怪人ザマスと現場の憂鬱
結衣ちゃんを保育園に送ってから、今日仕事で使う道具をまごころ源号に積み込んでいたら、「親方!」とリナが呼びかけてきた。振り返ると、彼女は青いホースを手に持ち「親方、ホースはこれでいいか?」と聞いてきた。
「リナ、それは上水用だし、緑色のホースじゃないとダメだぞ」
「そうだったな……取ってくるぜ」再び店の中に戻ろうとするリナに、僕は「ちょっと待って」と声をかけた。
「僕も行くよ、他に持っていったほうが良さそうなものがないか、見たほうが早いんだ」
道具を保管しているところへ向かいながら、リナが「親方がいつも道具の前でじっとしてるのはそれだったのか?」と尋ねてきた。
「そうだな……先代も同じことしてたんだけど、僕も最初は何してるのか分からなかったよ」
「先代って、この間の爺さんだろ?あれで仕事できるのか?」
たしかに、リナがそう思うのも仕方がない。源さんは突然店に来て、リサとリナにセクハラして、リゼを無視して、挙句の果てに僕を三人の生贄にして逃げ去ったんだからな……だが、源さんの仕事に対する情熱と知識量は僕があと十年この仕事を続けても追いつける気がしない。
「ああ、仕事は凄いんだ……仕事以外は問題しか起こさなかったけどな……」
問題しか起こさなかったは言いすぎかもしれない……いや、そうでもないか……大人のお店に行ってお金が足りないと警察に突き出されて、僕が立て替えに行ったこともあったし、今日仕事に行く厚化粧の婆さんの家に置き去りにされて、四時間にわたって婆さんの娘の偉大さを聞かされたこともあった……後で聞いた話だと、あれは源さんと婆さんがはじめから仕組んでいて、しかも婆さんは源さんに謝礼を払ったらしい。
道具のことなど完全に頭から抜け落ち、嫌な思い出に浸っていた僕に、リナが「どうしたんだ、親方?」と声をかけてきた。振り返ると心配そうな表情で僕の顔をじっと見ている。
「いやな、久しぶりにあの婆さんの家に行くだろ……気が重いんだよ」
「ずっと、あたいが行ってたからな……でも、あの婆さんいい人だぜ」
「ああ、いい人だよ。先代の頃から世話になってるし、頼ってくれるのはありがたいし嬉しいけどな……」
「娘だろ?」リナの言葉に、僕は大きくうなずき、「ああ、会うたびに娘との見合いを勧められるんだ」と答えると、リナが「親方は婆さんの娘に会ったことあるのか?」と首を傾げる。
「会うどころか、見たこともないぞ。写真は見せられたことがあるけどな……成人式の写真だったけど、これ何年前だよって思わず言っちゃったよ」
「あたいは見たことがあるぜ。初めてひとりで婆さんの家に仕事に行ったときにいたんだ。親方がいなくて残念そうだったぜ」
いつかそんな日があるだろうとは思っていたけど、既にそんなことが起こっていたとは……僕が「どんな娘なんだ?」と聞くと、リナはにっと笑った。
「そうだな……あの婆さんを厚化粧のまま二回り太らせた感じだ」
あの婆さんを二回り太らせただと?あの婆さんは女性専用のフィットネスジムに通ってるって自慢するけど、そのフィットネスの効果を疑うほどにふくよかな体型だし、あれを二回り太らせたら……「それは、もはや怪人じゃないのか?」と思わず口から漏れてしまった。
「親方があたいに意地悪したら、真琴じゃなくてその怪人と結婚させてやるぜ」
