3話
「さて、帰るか」
「おう。……うお、この評価見ろよオイ。『射撃:正確性 F』だってよ。最低評価なんて最悪だ……絶対コレお前が超回避したせいだろ!」
「俺ばっか狙ってたお前が悪い」
事務局への訓練終了報告をした後、俺と牧伏は寮への帰り道を歩いていた。
訓練場の使用報告などは終了後に報告義務があり、報告と同時に訓練の評価表が渡される。
これは訓練場に備え付けてある多視点カメラによる自動評価で、射撃の正確性や所要時間などをA~Fまでの6段階で評価するものである。
「そういう拓人はどうなんだっつーのよ?ちょっと見せてみろって……よいっと!」
牧伏の手が伸びてきて、拓人の持っていた評価表をパッと奪い去っていく。
「ええとどれどれ。『射撃総合評価:A』『体術総合評価:A』『各項目総合評価:A』……うわあ、腹立つ。
これが俺様を叩きのめして得た評価だと思うとすっげえ腹立つわ……!」
「勝手に人の評価表ぶん盗っておいてそれかよ……」
「しっかしお前、これだけ能力高いのに何で機甲科に行かずに普通科に編入してきたんだか。AD適性だってありそうなもんだがねえ。
いっそナノマシン適合テスト受けてみればいいじゃねえか。確か受けてねえんだよな、お前」
「……身体能力とナノマシン適合率は無関係だぜ?んな事言ったらAD適正が有るのは全員がアスリートってことになりかねない」
「それにしたってよう、適合テストくらい受けても損はねえ気がするがなあ」
「……」
「んあ?どうした拓人?」
「……なんでもねえよ。それより、とっとと評価表返しやがれ!」
取り返そうとするも、牧伏は評価表を持った手を高く上げる。
身長で劣る俺の手が届かない位置まで上げると、牧伏は嫌らしい笑みを浮かべた。
「お?おお?これは傑作!天下の拓人さんに俺様が勝っちゃったよ!ホレホレ、取り返してみろーい!」
「小学生かテメーは!いいから寄越せ!」
「欲しけりゃ取ればいいじゃねーのよ。ほーれほーれ」
「2メートル届きそうな大木ヤローが何ぬかしてやがる!そろそろ本気で怒んぞコラ!」
「がーっはっはっは!拓人をからかう優越感、俺様ってばこの上なく気分が――――ほぐぇっ!?」
「あ」
アホ面を下げて大笑していた牧伏の額を、何かが直撃した。
500mlのペットボトルである。
飛んできただろう方向を振り返ると、そこには憮然とした表情で立つ少女の姿があった。
「道の真ん中で邪魔なことこの上なし、ですわ」
「……相変わらず半端ねえな、亜里沙」
「わたくし、やるからには徹底的にやりますわ。半端って嫌いですの」
亜里沙は倒れ伏した牧伏に近づくと、容赦のない蹴りを見舞った。
どぅふっ、とか聞いた事のない声を牧伏は上げていたが、どうやらイラついていたらしい亜里沙は、追撃を繰り返す。
蹴り、蹴り、蹴り、踏みつけ、踏みつけ、踏みつけ。
「どぅふっ、ぐおっ、あがっ、……ッ!……ぐっ!あおッ!あへっ、えへっ、あへへ、どぅふっ、ドゥフフッ、ドゥフフフ!」
「そこら辺でやめとけ亜里沙。牧伏が何か妙な世界に到ろうとしてるから」
「ふんっ……!目の前の敵から逃げ出す輩にはこれくらいしないと……!良い様ですわ!」
最後に一撃、力をこめて牧伏を踏みつけると、亜里沙はこちらに向き直った。ぎりり、と細められた視線が刺さってきて怖い。
元々かなり整った顔立ちをしているために、「わたくし気分を害していますのよ」というポーズをとられると、
怒りの矛先を向けられている身としては非常に居たたまれない気分になる。
亜里沙の機嫌が悪い理由――ああ、思い当たる節がある。
ついさっきの訓練で思わず巴投げをかけてしまった相手、それが彼女だ。
「さっきは投げ飛ばしてすまん。どこか痛んだりするか?」
「最低限の受身は取りましたので、何てことありませんわ」
「良かった。訓練とはいえ俺のせいで怪我したとなっちゃ悪いもんな」
「怪我も何もあったもんじゃないですわ。久住さん、――貴方、倒れている私に止めをささなかったでしょう。
あの時は動けなかったのですから、わざわざ降参を求めるなんてまどろっこしいことはせずに、
銃で撃つなり何なりしてしまえばよかったではないですの」
「いやまあ、そりゃそうなんだが……まいったな」
痛いところを突かれて、唸ってしまう。
それを見て呆れた顔をすると、亜里沙はさらにこちらに近寄ってきて、俺の胸を小突く。
「それに貴方も分かっていたはずですわ。
後ろから迫って来ていたのが牧伏さんという可哀想な脳の持ち主でなければ、
