看板娘と密着!二十四時
朝、目が覚めると周囲を見回す。リナが部屋にいるはずだが、彼女は姿を消しているから僕からは全く見えない。だが、いくら見えていなくても、女性の前で裸になるのは恥ずかしいから、顔を洗うついでに脱衣所で着替えを済ませて台所へ向かう。いつもの朝のルーティン。——そして、もう一つの朝のルーティンが始まる。
「おはようございます、マスター」台所に入った僕を見て、リサが仰々しく頭を下げる。「リサ、おはようございます」僕も挨拶をすると、リサは怪訝な表情を浮かべ、小首を傾げた。
「おや?マスターが敬語なんて、珍しいですね……ま、まさか……地球が滅ぶのでは……」
今日はちょっとリサにお願いしたいことがあったんだけど、出鼻をくじかれた……「地球は滅ばないと思うけど……」と言いつつ、朝食の準備の手伝いを始める僕を見て、彼女はわざとらしく大きくうなずいた。
「今日もともに朝食を作る。新婚夫婦にとってごく当然の営みです。その日々の鍛錬を褒めて差し上げます」と言って、少し斜めに伏せた顔をほんのりと赤らめた。そして、「毎日練習ばかりではいけません。そろそろ本番に挑んだほうがよろしいです」と流れるような視線で僕を見ている。
そんな彼女を、「じゃあ、今晩僕の部屋に来るか?」と冗談で誘ってみたら、急に表情をこわばらせて、「また朝からセクハラですか……」とため息をつかれた。そんな朝のリサにすっかり慣れてしまった僕は、何も答えずに冷蔵庫を開け、適当な食材を取り出す。
いくつかの材料を台所に並べた僕を見て、「マスター、朝食の食材はすべて準備してあります」と言ったリサ。言うのはいいが、そのアホの子を見るような残念そうな顔はやめてくれないかな?「弁当を作るんだよ」と言うと、リサは声を震わせて、「そんな……マスターのお弁当作りは、私の楽しみですのに」と準備を始めた僕の手をそっと止めた。
「じゃあ、お願いしていい?リナの分も頼むよ」と頼んだ僕を、リサは不思議そうに見つめる。
「分かりました。でもマスター、今日はミニコミ誌の発行を目指す奇特な方々が、お店の写真撮影に来る予定ですが?」
——やはりリサはしっかり覚えていたな。そういうところは本当にできる女だ……念のため、「リサ、奇特な方々はよくないぞ」と注意しておいた。
その件は、僕も覚えていたが、来るのが三人と聞いた時点で、浦島さん、印刷屋の親父、ブックス竹光の奥さんだろうと予想できたから、あえて仕事をねじ込んでしまった。正直、あの三人は苦手だ……
面倒をリサに押し付けるみたいで少し後ろめたいと思い、「リサに任せるよ。写真撮影がメインで、聞かれるのはちょっとした内容だろうしさ」と優しくお願いする。リサは少し頬を膨らませたかと思うと、「えーんえーん」と泣き出した。——嘘泣きするなら、もう少し上手にやってほしい。
だが、今日のリサの機嫌を損ねたら、写真撮影の時間帯に僕が店に戻らないといけなくなるかもしれない。ここはリサの芝居に付き合って、面倒なやつらの相手を引き受けさせなければ。
僕はリサに一歩近づくと、「急にどうしたんだ?リサ」と肩に手を当てた。「マスターのお部屋に侵入大作戦が失敗続きで自信をなくしている私に、これ以上の試練を与えるのですか?」しおらしく言ってはいるが、その意味は全く理解できない……だが、恋愛経験が皆無な僕にもこれくらいは分かる。ここはリサを励ます場面だろう。
「大丈夫、リサにならできるよ」と優しく微笑むと、リサは「そんな……こんな私を信じてくれるんですか?」と顔を上げた。悲しそうな表情をしているが、目には涙が一滴もない。もう少し上手に演技してほしいと言いたいが、ぐっと堪えて、「僕はリサを信じるよ」とそっと髪を撫でる。
ちょっと嬉しそうにはにかんだリサは、「マスター、じゃあ……キスしてください」と言うと、すぐにそっけなく顔をそらし、上目遣いで僕を見てきた。かわいさアピールは上出来だが、さすがに面倒な三人の相手を押し付けるだけで、僕のファーストキスをくれてやるのは釣り合わない。
