5話
奥羽社。
この名前を聞いた人間がまず初めに思い浮かべるのは、そこに所属する一人の科学者だろう。
アラガネ。
世界にその名を知られたAD開発の第一人者である。
そして次に奥羽社自体の大きさを思い出すだろう。
1999年時点で既に日本が世界に誇る一大企業であった奥羽社だが、ラグナロク後に急激に業績を伸ばし、現在では世界有数の化物企業に成長している。
それも当然と言うべきか。
ADに使われている技術は様々な分野での当時最先端のテクノロジーを二歩も三歩も飛び越しており、それらを売り物とする奥羽社の成長スピードは並々ならず。
ADを介して軍部と深い繋がりを持つようになり。
やがていくつもの有力企業を合併し取り込んだ奥羽社は正に世界企業と言って差し支えない。
しかし、ことAD分野に限って言えば、近年名前を知られつつ有る二人の技術者が奥羽社に所属している。
佐伯正和。
佐伯和葉。
今年で20歳を迎える彼らは二人は双子の兄妹で、その両者ともがAD開発に携わっている。
ただ、その業務に対する役割は全く異なる。
兄の正和が世界を飛び回り、至る所の研究者と共に様々な技術交換を行うのに対し、妹の和葉は自らの研究所に篭もり黙々と自分の興味が向いた研究を黙々と続けている。
正和が技術をかき集め、和葉がそれらに自分のアイデアを加えモノを完成させる。
それが彼らのスタンスである。
ただ、和葉にはひきこもりの気があり、積極的に自らの研究所から出てこようとしない。
そんな佐伯和葉の研究所が、他でもない暁学園にほど近い郊外に在った。
その研究所でも奥まった建物の一室、そこで拓人と和葉は向き合っていた。
正面には大小あらゆる機器が並び、各ディスプレイには機器らがモニタリングしているモノの数値が踊っている。
機器から伸ばされたコードは部屋の中央に鎮座している機械人形に繋がっている――赤黒い異形のADだ。
それを知っている者がこの場に居たら目を見張ったことだろう。
何故ならそれは、10年前に東京に現れた「鬼」と呼ばれる機体なのだから。
「和葉さん、もう一度聞いてもいいですか……?」
「……いいよ、たっくん」
「どうやって、ここ数年どうやっても動かなくなったコイツを起動させたんですか」
「……わかんない。勝手に動き出した。それよりお腹減った。ご飯ちょうだい」
「それで、なんでコイツはまた起動しなくなったんですか」
「……わかんない。起動したけど、すぐにまた動かなくなった。ご飯ちょうだい」
拓人は頭痛を覚える。
目の前にいるこの人は紛れもなく、奥羽社のAD開発部門のアラガネに次ぐ実力を持っている技術者だ。
例え見た目が何を考えているか分からない無表情――単にボーっとした女性であっても。
その知識たるや並の技術者とは比べ物にならない研究者であり技術者である。
なのに彼女が分からないとは一体どういう事なのか、とか、ご飯ちょうだいってそういう状況じゃねえだろとか考えてしまっても非はあるまい。
そも彼女しか頼れない事情があり、解決出来るのが彼女しか居ない以上、拓人としては期待をする他ない。
なお、拓人が敬語なのは、相手が年上で有る以上は多少アレな人物でも敬意を払おうという気持ちからだ。そろそろ限界だったが。
「モニタリングのログはどうなってるんです?何か兆候みたいなものはなかったんですか?」
「……勝手に動き出したとしか言えない。最近この子いじるのにも飽きてたから、なんにもしてない。たっくん、ご飯」
「たっくんって呼ぶのいい加減やめませんか。つーか飽きてたって和葉さん!!」
「……うー。声大きい」
「久住さん、佐伯さんは近頃わたくしのアメノウズメの最終調整に掛かりっ切りだったのですわ。此方の方に気が向かなかったのもそのせいで……」
今まで拓人の後ろで様子を見守っていた亜里沙がおずおずと切り出した。
この状況には和葉だけでなく、自分にも責任の一端があると思わずにはいられなかったのだ。
そう、和葉は拓人の目的を叶えられる人物であると同時に、亜里沙の専用機の開発責任者でもあった。
部外者立ち入り厳禁の研究所に入れるのもそのお陰である。
尤も亜里沙が拓人の目的を知っている人物であるのも大きな理由ではあろうが。
「うん、まあ、それはそうなんだろうが……」
「……たっくん、ご飯」
「まだ言うか!」
「………………」
「無言で見つめてもダメだからな!」
「……たっくんのいじわる。じゃあ亜里沙ちゃん、ご飯ちょうだい」
「分かりましたわ……。その前に佐伯さん、起動理由が分からないとはいえ、仮説くらいはあるんですわよね?それを説明してからご飯にしましょう。そうでないと久住さんが納得しませんわ」
「……うん。あるには、ある」
「じゃあ、」
最初からそれを教えてくれ、と言おうとして拓人は言い噤む。
和葉が此方をじっと見つめていることに気づいたのだ。
「……たっくん、今から話すのは仮説。焦って暴走したりしないこと。いい?」
「…………はい、分かりました」
どうにか拓人は落ち着きを取り戻す。
「……いい子いい子。これを見て」
和葉は一台のPC端末に手を伸ばし、キーボードを操作する。
ディスプレイに画像が表示され、大きく破損した赤黒い機体が表示される。
「鬼」と言われる機体の各所は、所々虫食いのように削れ、胸に当たる部分には抉り取られたような痕が見て取れる。
