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ルインシールサーガ 二章 奴隷紋は光らない  作者: 宮下しのぶ
第一章 「この石鹸、実は食べられるの」

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「この石鹸、実は食べられるの」 3

 

「けど、石鹸を持ち歩くのも珍しいよね」

「そう?」

「そうそう。でも、衛生観念大事だから良い心がけだと思うよ。衛生観念に気を付けていると病気や食中毒とかも防げるし」

「ありがとう」

「それにしても」

 そこで、ミシューは感心した様子で言った。

「良い石鹸だね。泡立ちが良くて汚れがとても落ちる。切り口も粗雑じゃなくて丁寧だし。安物だと乱雑にカットされている事もあるのに。品質が良い証拠だね。それに……」ミシューはそこで石鹸を嗅ぎ「香りも良い。とっても良い。使った後、変な臭いがしない。本当にすごく良い香り。もしかして、マリユ石鹸?」

 ミシューはその部分に感嘆を隠せなかった。というのも、この世界の石鹸事情が大きな起因となっていた。

 このガリア大陸、事、セインブルグ王国において、石鹸が主に消費されるのは大衆の通う浴場であった。王都アークガイアにおいても大衆浴場は多く運営されておりミシューの住むクリュール区のクラムストリートにおいても一軒の湯屋が存在した。

 そういった湯屋には当然ながら石鹸が置かれている。気の利いた湯屋は無償で石鹸を提供しているがこの時代、アメニティの無償提供の方が希少であり、大半は有償での販売を行っている。石鹸なだけに有償石というわけだ。

 そのような石鹸だが大半は魚油と木灰を混ぜて煮詰めた液状の粗悪品であり、この粗悪品の臭いときたら酷い事この上ない。異世界転生前は現代っ子なミシューからしたら汚れを落としているのか、汚れに来ているのか判らないレベルである。

 当然、この世界の人間にとって魚油の石鹸が主流なので皆、なにも疑問に思わず使っている。なので、この世界の人間は基本くせえ。誰もが感じつつもあえて触れないようにしていた腫れ物なファンタジー世界の闇に今、メスが入った。郷に入れば郷に従えと言うが従えない郷もある。ミシューにとって動物油の石鹸が正しくそれであった。

 なので、ミシューはあえて石鹸には金に糸目をつけなかった。マリユ地方という場所で生産されているマリユ石鹸だが、原料は動物油ではなく植物油、オリーブオイルを利用している。こちらではエライアーオイルと呼ばれているようだが。それを海藻灰で煮詰めて作る製法である。魚油の石鹸特有の臭みは無く、良い香りがする。生産が絞られており王侯貴族相手に優先して取引されるが、ミシューは実家より幾分か融通してもらっていた。だって、臭いのは嫌だもん。

 ちなみに、一つ安心させる話をするのであればカーリャは臭くない。どうやら魚油の石鹸を使っていないようである。この前、窓際の席で居眠りをしている時に臭いを入念に嗅いだから間違いない。ハーブの良い香りがしていたので、きっと随分とお高い石鹸を使っているに違いない。貧乏子爵の三女なのにやりおるとミシューはひそかに感心したものだった。エロ可愛いがな。

 フィリアから手渡された石鹸からは魚油特有の臭みを感じられなかった。もしわずかにでも匂うようならば今頃、フィリアの顔をズタボロなタオル代わりにしていたに違いない。乱暴な話だがミシューはその点において強く確信をしていた。迷惑この上ない。

 フィリアは口元に手を当てて言葉を返す。

「あら、わかるの?」

「わかるよ。良い品質だよね」

「そう?ありがとう」

「どこで買ったの?植物油由来の石鹸は山の手のシャーレ区まで行かないと買えないからとても気になる。クリュール区で売っているわけではないでしょ?お父さんやお兄ちゃんに頼んで送ってもらうのも申し訳なくてさ。自分で調達できるなら調達したいんだよね。遠方の故郷のラザーニアから送ってもらうのも送料が馬鹿にならないし」

「この石鹸に、興味があるの?」

「うん」

 ミシューは力強く頷く。無邪気である。

 実のところ、他意が有って言っているわけではない。純粋に品質の良い品物に感動しただけの話である。特に飲食に衛生観念は切っても切り離せない重要事項である。実際、ミシューにとっては世間話程度の感覚であった。