「おいおい、リサ。まだ朝だぞ」僕がとっさにごまかすと、リサは僕に抱きついて、「えへっ、じゃあ、おでこでいいです」といたずらっぽく笑う。——よし、それくらいなら妥協できる。「ったく、甘えん坊なやつだな」リサのおでこに顔を近づけたとき——「おい、朝飯も作らないで何やってんだ?もう結衣も起きたぞ」リナの冷たい声が舞台の幕を下ろした。
リサは「マスター、あの泥棒猫を追い出してください」とふくれっつらをしているけど、リサのペースに流されかけていた僕は、リナに感謝の言葉しか出ない。今伝えるとリサの機嫌を損ねそうだし、後でこっそり礼を言おう。
リサと一緒に朝食を並べていたら、うさぎのぬいぐるみを抱いた結衣ちゃんが、リゼに手を引かれて居間へ入ってきた。「結衣ちゃん、おはよう」と挨拶すると、ニコッと笑って「おじちゃん、おはよー」と返ってくる。ただのあいさつなのに、僕は毎朝結衣ちゃんに元気をもらっている。
結衣ちゃんは、リサにもらった椅子にうさぎのぬいぐるみを座らせてから、自分の席にちょこんと座り、隣りに座るリゼの腕を引くと、「リゼちゃん、きょうはなにしてあそぶ?」とキラキラした目で問いかける。リゼは顔をほころばせ、「結衣姫が保育園から帰るまでに、新しいおもちゃを用意しておく」と結衣ちゃんの髪を優しく撫でた。
「ほんとにー」
「本当。結衣姫はご飯を食べて保育園に行く、それだけでいい」
「わかったー!リゼちゃんやくそくー」
喜ぶ結衣ちゃんに、リゼは大きく一つうなずき、微笑んだ。その様子を見ていたリサとリナの表情も緩み、居間が温かい空気に包まれる。そのあまりに尊い光景に、僕は思わず手を合わせてしまった。
ちゃぶ台に朝食を並べ終えて自分の席に座ると、すぐにリゼが隣から手が伸ばしてきて、「主様、忠実な下僕である我に財布をよこせ」と言い出した。こいつの主従関係とは何なのかと問い詰めたいが、逆に言い負かされそうで、「なんでだよ」とだけ答えると、リゼは「聞いていただろ、結衣姫のため」と口調を荒げる。
たしかにリゼは結衣ちゃんの面倒をよく見てくれるが、朝から財布を渡すと、これから仕事に行く僕もいろいろ困る。
「今日は結衣ちゃんを送ったら、そのまま仕事に向かうから、財布はだめだ」
「仕方ない。財布はいらない。中身を全部よこせ」
——もう言い返す気すら起こらず、「あとで渡すよ」と言って、朝食にした。
結衣ちゃんの支度ができるまでの間に、仕事で使う道具を準備しようと外に出たら、着替え終わったリナが先に準備を始めていた。手伝おうと近づいたら、「あたいに任せろ」と軽く拒まれたので、リナに任せて黙って見ていることにする。
彼女が必要な物だけでなく、念のため用意しておいたほうがよさそうなものも迷わずに、仏恥義理・愛三輪に積み込んでいくのを見て感心していると、「親方、これだけでいいよな?」とリナがこっちを振り向いた。
「そうだな……今日の仕事を理解しているから、ここまで準備できたんだな」
ほとんど完璧な準備を褒めると、リナは嬉しそうに僕の腕に抱きついてきた。
「にひひひ、親方はあたいがいないとダメだからな」
「そうだな。でも、土嚢袋も準備しておいたほうがいいぞ」
「あーっ、忘れてた。やっぱ親方に見てもらってよかったぞ」
リナは店に入ると、すぐに「親方、これだけあれば足りるか?」と土嚢袋を手に掲げて見せた。
「十分だよ」と声をかけたところで、僕は朝のことを思い出した。リナに礼を言わなきゃ。
「そうだ、リナ。朝はリサのペースに流されそうになったところを、止めてくれて助かったよ」
「気をつけないと、リサは言いふらすぞ」
「そうだな、気をつけるよ」——リナの忠告はもっともだ。少し自重しようと反省……
「何に気をつけるんですか?」
「リサのことだよ」ふいに聞こえた声に、何も考えずに答えてしまったが、今の声は……振り向くと弁当箱を手にしたリサが、いかぶるような視線を向けている。「リ、リサ、いたのか」思わず漏れた驚きの声に、リサはムッとした表情を浮かべる。
