チラシ配りと怪しい影
青空に包まれた午後のひととき、店のテーブルに腰を下ろした僕は、前に座るリサとリナとリゼを難しい顔で見ていた。「今日はチラシを配ろうと思います」と僕が話を切り出すと、リナは「よっしゃー!駅前であたいとリサがミニスカートを履いて配ればすぐに終わるぞ」と立ち上がった。いったいなんのチラシを配るつもりなんだ?「我は興味も出番もない……店番する……」リゼはそっぽを向いてしまった。うん、たしかにリゼはいつもミニスカートなのに名前が出なかったね。あとで慰めてあげよう。
「リナ、違いますよ。リゼも手伝ってください」リサが二人をたしなめた。「リサの言うとおり、手配りするんじゃなくて、親しくしているお店に置かせてもらうんだ」リナは「そうか、それなら早く行こうぜ」と再び立ち上がった。こいつは昼ご飯を食べるといつもこの調子だ。「リナ、マスターの説明をちゃんと聞いてください」「おう、分かった」
リナが腰を下ろしたのを見て、僕は説明を再開する。「二手に分かれて配ろうと思う。僕とリナでメランコリック、サイクルこしあん、花芯堂、ブックス竹光を回る。リサとリゼには商店街をお願いしたい」胸の前で手を組み、「マスターからの初ミッションですね」と喜ぶリサを見て、リゼは首を傾げた。「リサは知ってた?」
「はい。知っていましたよ。だからチラシを立てる紙スタンドを作っていたんです」「あれは今日のためだったんだな——でも、なんで知ってるんだ?」リナが顔を向けると、リサは恥ずかしそうに頬を染めた。「マスターと私は心で会話ができるのです。愛し合っている証拠ですね」なにを言っているんだ?僕がリサに頼んだじゃないか……
「ともかくリサがスタンドにチラシを入れてくれたから、これを目につくところに置かせてもらえればミッション達成だ」と気合を入れて、僕は席を立つ。「おう、ワクワクしてきたぞ。仕事が増えるといいな、親方」「これは下僕たる我に主様から与えられた使命……結衣姫のためにも達成すべき」「そして達成すれば、今夜の私は床上手ということです」リナもリゼも席を立った。——最後のひとりはあえて触れないでおこう。
店を出た僕たちは仏恥義理・愛三輪のコンテナにチラシを入れ、僕はバッカル三号に、リナは仏恥義理・愛三輪にまたがった。「配り終わったら、そのまま結衣ちゃんを迎えに行くから」とリサとリゼに伝えて、眼鏡を指で押し上げて出発した。手を振って二人を見送ったリサとリゼも、チラシを入れたリュックを背負い、手をつないで商店街へと歩き始めた。
——その一部始終を建物の影からうかがっていた大柄な男が、スマホを取り出し、どこかへ連絡していたことに、誰も気づいていなかった。
「こんにちはー」「おっす!」サイクルこしあんに入ると、ロードバイクをいじっていた金髪モヒカンの兄ちゃんが振り向いた。「おや、源屋さん。いらっしゃいませ」と声をかけてきた金髪モヒカンは、僕たちの前まで歩み寄ると、真顔で「今日はデートですか?」と尋ねてきた。——世間の親しい男女は、デートで自転車屋に行くものなのか?リナは「そうだぞ!」と胸を張っているが、見た目によらず真面目な青年に適当な返答はよくないから、黙っていてほしい。
「違いますよ。今日はお願いがありまして」僕は手に持っていたチラシを差し出し「このチラシを置かせてもらえませんか?」とお願いする。金髪モヒカンは「いいですよ。レジの脇に置いておきます」とあっさり受け取った。もう少し交渉があったりするのかと想像していたから、拍子抜けした僕をよそ目に、金髪モヒカンは「へー、ゴミ屋敷の整理を始めるんですね」と興味深そうにチラシを眺めている。
店内が静かになり、退屈しのぎにリナの赤い髪の毛を数えていたら、「そうだ、せっかく来ていただいたんだから、この前買ってもらった自転車を少し点検しましょう」と金髪モヒカンが僕に声をかけてきた。
「いいんですか、助かります」と僕が答えると、金髪モヒカンは工具の入ったかばんを手にとり、「調子はどうですか?」と微笑んでいる。「特に問題はありませんけど、見ていただければ安心です」まあ、ありきたりなやり取りをしながら、三人で外へ向かう。
