Knights of the Night
王都の裏路地は、夜になると湿った空気に煙草と酒の匂いが染みつく。
いつもと同じように薄暗く、喧騒の余韻が石畳に滲んでいる。
そして今夜も、酔いと欲にまみれた男たちの影が伸びていた。
「……おい、いいじゃねぇか。ちょっとくらい付き合えよ」
「あっ、離して……!」
若い女性が腕を掴まれ、壁際へと追いやられている。袖が引き裂かれ、声は震えていた。
暴漢のひとりが、下卑な笑いを浮かべながら腰に手を伸ばす。
「……おや」
その場に、軽い足音がふたつ。
ひとりは、騎士然とした体格に柔和な顔立ち。アッシュブラウンの髪に、カーキ色の外套。
騎士団長レオ・ハーディング。王国の良心そのもの。
そしてもうひとりは、細身で品の良いブラックスーツに身を包み、銀縁眼鏡と白手袋が映える男、アーチボルト・クレベリー。微笑を湛えた、王都の華。
「ハーディングさん、私達はただの通行人でしょう。深入りするのは趣味じゃないんですけどね」
アーチーはポケットから細身の煙草を取り出し、咥えながら言う。
白手袋をはめた指で軽くライターを弾く。一度、二度。三度目でやっと、夜の闇に小さな赤が灯った。
「いいや、僕は助ける」
レオはもう動いていた。
真っ直ぐに、暴漢たちのほうへ歩いていく。
「ああもう……あなたが行くなら、仕方ないですね」
アーチーは肩をすくめて、煙草をくわえたままゆっくり歩を進める。
彼の周囲には、ほんのりと甘くてスパイシーな煙の香りが漂っていた。
◯
先に出たレオが、その前に立ちはだかった。
暴漢が二人、威嚇する。
「おい、なんだテメェ」
「騎士団のレオ・ハーディングです。王都の安全は、我々の仕事ですので」
「……チッ、うぜぇんだよ!」
片方の男が踏み込んだ。
だが、次の瞬間には、その男はレオの拳を顔面に受けて、無言で沈んだ。
続いて、肘撃ち。返す右肘で、もう一人の腹を抉る。嘔吐するように崩れ落ちた。
「……あらま」
アーチーが、肩を軽くすくめた。
裏路地を抜けて、女性をかばいながら広場に出る。
物陰から、さらに五人の男たちが現れた。太い棍棒、鈍い光を放つ短剣など。報復に来た仲間たちだ。
「人数が増えましたねぇ……いや、これは舞台が整った、というべきか」
「アーチー君、下がってて」
レオが冷静に言い、前へ歩み出た。
後方の女性を、アーチーがすっと抱き寄せる。
「お嬢さん。見ない方がいい。これは大人の悪趣味ってやつですからね」
彼はそっと彼女の目元を覆った。
前に出たレオは、防御魔法を身体にまとう。
静かな詠唱が唇からもれた。
光が彼の体を包み、鋼のような膜となって全身を覆う。
彼の眼差しは、ひとり、またひとりと暴漢たちを冷静に見極めていくようだった。
棍棒を手にした男が先に仕掛けた。
「くらえ!」
唸りを上げた棍棒が振り下ろされる。だが、それより早く、レオの拳が宙を走った。
バキン、と骨の砕ける音。
棍棒の主は、地に沈んだ。
「この……化け物がっ!」
ナイフを構えた男が襲いかかる。
しかしレオは、片膝を軽く落として姿勢を低くし、外套をひらりと翻しながら、跳び上がって振り向きざまに拳を叩き込む。
鋼を叩くような音。
男の体が地を滑り、背後の樽に突っ込んで止まった。
「さて、次は……」
周囲を囲むようにして、さらに男たちがにじり寄る。
息を呑む気配。
辺りに濃密な殺気が満ちる。
それでも、レオの表情は変わらない。
「……次から次へと。さすがに疲れるよ、君たち」
素早く距離を詰めると、魔力で強化された体で一人を肩で抱え上げて、地に叩きつけた。男は口から血を吐き、嗚咽する。
大立ち回りをしている背後で、もう一人の暴漢が、短剣をかまえてレオの背中を狙って突撃してくる。
その瞬間、アーチーの靴先が短剣を蹴り飛ばしていた。
「落とし物ですよ」
アーチーは優雅に微笑んだ。その靴先には、彼が踏み砕いた短剣が転がっている。
レオはその気配に気づき、驚愕する敵の胸ぐらを掴んで、そのまま壁に叩きつけた。
膝蹴り一発。さらに追撃で拳が振るわれるたび、骨の軋む音が響く。小さな呻き声を残して、その男も動かなくなった。
レオは息を深く吸い込み、拳を握りなおす。
残る一人は、もう戦意を失っていた。媚びるような笑みを貼り付けて、後退りする。
だが、レオは逃さない。
片足を地に踏み込んだ瞬間、その姿は風のように速く、回し蹴りを叩き込む。相手の頬が腫れ、白目を剥いた。
全身を走る魔力が、外套を軽やかにたなびかせる。
もはや暴漢たちは、なぜ自分がここにいるのかも忘れているようだった。
数分後……
静寂。
地に伏した暴漢たちの間を、レオがゆっくりと戻ってくる。
