取り憑く霊
今日もまた一日が始まる。
僕は目覚めて伸びをして大きなあくびを吐いた。
すると。
「おはよ」
まだ二十にもなっていないであろう若い女が僕に笑いかける。
五十を過ぎ、頭も大分寂しくなった僕にこんなに若い女が側に居てくれる……なんて幸運なんだろう。
たとえそれが幽霊でも。
「あぁ、おはよう」
「よく眠れた?」
「そうだな。昨日も残業だったから」
「どーせ、家族もいないんだから適当に働ける仕事探せばいいのに」
くすくす笑う彼女に僕もまた笑い返す。
幽霊だから触れ合うことは出来ないけれど、それでもこうして話し合うことが出来る。
本当に幸運だ。
なにせ、僕は既に親とも別れて天涯孤独。
おまけに友達らしい友達もいない。
文字通り会社と自宅を行ったり来たりするだけの人生。
そんな人生にこの女の幽霊は不意に現れたのだ。
『記憶がないの。どこへ行けばいいかもわからない。だから、ここにいていい?』
性欲など既に失せて久しい。
だから下心も何もなく、僕は彼女を受け入れた。
寂しくて仕方なかったから。
自分の人生が。
――もう一年も前のことだ。
彼女と過ごす日々は穏やかで楽しかった。
朝起きたら彼女がいて、夜帰ったら彼女がいて……ただ他愛もない会話をする。
テレビのニュースや映画や漫画の話をのんびりと話す。
何もない灰色の日々に色がついたようだった。
下心なしに受け入れた彼女だけれど、僕が彼女に強く惹かれたのは当然のことかもしれない。
「今日も帰り遅いの?」
「そうだな。遅くなると思う」
「頑張ってるじゃん。ここのところ。何か目的あんの?」
「あるにはあるが秘密だ。楽しみにしておけ」
そう言いながら僕はスーツの中に隠し持っている指輪を想う。
言うまでもなくこれは結婚指輪。
彼女は触れる事が出来ないけれど、それでも僕は買わずにいられなかった。
形だけでもいい。
彼女が成仏するまででもいい。
夫婦という決着に落ち着きたかったんだ。
「なに? ニヤニヤして」
「いや、なんでもないさ」
だけど。
いや、だからこそドラマチックに渡すと心に決めていた。
計画は少しずつ進んでいる。
だから、今は我慢だ。
「それじゃ、行ってくる」
「はいはい。いってらっしゃい」
うきうきとした気分で僕は家を出た。
喜ばしい未来を夢想しながら。
*
私を殺した醜悪な男が出ていったのを見て、私は舌打ちをしてこの家を出る。
「気持ち悪」
幽霊となって三十年。
……つまり、私が奴に殺されて三十年。
当時、交際のもつれで殺されたと報道された私のことを覚えている人などもう居ないだろう。
実際には交際などしていない。
ただ、告白をして断ったら『自分の思い通りにならないなら』と逆上して殺されただけだ。
口裏を合わせをされてあの男の罪は可能な限り低くなったけれど、当然のように多くの人と絶縁をされていた。
それでも奴はのうのうと生きている。
それが許せなくて最高の復讐をするためにこの一年耐えていたけれど……。
「いくら三十年経っているとは言え、人って本当に自分の罪を忘れちゃうんだな」
正直なところ、それが怖くて仕方ない。
自分が殺した相手の顔すら覚えていないなんて。
「……やっぱり、もう関わるのはやめよう」
そう呟いてこの場所を去る。
馬鹿げた面のまま『告白』をしてきたら、全ての種明かしをして罵倒し逃げる。
そんな痛快な復讐を計画していただけにこの結末は非常に不本意だ。
だが、しかし。
自ら関わり続けているこのバカバカしさに私はようやく気づいたのだ。
……結果として。
不意に私が姿を消したことで最も大きなダメージを与えられたのだと悟るのはそれから一ヶ月後。
あの男が浮浪者のような姿で私を探し続けているのを目撃してからだが、それはまた別の話。