 だからだろうか。

 ミシューは気付かなかった。

 たかが、何のこともない、どこにでもあるような石鹸の話を振った瞬間、そう、その瞬間にフィリアの意志強そうな眼光が更に一層その強さ、鋭さを増したことに。

 口を開こうとしたその瞬間のフィリアの瞳の色が、カーリャに対してウザイまでのベーカリートークを繰り広げるミシューの幽鬼に憑かれたような表情と酷似していたことに、ミシューは、気付く事が出来なかった。

 フィリアはそっけなく相槌を打つ。

「へえ。そうなの」

「うん」

「そんなに知りたい?」

「うん」

「実はね。これ、原料はオリーブオイルじゃないの」

「え?」

 フィリアは懐から石鹸をもう一つ取り出して、どうして二つも石鹸を持っているんだという突っ込みをいれる暇もなく隆々と、まるでなにかプレゼンの練習をしていたかのように語り始める。

「セインブルク王国といえば主な主食は小麦よね。ファルケ小麦やルクセン小麦が有名だけど、対してベルファンド王国で有名なのはなんだと思う?当ててみて」「えーと、こ」「そう、米。ベルファンド王国はセインブルグ王国に対して稲の栽培が活発な土地。その年間生産量は大国セインブルグに対して二倍以上とも三倍強とも言われているわ。国民一人当たりが日に消費する米の量は一日に二百グランから三百グランと推定されているの。ベルファンド王国の総人口がセインブルグ王国の三分の一にも満たない事から考えてもこれはすさまじい生産量だと思わない?」「おも」「そう!思うわよね!それほどまでにベルファンド王国において米の自給率、生産率と消費率は大きいものなの。まさに、米はベルファンド王国の主な主食の一つといっても過言ではないわ」「まあ、そうだ」「そうでしょ!ベルファンド王国において米こそ国民食なのよ。ゆえに、ベルファンド王国において米こそファーバレットフード。まさに象徴といっても過言ではないわ。それで、ミシュー。あなた、ベルファンド王国において最も良質な米を栽培している地域はどこか知っているかしら。あなたにとっても、とてもゆかりのある土地だから正解しないと大恥かいちゃうわよ。さあ、答えて頂戴」「えーと、ちょ」「そう!当たり!そのとおりよ。さすがね。ミシュー。よく知っているわね。ベルファンドのみならず、ガリア大陸でもっとも良質な米として知られているのがラザニア米。貴方の故郷、ラザーニア地方で栽培されるベルファンド王国きっての名産の一つよ。焚くとふっくらと柔らかで風味が良く、王侯貴族からも好まれる味よ。素晴らしい洞察だわ。ミシュー=スフィール。辺境伯令嬢の名は伊達ではないわね。あの世でリースティア先生も喜んでいるわよ」「いや、死んでな」「そんな高価で高品質なラザニア米だけど、精製過程で問題となるのが大量の米ぬか。多くは堆肥として利用することになるんだけど良質なラザニア米のブランド価値が豊富な米ぬかをただ、肥料として消費してしまうのはとてももったいない話だと思わない?そう思うでしょ?」「ちょ、話させ」「思うわよね!そこで、私たちは目を付けました!この米ぬかをどうにかして再利用できないかと!そこで生み出したるは、この石鹸!なんと、植物油でもなく、風味のくさい動物油でもない新しい製法!名産と名高いラザニア米の米ぬかを塩分濃度の高いミルガ湾の海藻灰で煮詰めた逸品。臭いをかいでみると仄かに良い風味がするでしょ。これ、無添加なのよ。無添加でこの風味なの。すごいでしょう」「いや、だ」「驚くのも無理は無いわ!厳選に厳選を重ねた結果の一品だもの!米ぬかというのも新しいとは思わない?革命的よね。こんな素晴らしい石鹸だけどやっぱり製法が製法だからとても高いのよ。これ一個で中銀貨一枚はするわ。でも、これでも原材料費は三割を切っているのよ。良心価格よね。でも、それでも高いと思う?安心して。会員登録すれば卸売価格で買えるから。興味があるなら、私の知り合いのすごい人を紹介して詳しい話を聞かせてあげるから。忙しい方だけど私が言えば時間は取れるから。ううん。気にしないで。こっちに来てから知り合い、いないでしょ。きっと素敵な出会いがたくさんできるわ。あなたにとって幸せな時間を約束するわよ。そうそう、大事な事を言い忘れていたけど」

 有無言わせないファリアの圧力。

 たじろいだ瞬間。

 石鹸が。

 目の前を。


 ーーー躍る!


「この石鹸、実は食べられるの」


お読みいただき、ありがとうございます。

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