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ルインシールサーガ 二章 奴隷紋は光らない  作者: 宮下しのぶ
第一章 「この石鹸、実は食べられるの」

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「この石鹸、実は食べられるの」 1


「これは、とんでもないことだ」

 ミシュー=スフィールは、厨房にある作業台の上に置かれた壺の中に溢れる、数えきれないほど大量の絢爛キラキラな硬貨を見下ろして興奮まじりにつぶやいた。


 〇 〇 〇


 謎が謎を呼び、原因が恐ろしいほどに不明なブーランジェリースフィールの大行列からおおよそ三ヶ月が過ぎた。

 とはいうものの、セインブルグ王国においては『月』という共用単位で物を考える事はなく、九十日毎の四つの季節という捉え方をしていた。正確にはその季節を更に前期、後期という区分にしておおよそ、一年を八等分にする形が主流だが。

 すでに時節は夏、この国の人間がノーゼス・シュティム、シュティアの時節と呼んでいる春の周期は終わりを迎え、本格的な夏が続いていた。あの世界の感覚でいうのならばおおよそ八月の半ば、といったところなのだろうか。

 実際に、夏の本格な蒸し暑さが顔を覗かせていた。まだ文化水準は産業革命以前なので、あの世界の様な急激な温暖化は発生しておらず、暑さを肌に感じる程度であったが。文化水準の低い世界にいると如何に文明社会が星にとって有害であったかわかる。同時に未開な文明がいかに不便かも痛感するのだが。

 冷房設備が完備していないこの世界において夏は厳しいものである。備蓄の食材は傷みやすいし、食中毒にも気を付けなければならない。やはり衛生科学が発展していないので食中毒の概念も乏しく、多く人間は今一つ、食材の管理の重要性について解っていないようである。大変危険な事だ。食品衛生業に携わる人間として由々しき問題である。遺憾の意と表明しても良い。異世界転生系の主人公が真っ先にやる事が食材関連のインフラ整備というのも痛ましいほどに良く解る。転生したら食中毒になってまた死んでしまいましたじゃあ洒落にならない。死ぬならせめて、竜にかじられるとかそういうドラマチックなのを所望したいという気持ちもあるし。

 時刻はすでに昼の四刻目を迎えていた。先ほど、四刻目を告げる鐘が鳴り響いていたのを耳にしている。時計などまだ発明されていないので正確な時刻はわからないが、おおよそは午後の三時か四時を迎えようというところだろうか。体感でしか時間を計れない生活にも慣れてきたことから、自分がこの世界に適応してきたことが痛ましいほどに理解できる。

 あの丸くて針の二つ付いている便利な奴のナイスガイな顔を見なくなってから幾何の時が経つが、いなくなったらなったでなんとかなる物である。漫画や小説に出てくる異世界転生者もきっと元の世界で家族や友人にそう思われているのだろうか。そう考えるとミシューはちょっぴりオセンチになってしまった。

 すでに、店内は閑散としている。ミシューは最近、四刻目の鐘が鳴りしばらく過ぎたら店を閉めることにしていた。店の儲けを考えるならば夕刻からも営業した方が良いのだろうが、客の入りによって汚れた店内を掃除し、最終的な売り上げの勘定をしたならば良い時間になる。帳簿もつけなければならないし、食事や風呂などの身支度もしなければならない。更にこの店はパン屋さんである。翌日の仕込みもしなければならない。それから布団に入って眠れるのが五刻目の鐘が鳴ってからはるか過ぎ、おそらくは午後の九時や十時頃だろうか。

 眠るのが早い?この店はパン屋だって言っただろうが。起きるのは当然、至極常識的な話だが、午前の三時前である。そこから寝かした生地を捏ね上げて、発酵させて、焼いて、朝食を食べて、明けの一刻目の鐘が鳴ったらブーランジェリースフィール、営業開始である。