外に出たとたん、ガチャン!と響いた音に僕は驚き、金髪モヒカンを見ると、彼は工具の入ったかばんを足元に落とし、「こ、これは……」とつぶやいた。その視線は仏恥義理・愛三輪を捉えている。「元はシニア用三輪車ですよね?それも、かなり古いタイプの……誰が改造したんですか」心なしか金髪モヒカンの声が震えている。「リサだぞ」とリナが胸を張ると、金髪モヒカンは「リサ?」と首を傾げた。
リナに任せると話がややこしくなりそうだから、とっさに「うちの従業員ですよ」と割り込んでおいた。金髪モヒカンは撫でるかのように仏恥義理・愛三輪をくまなく見ている。「これほどの技術があるとは……デザインもオールドスタイルのチョッパーでいいです」仏恥義理・愛三輪を褒め称えながら車体の底をのぞき込んだ金髪モヒカンの体が震え始めた。
「ま、まさか……オートマチック車?」何を言ってるんだ、この兄ちゃんは、年寄りの三輪車がオートマ車のわけないだろう。「そうだぞ、加速重視の変速比だって言ってたぞ」そのリナの声に、僕は驚いた。そんな高性能なマシンで躊躇なく僕を跳ね飛ばしたんだ。かわいい顔して、リナはエグいな。「このサイズに無段階変速を搭載するとは」金髪モヒカンは興味深そうに仏恥義理・愛三輪をくまなく見ている。
静かに立ち上がった金髪モヒカンが、僕に深々と頭を下げた。「源屋さん、僕を弟子入りさせてください!」な、なんだよ弟子入りって、さっきの話を聞いてなぜ僕に頼んでくるんだ?「い、いや……ちょっと待って……僕に言われても困るんです」「リサならほとんど店番してるから、暇なときに行って頼めよ」リナがフォローしてくれて助かった。
「いいですか、源屋さん?」目を輝かせて迫ってくる金髪モヒカンに思わずたじろぐ。なんて純粋な目をしているんだ……「構いませんよ」突然、金髪モヒカンが僕の手を取り、「自分、『小豆沢伸餅』っていいます」と自己紹介してくれた。なんだか屋号の由来が分かったような気がする。「よろしくな、しんべー。リサにはあたいからも伝えておくよ」微笑むリナに金髪モヒカンは「よ、よろしくお願いします!」と深々と頭を下げた。
——カランカラン……相変わらず小気味いい音を上げる純喫茶メランコリックの扉を開くと、カウンターに座っていた女性がこちらに振り向いた。「いらっしゃいませー。あっ、源屋さん」「こんにちは」と挨拶する僕に、彼女はカウンターに座ったまま微笑んでいるが、仕事をする気はあるのだろうか?「珍しいですね、こんな時間に来るなんて」と言いながらも、その視線は自然とリナに移る。「んで、そっちの子が彼女ですか?」……やっぱりそうなるか。
「いや、最近入ったうちの従業員です」あくまでも従業員として紹介するが、彼女の目はどこかにやけている。「あたいはリナ、よろしくな」「私はここで万年アルバイトをしている蒼井すずです。まあ、結婚までの腰掛けですけどねー」へー、そんな名前だったんだ……「結婚するのか?」なぜか嬉しそうに問いかけたリナに、蒼井さんは「もちろんしますよ。まだ相手はいませんけどね。源屋さん、私をもらってくださいよー」とか言い出し、僕は早く帰りたくなった。
「親方に手を出したら、あたいがゆるさないぞ」とリナが蒼井さんを睨んだ。ほら、やっぱり面倒になっただろ……蒼井さんは「あー、やっぱり彼女じゃないですかー、浮気者」とか言いながら頬をふくらませるし、なんか、もっと面倒になった……だいたい、彼女いない歴=年齢の僕がどうやって浮気するんだよ。——ダメだ、考えたらダメだ、なぜか虚しさが心に刺さる。
突然、蒼井さんが「あっ、そう言えば今朝、源屋さんのことを聞いてきた男がいましたよ」と僕の顔を見た。正直、興味はないが「へー、仕事の依頼かな……どんな人だった?」と聞いてみると、「マッチョでした」と頷く。うん、すごく雑だけどわかりやすい説明だったね。