機体は胸部と右半身側に集中して破損している。
腕部は肩を残しグシャグシャに潰れ、脇腹部分も装甲が剥がれ、内骨格が露出している。
画像の端には『2008.11.03』と有る。この写真が撮られた日付である。
苦々しい表情でそれを見る拓人に、和葉は続ける。
亜里沙は居た堪れない気持ちになる。
これが拓人が此処に居る理由であり、出来れば彼にとっては思い出したくないことであるだろうから。
「……まず」
すう、と大きく息を吸い込むのは、長い話をするときの和葉の癖だ。
「……ADの身体機甲における最重要機構、『核』。かろうじて維持機能だけは残ってたけど、これが破損したこの子は、たっくんとのリンクが出来なくなった」
カチッ。
和葉が画像を次のものに切り替える。
『2009.01.22』。機体は以前の画像とは違い、完全に修復されている。
「……装甲部分の破損した部分は修復を完了。ただし、同じく修復されたこの子のコアは外部に一切の反応を示さなくなった」
画面が変わる。
2009.01.22から今日に至るまでの日付が並び、様々な方面からのアプローチの記録がなされている。
しかし、その結果の欄にあるのは全てが『起動せず』という文面だった。
「……最初は、コアの修復にミスがあるんだろうって思った。次にコアとのリンクの確立時にトラブルがあるんだと思った」
けど、と和葉は続けた。
「……両方とも違った。そもそもエネルギーを供給しても起動すらしないのがおかしかった。
なにより、たっくんのナノマシンが”ADとリンク状態のまま”で有ることが考えられなかった」
ADの操縦者は、ADを動かす際にコアを介して『脳』と『身体機甲』をリンクさせる。
コアからの介入でナノマシンは活性化し、操縦者の脳の普段使われていない部分を刺激する。
これにより思考の加速や身体能力のリミッターを外し、操縦者自身のスペックを底上げすると共に、選者居能力部分での機体制御の演算を可能にする。
この演算結果を受け取り、機体制御を実際に行うのがコアである。
つまりはAD操縦者の第二の脳たる機構がコアということになる。
拓人の身体能力が異常とも言えるのはそのせいだ。
本来AD搭乗時のみ活動するナノマシンが常に起動し、脳のリミッターが半ば外れた状態――本来セーブされているべきレベルでの行動が可能になっている。
これは佐伯兄妹を始め、基本的には一部の人物しか知らない情報だ。
ひょんなことからそれを知った亜里沙などが特別なのであり、例えば牧伏や他の学園生には知られていない。
「……たっくんのナノマシンが活性化状態を維持してる以上、この子を起こさないとたっくんは二度とADに乗れなくなる」
覚えてる?と和葉が亜里沙に尋ねる。
拓人に訊かなかったのは、彼にとってそれは訊かれるまでのないことだからだ。
「久住さんのナノマシンがこの機体のコアからの始動コマンドで活性化を始めた以上、同じコアの終了コマンドで活性化を終えさせないと他のコアとのリンクも出来ないんでしたわよね。
ADはナノマシンの起動時に機体との適合をするという特徴故に」
「……正解。だから迂闊にこの子を弄れなかった。それにこの子はアラガネの作ったワンオフ機。この子に限らず原点のADはブラックボックスが多すぎ」
和葉はアラガネに対し敬称を付けなかった。
どころかアラガネと口に出すとき、彼女にしては非常に珍しく、声のトーンが下がっていた。
「原点のAD……。アラガネ博士の作ったラグナロクの騎士ですわよね」
「……うん。全部で13体作られたオリジンは、全部に解析できないブラックボックスが積んである」
――あの日。
世界中に蔓延った悪魔と世界樹を討ち滅ぼした13体のAD。
これを人々は原点のADと呼んでいる。
オリジンの内、現在も活動しているのは9体。
そのどれもが世界各地での魔物との戦いを続けている。
10年が経過した今でも、どんな騎甲者、機甲者が駆るADもオリジンに匹敵する戦力を有さないとされている。
当然それは他の誰よりも長く戦っているオリジンの乗り手の技量にも寄るものだが、
大きな要素としてオリジンに積まれたブラックボックスに秘密があるとされている。
現在は活動していない4体の内の一体――それが目の前にある『鬼』。
改めて告げられた事実に、亜里沙は唾を飲み込んだ。
「何が作用してるか分からないまま、コアに手を入れてしまうことは出来ませんものね……」
「……うん。だけど、これを見て」
再度画面が切り替わる。
折れ線グラフだ。
下には今日までの日付があり、数値は今日に至り急激に上昇している。
それ以前の日付では所々で少々上がり、あとは無反応を示す最底辺を這っていた。
「これは?」
拓人が口を開く。
このグラフは今まで見たことのないデータだった。
「……脳波データ」
「脳、波?」
「……仮説の結論から言う。この子は」
和葉は一旦区り、言う。
「……この子は今まで眠ってた。あの日からずっと、『夢』を見てる」
それがどういう意味なのか拓人が問おうとしたとき――。
「……なんだ!?」
研究所に爆音が轟いた。
読んでいただきありがとうございます。
毎時0時に更新をしていましたが、都合により早めに更新します。
よろしくお願いします。