リナは一体何を言ってるんだろうか?僕は三浦先生と結婚するなんて言ったことがない。それどころか僕は結婚したいなんて一度も言っていない。だいたい、三浦先生はリサにそそのかされただけで、本気で僕に好意を持っているとは思えないし、逆に申し訳なくすら思っているんだ。そもそも、そんなことをしたら、魔女っ娘になって人類を影から支配する計画が台無しになってしまうだろ。
「親方!そろそろ出ないと遅くなるぜ」リナに急かされた僕は、工具箱を一つ手に取り、まごころ源号で婆さんの家に向かった。
婆さんの家の前まで来て、「ふうー」とため息が漏れた。
「おい、親方。ため息は婚期を逃すんだぜ」
「なあ、リナ……僕がいつ結婚したいと言った?」
「ん?そういえば、親方から聞いたことがないな」
「そうだろ?まあそんなことはいいんだ、仕事を始めようか」
玄関前の呼び鈴を鳴らすと、家の中からどしどしと足音が聞こえてきた。まさか——さっきリナが教えてくれた怪人がいるのか……不安に駆られる僕の前で、ガラガラと昔ながらの引き戸の音を立てて開いた玄関から、聖はむはむ保育園の園長先生にも勝るとも劣らない、なかなか強そうな体格のおばちゃんが上下ジャージ姿で現れた。
そのおばちゃんは目を細めて僕の顔をじっと見つめた後、「母様から聞いていたとおり、かわいい男ザマス」とつぶやき、「ぶふっ」と奇妙な音を立てて、不気味に微笑んだ。
ザマスってなんだよ……初めて聞いたよ……僕は口元を隠し、リナの耳元で「リナ……まさかこれか?」と問いかけると、リナは小さな声で「そうだぜ、なかなか濃いだろ」と答えてくれた。
濃いといえば濃いか……だがこれは濃過ぎて胸焼けがしそうなほどだ。
「あ、あの……排水が悪いと聞いたのですが……」僕が切り出すと、怪人は「ちょっと待っているザマス」と言って家の中に戻っていった。
「リナ、変わってくれないか、この短時間で三回くらい吹き出しそうになった……」
「やめておけよ、親方。あたいは初めて会った時に吹き出して、ガチでキレられたんだ」
なんだよその罰ゲームは……まあ、仕事を始めて集中すれば、なんとか切り抜けられるだろう。今までだってそうやってきたんだ。
「源屋さん、久しぶりに来てくれるって聞いて待ってたんだよ。うちの娘が綺麗でびっくりしたんじゃないの?あれで気立てもいいんだから。どうだい?」
怒涛のごとくまくしたてる婆さんにたじろいでしまったが、どうだい?って何がどうだい?なんだ……たしかに婆さんの言ったとおり、びっくりはしたけど、綺麗でびっくりしたんじゃない……凄まじい厚化粧と立派な体躯の上に、語尾がザマスだったから驚いただけだ。
「はあ、とりあえず……流れが悪いのはどこですか?」しどろもどろになりながら、仕事の話に引き戻した僕を見て、婆さんは「とくに洗面所が悪いんだよ」と困った顔をする。そんな困った顔をされると、僕もやる気になってくる。
「じゃあ、準備してはじめますね」とまごころ源号に向かう僕の背中に「さっそくやってくれるのかい?」と婆さんが嬉しそうに声をかけてくれる。こんなところがやりがいでもあるんだよな……
「じゃあ、源屋さんが仕事している間に、娘におめかししておくように言っておくから、楽しみにしてなよ」
僕はこの婆さんになにか悪いことをしたのだろうか?