「マスターが駅近くのボロアパートに越してきた人だって言ってました。ねー、マスター」蒼井さんがカウンターに声をかけると、どこからともなく、「あっ、うん。変な三人組の一人……」と聞こえてきた。あっ、メランコリックのマスターいたんだ……
達人の如く気配を感じさせないマスターに、「この町が変な人で溢れかえっているじゃないですか」と声をかけると、「うん、まあそうだね」と言いながら姿を見せてくれた。ダンディーなのに、なぜ姿を見せないのか、僕には疑問でしかない。
「あっ、そうだ。マスター、このチラシを置かせてもらえませんか?」とお願いすると、「いいよ。レジ横の目立つところに置いといて」と、チラシを見ることなく承諾してくれた。本当にいいのだろうか?と戸惑っていると、「私が置いておきます」と蒼井さんが僕の手からチラシを奪い取った。「これで、源屋さんのお嫁さんポイント一点ですね」と笑っているが、そのようなポイントは導入していない……
リナの表情が曇り、これ以上いるとマズそうな気がしてきたので、「今日は他にも寄るので帰ります。また、ゆっくり来ますね」と逃げるように、純喫茶メランコリックを後にした。
——なんとも言えない不快な音を立てて自動ドアが開くと、仄かな紙の匂いが鼻をくすぐる。「こんにちはー」来店者を拒絶するような独特の雰囲気に呑まれかけ、恐る恐る声をかけると、レジ前に座っていた店主がこっちを見た。「源屋さんか。最近見なかったね」丸メガネの気のよさそうなおじさんだが、愛想は悪い。
店主の視線は僕の隣に立つリナを一瞬捉えて、「あー、そんな子がいるならうちに用はないか……」と再び手に持っている新聞に落ちた。「いえ、そんなわけじゃないんですけど、最近忙しかったもので……」「いいの、いいの。そりゃね、印刷物より実物の方がいいんだから」完全に勘違いされてる……でも、面倒だから話題を変えよう。
「今日は奥さんはお出かけですか?」と問いかけても、店主は新聞から目を離さない。だがこれは、客としては買い物しやすかったりする。「ああ、浦島さんの家に行ったよ」——たぶん配達だろう。注文すれば本一冊でも奥さんが自宅まで届けてくれるのだが、配達ついでに一時間はおしゃべりするので、結局買いに来たほうが早いと評判だ。まあ、浦島さんみたいに暇を持て余している人には、とてもいいサービスだと思う。
店主は僕を一瞥して「それで、今日は何か用かい?」と無愛想に問いかける。「あっ、新しくゴミ屋敷の整理を始めようと思いまして、チラシを置かせてもらえませんか?」チラシを手渡そうとすると、「あー、それなら、その辺に置いておけば、かみさんが配達のついでに配ってくれるよ」と言いながら、新聞から目を離さない。「いいんですか?」「いいんじゃないか?」
いいって言ってるんだからいいんだろう。「ありがとうございます。じゃあ、ここに置いておきます」僕は遠慮なく、帰ってきた奥さんの目につく場所にチラシを置いて、「じゃあ、今日は失礼しました」と声をかけて店を後にした。「なあ、親方……あの店はエロ本しか売ってないのか?」やっぱりリナも気づいたか……「そんなわけじゃないけど、そっち系が半分を占めてるからそう見えるだけだよ」
急いでバッカル三号にまたがった僕の顔を、リナがのぞき込んできた。「ふーん、親方は何を買いに来てたんだ?」「しょ、小説とか……雑誌とかだろ?」目をそらせた僕を見て、リナは「にひひひ」と笑い、「親方の部屋を調べてみよう」とつぶやいた。帰ったらいろいろ処分しよう。
バッカル三号で心地よく風を切って走っていたら、後ろからリナが「親方、腹が減ったからコンビニに寄っていいか?」と聞いてきた。少し遠回りになるけど、「じゃあ、ちょっと寄り道しようか?」と少しスピードを落とす。
リナは「あたい一人で行けるから大丈夫だ」と仏恥義理・愛三輪で僕の横に並び、「親方はコーヒーでいいか?」と聞いてきた。「じゃあ、お願いするよ。僕は花芯堂に行ってるから、場所は分かるよね?」そう問いかけた途端、「知ってるぜ、任せてくれ!」と、なんだか慌てるようにコンビニへと向かった。よほど腹が減ってたのかな?