私を押さえ込んでいる久住さんに銃撃を浴びせるのは確実でしたわよね?」
「う……」
黒江亜里沙――。それが彼女の名前である。
眉目秀麗かつ頭脳明晰。才色兼備という言葉がここまで当て嵌まる人間を他には知らない。
学業は当然のごとく入学から常にトップを誇り、体術といった身体能力面でもかなりの実力を見せる。
これだけなら普通の優等生なのだが、彼女の才覚はそれだけに留まらない。
亜里沙はどこかの教育施設から招集された訳ではなかったのだが、入学に際して行われたナノマシン適合テストで騎甲者級の数値を叩き出したのだ。
以来、彼女には自衛軍がスポンサーとして付き、新型ADのテスターとして選出された。
新型ADのテスターとは、つまりはいずれ自分のものとなる専用機の調整も兼ね、魔物と戦闘する機会を与えられることを意味する。
実際に数度の戦闘経験を得ており、時折学園を欠席するのは対魔物戦へ参加しているがためとのことだ。
学園卒業後には軍への配属が半ば決定しており、その予行という意味合いもあるらしい。
ただ、こんな噂もある。
軍は当初、彼女に「今すぐにでも軍へ入隊を」と打診し、亜里沙自身もそのつもりだった。
しかし、ある時期を境に彼女は断固として卒業までの入隊を拒否した――。そういった風聞。
まあそんなことを考えていても、現状の打破には全く繋がらなかった訳で。
黙り込んだ俺に、亜里沙の説教は続く。
「そもそも貴方は能力はあるくせにいつも何処か抜けていますわ。
それでは訓練は良いにせよ、実際に戦場で戦えば気の緩みが原因で命を落としかねません。
わかってらっしゃいます?」
「あー……うん、うん」
「何ですかその返事は!人の話をきちんと聞いてらっしゃいますの!?貴方はそんなだから――!」
……いかん、適当に聞き流していたせいで、また怒りがぶり返してきたらしい。
これ以上怒らせては不味いので、慌てて言い繕う。
「よ、要するに亜里沙は俺の心配をしてくれてるんだろ?ありがとな、嬉しいよ。優しいよな、お前って」
「――ッ!?ま、まあ分かれば良いんですのよ」
しっかりと目を見て礼を述べる。実際、指摘はもっともだ。
急に感謝されたことに驚いたのだろうか、亜里沙は言いかけていた言葉を飲み込む。
「それとごめんな、手加減したみたいになっちまって。
相手が女の子だとさ、どうしてもなるべく怪我させないようにって気を使うんだよな。亜里沙からの助言、肝に銘じておくよ」
「…………人の気も知らないで……」
「ん?何か言ったか?」
「次は本気で来て下さいと言ったのですわ!ほら、こんなところでいつまでもたむろしていては通行の邪魔ですから、さっさと寮に帰りますわよ!」
言うが早いか、亜里沙はさっさと歩き始めてしまった。
どうやら説教タイムは終了だ。地面で悶絶している大男に行くぞ、と声を掛けて亜里沙を追いかける。
こうして俺と亜里沙、牧伏が連れ立って帰るのは珍しくない。
俺と牧伏が普通科、亜里沙が機甲科と属している科は異なるが、行き先はどうせ同じ敷地内に立っている男子寮と女子寮なのだから自然な流れとも言える。
俺が2年の四月後半に編入してきた頃は、寮での同室となった牧伏と二人で通学していたのだが、
五月の連休を目の前に行われた拓人にとって始めての対戦式の小隊訓練で、亜里沙率いるチームに俺の所属チームが勝利してからというものの、
何かにつけて亜里沙は俺に絡んでくるようになった。
(初めての対戦訓練で、しかもいきなり女子相手だったからどうしていいか分からなくて、とりあえず武器全部叩き落としてギブアップさせたんだよな……。
後から亜里沙たちが学年トップ候補筆頭だったって聞いた時には驚いたもんだ……ゲームセット・ブザーが鳴った時の亜里沙は思い出すだけで恐ろしい)
般若だった。奥歯を噛み締めて「こいつ殺してやりたいですわ」って視線で語ってたもんなあ。
亜里沙としては自分たちの勝利を信じて疑っていなかっただろうし、手加減されて、しかも負けたことに本気で怒っていたんだろうと思う。
ずるずると足を引きずりながら牧伏が歩き始めたのを確認してから、俺はやや早足気味の亜里沙の隣に並ぶ。
そこで亜里沙の頬が赤らんでいるのに気づいた。
「あれ?亜里沙、なんか顔赤くないか?まさか、さっきの訓練で顔面擦りむいてたり……」
「夕日!夕日のせいですわ!」
「そうか?それにしては赤すぎる気もするんだが……」
「ちょ、ちょっと!あまり不躾に眺め回さないでくださいな!?…………恥ずかしい、ですわ」