「私が何かするとでも思っているのですか?失礼なマスターです」リサはぷいっと顔をそむけたが、正直、何かするような気しかしない。だが、今日は機嫌を損ねてはいけない……「い、いやな、くれぐれも気をつけてほしいんだけど」慎重に言葉を選ぶ僕を流し目で見たリサは「マスターは私が何かすると思っているのですね。そうですか、そうですか」と言って、僕に背を向けてしまった。なぜだろう、女性のその態度は心が折れる。
「あのさ、リサ。今日撮影に来る人たちに、スカートから出したお茶を出したりするなよ」
「にひひひ、そんなの見られたら、面白がって記事にされるぞ」
僕がリサに注意したのを聞いて笑うリナを、リサが冷めた目で睨む。
「リナ、あなたが心配する必要はありません。スカートの中身はマスターだけのものですと、はっきり断ります」
それはもう、聞いた人が勘違いするのを狙っているとしか思えないんだが……
「いや、いろいろ誤解を生みそうだし、やめてくれないかな?」
「では、マスターはスカートの中身を、見ず知らずの誰かに差し出せと言うのですか?ひどいです」——いや、そんなこと言ってないだろ……
「あたいも今のはひどいと思うぞ」——なぜリナにまで責められないといけないんだ?
「いや、そうじゃなくてさ。誤解を招かないように、もう少し言い方を考えてくれないか?」
「分かりました。マスターがそう言うなら、スカートの中身のことは内緒にしてあげます」
結局、僕の注意を理解してくれたのか分からないけど、誤解を生むような話はしないと信じよう。
チリンチリンと扉が開く音がして振り向くと、「主様……結衣姫の準備ができた」とゴスロリのリゼが、結衣ちゃんの手を引いて、店から出てきた。
「結衣ちゃん、おいで」と声をかけると嬉しそうに近寄ってきて、両手を上げる。そのまま抱き上げてバッカル三号に結衣ちゃんを乗せ、シートベルトをつけていると、後ろから服の裾を引っ張られた。
「主様、話は聞かせてもらった……我はリサに同情する」さっきの話をどこから聞いていたのか知らないけど、リゼがリサに同情する理由が僕には分からない。「なんでだよ」とだけ返してみたら、「許してほしければ金をよこせ」と、僕の服をさらに引っ張るリゼ。僕がリゼに許しを乞う理由はないし、これはもはや、ただのタカリだろ……
「リサにいくらか預けてあるから、リサからもらってくれないか」
「うむ、ではリサにもらう……」
「ダメです。お金は私とマスターの結婚資金なのですから」
面倒なリゼをリサに押し付けようとしてみたが、リサは余計に面倒なことを言い出した。このままでは収拾がつかなくなりそうな気がした僕は、財布を開けてみたが、一万円札しかない。——仕方なく一万円札を取り出し、「釣りは返せよ」とリゼに手渡すと、「釣りなどない」と吐き捨てて、チャイルドシートに座る結衣ちゃんに笑顔を向ける。
「結衣姫、気をつけて……」
「うん、リゼちゃんもいいこにしててね」
この会話だけ聞くと、とても仲のいい姉妹の会話だが、一人はさっき僕に金をたかったやつなんだよな。少し尊さが薄れてしまった。
僕は気を取り直し、指で眼鏡を押し上げてバッカル三号を発進させる。
「じゃあ、今日も保育園に行きますか!」
「いきますかー!」
「よっしゃ、行くぞー!」
「きゃー、リナおねーちゃんも、いっしょにいくのー!」
——保育園への道中、僕の後ろから追い抜いてくる自転車に気づいて、少しスピードを落としたら、横から「二代目じゃねーか」と声をかけられて振り向くと、印刷屋の親父が僕に並んで走っていた。
「結衣様、おはようございます」——いろいろ問いただしたくなる親父の挨拶に、結衣ちゃんは「おはよーございます」と元気よく返す。結衣ちゃんの挨拶はかわいくて、元気を分けてもらえる。だが、横に並んで走る印刷屋の親父のにやけ顔は、知り合いでなければ警察に突き出すレベルで気持ち悪い。
「それで、何してるんですか?」朝から親父の不愉快なにやけ顔を、間近で見せられた僕がぶっきらぼうに尋ねると、「今日は俺が当番なんだよ」と親父の嬉しそうな声が返ってきた。