——花屋、花芯堂……店の前に立った僕は、店主がいてくれることを祈って深呼吸をする。「大智君、久しぶり」突然、背後から声をかけられ、振り向くと、女性が僕を見て微笑んでいた。——店に入る以前の問題だったようだ。この女性は『水無瀬薫子』。義姉の同級生だか後輩だか、よく分からないが、兄さんと義姉の結婚式で知り合った。この花屋で働いているのだが、正直、僕は苦手だ……
「最近、全然来てくれなかったね……」じわじわと僕ににじり寄ってくる。その笑顔は美しいがどこか恐怖を感じさせる。「来てくれないから、もう死のうかと思っちゃった。うふっ」うふって笑うような内容じゃないと思うんだけど。「最近、お花を買うようなことがなくて……」本当はリサが買いに来てるんだけど、黙っておいたほうがいいだろう。「お花に用事はなくても、私にはあるよね?」——いえ、お花以上にありません。
「ねえ、あるよね?」怖い、怖い……顔が近づいてきて、思わずそらすと頬に手を添えられた。「私の目を見て、ねっ」ねっじゃないよ……本当に怖いんだよ。「そうだ、大智君……」少し離れた水無瀬さんが、ポケットから何か取り出して、僕に差し出してきた。
「お守りですね……」思わずつぶやくと「お守りです。大智君が木から落ちたって聞いて作ったの。うふっ」あの厚化粧の婆さんが言ったんだろうな、あの婆さんよく花を買いに来てるらしいし……「いつでも大智君を守れるように、私の髪の毛を入れました」——目的に対する手段を間違えてると思うんですけど。
「私の想いで大智君を守ります。ねっ」想いじゃなくて呪いじゃないのか?「お、重いですね……」——しまった、思わず本音が漏れてしまった。水無瀬さんは、にこっと微笑んで「重くないですよ」と僕の手にお守りを無理やり握らせた。「ねっ、軽いでしょ?」あー、物理的な重さじゃないですよ。「あ、ありがとうございます」本当は突き返してやりたいけど、僕の心はそこまで強くない。「これでいつでも一緒。ねっ」水無瀬さん、その笑顔に恐怖しか覚えません……
——あいつ、あのガタイで、しつこいくらいにあたいの仏恥義理・愛三輪についてきたな……やっと巻けたけど、あたいを尾行していたのは間違いなさそうだな……そんなことを考えながら、花芯堂の前まで来たリナは、女性に迫られてたじろぐ大智を見つけた。
「親方、なにやってんだ?」リナの声に目の前に立つ水無瀬さんの表情が一気に曇る。「大智君、私をほったらかしにしてこんな女と遊んでいたんだ」水無瀬さんが突然抱きついてきたのを、思わず避けてしまった。だって怖かったんだもん……
「大智君、いけない子ね。私が殺しちゃお」水無瀬さんの言葉を聞いたリナの表情が曇り、僕と水無瀬さんの間に割って入った。「親方に手を出すなら、あたいが許さない」声が怒ってる。怒ることはないと勝手に思ってたけど、ちょっと迫力あるな……
感心している場合じゃなかった。「リナ……少し落ち着こうか……」「そうよ……あなたが誰か知らないけど、大智君を私から奪うなら許さない」僕はあなたのものでもありませんよ、水無瀬さん。「み、水無瀬さんも少し落ち着いてください。リナはうちの従業員ですよ」僕の声が聞こえたのか、水無瀬さんの表情が緩んだ。「なんだ、そうだったんだ……ねえ、大智君……今日は私に会いに来ただけ?うふっ、かわいいんだから」
そ、そうだった……完全に忘れていた。「あの、このチラシを置かせてもらえませんか?」「うん、いいよ」おっと、水無瀬さんが勝手に決めて良いのか?「一応、店長にもお願いして……」僕の声を水無瀬さんが遮る。「ダメ、大智君のお願いは私のお願い……店長には文句一つ言わせないから安心して、ねっ」——まっ、いいか。任せておこう。「じゃあ、水無瀬さん、お願いします」
「親方……そろそろ結衣を迎えに行く時間だぞ」リナの声に、腕時計へ目を落とす。「もうこんな時間か……水無瀬さんよろしくお願いします」「任せて、大智君の作ったチラシ、大切にするね」——大切にされても困るんですけど……「いや、配ってもらえませんか……」「いやよ、大智君のものは全部私のもの」水無瀬さんはチラシを抱きしめて頬を染めた。「も、もう……お任せします……」僕は軽く礼をして、保育園へと向かった。
——その頃、順調に商店街を巡ったリサとリゼは、最後の目的地に到着した。
