マリアとミカエル・愛の考察 3
「僕達、あそこの子供たちの境遇は大方察しがつくよね?」
「あそこの子達…… 白神先輩もご両親がいらっしゃらないんですよね?」
「でもねえ、あそこの子達はそればかりじゃないんだよ」
「えっ?」
「確かに不幸なことで両親を亡くした子もいる。でも半分以上は親に捨てられたか虐待されていたのを保護しているケースだよ。僕も含めてね」
「そうなんですか……」
「僕の場合は産まれて間もなく捨てられた。だから両親の記憶は無いよ」
そう語る僕に向けられたマリアの視線を感じながら続けた。
「きっとあの子達は―― 虐待された子達はどんなに時間が経っても刻まれた恐怖と絶望は消えることは無いだろうね」
「私もそう思います…」
「産まれたときから親がいない僕と、愛されるべき親から虐げられた彼等とどっちが不幸なんだろう?たまに考えることがあるよ」
マリアは黙ったまま夕陽に照らされて僕の横を歩いている。
「マリアは不思議に思ったことはない?」
「なにをです?」
「この世界―― 自然界の、およそ全ての生物は自分の種を残すことを至上課題として生きている。それはどんな虫けらでも、動くことのない草花でもね」
「はい」
「でも人間は違う。自分の種を殺してしまう。自分でわざわざ産んで、育ててね」
「そういう例もありますよね…」
「“種”よりも“個”を優先させた結果だよ。種族維持よりも個の欲望を優先させたことで、やがて滅んでしまうんだ。人間は」
「そんな!大袈裟ですよ」
マリアは半ば笑みを浮かべて言った。
「大袈裟じゃないよ。人は知性と理性を持つことによって自然界のサイクルから外れたのさ。狂った歯車を修正することなく、共食いのまま最後の1人になるまで誰も気がつくことなく絶滅していくよ」
僕の言葉を受けたマリアは何かしら考えながら口を開いた。
「そうかもしれません…… でも、私がこういうことを言ったら白神先輩は不愉快になるかもしれませんけど…」
「なんだい?僕は不愉快にはならないよ。人にはそれぞれの主観があるからね」
マリアは一旦、唇をきゅっと結ぶと僕に言った。
「たしかに白神先輩が言うように今の世界はおかしいです。どこかが狂っているのかもしれません」
「うん」
「でもきっと気がつくと思うんです。それに上手くは言えないけど…… 」
「言えないけど?」
「愛があるじゃないですか?人間にも」
「愛?」
いきなり何を言い出すのかと思ったら“愛”か。
「はい!」
「君はほんとうに“愛”なんてものがこの世にあると思っているの?」
「は… はい」
「哀れな小羊よ……」
真実哀れに思う。
この世に愛があると考えるなんて。
思わず同情の言葉が出てしまった。
「えっ?」
「いや、なんでもない。それより――」
「マリアの言う愛というのはどういうものだい?異性に対する愛情?」
「はい。それもあります」
「残念だけどそれは独占欲、所有欲だよ」
「どうしてそうなるんです?」
小羊には解りやすいように、噛んで含めて言い聞かせないと。
「好きになった、もっといえば自分の興味ある対象を独占したい、所有していたいという欲望だよ」
「いやいや、白神先輩、どうしてそうなっちゃうんです!?」
「だって飽きるでしょう?別れたり離婚したり」
「そうでない人もいますよ。ずっと死ぬまで愛する人と一緒に過ごす人達だっています」
「それはたまたまそういう環境だったんだよ」
仮にそういう者が多くいたとしても、そこに“愛”があるとは限らない。
そして人間全てに“愛”が備えあっていることにはならない。
「母性愛というものは単に種族維持の本能から来るものさ。ほんとうに母親にそういう愛情が備わっているなら僕らのようなそして、彼等のような子供はいないよ」
“愛”を語る上での母性というものは僕らにとって空念仏のようなものだ。
「すみません」
「マリアが謝ることはないよ。この手の話題はどうも僻みっぽくなるな」
「そんなことないと思います」
マリアは大きな瞳で僕を見ながら言った。
「ありがとう」
笑顔で返すと僕はマリアの先を歩いた。
やがて夕陽に照らされた川面が見える道に出た。
「ありがとうございます!ここからは1人で大丈夫ですから」
「ねえマリア…」
「はい」
「もう一度聞くけど君は愛というものがこの世にあると思っている?」
僕が聞くとマリアは少し考えてからうなずいた。
「そうか… 君達… いや、君が思っている愛というものはどういうものかな?」
この汚れを知らない可憐な乙女がどのように“愛”を考えているのか興味があった。
人間達の都合のよい免罪符にしか感じられない“愛”を。
「う~ん… 小さいものかなって…」
「小さい?」
「ええ。愛っていうのは相手に求めないで与えることができるものだって聞いたんです」
「それは誰から?」
「神尾先生からです」
ああ… さっき言っていた住み込みの家庭教師か。
なかなか面白いことを言う。
「つまり見返りを要求しない、利己主義ではないと?」
僕が尋ねるとマリアはうなずいた。
しかしそれはどうだろう?
