マリアとミカエル・愛の考察 2
放課後になり帰り道を歩いていると10メートルほど先にマリアの後ろ姿があった。
最近は僕を慕う人間たちが執拗にまとわりついていたが、何回か拒絶するうちに沈静化した。
「マリア!」
声をかけるとくるっと振り向く。
「白神先輩」
マリアは立ち止ると屈託のない笑顔で僕に手を振る。
僕も軽く手を上げて応えると歩いていった。
「今日は一人なんだね」
「ええ。みんなそれぞれ部活とかありまして」
「ふうん… マリアは部活はしないの?」
「私は今のところ… 体動かすのは好きなんですけどね!」
「そうなんだ?じゃあウチの学校の運動部はお気に召さないかな?」
「いえいえ!そんなんじゃないんです!ただ、ちょっと止められてて」
「誰に?」
「パパと… 神尾先生に」
「神尾先生?」
「あっ!私の家庭教師の先生です!私が小さい頃から住み込みで… もう家族同然なんですけどね」
「ますます変わってるね。君の家庭は」
「言われてみるとそうですよね」
「ますます興味がわいたよ。君にも、君の背景の事情にも」
「私も興味があって
「何に?」
「神様…… 白神先輩が言う“主”です」
「主のなにを聞きたいのかな?」
僕は歩きながら問い返した。
「どんな存在ですか?その… 私たち人間が信仰しているような、愛を説き、慈愛に満ちた、救いの手を差し伸べるような、そんな存在ですか?」
僕は脚を止めてマリアを見た。
マリアは僕の目を見て答えを待っている。
僕は軽く微笑むと首を振った。
「全く違うよ」
説明を続けるために僕はまっすぐ伸びた道の横にある土手を指した。
「少しあそこで話そう」
「はい」
マリアと二人並んで座る。
ゆっくりと流れる川を見ながら主について話しだした。
「この宇宙を創造した主に感情というものはない。君たちが抱く神のように優しい存在ではないんだ」
「感情がない…?」
「そうだ。それに主は特定の個に関心は抱かない。あくまで宇宙全体の調和のみを考えておられる。だからいくら地上の人間が祈ろうが何を願おうが主には届かないよ」
「そんな……じゃあ私も神様、主になったらそうなるんですか?」
マリアはとても悲しそうな顔をした。
「それは正直僕もわからない。そうなるかもしれないし、或いは全く違う考えを持った存在になるかもしれない」
マリアはきゅっと唇を噛み締めた。
そして頭を振ると僕の方を見て言った。
「私、そんなのにはなりたくない」
やれやれ……
「君は前にも言ったよね?人間として生きたいと。友人と語り、遊び、恋をして愛を知り人間としての生活を送りたいと」
「はい」
「そんなに人間として生きたいかい?拘りたいかい?」
「そりゃあそうですよ。だって人間として生きてきたのだから」
「なるほどね。一理ある。でも人間が拘るべき価値もないものだとしたら?それでもそう思うかな?」
「そんな…… 白神先輩は人間でないから、天使だからそう言えるんです」
「わかった。君に見て欲しいものがあるんだ。それを見てからもう一度質問するよ」
僕は笑顔を見せると立ち上がった。
「さあ。ちょっと来てくれないか?」
マリアが主に対して関心を持ったのは大きなチャンスだ。
彼女の価値観を変えるきっかけになるかもしれない。
歩き出した僕の後をマリアはついてきた。
「あのう…どこに?」
「僕が暮らしている施設だよ。この先にあるんだけど寄ってみる?」
「えっ?いいんですか?」
「ああ。ウチには小さい子供がけっこういてね。お客さんは大歓迎だよ」
5分ほど歩くと施設に着いた。
「ここが僕の家だよ」
門を開きながら招き入れた。
庭ではすでに帰宅していた子供達がみんなでドッジボールをして遊んでいるところだった。
全員が僕の帰宅に笑顔を見せたが後ろにいたマリアを見て表情をこわばらせた。
「あの…」
「大丈夫。お客は滅多に来ないから驚いてるんだよ」
僕はマリアに話してから子供達の方へ笑顔を向けた。
「この人は僕の大切な友達だから」
こちらを見る子供達から幾分、緊張の色が溶けた。
僕は手前にいた正則に園長夫妻はいるか聞いてみた。
「うん!今は教室の方にいるよ」
「ありがとう」
正則に礼を言うとマリアの方へ向き直った。
「ちょっと園長夫妻を呼んでくるから待っててくれないかな」
「はい」
「すぐに戻るよ」
大きく分けてこの施設の家は4つの部屋からなっている。
一つは玄関から入ってすぐの広間、奥にはキッチンがあって僕らが食事をしたりする部屋だ。
その隣が教室という少し変わった部屋になっている。
この施設では一番大きな部屋だ。
といってもその規模は微々たるもの。
10人ほどで満員になるくらいの広さだ。
奥の壁に木製の十字架にかかったキリストが掛けられている。
ここで学校の勉強をしながら毎週日曜日に園長夫妻が聖書を読んでくれる。
これは夫妻が神を信仰している証に他ならない。
彼らは親に見捨てられたゴミのような僕らの情操教育に聖書の教えがいるものだと思っている。
僕にとってはナンセンスなのだが彼らの真摯な態度は伝わる。
だから“主”のしもべたる僕も甘んじて聞いているわけだ。