怪人とそのボスである婆さんが立ち去ったのを慎重に確認してから、小さな声でリナに話しかける。
「リナ、早く終わらせよう……僕は外に行くし、リナはこっちから水を流してくれないか」
リナも小声で「おう、任せろ。これじゃ……」と言いかけたところで、隣の部屋から「源屋さんのお名前なんザマス?」と聞こえてきた。
ザマスは聞こえなかったことにして、僕が「さあ、仕事開始だ!」と隣の部屋に聞こえるように声を上げると、リナも「よっしゃー!親方、外は頼むぜ!」と隣の部屋に向かって大きな声で答えてくれた。
「なんだよこの家……ホラーハウスじゃないか……」外に出て排水枡の蓋を開けながらぼやいていると、「親方、流すぜ」とリナの声が届いた。振り返ると風呂の窓からリナがこっちをのぞいているのが見えたから、手を軽く上げて応じる。
どうやら洗面所での作業が始まったようだが、仕事をしながらもさっきの続きで、僕の名前を聞き出しに怪人が現れるのではないかと思ってしまい、仕事に集中できない。頭の中では『早く帰りたい……』が繰り返される。
「親方、そっちはどうだ?こっちは溢れてくるな」風呂場の窓から顔をのぞかせるリナに「ああ、流れ少ないな。洗浄しようか?」と答えると、彼女は「おう、準備するぜ」と顔を引っ込めた。
家から出てきたリナに「なあ、リナ……ちょっと休憩しないか?」と声をかけた僕を見て、「まだ一時間も仕事してないぞ」彼女は首を傾げる。時計に目を落とすと、まだ一時間どころか三十分くらいしか経っていなかった。だが、なぜだろう……このまま仕事を続けられる気がしない。「そうだけど、ちょっと疲れたよ」ため息まじりの僕を見てリナはうなずいた。
まごころ源号の荷台に座ってお茶を飲んでいたら、リナが「親方、顔色が悪いぞ。大丈夫か?」と僕の顔をのぞき込んできた。
「そうか?あの怪人のことを考えるとおっかなくてな」とぼやく僕に、「なあ、親方……真琴と結婚したらどうだ?」とリナが話す。「なんだよ急に……」語尾を濁らせる僕を、リナは「結婚したらあんなの気にしなくていいだろ」と言って笑う。
「リナ、あんなのって言うなよ……それに三浦先生が僕と結婚するはずないだろ」
僕の言葉を聞いてリナは盛大なため息をついた。なんか、若い女性にそんなため息をつかれると、さらに心が折れそうになる。
「まあいいや。親方、今日は早く終わりそうか?帰って少し休んだほうがよさそうだぜ」
「多分大丈夫だ、何か詰まってる感じだけど、押し流せると思う」
眼鏡を指で押し上げて空を見るが、今日は雲がない。雲を眺めるのが休憩中の楽しみの僕には少し残念だ。しばらくなんの楽しみもない空を眺めていたら、「親方、座ってても終わらないぜ」リナに声をかけられ、「そうだな、始めようか」とまごころ源号の荷台から下りて背伸びで気分を入れ替える。
「準備が終わったら、今度は僕が中で作業するから、リナは外で見ていてほしい。おかしいと思ったら教えてくれるかな?」
「おう、分かったぜ」リナの声を合図に僕たちは仕事を再開した。
洗浄機を準備し終わったところで、「源屋さーん」と怪人が現れた。が、その姿に僕は驚きを飛び越えて腰を抜かしそうになる。
なぜか真っ赤な振り袖を着た怪人は、顔全体を漆喰のようなもので真っ白に塗り固め、重そうなアイシャドウと、生肉にでもかぶりついたように見えてしまう真っ赤に塗りたくった唇。
それで「源屋さん、お茶を淹れるザマス」なんて言って笑っているんだから、逃げなければ取って食われそうな気がする。
「あ、ああ、ありがとうございます。せっかくなのですけど、さっき休憩したのでお気持ちだけいただきます」
「残念ザマス」とがっかりした表情の漆喰で塗り固めた顔の怪人を見て『振り袖怪人・ザマス』という言葉が僕の脳裏に浮かんだ。
——やばい、このままだと吹き出してしまう……余計なことを考えて勝手にピンチを迎えた僕の背中に、リナがピッタリと寄り添うと、耳元で「叩いたら割れそうだな」と囁いたせいで、僕は「ふっ、ふんっ」と吹き出しそうになった。