 あの世界のブラック企業も真っ青な労働環境。これでも幾分か綺麗な上澄みをすくったような内容である。この勝手が判らず、この段取りが出来ていない時分は、睡眠時間が余裕で三時間を切った。いくらパン作りが好きでもこれを続けていたら過労で死ぬ。十日ほど過ぎて心臓がバクバク鳴り始めた頃から、ミシュー=スフィールは静かに悟ったのである。あと、パン作り系のチートスキルを自分が持っていないという事も悟った。なぜかって?死にかけたけど能力に覚醒しなかったからだよ。わかれよ。

 まあ、実際の話。

 初日の、漫画のような行列がいつまでも続く事は無く、ブームはいつの時代も、どこの世界でも一過性であり、数日もするとおかしな波はまるで泡沫の幻のように静かに引いていった。

 けれども、店の味が気に入ってくれた人は居たのか、はたまたパンというこの世界でまだ開発されていない食べ物が珍しいのか、徐々に常連客は増えていった。店舗に並べている買い切りの持ち帰り商品は午前中にはけるようになったし、店内での飲食を望む客も増えた。昼時には店の机と椅子が客で埋まっていることも珍しくない。

 売れているのならば生産数を増やそうかとも思うが、店が始まったら接客に専念しなければならない程度には賑わっている。更にそこに食事客の対応もしなければならないので休憩時間も確保できない程度には忙しかった。

 これ以上生産数を増やすには従業員を増やすしかない。接客対応の従業員でも雇おうかと脳裏で片手で数えられる程度の候補を思い浮かべる。一番初めに思いついたのは眉間にしわを寄せた残念美人だがありゃ駄目だ。絶対に接客に向かない。クレーム入れられたら客を半殺しとかにするだろて。

 かといって、他に当てもない。こちらに来てから毎日が慌ただしく、知り合いを新しくつくることもままならなかった。居住一体型の飲食店なのでご近所付き合いぐらいはちゃんとしているが、候補という候補は今一つ思いつかなかった。

 そして問題は、他にもある。

 ミシューは、思いついたかのように調理場に向かうと、食材の入っている複数の壺のうち、一つを取り出す。安物で銀貨一枚三個セットのお買い得価格である。露店で人気の無い見習い陶芸家が出品しているのを強引にマイウエイで買い叩いた。陶芸家が涙目だったのは売れ残らなくて嬉しかったのだろう。きっとそうだ。不揃いなのはご愛敬。王侯貴族ではないのでなんでも白磁製になどできない。経費削減である。

 ミシューは、両手で抱えられる程度の大きさの壺を、調理場にある作業台の上に乗せた。ごすんと重い物の入った音がする。

 ミシューは木製の蓋を静かに開いた。

 すると、そこには。

「これは、とんでもないことだ」

 金銀キラキラな無数の硬貨が壺の中に溢れかえっていた。

 前世の父が言っていた。大事な物は壺の中に保管しろと。前世のミシューはその言葉を幼少から強く心に刻み込んでいた。

 んで、異世界転生したら転生先の父親も、大事な物は壺の中にしまえと格言のように伝えてきたので、こいつも前世の父が異世界転生したパティーンか?と思い何度かカマをかけてみたが、どうにも違ったという面白くないオチであった。

 ただ、前世でも今世でも同様の事を言い含められたので仕方がない。ミシューは大事な物は基本的に壺にしまうようにしていた。箪笥預金ならぬ壺預金である。

 そんなこんなで、ブーランジェリースフィールの預金は基本的にこの調理場に食材用と並べて置かれた壺の中に入っているのだが、ここ暫くで驚くほど金銭が貯まった。

 ブーランジェリースフィールは基本的に売買価格は原価三割と定めているのだが、市民税や飲食組合への会費等を差し引いても随分所ではない純利益だった。店舗は買い切りだし、今のところは無借金経営なので、税金を引いた売り上げはそのまま懐に入る。人を雇っていないので人件費も必要ないし。