「当番?」正直、この親父が何の当番をしようがどうでもよかったが、大人の社交辞令として問い返した僕に、親父は「結衣様親衛隊のパトロールだよ」と言いながら、ピンク色の腕章を見せつけるように、腕を伸ばした。——本当にパトロールやってんだ。この親父がそんなことに朝から精を出すとは、意外だった。
「朝から大変ですね」と少し呆れる僕を見た親父は「いや、どうってことない。おかげでいろんな人に声をかけてもらえるようになったしな」と笑っている。「それに、今日はこうして結衣様に会えた……俺の日頃の行いがよかったんだな」そう言った親父は、なぜか恥ずかしがっている……やっぱり、通報したほうがいいんじゃないか?
もしかすると、親父の冗談かもしれないと思い直して、「それ、本気で言ってんのか?」と確認してみたら、「あー、本気だ」とすぐに返ってきた。
この町の治安のためには、町内全域で早急にこの親父の対策が必要だな。
「ところで今日は店の撮影だろ?お前さんも立ち会うのか?」急に真面目に話しかけてきた親父に、「いや、リサに任せた。親父も来てくれるんだろ?」と聞き返すと、親父はため息をついた。「お前さん、頭は大丈夫か?俺は印刷屋なんだ。撮影に行ってもすることねーだろ」何なんだ、このいちいち腹の立つ態度の親父は……
「でも三人来るって聞いたんだけど」
「ああ、浦島の爺さんと竹光の嫁と、浦島の爺さんの親戚かなんかのカメラマンだ」
「そうだったのか、てっきり親父も来るんだと思ってた」
「俺は行かねーよ。何度も言わせるな。それより、リサちゃんに任せて大丈夫なのか?竹光の嫁は口が達者だぞ」
不安を煽るようなことを言うなよ。僕もさっきからそれが頭をちらちらとよぎってるんだ。「ま、まあ、大丈夫だろ」自分に言い聞かせるように言った僕を、親父は鼻で笑うと、「それじゃ、俺はパトロールがあるから行くぜ。結衣様も行ってらっしゃいませ」と言い残して去っていった。——しかし、あの親衛隊のおやじたちにとって、結衣ちゃんはどんな存在なんだ?
——昼過ぎのまごころ堂源屋……ヴェネツィアンマスクを付けた三人組が、店の向かいの塀に身を潜めて様子を窺っていた。
「エイダ様、MAiD三号が出てきました……」
「一人かい?」
「そうみたいやな……どこかに出かけるみたいでっせ」
ひそひそと会話をする三人。その視線の先では、リゼが一人で白百合・コルサパレットで出発する準備を進めている。
真っ赤なエナメルハイレグスーツのエイダが、リゼを映した目を細める。「ニコラ、チャンスだよ」その声にニコラは「ふふふっ」と含み笑いをこぼし、「お任せください……この『シュババインダーMk−Ⅱ』を使えばやつの拘束なんか簡単ですからね」とスタンガンのような機械を手に取った。
「Mk−Ⅱってなんや?」首を傾げるゴードンを一瞥したニコラは「Mk−Ⅰは保育園の先生に取られてしまいましたからね。新しく作ったんですよ……」と肩を落とす。
「はあー」と盛大なため息をつくニコラの肩を、エイダは軽く叩くと、「この短期間で作るなんて、さすがだねー、ニコラ。それでMAiD三号を捕獲して、大智を誘き出せれば一歩前進だよ」と明るい声で励ました。
「まずはMAiDを支配した方法を聞き出さなければ始まりませんからね」少し気を取り直し、ニコラは顔を上げた。
「せやけど、あの冴えへん男が一流の科学者には見えへんけど」とゴードンが首を傾げた次の瞬間、ゴードンの頭に愛の拳が落ちると同時に、エイダの声が飛ぶ。「ゴードン、甘いよ。できるやつほど自分の才能を隠すもんなんだよ」
「それで、作戦はどうするんだい?」問いかけたエイダに、ニコラは再び肩を落とし、「このシュババインダーMk−Ⅱの性能は十分なんですけどね……テストをしてないから、MAiDの動作停止時間は短いかもしれないんですよ……」と自信なさげに答えた。しばらく頭を抱え、「なんだいそれは……」とため息をついたエイダを、ニコラは「仕方ないでしょ……テスト個体がないんですから」と恨めしそうに見る。