「親方、あたいは外に行くぜ!」と言い残し、リナは僕と振り袖怪人・ザマスを置き去りにしようとする。なんとかして引き留めたいところだけど、口を開けば堪えている笑いが決壊してしまいそうな僕は、黙ってうなずくしかできない。そこに「どうしたんザマス?」なんて首を傾げて顔をのぞき込んでこられてしまい、限界突破しそうな僕は真っ赤になった難しい顔で、息を止めたまま黙って作業を開始することにした。
無心になって排水管に洗浄機のホースを突っ込む僕の後ろで、「ダーリン、さっきの女より私の方が綺麗ザマス」などと怪人ザマスが宣っているが、僕は『ダーリン』なんて名前じゃないから、人違いだろう。それに『さっきの女』がリナを指すなら、圧倒的にリナの勝ちだし、婆さんを指すならいい勝負だ。
その後も「私の家に来て一緒に住むザマス」とか、「ダーリンに癒やしをあげるザマス」とか、「男はみんな私の体が目的でいやになるザマス」とか、よくわからない寝言を言いながら、怪人ザマスは作業を続ける僕についてくる。挙句の果てには「嫁になる私に財布と通帳をよこすザマス」などと言い出した。
作業に集中できず、怪人ザマスから逃れる手段を思案する僕に、一筋の光が差した。吹き出さないように一度深呼吸すると僕は怪人ザマスに背を向けたまま「あの、せっかくの振り袖が汚れてはいけないので、離れていてください」と声をかけた。我ながら素晴らしい対応だと自画自賛していたら、怪人ザマスに「いやザマス」と速攻で拒否されてしまった。
困った……これじゃ仕事にならない……それに何だか無性に腹が立つ……リナが戻ってきてくれることにわずかな希望を残し、作業を続けていたら、足音が聞こえてきた。
もしかしてリナか?僕の淡い期待は、「源屋さん、どうだい?なおりそうかい?」と聞こえた婆さんの声で見事に裏切られてしまった。だが、考えようによっては婆さんが怪人ザマスを止めてくれるかもしれない。
「源屋さん、どうだい、うちの娘は?いい女だろ?まだ四十五……四十六だったかな?」
娘の助っ人と化した婆さんの言葉に、「母様ったら……いやザマス。私はまだ、五十ザマス」と怪人ザマスは恥ずかしそうに答えたが、今の会話のどこに恥ずかしがる要素があったのか僕にはわからないし、『まだ、五十』ってなんだよ『もう、五十』じゃないのか?と心の中で叫んでしまった。
「そうなんですか……お若いですね。でも、僕はまだ二十五歳のひよっこなんで」
暗に年齢差を思い知らせてやりたかった僕の言葉は、「愛があれば年の差は関係ないザマス」と振り払われてしまった。
「そうだ!うちの娘は料理も得意なんだ。昨日の夜なんて、カップラーメンにネギをトッピングしてくれたんだよ。洗い物と掃除は苦手みたいだけど、ご飯だって炊けるし、洗濯だってできるんだ。どうだい、源屋さん?」
何が『どうだい』なんだ?それは料理とは言えないと思うし、まずは世界中の料理人に謝ってもらいたい。それとご飯は炊飯器が炊いてくれるし、洗濯は洗濯機がしてくれる。何一つ自慢していることがないじゃないか。
黙り込む僕に婆さんが「おや、源屋さん、黙り込んでどうしたんだい?」と声をかけてくるが、いろいろ限界の僕は何も答えることができない。
「源屋さんったら、あんたのこと気に入ったんじゃないかい?」
「母様ったら、そんなこと……嬉しいザマス」
「でも婚前交渉はご法度だからね。源屋さんもいいね!」
「ダーリン、母様は考え方が古いだけザマス。私が欲しくなったらいつでも言うザマス」
——何言ってんだコイツら……
怪人ザマスと婆さんに邪魔されながらも、作業を続けていたら急に水が流れはじめた。同時に外から「親方ー!流れたぞー」とリナの声が聞こえてきた。
——その頃、まごころ源号を見つけたエイダたち三人組が、厚化粧の婆さんの家を視界に捉えて身を隠していた。
「二号があの家に入っていったね」エイダの声に、ニコラが「ええ、チャンスですね」と応じると、「それで、どうするんや?」とゴードンがニコラを見る。
ニコラは銃身の太いショットガンを取り出すと、「この最新型網射出砲『バサットショットDX』で一撃ですよ」と得意げな表情を浮かべた。