 結果、露店で二束三文の壺は、僅か一ヶ月で満杯になった。今やちょっとした小金持ちである。転生したら壺預金でお金持ちになっちゃったというやつである。

 ただ、壺に入っているのは銀貨ばかりで、偶に小金貨がちらほら混じっているだけであった。確かに小金貨は貨幣価値が高い。だが、銀貨に関しては大きさにもよるが、そこまでの値打ちは無い。大銀貨など、二、三人で深夜の酒場に向かい夜通し飲み明かせば簡単に溶けてしまう程度の価値である。

 実際には、先日に換金した竜の爪による収益も含まれている。あれもカーリャに随分と値切られた。ただ、それでも夏の終わりまでは閑古鳥が鳴いていても問題ないほどの臨時収入だったのでやはり竜退治は美味しいんだなあとミシューは思った。二度とやるかとも思ったが。

 あちらの世界とこちらの世界は貨幣価値が当然ながら違うが、ざっと推測する所、あちらの世界で数百万から一千万円近い預金にはなっているのではないかというのがミシューの推測であった。そして、それはおおよそ当たっていた。

「大変なことになった」

 ミシューは神妙な顔で呟く。気が小さい。一応主人公なのだからもう少しどっしり構えてほしい。冒頭から金勘定なんてせせこましくて涙が出るからやめてほしい。

 そんな思いもむなしくミシューはしつこくも金勘定を続ける。これを元手に設備を増設するか。あるいは人を雇うか。ベーカリー事業が存在しないこの世界では設備はすべてオーダーメイドである。綿棒じゃなくてそろそろシーターも使いたい。ポリプロピレン樹脂製のような質感のスケッパーも特注したい。ああ、夏用の制服も考えなくては。ヒラヒラで清楚だけどどことなくエチィやつ。できればそれを着こなせる人材も。ユタナ大河にカーリャを落としたら女神様が綺麗なカーリャでもくれないだろうか。そしたら私専用の着せ替え人形にするのに。

 反吐がでそうなほどにくだらないことを小金を眺めながら夢想する少女。

 すると。

 ガラン、と店の扉の鈴が鳴る。

 接客対応用に付けた鈴だ。

 だが、すでに店先の看板は下げて扉に付けられた札も閉店にしてある。偶に閉店の文字を見ないで入ってくる迷惑客がいるが、その手合いだろうが。もしそうであるのならば、何たる失礼か。

 一言ビシッとバシッと断って、波風立てずに帰ってもらおうとミシューは思ったが、同時に怖い人だったらいやだなあとも思い、恐る恐る店頭に向かった。

 やっぱり気が小さい。

 店頭を見るとそこに居たのは自分と同じ歳だと思われる程度の年齢の少女であった。

 気の強そうな印象。深海の様な蒼の瞳に鮮やかな紅の髪。秋の盛りの紅葉した森のようだとミシューは思った。

 少女はセーラータイプの可愛らしい夏服に身を包んでいた。中々に素材の良い生地だがどことなく着古した印象がある。ぶっちゃけ貧乏くさい。容姿も素材も良いのにもったいない。新調すれば良いのにとミシューは思った。

 しかし少女も、そして彼女が纏う衣服もどことなく見覚えがあるがミシューは基本的にスポンジ頭で脳みそがグルテンで出来ているので余計なことは覚えられない。おまえ病院行ったらいいんじゃねえの選手権セインブルグ王国代表を辞さない驚異的な右脳をフル活用してもやはりおぼろげである。

 思い出せないなら思い出さなくてよい事なのだろうとミシューは思い切り、すいませんが閉店ですと切り出そうとするが。

「久しぶりね。ミシュー=スフィール」

 少女は開口一番にそういうのであった。

 その少女の自信あふれる相貌に。

 誰だっけ。

 と、ミシューはポケンと思った。


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