「それで、どうするんや?」ゴードンの声にニコラが「では……」と前置きをして、「まず、エイダ様は路地に停めた車で待機してください」と、エイダに視線を向けると、彼女は小さくうなずいた。
「あたしは三号が出てきたところを足止めして、このシュババインダーMk−Ⅱで電撃を食らわせます」とシュババインダーMk−Ⅱを掲げて見せる。
「ふん、それで?」エイダに視線を向けられたニコラは、得意げな笑みを浮かべて作戦の説明を続ける。「テストをしていないとはいえ、一分は動きを止められるはずですから、そこをゴードンが捕まえて、エイダ様の車に積み込む」ニコラが視線を向けると、ゴードンは小さくうなずき「任せるんや!」と大胸筋を震わした。
「おや、そろそろ出てくるみたいですよ」ニコラのその声を合図に、三人は顔を見合わせ、深くうなずくと行動を開始する。
「じゃあ、私は車で待機しておくよ」
「ワイは隠れとけばいいんやな」
「はい、ではあたしも隠れて待機しましょう」
——リゼは誰もいない虚空に向かって、「我が闇の盟約に従い、これより結衣姫のために、おもちゃの材料を買いに行く」と敬礼をすると、白百合・コルサパレットに乗り込み、ゆっくりと車庫から出てきた。
発車準備が整い、忘れ物がないか再確認していた、意外な真面目さと慎重さを見せるリゼの前に「おっと、おとなしくしてもらいますよ」と、シュババインダーMk−Ⅱを手にしたニコラが立ちふさがった。
リゼは右目の眼帯に手を当て、ニコラに左目の視線を向けると、「我が白百合・コルサパレットの前に立ちふさがり、命を粗末にするとは……」と小声でつぶやき、白百合・コルサパレットのコクピットを閉じてしまった。
「あれーっ、それじゃシュババインダーMk−Ⅱが届かないじゃないですか!」焦るニコラに向かって、リゼは白百合・コルサパレットを急発進させる。
「わわっ、ちょっとタンマー!」ニコラは加速しながら迫ってくる白百合・コルサパレットから逃げようと駆け出すが、リゼは容赦なく後ろからニコラを豪快に跳ね飛ばした。
突然響いた大きな音で、ニコラの電撃が成功したと判断したゴードンが、身を潜めていた電柱の影から「よっしゃ、ワイの出番やー!」と雄叫びを上げて、飛び出す。だが、その目に映ったのは走り去る白百合・コルサパレットと、宙を舞い迫りくるニコラ。
「何があったんや……」唖然とするゴードンにニコラが直撃し、その手がシュババインダーMk−Ⅱの作動スイッチを押す。図らずも、自らの身をもってシュババインダーMk−Ⅱの電撃効果を証明した二人は、その場に折り重なるように倒れた。
「遅いと思って来てみれば……何やってんだい、お前たち……」二人を見下ろすエイダの声に、ニコラが「エ、エイダ様……車で追ってくださいよ」と懇願するが、エイダは「やだね。これから伸餅の店の手伝いに行くんだから」と言い残し、立ち去ってしまった。
「なあ、ニコラ……」
「なんですか、ゴードン……」
「撤退せえへんか?」
「それしかないでしょう……」
——MAiD回収チームの作戦は失敗に終わった。
——仕事を片付けた僕とリナは、結衣ちゃんを迎えに保育園へと向かっている。
本当は、「一旦店に帰って片付けようぜ」と言ったリナを、僕が半ば強引に押し切っただけなんだが……まあ、最終的にはリナも「じゃあ、あたいは真琴と話をするか」と同意してくれた。時間に余裕もあるから、僕たちはバッカル三号と仏恥義理・愛三輪でのんびり走っている。
しかし、こういうサイクリングも時にはいいものだ……リナの乗る仏恥義理・愛三輪は、見た目と名前以外にもいろいろ問題はあるけど……
この間は「親方のバッカル三号の電動アシストに負けないように、リサに頼んでパワーブースト機能をつけてもらったぞ!」とか言って喜んでたし、自転車とは何なのか考えさせられた。とはいえ、普通に走るだけなら問題はない。——と思いたい。
両親と兄夫婦を亡くしてから、こんなふうに気持ちよく走っていなかったな。そんな物思いにふける僕に「おい、親方!」とリナが声をかけてきた。「おいって何だよ……」リナはもう少し言い方を考えられないのか?