「ニコラ……普通に捕まえちゃダメなのかい?」首を傾げるエイダに、ニコラはため息をついた。
「そんなこと言ったって、エイダ様がシュババインダーMk−Ⅱを壊したじゃないですか」
「ほな、ワイが捕まえたるでー」と自慢の筋肉を震わせるゴードンに、ニコラは肩を落とし、大きく息を吐いた。
「ゴードンは二号に力負けして連れ去られたでしょ……グルクルワインダーもなくなっちゃいましたし……」
「それで、そのバサットなんとかで、どうするんだい?」
「簡単ですよ、これは狙った相手に網を発射してそれで絡め取るだけですからね」
「ほな、ワイがそれを運べばいいだけやな」
静かに婆さんの家を窺っていた三人だったが、ふいに「ところで、エイダ様……捕まえる必要あるんですかね?」とニコラが小さくつぶやいた。
「まあ、それが私たちの使命だからね……早く終わらせて、私は伸餅と一緒になりたいよ」
恥ずかしがるエイダを、ニコラとゴードンがしらけたような表情で見て、二人は同時にため息を漏らした。
「そうですか……じゃあ、あたしはあの軽トラックの影に隠れて、二号が出てきたところをバサットショットDXで捕まえますから」
「待ちな、ニコラ。私たちも行くよ」
「そうやな、ワイもすぐに飛び出せるところにいるのがよさそうやな」
真っ赤なビキニスーツのエイダ、青い全身タイツのニコラ、緑のタンクトップのゴードンは目立つ衣装を気にすることなく、コソコソとまごころ源号の後ろに身を隠した。
——怪人ザマス親子から、いわれのない仕打ちを受けながら作業を完遂した自分を褒めていたら、「親方、聞こえてるのか?流れたぜ。これで終わりだよな?」とリナが洗面所に戻ってきた。
「ああ、片付けて、次の仕事に向かおう」これみよがしに、僕が忙しいアピールをすると、リナは「お、おう、分かったぜ」と少し口ごもった。まあ、仕方がない。この後の予定なんてないから、僕の振りにリナもちょっと戸惑ったのだろう。
「ダーリン、お昼ご飯を一緒に食べるザマス」
「そうだよ、源屋さん。せっかくだし、娘の手料理を食べて帰りなよ」
ザマス親子の攻勢に、こいつら、言葉を理解しているのか?などと思いながらも、「いえ、次の仕事がありますので、お気持ちだけ頂戴します」とセオリー通りの言葉を返したが、本当は、カップ麺に刻んだネギをぶち込んで、得意げに料理なんて言う人の手料理を想像するだけで、食欲が失せてしまうからだ。
「母様の言うとおりザマス。カップうどんに生卵を入れてあげるザマス」
手料理と言ってそれを他人に振る舞おうとする勇気は称賛に値する。だが、怪人ザマスはそれを本気で手料理だと思っているんだろう。ネギと違って直接手で触れるのは、卵の殻だけな分、衛生的ではあると思うけど……
怪人ザマスが二度出戻っているのは容姿の問題じゃなく、そういうところなんじゃないか?僕からすれば二度結婚できたことのほうが疑問ではあるけど……まあ、いくら勧められてもリサに弁当を持たされているわけなんだが。
「いえ、弁当を持ってきていますので、遠慮します」
「まっ、誰が作ったザマス?それには毒が入っていて体に悪いザマス」
いや、お前の手料理のほうが体に悪いと思う——と漏れそうになった言葉を飲み込み、僕は無言で片付けを続けるが、怪人ザマス親子の攻勢は収まらない。
「あれだね。密着!ぴより野二十四時に載ってた、GカップのRさんだろ?」
「なんザマス、その下品な女は……ダーリン、そんなの食べちゃだめザマス」
「そうだよ、Gカップだかなんだか知らないけどさ、うちの娘だって、上からCカップ、Jカップ、Fカップなんだよ」
「そうザマス。そんな下品な女より私の手料理を食べるザマス。その後、私のダイナマイトバディを食べるザマス」
たしかに、ある意味ダイナマイトボディではある……それより、スリーサイズをそんな風に表現するのを初めて聞いたし、聞いたところで決して食っていいものじゃないと分かっただけだ。それに、怪人ザマスは誇らしげな表情をしているが、さっき婆さんが言ったことは、褒め言葉じゃなく、悪口だろ?