肩で息をしていた。額にうっすらと汗が滲んでいる。
「お疲れ様でした」
アーチーは相変わらず壁に寄りかかっており、煙草をくわえて、片手でライターを弾いて火をつけた。
無言のまま、レオの口元へ煙草を差し出す。
「ったく、ちょっとは手伝えよ……」
レオは煙草を受け取り、ひと吸い。
息を深く吐き出すと、やっと顔が落ち着いた。
「必要ありませんでしたよね?」
アーチーはにやりと笑う。
「あなたなら、あの程度は散歩みたいなものでしょう」
「……まあ、否定はできないけどさ」
そして、か弱い声がした。
「……ありがとうございました……!」
女性が恐る恐る口を開く。
「礼には及びません。ご無事でなによりです」
レオは真っ直ぐに応じる。
アーチーも穏やかに微笑んだ。
「危ないですから、念のため、家までお送りします。道すがら、騎士団の詰所に寄って報告しておきましょう」
「本当に、ありがとうございます……!」
アーチーは微笑みをたたえたまま、女性に寄り添って歩き出す。
レオはその後ろを、やや疲れた足取りでついていく。
夜の王都に、足音が遠ざかっていった。
◯
すべてを片付け、女性を自宅まで送った二人は、人気のない路地を並んで歩いていた。
舗道には落ち葉。照明は鈍く、風が冷たい。
アーチーはポケットから細身の煙草を取り出し、口元にくわえた。
ライターを取り出す。細長い二本の指で蓋を持ち、薬指で軽く叩いて開けると、そのまま指の間に挟んでくるくると回しながら火をつける。
ふわりと香ばしい甘さが広がった。
レオもそれにならい、懐から箱を取り出して、重そうな煙草を一本。
くわえ、アーチーに火を寄せてもらう。
ふたりの煙が、空にほどけていった。
「優しいんですね、あなたって」
不意にアーチーが言った。
口元から煙を吐き出しながら、片眉をわずかに上げて。
「騎士道精神? 正義感? 女性が困っていたら、理由もなく助けにいけるなんて、立派なご身分ですね」
レオはニコリともせず煙を吐き、静かに視線を夜空に向けた。白い煙が夜にほどけていく。
「僕にとっては、ああいうのは当たり前のことなんだけどな。困ってる人がいたら、手を差し伸べる。それだけだよ」
「私ならまずなぜ困っているのかを検証しますね」
アーチーは肩をすくめた。
「第一に、自分が手を汚す価値があるかどうかが肝心ですから」
「うん、君はほんと冷たいよね」
「冷たいんじゃなく、賢いんですよ。……ただ、あなたが動いたから、私も動いた。それだけのことです」
アーチーは煙草をもう一度深く吸い込んだ。
「でもさ――」
レオが言葉を切って、アーチーをちらりと見た。
「助けた女の子の心、見事にかっさらってったのは、君だよね?」
「……あれ? 私、何かしました?」
アーチーは本気で不思議そうな顔をしてみせた。
しかしその目は笑っていた。くっきりと、意地悪に。
「私はただ、目を覆ってやって『お嬢さん』って呼んで、少し微笑んだだけですよ? それで惚れる方が悪い」
「いやいや、それ充分すぎるだろ!」
レオは思わずツッコミを入れる。
「僕が殴って、蹴って、流血して、怪我して……その横で君が優雅に微笑んでたら、そりゃあ誰だって君に惚れるよ……」
「わかってるじゃないですか」
アーチーはにやりと笑った。
「くそ……なんで僕、こんな損な役回りなんだろ……」
レオはうめきながら、くわえ煙草のままポケットに手を突っ込み、肩をすぼめた。
騎士団長とは思えない、愚痴をこぼす若者のような姿だ。
「まぁまぁ」
アーチーはレオの肩を、軽く叩いた。
「あなたが体を張ってくださるから、私は安全な場所でモテるんです。感謝してますよ、心から」
「……その言い方だと、まるで僕が噛ませ犬みたいじゃん」
「違いますか?」
「違わないけどさ!」
二人の煙の匂いと笑い声が、夜を染めていく。
風が通り過ぎた。煙が揺れて、灯りが少しだけ滲む。
しばらく無言で歩きながら、煙草の灰を地面に落とし、アーチーはポツリと呟いた。
「……ですけど、まあ。あなたみたいに優しい人がひとりくらいいないと、この国、終わってますからね」
レオはちらりと横目で見た。
「今のって……素直に褒めたの?」
「さあ?」
アーチーはまた笑って、煙を吐いた。
その笑顔は、煙の向こうに隠れて、どこか少しだけ優しかった。
秋の王都。
深夜の裏通り。
二人の歩みが遠ざかっていく。
そのあとに残るのは、渋く燻る煙草の匂いだけだった。
はじめまして。初投稿作品です。
お読みいただきありがとうございました。
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