そういう場合は得てして“与えている自分”に酔っているだけだろう。
自分が陶酔できる場を、アンディティティ―を無意識のうちに相手に与えることで求めているにすぎない。
「それを聞いたときにはピンとこなかったんですけどね… たまに考えたりしてたらなんとなくだけどわかってきたんです」
僕にはさっぱりわからない。
「どうわかったの?」
興味が湧いたので聞いてみた。
「相手に与えれるってことは相手を理解している、解り合えてるってことですよね?それってすごいんじゃないかなって」
ふうん…
反論はいくらでもあるが……
まあ、ここでは言わないでおこう。
それよりさっきの言葉が気になる。
「小さいというのは?」
そう。
愛が小さいというのはどういう意味だ?
「それは… 始まりっていうか… 自分の中に芽生えたときは小さいものなんじゃないかなって」
マリアは両手を自分の胸の前で、あたかも小さな玉を包むように動かした。
「強弱っていうか、個人差はあるだろうけど…… 最初は小さい、けど温かい灯みたいなもので… 自分の中で育んでいくものじゃないかなって」
「それで?」
「相手を理解するのと同じように、焦らずに、諦めないで育てていくものだと思います」
それが“愛”?
君の求め、考える“愛”なのか?
僕から見たらこれは能天気というか楽観的にしか感じられなかった。
だからつい口から出てしまった。
「美しいね… でも理想だ」
「理想…?」
「ああ。あるいは理屈かな?」
「理屈?」
「“愛”は感情と思われるがそうじゃない。感情というものは人の中でもっと大きく強いものだよ」
「“愛”は強くないと先輩は考えてるんですか?」
マリアの瞳が悲しげな憂いを帯びたように見えた。
「“愛”は大きな喜びを与えるかもしれない。しかし、その反面に怒りと憎しみを産みだす…… いや、そういう感情に流されてしまうんだろうね。そう考えるといかにも脆くてか細い」
「だから育てていかないと」
そう微笑みながら返されたときに自分の中に戸惑いのよなものを感じた。
地球の夕陽に照らされたマリアは、さっきまでの健康的な美しさとは違った美を湛えていた。
僕は声を漏らして笑った。
「面白いね。君は」
「そうかなぁ…」
おどけて首を傾げるマリア。
「君は“愛”を知りたいみたいだね?」
「えっ」
マリアの瞳を見つめながら頬に手を添えた。
「どういうものか僕も興味がある。君をとおして僕に教えてくれないか?」
マリアの手を取る。
「ちょっと… 先輩、どうしちゃったの?」
「正直、僕は君に夢中だ」
「こんなところで…」
マリアは頬を赤く染めると消え入りそうな声で言った。
「じゃあ誰も来ないとこならいいのかな?」
マリアはぶるぶると頭を振ると、
「そ、そういう問題じゃなくって私は…」
「私は?」
聞き返して抱き寄せる。
「君となら愛というものを体感できるかもね」
「ダメですよ…」
その声を聞いたときにマリアの耳元で囁いた。
「なんてね」
「えっ」
「ここで愛してるとか耳元で囁けばドラマのワンシーンみたいにはなるんだろうけどね」
笑って言うと緊張気味だったマリアの表情もほころんだ。
「もう!先輩!悪ふざけしすぎです!」
マリアは頬を膨らますと肘で僕の腕をつついた。
その仕草がなんとも愛らしい。
「ハハハッ。 ゴメン、ゴメン。僕もこんな話題を誰かと話したことなんてなかったからね。いい刺激になったよ」
「そんな!私が白神先輩に刺激だなんて」