「出たな、痴女……」肉の三段腹の冷蔵ショーケースの前に立っていた店主が、店に歩み寄ってくる二人を見てたじろぐ。「痴女とは何ですか?私が痴女なのはマスターの前だけですが……はっ、やはりストーカー……」わざとらしく横目で見つめるリサを見て、「だから違うって言ってんだろ」と店主は引きつった笑顔を浮かべた。
「それで、そっちのかわいい嬢ちゃんは?」リサに対する興味をなくしたかのように、店主の視線はリゼに移った。「我はリゼ。よろしく」「おう、いい子じゃねーか。よろしくなリゼちゃん」大将の声にリゼは小さく頷いた。
「リゼちゃん、リサちゃんは源屋さんに入れ込んでるみたいだけど、あまり変なもの見せられないように気をつけなよ」「大将、変なものとは何ですか」店主に反論するリサに、リゼが「大丈夫、私はこれでも大人……」と割って入る。「うん、まあ……そりゃ見てりゃなんとなく分かるけどよ……なんて言うかな、気分的によ」「大丈夫、リサは主様に逃げられてばかり……だが今日の我はリサを応援する」「そりゃなんでだい?」首を傾げる店主に「そしたら、お肉屋さんがウインナーをくれるって、リサが言った」とリゼは微笑んだ。
店主の冷めた視線がリサを捉える。「やらねーよ」「えーんえーん、お肉屋さんがセクハラする」「セクハラはしてねーし、泣き真似してもやらねーよ」その様子を見ていたリゼが「おいしいウインナーを食べられないとは……我は悲しい……」と顔を伏せたのを見て、店主は嬉しそうに笑った。
「リゼちゃんはうちのウインナーを気に入っているのか?」「そう、手作り感のある不揃いさと、保存料のない生の味が気に入った」「おっ、リゼちゃんは通だね。よっしゃちょっと待ちな」店主は冷蔵庫からウインナーを袋に入れてリゼに手渡した。「リゼちゃんと結衣ちゃんの分だ。後の奴らの分はリサちゃんに買ってもらいな」「あ、ありがとう。結衣姫も喜ぶ」受け取った袋を大事そうに抱えるリゼに、店主は満足げに頷いた。
「そんなことより、大将。このチラシを置かせてください。そしたら、今日のセクハラの件は内緒にしておきます」平然とチラシを手渡すリサに店主はため息をついた。「そんなこととか言うなよ。それにセクハラもしてねーだろ」ぼやきながら受け取ったチラシを見た店主は、レジの横に立てかけると「ここに置いとくよ。気になった客は勝手に取るだろう。それで、結局なんにも買わねーのかよ」「はい、今日の夕食はマスターの希望で魚です」微笑んだリサに店主はため息をつく。
「まあいいや。そんなことよりよ、見かけない男が源屋さんのことを聞いてきたんだ。女が一緒に住み始めたって言ったら目の色変えてたから気をつけな」「それは大将が余計なことを言うからです。お詫びにウインナーを出しなさい」と手を差し出すリサに、「出さねーよ」と店主が冷めた声で答える。「仕方がありません。今日はマスターの小ぶりなウインナーを堪能します」リサの言葉にリゼが「見たことないくせに」と呆れる。
「それで、どんな男でしたか?」リサが問いかけると、店主は記憶をたどるように首をひねる。「ひょろっと背の高い男だったな……男前だったしリサちゃんの元カレとかじゃねーか?」「私は、おはようからおやすみまで、生まれてから死ぬまでマスター一筋です」とリサは胸を張った。
「それはそれでどうかと思うけどよ。まあ、源屋さんにも伝えておいてくれ」「わかりました。明日は結衣さんのリクエストでシチューですから、また来ます」「そうか、結衣ちゃんのためにいい肉を仕入れとくよ」店を後にするリサを見て「普通にしてればいい女なんだがな……源屋さんも大変だろう」と店主はつぶやいた。
商店街を抜けたあたりでリゼがリサのスカートを引いた。「リサ……」そうつぶやいたリゼは背後を気にしている。「リゼも気づきましたか。お肉屋さんが言ってた男でしょう」リサは正面を見据えたまま、リゼにも前を見るように合図をした。「うん、あの男、知ってる。MAiD開発の技術リーダー」「見つかってしまいましたね」二人は前を見据えたまま歩みを進めつつ会話を続ける。
「あいつは、私たちの構造を知り尽くしていて危険。殺す?」「いえ、マスターに迷惑がかかりますし、殺してしまえば収拾がつかなくなります」「分かった」「放置しておいて、ちょっかいを出してくるなら対処しましょう」「うん」