「見てみろ、あれは、しんべーとエイダって女だろ」リナが顎で指した先では、小豆沢さんとエイダが腕を組んで……というより、小豆沢さんの腕にエイダが抱きついて歩いている。なぜか二人とも頬を染めてる……恥ずかしいなら離れて歩けばいいだろ。「ちっ、仲良くやってるな……」——いかん、思わず舌打ちをしてしまった。
「仲がいいのはいいことだろ」二人を見ているリナに、「最近、エイダは毎日サイクルこしあんにいるらしいな」と言い放つと、「……親方、羨ましいのか?」とか言いながら、僕をチラチラ見ている。
「別に羨ましくなんかねーし」心なしか拗ねた男子中学生のような返事をした僕を見て、リナは「にひひひ、あたいがあんなふうに一緒に歩いてやろうか」と笑っている。
だいたい、腕を組んで歩いていることのどこが羨ましいんだ……。あんなの、恥ずかしがって歩いているだけじゃないか、僕だって……自分が悲しくなってきたから、「やめておくよ」とだけリナに答えておいた。
「あんなリア充なんかどうでもいいけどさ、店の撮影は終わったかな?」なぜだ?なぜあんな恥ずかしがりながら歩く二人を、僕は『リア充』と呼んでしまったんだ……しかも、もうあの二人は僕の視界にはいないんだぞ……
なぜか無性に寂しくなった僕に、リナが「もしかして、親方は撮影が嫌で、先に結衣を迎えに行くって言い出したのか?」と問いかけてきた。……今さら気づいたのか?意外と鈍いやつなんだな。
「そうだな……撮影が嫌と言うより、浦島さんとブックス竹光の奥さんがちょっとな……」
「竹光……ああ、あのエロ本屋の奥さんは知らないけど、浦島さんはいい人だぞ。あたいと親方のチューを応援してくれた」
「だからだよ……」本当にあれまでは、時折迷子になる気のいい爺さんでしかなかったのに、あの時悪乗りした浦島さんからは、善良な悪意とでもいうものを感じた。
——嫌なことを思い出して、ため息をついた僕の目に、ふらふらと歩く人が目に入った。「あれ、ゴードンじゃないか?またあの変な格好で何してるんだ?」リナも気づいたのか、「ニコラとかいう男と一緒だな」と言っている。だけど、あの二人はなぜ肩を取り合ってヨレヨレと歩いているんだろうか?それに、服もぼろぼろじゃないか……
「あんなやつらはどうでもいいんだ」——リナ、どうでもいいとか言わないで、少しは同情したらどうなんだ?
「あのな、親方……エロ本屋の奥さんは口がうまいんだろ?リサに任せたのは失敗だったと思うぜ」——こいつは今になって、繊細で傷つきやすい僕のチキンなハートに、不安の灯火を点けようというのか?