「うお、あ、悪い」
亜里沙は語尾をごにょごにょと濁し、ぷいとそっぽを向いてしまう。
最後は良く聞こえなかったが、顔をしげしげと眺められたら、それは誰だって気分の良いものではないだろう。
「そういや亜里沙、今日は何でまた対人訓練に参加してたんだ?ようやく完成した専用機の稼動試験が忙しくてどうこう――ってこの前言ってなかったか?」
話題を変えるべく話しかける。
亜里沙はこのところ講義が終わり次第、すぐに学園の敷地内にある軍のラボに向かい新型ADの調整と試験稼動をしていた。
テスターとしての活動の結果、出揃ったデータを元に開発が進められていた彼女の専用機の配備は間近と聞いている。
なのに今日の対人訓練に参加していたのが少しばかり気になったのだ。
「わたくしの専用機――『アメノウズメ』の調整は昨日で終了しましたの。今日はメンテで、明日の最終稼動試験後に正式に私の専用機として配備されますわ。
ですから今日は特に用事がなかったのですが、牧伏さんから対人訓練に誘われましたの。気分転換に良いかと思いまして、参加させていただいた次第ですわ」
と、後方の牧伏から声が飛んでくる。
「なーにが気分転換に良いかと思いましてー、だっつーのよ。散々『面倒ですわ』とか『連日の稼動試験で疲れてますの』なんて言ってた癖に、
対戦相手が拓人だって教えた途端に手のひらひっくり返して参加するって食いついてきたくせによう……」
「ち、違っ!――ええい、お黙りなさい、この!この!」
「あっぶねえ!おうわーッ!モノを、投げんじゃ、ねえっつーのよ!あでっ、痛え!痛えって!」
「お前ら毎度楽しそうだなー……」
カバンの中から次々と物を出しては投げつけ、果ては道端の石ころを投擲する亜里沙と、ひたすらにそれを回避する牧伏を眺めつつ、ぼそりと漏らす。
いつもの光景ながら飽きることがない。亜里沙は怒るととにかく暴力的になる。
モノをぶん投げてくることが特に多い傾向にある気がする。
これはこれで動体視力の訓練になるかもしれない。ならないか。ならないな。
「阿呆なことを言うその口に石でも詰め込んでやりたい気分ですわ……はあ、無駄な汗を掻きましたわ。早くシャワーを浴びたいですわね」
一通り気が済んだのだろう亜里沙が肩で息をしつつ言う。
対して牧伏は投げつけられた物品の回収をしている。これもいつもの光景だ。
普通投げた側が片付けるのが道理のように思うが、亜里沙にそれを言うと暴力度が加速するので俺も牧伏も大人しく片づけを行うことにしている。
手伝いもしないが一人で歩き去りもしないあたりは気遣いなのか、ただ傲慢なだけなのかは判断に困るところではあるのだが。
「しっかしアレだよなあ。亜里沙も亜里沙なら拓人も大概鈍いっていうかよう。普通気付きそうなもんだがねえ……」
「あ?何か言ったか?」
亜里沙から隠れるようにして牧伏がボソボソと言っている。
何だか気の毒そうなヤツを見る目でこちらを見ているのは何故だろう。
「別になんもしてねー。単に天下の拓人にも欠点は有るんだなとかよう。……あー、やきもきするねえ」
「やきもきって何の事だよ?」
「それが分からねえから欠点だって言ってるんだっての。オメーは本当に――ああもう!」
ボリボリと頭を掻き毟って、そこではたと牧伏は動きを止めた。
そして顔を上げたかと思うと、俺と亜里沙を交互に見て、にやりという擬音がしっくりくる表情になり、
「あー、しまったぜー。教室に忘れ物しちまったー」
酷い棒読みでそう言った。
「「……は?」」
俺と亜里沙の声がシンクロした。
牧伏は怪訝そうにしている亜里沙へと近寄り、身を屈めて何事かをつぶやいた。
「…………拓人と二人きりで…………俺様はこのまま……」
「……え?……ちょ、ちょっと待ちなさい!そんな急に、そもそもわたくしは!」
「……アイツ……だからよう………………拓人だって…………」
亜里沙の顔色がみるみるうちに赤く染まっていく。
何故かちらりと俺を見て、目が合うと動揺した様子で全力で顔を逸らす。
そんな亜里沙の方をぽんと叩き、牧伏はこちらに視線を向けた。
「って言うわけで俺様はちょっくら学校に戻るから、先に帰っててくれ!んじゃなー!」
呆気に取られているうちに、牧伏は学校へ掛け戻っていく。
と、牧伏は立ち止まり、気味の悪い笑顔で手を振り一言。
「うまくやるんだぜ亜里沙ー!」
「大きなお世話ですのよ――ッ!」
もはや通行の邪魔だとかいう言動とは程遠い大声で、亜里沙は叫び返した。
読んで下さりありがとうございます。