リサはリゼの手を取り微笑んだ。「それに、いきなり殴り込んでくるなんてバカな真似はしないでしょう」「主様には?」首を傾げるリゼにリサは微笑んだまま話を続ける。「黙っておきましょう。マスターに余計な心配をかけたくありません」「分かった」「あとでリナにだけ伝えておきます」二人は、まるで男を誘導するように、まごころ堂源屋への帰路をちょっと遠回りして楽しんだ。
——その頃、大智は困り果てていた。
「お前のような女が親方と語るなど百年早いぞ」両手を腰に当て、僕の前に仁王立ちになったリナ。その向こう側では三浦先生が顔を真っ赤にしてリナを睨んでいる。「いいえ、おじさんは私の話を聞きたがっていました」「なあ、リナ。少し落ち着いてくれよ……三浦先生もね。まず、落ち着いて、話の続きを聞かせてください」結衣ちゃんの荷物を片付けながらなだめるが、収まる気配すらない。ていうか、もう面倒になってきた……
「あらあら、どうしたの?はりもぐら組がにぎやかだと思って来てみたら、痴話喧嘩?」この声は……百貫デブ……もとい、園長先生だ。——目覚めつつある魔女っ娘スキルで、僕の存在を隠蔽するように念じる。「あー、えんかばんちょうだー」結衣ちゃんが言った『演歌番長』に思わず吹き出しそうになるのをこらえる。「もうっ、結衣ちゃんたら園長先生ですよ」「はーい!」「本当に分かってるのかしらね?」
「あら、大ちゃん久しぶりね」見つかった……やはり僕の魔女っ娘スキルはまだ完全ではないようだ。「お久しぶりです。園長先生……」自分でも顔が引きつっているのが分かるなか、無理やり作った笑顔で園長先生の方へ振り向く。「少し相談があるんだけど、聞いてくれないかしら?」そういう園長先生の声も言葉もしおらしいが、その見た目は髭面の百貫デブが着物を着流している。
「そ、相談ですか?」「そうよ。ここはうるさいから廊下に出ましょう」いや……園長先生ならまず痴話喧嘩を止めるべきじゃないのか?仕方がないか……「分かりました」僕は立ち上がると片付け終わったかばんを肩にかける。「結衣ちゃん、行こうか」結衣ちゃんに声をかけると「はーい!おじちゃんかえってリゼちゃんとあそぶのー」と駆け寄ってきた。「そうか。リゼも喜ぶよ」そういえば結衣ちゃんはリゼとよく遊んでるな。お風呂もリゼと入りたがる。
廊下に出ると園長先生がキラキラと輝くような瞳で僕を見つめてきた。——正直この人は苦手だ。「大ちゃん、園の雑用をしていたおじさんがね、急にやめちゃったのよ。ヘルニアになっちゃったのよ」それを僕に聞かせてどうする気だ?「それで、代わりの人が見つかるまで、大ちゃんのところに雑用を依頼してもいいかしら?もちろんお金は払うわ」仕事の依頼か……でも漠然としているし、ここはそれなりに職員も多いはずだけど。
「しばらくの間でしたら、先生方での対応はできないのですか?」「園児が多いでしょ。目を離したくないの」「分かりました。御用の際は店に電話していただければ日程を調整できます」「助かるわ、大ちゃん。頼りになる男は大好きよ」その声と同時に放たれた園長先生のウインクを僕はとっさに交わした。これで、店番をしているリサかリゼが対応してくれるはずだ。
「おーい、リナ。帰るぞ」保育室に向かって声をかけるが、僕の声は全然聞こえていないようだ。僕はリナの後ろ襟をつかみ、引きずる。「親方、離してくれよ。自分で歩けるから」「いいや。何度呼んでも聞かないリナはこうするしかないだろ」「悪かったよ、親方。だから離してくれよ」「リナおねーちゃんおもしろいね」振り向くと僕に引きずられるリナに、結衣ちゃんがいつの間にかまたがっていた。どおりで少し重くなったと思った。
「結衣も降りてくれよ」「やっ、おうまさんなの」「帰ったらお馬さんして遊ぶから、結衣降りてくれ」「やだー!」まあ、後ろはにぎやかだが、今日も無事に乗り切れそうだし、充実した一日だったな。そうだ、リサは焼き魚を作ってくれてるかな?
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毎週土曜日投稿予定。よければブックマーク・評価のひと手間を。誤字は各話末の『誤字報告』からお願いします。