「今さらそんなことを言われてもな。リサなら大丈夫だろ?」そう、リサは大丈夫……自分にも言い聞かせた僕に、リナは「親方はリサが好きなのか?」とか的はずれなことを聞いてきた。「なんでそうなるんだよ……物言いも丁寧だし、気遣いもできる、あれで意外とできる女だろ」防衛本能が働いた僕は、自らの繊細な心を守るために、リサのポンコツな部分にすべて蓋をしてしまった……
「あのな、親方。AIって相手の問いかけに対して記憶してるか、すぐに得られる情報をベースに、想像や推測を交えて答えることが多いんだ。時には相手が求める回答を予想して、憶測を交えることだってあるんだぞ」
そうなのか……全然知らなかった。賢くて高価なコンピューターくらいにしか思っていなかったな。でも、リサもリナもリゼもAIがベースになってるとか言ってなかったか?
「一番最初に作られたリサは、その傾向が強く出るときがあるんだぞ」
リナの話はよく分からないから、「そうなのか……でも僕はリサに好かれたいと思ったことはないけどな」と適当に答えた僕を、リナは「それはリサが純粋に親方を好きだからだ。あたいもリゼも同じだぞ」と笑っている。
しかし、それで何の問題が……あっ、まずいんじゃないか?
「なあ、もしかして……リサは竹光の奥さんに乗せられて……」
「親方は鈍いな。元から適当なリサが、あることないこと話してるかもしれないぜ」
「おい、リナ。店に戻るぞ!」
「にひひひ、もう間に合わないかもしれないけどな」
僕とリナはスピードを上げて、店に向かった。
——あれから一週間、撮影が終わってからは、何の音沙汰もなく過ぎていった。
あの日は焦って店に戻り、リサに話を聞いたが、「写真を撮っている間、世間話をしていただけです。愛するマスターの言いつけは守りました」と胸を張っていたので、不安は杞憂に終わったと安心したが、できればこのままミニコミ誌の発行がなくなることを期待している。
午前中で仕事を片付けて、リナと店に戻るとリサが一人で店番をしていた。「あれ?リゼは出かけたのか?」リサに聞くと、「おもちゃの材料を買いに行くと言って出かけました」と、リサは微笑みを浮かべ、少しずつ近づいてくる。リサの笑みと視線になんだか嫌な予感がして、店を出ようと振り向いた直後、背後からリサに抱きつかれた。
「マスター、私はこれから買物に行きますが、愛しの私がいない隙にリナに手を出したりしたら、SIGのMPXで蜂の巣にして差し上げますから」と僕の背中に擦り込むように言い残してから、店を出ていってしまった。
「ふうー、なんか疲れたな……」打ち合わせのテーブルに腰を下ろすと、リナがコーラを持ってきてくれた。「リゼは出かけてるのか?」問いかけるリナに、「おもちゃの材料を買いに行ってるんだって。そんなにたくさんおもちゃがいるかな……」と答え、コーラを一口飲む。このシュワシュワ感が全身に染み渡る感覚はなかなかいい。
「親方、リゼが作るおもちゃは、おもちゃというより、結衣の教材みたいなもんだぞ」リナは呆れたように言っているが、僕は今の今まで知らなかった。そうだったのか、リゼが結衣ちゃんと遊ぶというのは、遊びをとおして教育していたんだな。まあ、どっちにしても楽しくやってくれるならそれでいい。
チリンチリン……小気味のいい音を響かせて帰ってきたリゼが、無言で僕に歩み寄り、当然のように僕の膝に座った。さっきリナから聞いた話のせいか、今日のリゼが少しかわいく思える。
「おかえり、リゼ」と優しく声をかけると、「主様……我は主様に土産を持ってきた。感謝せよ」と言い、冊子を手渡してきた。
その表紙には『密着!ぴより野二十四時』と書いてある……「なんだこれ?」首を傾げる僕に、リゼは「頭のおかしいヤツらが発行したミニコミ誌……」とだけ答えた。——きっと真剣に取り組んでいるんだし、頭のおかしいヤツらとか言うなよ。
「へー、ミニコミ誌じゃなくてゴシップ誌みたいなタイトルだな」その表紙には知らないおじいさんの笑顔が写っている。その笑顔の右側には『スクープ!ぴより野に未確認飛行物体出現』と、さらに笑顔の左側には『潜入取材!これがブラック企業の実態だ』とセンセーショナルな見出しが踊る。——いったい浦島さんたちはどこを目指してこれを発行したんだ?