「さっきも見たとおり家に帰ると僕の周りは子供だらけでね。歳の近い人と話すなんてことは皆無なんだ。だから新鮮でね」
「それは…そうかもしれませんね」
「あの子達も君を好きになったみたいだし、良かったらまた、いつでも遊びにきてよ」
「ハイ!お邪魔でなければ!」
「ああ。今度また話そう」
「ええ!」
マリアは笑顔で返事をすると僕にお辞儀をして歩きだした。
川沿いの道を歩いていく彼女の背中を僕はしばらく見つめていた。
家に帰ると園長夫婦が夕飯の支度をしていた。
「すみません。今日は僕の当番だったのに」
すると園長が柔らかい笑みを浮かべて言った。
「ハハッ… いいんだよ。聖也も高校生だし友達と遊ぶのも貴重な時間なのだから」
「すぐ仕度します」
僕がブレザーを脱ごうとすると副園長が制した。
「いいからいいから。あっちで座ってなさい」
「でも…」
「じゃあ下の子達の面倒を見ていてちょうだい。じきにご飯になるから」
「はい…」
食卓に行くとみんなが僕を見た。
「聖也兄ちゃん、ほんとのとこはどうなの?」
武が聞いてきた。
「ん?」
「あの人って彼女なんでしょう?」
幸が興味深そうに身を乗り出す。
「ハハッ、だといいけど残念ながら違うんだ」
「良かったね!瑠璃」
桜にふられて瑠璃が頬を赤く染めた。
「おい?どういう意味だ」
「鈍いなぁ、兄ちゃん。瑠璃は兄ちゃんのことが好きなんだよ。なぁ~?」
正則が冷やかすように瑠璃に言うと瑠璃はいよいよ真っ赤になって下を向いてしまった。
「正則!つまんないこと言わないの!!」
桜がパチンと正則の頭を叩いた。
やれやれ……
僕は席に着くと、うつむいている瑠璃に声をかけた。
「ありがとな。瑠璃」
瑠璃は無言でうなずく。
さっきマリアと一緒にいたときとは想像もできない反応だ。
「瑠璃のヤツ、真っ赤じゃん!」
「うるさい!」
桜がまた正則を叩いた。
「いてえな~ なにすんだよ!」
「なによ!?」
つかみ合う2人。
「オイ、やめろって!もうすぐ食事だぞ」
僕が言うと2人はサッと大人しくなった。
程なくして園長夫妻が夕食を運んできた。
「まだキッチンの方にあるからお願いね」
副園長が言うとみんな元気に返事をして席を立った。
僕も一緒にキッチンに行く。
そして祈りを捧げていつもの夕食が始まった。
食事をしながらふと気になった。
チラッと園長夫妻を見る。
あなた達はどうして赤の他人の僕らにこれほど親切にできるのだろう?
ここに、この2人が僕らに与えているものが“愛”になるのだろうか?
僕らの先にも同じような子供がここにはいた。
その子供達にもあなた達は等しく“愛”を注いでいたのだろうか?
それほど手軽なものなのだろうか?
僕らはいなくなる存在だ。
時期が来れば入れ替わる。
その都度、リセットするのか?蓄積されていくのか?
確かなことは、この2人に関しては利己的な感じは受けないということだ。
食事が終わって後片付けをすると、みんな広間でテレビを観たりゲームを始めた。
僕は部屋に行って本でも読もうと思い立ち上がると瑠璃が来た。
「ん?どうしたの?」
「これ。作ったんだ」
瑠璃が照れくさそうに差し出したものは折り紙で作った犬だった。
「へえ~上手だね!」
器用なものだ。
「ありがとう。大事にするよ」
そう言って折り紙の犬をシャツの胸ポケットにしまった。
すると瑠璃は嬉しそうに笑ってテレビを観ている桜達のところへ行った。
まあ……
これは“愛”とは違うだろうな……