道具を片付けている最中も、ずっと僕について回る怪人ザマス親子に、じわじわと削られ続ける僕の精神が限界に達しようとしていたところに、「いい加減にしろよ」とリナが割って入ってくれた。
「お前も婆さんも、仕事の邪魔だぜ!」
僕と怪人ザマスの間に立ったリナを、怪人ザマスは怪訝な表情で見る。
「なんザマス、あんたは。私とダーリンの邪魔をしないでほしいザマス」
「親方は優しいから文句を言わないだけだ。代わりにあたいが文句言ってやるぜ」
「リナちゃん、うちの娘と源屋さんの仲を深めるいい機会なんだよ、邪魔しないでおくれ」
「婆さんの気持ちも分かるけど、あたいの親方の童貞を婆さんの娘にはやらないぜ!」
「んまっ!母様、童貞ザマス……私、大好物ザマス!」
リナが余計なことを言ったせいで、怪人ザマスの目の色が変わって、気味悪い視線を僕に投げつけてくる。仕方がない、この手は使いたくなかったが、リナに責任を取ってもらおう。僕は前に立つリナの背中にピタリと寄り添うと、耳元で「振り袖怪人・ザマス」と囁いた。
「ぶーっ、あはははー!なんだよそれ!面白すぎるだろ、にひひひ」
吹き出したリナを見る怪人ザマスは、表情にみるみる怒りを浮かべていき、限界を超えたとき、「なんザマス!この女、失礼ザマス!」と怒りを露わにした。その怪人ザマスの顔がおぞましくて、とても見られるようなものじゃなくなってしまった。
リナはとっさに僕の後ろに回り込むと、僕を怪人ザマスに向かって突き飛ばし、外へ向かって駆け出す。「ちょっと待てよ、リナ。置いていくな」僕がリナを追いかけると、「ダーリン、待つザマス!」と怪人ザマスも追いかけてくる。
「親方が悪いんだからな!」と玄関を飛び出すリナを僕が捕まえようと手を伸ばした瞬間、リナの姿が消えて正面から何かが飛んできた。
何が起こったかわからないまま僕は前のめりに倒れ、そのまま柔らかくて、とても重いものと地面の間に挟まれてしまった。
「にひひひ、親方、面白いことになってるぜ!」リナの笑い声に顔をあげると、彼女は僕を見下ろし、指を差して笑っている。そして、背中から「何が起こったんザマス」と聞こえた声に、僕は血の気が引いた。逃げようともがくと、網のようなものが絡まって、さらに締め上げられる。僕は無理な脱出を諦めたが、後ろの怪人ザマスがもがくせいで徐々に締め上げられ、ザマスの体が密着してくる。
「ちょっと、動いたら余計に絡まるだろ」僕が注意しても、怪人ザマスは「んはーっ!若い男のいい匂いがするザマス。童貞の匂いザマス」と気持ち悪い声を上げ、もがき続ける。
「源屋さん、何をしてるんだい?」戸惑う婆さんの声、「にひひひ、なんだよこれ」と息も絶え絶えのリナの笑い声、「ふはー、気持ちがいいザマス」と悶える怪人ザマス。そこに混じって聞こえてきた声に、僕は違和感を覚えた。
「なんだい……ニコラ、また失敗じゃないか」
「なんだか変なものを捕まえてしまいましたね。もう少し発射速度を上げたほうが良かったんでしょうか?」
「ワイはこうなるんやないかと思っとったで」
エイダとニコラとゴードンの声じゃないか?もしかして、この状況はこいつらの仕業なのか?