広間を通って教室に行くと副園長が机を拭いていた。
「先生」
先生――
そう、僕は園長とその夫人を「先生」と呼んでいる。
「まあ、聖也」
園長夫人は柔らかい笑顔を僕に向けた。
「先生、今日は学校の友達を連れてきたんです」
「えっ」
驚く園長婦人。
無理もない。
だって僕がここに“友達”を連れてきたことなんて未だかってないことだ。
「これは珍しいね。聖也がお友達だなんて」
手に持っていた雑巾を畳みながらこちらに歩み寄る。
「ちょうどみんなにケーキを出そうと思っていたところなの。ご一緒にどうかしら?」
「ありがとうございます」
「じゃあ準備をするから、もう少し待っていてもらって」
「はい」
とりあえずマリアには中に入ってもらおう。
僕も準備を手伝わないと。
玄関から外に出ると子供たちとマリアはドッジボールをしていた。
「あっ!白神先輩!」
マリアが手を振った。
「あっ」
僕が声を出そうとしたのも束の間、武の投げたボールがマリアに当たった。
そこをタイミング良く桜がキャッチする。
「痛って!やったな!」
桜からボールを受け取ったマリアは武に向かってボールを投げた。
人見知りなこの子達が、こんな短時間で懐くとは・・・
笑い声と歓声。
マリアの側はいつも幸せな雰囲気で満ちている。
そこにいる誰もが笑顔になる。
ここ何回か、彼女とその周囲を見て感じたことだった。
無邪気に子供達と戯れるマリアをしばらくの間見ていた。
その健康的な美しさを。
きりのいいところで園長婦人がお茶の用意をしてくれていることをみんなに告げた。
子供達は嬉しそうにこちらへ走ってくる。
マリアはボールを持ちながら歩いてきた。
「随分と仲良くなったね」
「なんか楽しくって」
屈託のない笑顔で言う。
テーブルに着くと人数分のケーキと紅茶が置かれた。
テーブルには園長と副園長を上座にみんなきちんと座っている。
「やあ。いらっしゃい」
「お邪魔します」
園長夫妻がにこやかにマリアを迎えた。
マリアも笑顔でお辞儀した。
「美味しそう!いただきます!」
苺ののったショートケーキを前にみんな嬉しそうだ。
「マリアはこういう甘いものは好き?」
「はい!大好きです」
僕が聞くとマリアはティーカップを手に取り笑顔で返事した。
「そういえばお名前をまだうかがってなかったわ」
園長夫人が言う。
「あっ!すみません!私、高原マリアっていいます」
ティッシュで口許を拭くと背筋を伸ばして答えた。
「高原さんというと… もしかして高原教授の娘さんかな?」
園長が興味深そうに聞く。
「はい」
「まあ… じゃあ、あそこのお屋敷の」
高原教授はこの町では有名人だ。
いや、この町どころではない。
ノーベル賞受賞者として、日本の誇る「世界の頭脳」として。
それがマリアの父親だった。
「いやぁ、高原教授の娘さんがうちの聖也と仲良くしてくれるなんて光栄だね。しかもこんなに綺麗で明るいお嬢さんが」
園長が言うと婦人も笑顔でうなずいた。
「そんなことないですよ…」
照れくさそうに肩をすぼめるマリア。
「私の方こそ白神先輩と仲良くしてもらって光栄です」
「学校では聖也はどうなのかしら?みんなと上手くできてる?」
園長夫人が聞く。
「はい!生徒会長で全校生徒の憧れです!」
「まあ… 生徒会長になったのは聞いたけど聖也はほとんど学校のことは話さないから」
「それに友達を連れてきたのも初めてなんだよ」
園長が言う。
「私のクラスにも大勢いますよ!白神先輩のファン!」
お茶の時間はこの上ない和やかなものだった。
マリアは海外留学した話を冗談交じりにみんなに話した。
子供達はマリアの話しに夢中になっていた。
園長夫妻も加わって、みんなの笑い声が絶えないテーブル。
こんなにも打ち解けるとは予想外だった。
そして、みんなと打ち解けているマリアを見ていると自分の中に安堵にも似た感情が湧き上がっていた。
夕食の時間が迫ってきたので園長夫妻はマリアも一緒にどうかと尋ねた。
「すみません… 家の方で作ってると思うので今日は失礼します」
マリアは申し訳なさそうに頭を下げた。
園長婦人とみんなは玄関まで帰るマリアを見送りに出てきた。
「聖也、気をつけてお送りするんだよ」
「はい」
マリアを送っていく僕に園長が言う。
「またいらしてくださいね」
園長婦人が笑顔で言った。
「はい!」
「お姉ちゃんまたね!」
瑠璃をはじめとする子供達みんなが手を振って言う。
「うん!みんなまたね!」
マリアもそれに応えるように手を振った。
門を抜けて施設の外に出たマリアは、玄関の外まで出てきているみんなに改めて手を振ってお辞儀した。
「今日はありがとうございます!とっても楽しかったです」
「それなら良かった。呼んだ甲斐があったよ」
マリアはうつむいて何かしら考えている風だった。
そして立ち止まると僕をまっすぐ見て質問した。
「白神先輩は私に何を見せたかったんですか?というより何を言いたかったんですか?」
「あの施設が君が拘る人間の全てだよ」
「えっ…」
驚くマリアを置いて僕は歩き出した。