「未確認飛行物体って、どうせヤラセだろ」と言いながらページを開いた僕は、声にならないくらい驚いた。——ヤラセなんかじゃなかった……
そこには飛行機雲を残して空を飛ぶ一台の自転車の写真。荒波に向かって『まごころ堂源屋』と雄たけびを上げる熊が後部に描かれたデコチャリ……そう、ネオンをキラキラと輝かせて飛ぶ『一番星号』が見開きで写っている。——そして、なぜか運転するリサには黒い目線が入っている。
いろいろ突っ込みたいが、結衣ちゃんが写っていなくてよかった……あと、リサに目線を入れられるなら、まごころ堂源屋も隠してくれよ……「にひひひ、リサじゃないか」のぞき込んだリナが腹を抱えて笑い出した。「なんなんだよこれ……」僕がため息をつくと、リゼが「それだけじゃない」と僕を見る。
「まさか……」あわててページをめくると、『潜入取材!これがセクハラ系ブラック企業Mごころ堂G屋の実態だ!』と踊る見出しと、目線の入ったリサの写真が目に飛び込んできた。その下には『被害にあったRさん(Gカップ)』と添えられている。
迷惑系配信者みたいに、セクハラ系ブラック企業とか書くなよ。だいたい、このRさんって、さっきの未確認飛行物体に乗ってた人だろ?それに(Gカップ)ってなんだよ……そこは年齢を書くんじゃないのか?
「はあ……『Mごころ堂G屋』って何だよ。隠す気ないだろ」なんならさっきの未確認飛行物体にも描いてありましたよね……僕のなにか大切なものが、一気に削がれてしまったが、一応、記事にも目をとおしてみる。
『どのような被害に遭われているのですか?』
『今朝は夜になったら部屋に来いと……肩を掴まれて……』
——あー、たしかにあの日の朝、そんなことを言いましたよ。でも前後を省くのはよくないと思います。
『それはひどいですね……』
『はい、毎晩部屋に侵入しようとしているんです……』
——そうですね。毎晩侵入しようとしていますね。でも『マスターのお部屋に侵入大作戦』のことでしょ?
『初めて会った日なんて、パンツを目の前で見られてしまいました……責任を取ってほしいだけなのに……』
——いったいRさんは何の責任を取らせるつもりなんだ。
「親方……ひどいことしたんだな……」
「我は失望した……パンツを目の前で見るとは……」
「あれは、リサが僕を押し倒して、パンツで窒息死したくなければ、童貞のくせに調子に乗ったことを謝れって言ってきたんだ」
不機嫌そうな僕の声を聞いて、リナとリゼは吹き出した。
「そんなことだと思ったぜ」
「我のパンツを見ないことに腹は立つが許してやる」
リゼは何がおかしくて吹き出したんだ?
『オーナーは責任を取らないんですか?』
『はい、毎晩裸の女を部屋に招き入れては、逃げるんです』
——もう、最初の話と完全に矛盾してるだろ。
「なんなんだよ、裸の女を部屋に入れたりしてないだろ……」ぽつりとつぶいた僕に、リナが「にひひひ、あたいのことだろ」と笑う。——そうだ、リサの侵入を防ぐためにリナにお願いしてたんだった。
「もういいや……ネタとしては面白いんだろ」投げやりになった僕の頭を「気の毒な主様……我が慰めてやろう」と言ってリゼが撫でてくれた。リナは「スカートの中身の話をしてないだけで、言ってることはひでーじゃないか」と、腹を抱えて爆笑している。
「はあ……それで、広告はどうなったのかな?」ページを開くと、見開きでデカデカと店の全景、リサが売ってる怪しい商品のカット、そしてなぜか目線の入っている『看板娘のリサさん(Gカップ)』が載っていた。——ここで目線とGカップはいらないだろ……
ため息をまじりで閉じた冊子の裏表紙には『ドブ川でドジョウすくいをする美女(推定Gカップ)の目撃情報求む!』と書いてあった。
冊子を手に無言で立ち上がった僕は、リサがいつも座っているカウンターに冊子を置いて、肩を落とす。
——最初から最後までリサじゃないか……
お読みいただきありがとうございます。楽しんでいただけたなら幸いです。
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