僕が口を開く前に「おい、これはお前らの仕業か!」とリナの声が響いたが、誰の仕業かなんて今はどうでもいい。「リナ、とりあえず、これを解いてくれないか……」僕が頼むと「嫌だぜ」と拒否されてしまった。
「おい、おまえら、あたいが帰ってくるまで解いたらダメだぜ!もし、解いたら一人ずつ探し出して痛めつけてやるからな」
そう言い残して、駆け出していくリナの足音……いや、まだ、ゴードンがいるはずだ。僕はじわじわと密着する怪人ザマスから逃れたい一心で「ゴードン、助けてくれ」と声をかけた。
「大智はん、大丈夫でっか?助けたいところやけど……リナはんでしたっけ、今はあの人に逆らえまへんわ」
終わった……背中では「はあはあ。ダーリン責任を取るザマス」と息を荒げる怪人ザマス。「源屋さん、娘を傷物にした責任を取るんだよ」と声を弾ませる婆さん。「私は伸餅のところに行くからね」と立ち去るエイダ。——僕はどうすればいいんだ……だいたいリナのやつどこに行ったんだ?
けっこうな時間が経ったと思うが、リナは帰ってこない。婆さんは家に入ってしまい、怪人ザマスは相変わらず「はあはあ」と息を荒らげたままだ。ニコラとゴードンは網に絡め取られた僕と怪人ザマスの横に座り込み、退屈そうにしている。
「ゴードン、そろそろ帰りましょうか」
「せやな……待ってても仕方がなさそうやで。大智はん、帰ってよろしいか?」
「帰ってもいいけど、帰る前にこれを解けよ」
「それは無理ですよ」
「そうやで、帰ってきたら解いてくれますやろ」
「ふざけるなよ。リナには僕が言うから解けよ」
その時、バイクのエンジン音が近づいてくるのが聞こえてきた。このエンジン音……嫌な予感がする。家の前でバイクのエンジンが止まると、「にひひひ」とリナの笑い声が聞こえはじめた。
「沙奈恵、見てみろ。面白いだろ」
「うわーっ、なにこれ!」
歓喜の声と響きはじめたシャッター音……嫌な予感は的中したようだ。沙奈恵さんで間違いない。
「リナちゃんの言ったとおりだったよー。すごいねー、これ」
「おい、リナ、見せもんじゃないんだから解けよ」
「嫌だぜ。親方があたいに意地悪するのがいけないんだ」
「ねえ、これ、おじさんたちが捕まえたの?」
「捕まえたというより、捕まっただけですよ」
「せやな……まあ、ニコラが失敗しただけですわ」
沙奈恵さんの問いかけに、歯切れの悪い返事をするニコラとゴードンだったが、沙奈恵さんの嬉しそうな声が二人の声を遮る。
「へー、なんにも聞こえなかったよー。おじさんたちが捕まえたことにしようよー、ねっ」
「まあ、それでいいですけど」
聞いてはいけないことを聞いた気がする……こうやってあの『密着!ぴより野二十四時』の記事は捏造されているのか……
「よくないだろ!」僕が声を荒げると、リナに「親方は黙ってろよ」と一喝され、背中からは怪人ザマスの「はあはあ」と荒い息が僕の首筋を撫でて気持ち悪い……なぜだろう、心なしか酸っぱい匂いが漂ってきた。
「おじさんたち、この変なものの両脇に立って」
変なものってなんだよ。ていうか、僕はいったいどんな状況になっているんだ?
