のそれではない。
「む、そうか。いやそうだな、思い当たることもある。ここの所、確かに頭が回らなかったのだ。視界も朦朧としていた」
「いつからなんだ!」
「二日、いや、三日といった所だな」
「な、ならなんでそう言わなかったんだ! そう言ってくれればっ!」
「はは、折角の三人旅だからな。無駄な心配は掛けたくないと思ってな」
「――――」その言葉に私は言葉を失った。だが、一瞬だけ。
「わ、私に言ってくれれば魔法もあるんだ!」
そう言って、私は魔王に手をかざした。
私には魔法――修道会の秘術である祈祷がある。精霊様の力を借りることから、治癒や解病はお手の物だ。
「”解病祈祷”――!」
その言葉と共に、私の手と魔王の間に光が――点らなかった。
「――”解病祈祷”! ”治癒祈祷”!」
何度もそう叫ぶように言っても、私の手に精霊様の力が宿ることは無く、私の声だけが虚しく響いた。
「え……あ……あぁ……」
「……女騎士、私は大丈夫だ」
魔王は弱弱しく、私の腕の中でそう言った。その声には気遣いの色が見える。でも、
「なんで……どうして……」
私には魔王の声が耳に入らなかった。それより、なにより。
私の精霊様への祈祷が使えないことがどうしようもなく私を混乱させる。
あの戦いで、精霊様は解放された。でも、だからと言って精霊様の力を受けた私たち教会のものが力を失ったわけではない。私以外の湖畔修道院の者に会って確かめたわけではないが、少なくとも私は使えていた。
――なのに、今は使えない。
「どうしたんだっ!?」
「……ゆ、勇者」
「魔王っ!? 女騎士、何があったんだ!?」
「あ、あぁ……魔王が……魔王に熱が……」
……。
それ以上は何も言えなかった。
勇者は思った以上にてきぱきと動いていた。魔王を寝かせ付け、近くの医者を呼び、その診断を受けさせていた。私はそれを半ば呆然と見ているだけで、何もできなかった。
それは、本来なら、自分の役割だと分かっていたのに。
「とりあえずは大丈夫じゃろう」
初老の医者は魔王の診察を一通り終えるとそう言った。
「じゃが、体が弱っとる。そいつが致命的にいかんのう。なんじゃ、無理をしとったんじゃろうなぁ」
「ど、どういうことなんですか」
ようやく私は声を出すことが出来た。
「ここいらの村ではの、ちょっとした流行病があっての。まぁ風邪に似た症状なんじゃが、そいつぁ風邪よりひどい高熱をだしての。体が弱っておれば命にもかかわる」
「そ、そんな……」
「まあ、そう心配せんでもええ。ちゃんと水分を適切に取って、栄養も取っておればまずそんな事にはならん。そんな心配せんでも、あの姉ちゃんだと栄養はたっぷりあるみたいじゃがのー」
初老の医者は胸の前で弧を描くように手を動かす。私は突っ込む気力もない。
「なぁ、治るのか?」
同じように勇者も無視して、そう言った。
「ん、さっきも言ったがのう、大事なのは水分と栄養をちゃんと取ることじゃ。それで大方は治るじゃろう」
「でもさ、あいつ、さっきまでは元気にしてたけど、寝かせたら本当に具合悪そうにするんだ。何かさ、それを軽減とかできないのかなって……」
「ふうむ」
初老の医者は顎に手をやり、考える様子を見せ、
「まあ、やることが無いワケでは無いのう」
と言った。