「ほら、こんなポーズを取って……あっ、マッチョのおじさんはその網のロープを両手で握ってみて」
「こうですかね?」
「これでええか?」
さっきまで退屈そうにぼやいていたニコラとゴードンの声が少し明るくなったような気がする。
「そうそう、はい、笑って!」
その後、しばらくの間、盛り上がる声とシャッター音にさらされ続けてから、僕は解放された。
——店の打ち合わせテーブルで書類を作っていたら、チリンチリンと小気味よい音を立てて扉が開き、入ってきたリゼが、当然のように僕の膝の上に向かい合って座る。
「リゼ、仕事の邪魔になるから下りてくれないか?」
僕がリゼに声をかけると、リサとリナも打ち合わせテーブルに集まってきて、腰を下ろした。
「そうですよ、リゼ、下りてください。マスターはちょっとアレでも、私の大切なマスターですから」
「そうだぞ、リゼ、親方はちょっとアレだから事務仕事が苦手なんだ。邪魔したらダメだぞ」
「主様はちょっとアレなエロ眼鏡でも、我の主様……猫ポジションの我は膝に座り撫でられるのが宿命……」
三人とも人のことをアレ呼ばわりするなよ。にしても一番ひどいのはリゼじゃないか?呆れる僕にリゼが一冊の冊子を差し出してきた。見ると『密着!ぴより野二十四時』のタイトルと、『スクープ!ぴより野で怪人が捕獲される!』とセンセーショナルな文言が踊る表紙……それを見ただけで僕には何の記事か分かってしまった。
「リゼ、せっかくもらってきてくれたけど、僕は読みたくないよ」と言うと、リゼは目を潤ませて無言で見つめる。なんなんだ、いったい……読まないとリゼは泣くのか?「わかったよ……ありがとう、リゼ」仕方なく僕が冊子を受け取ると、リゼは満足そうにうなずいた。
とはいえ、記事は読みたくないから後ろのページの広告を見てみる。相変わらずうちの店の広告というより、目線の入ったRさん(Gカップ)のグラビアにしか見えない。しかし、これはこれで意外と評判を呼んでいるし、まあ良しとしておこう。そんなことを考えていたら、リゼが僕の頬をつねって「エロ眼鏡、そこじゃない」と睨みつけてきた。
ため息をついて、『スクープ!ぴより野で怪人が捕獲される!』の記事を開いて、さらに大きなため息が漏れた。網に絡め取られた怪人ザマスと下敷きになっている僕の両脇で、ニコラはニヒルな微笑みを浮かべサムアップを決め、ゴードンは網につながったロープを持ち、満面の笑みで筋肉アピールポーズを決めている。右下には肩を組んだニコラとゴードンのワイプと、『怪人を捕まえたニコラさんとゴードンさん』の文字……こいつらの仕業でこんなことになったのに、まるでヒーローのような扱いをされている。
「こいつら、ノリノリじゃないか……」と漏らす僕の左右から、リサとリナものぞき込んできた。
「この二人が捕まえたというより、マスターが餌になったみたいです」
「にひひひ、面白いことになってた親方がよく撮れてるな」
「主様、我が傷ついた心を癒やす薬を作ってやろう……」
リゼの薬を飲むと心の傷が癒えるなんて納得できる話じゃないが、もっと納得できないのは、怪人ザマスには目線が入っているのに、僕に目線がないことだ。歪んだ眼鏡が哀れさを誘うが、そもそも僕は犠牲者でしかないんだし、隠すなら僕のほうじゃないか?
「よく見ると、この怪人のよだれがマスターの頭に垂れていますね」
「にひひひ、そりゃそうだぜ。このおばさんマスターの匂いでずっと興奮してたんだから」
もしかして、あの時漂っていた、何となく酸っぱい匂いは、怪人ザマスのよだれだったのか?なんだか急に気分が悪くなってきた……気を紛らわせようとリゼの頭を撫でたら、彼女は目を細めて気持ちよさそうに顎をあげる……最近、本当に猫化してきてないか?
リサが記事に目を落としたまま首をかしげて「興奮するのは分かりますが……」と言いかけたところで、リゼが「うむ、汚い……」と言葉をつなげると、リナは「そうだな、親方汚いな」と僕を見た。
「なんだよ、僕を汚いみたいに言うなよ。だいたい、よだれを垂らしてるのは僕じゃないだろ」
「そうですか、そうですか。マスターはあくまでも餌なのですね。それなら今夜は私が垂らしてあげます」
「いや、遠慮するよ」と言った僕の顔をリサがのぞき込んできた。
「マスター、裏から逃げてください」
その言葉に「何言ってんだ?」と問いかけると同時に、リナも「親方、早くしろよ」とか言い出した。
意味が分からず「は?」と首を傾げる僕の膝から下りたリゼに、手を引かれて裏に向かって歩き出したとき、どしどしと足音が聞こえてきた。——まさか。
「ダーリンの匂いがするザマスー!」
その声が聞こえた瞬間、僕は手を引くリゼをとっさに抱き上げ、「リサ、リナ、あとは任せた!」と二人に頼み、裏口を目指して駆け出した。
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