マリアとミカエル・愛の考察 1
僕が地球に来たとき、これが実に最悪だった。
マリアと出会うために人間の身体が必要だった。
そこで妊娠している女性の身体、正確にはその中にいる胎児と同化するわけなんだが……
予想だにしないハプニングが起きた。
なんと生後間もない僕は捨てられてしまった。
雪が舞い散る夜だったという。
とある病院の、それ専用の場所に捨てられたのを職員が助けてくれた。
おかげでこの歳まで健康に人間として生活できている。
それにしても実に危なかった。
だって死んでしまったら“主”の御心に沿うことができないからね。
僕ら天使は100%そのためだけに存在している。
逆に言うとそれ以外の存在理由は無い。
ところが枠から大きく逸脱した者がいた。
それがルシファー。
“主”が一番最初にこの世に創った天使。
あらゆる意味で“主”に最も近い天使。
その姿は美しく威厳に満ちていた。
誰もがルシファーを仰ぎ見た。
それがどういうわけか、何を血迷ったのか天使の三分の一を率いて“主”に戦争を仕掛けた。
僕は“主”の言葉に従い、天使の軍団を率いてルシファーと戦った。
結果、ルシファーは敗北し、叛乱した天使とともに深淵に落とされた。
僕とルシファーはもともと“主”の補佐をするために創られた。
右手と左手のようなものだ。
それが敵味方になり戦うだけでも想定外だったのが、果てしない時間を経過して地球でこうして肩を並べて再び言葉を交わすとは……
マリアと出会うまでの間、僕はルシファーとは違った環境で人間として生活した。
もともとこの宇宙が誕生してから決まっていたことだった。
正確に言うと“主”が誕生した時から。
人間としてのマリアを僕らの属性に染めるために僕は人間として生活しながら研究した。
人間を。
結果は実に不可解で、これほど愚かなものなのかと痛切に思った。
僕ら天使から見たらあまりにも不完全で脆く、卑劣で蒙昧だ。
このような下等な猿をどうして“主”が創造されたのか理解に苦しむ。
おっと。
“主”の御心に疑念を挟んではいけない。
なぜなら、その思惑は僕ら天使の及ばぬところなのだ。
忠実な下僕は黙々と与えられたことだけをしていればいいのであって、そこに自分の幼稚な考えなど持ち込むべきではない。
どうも人間と暮らしていて僕にも悪い影響がでているようだ。
戒めないと……
それから人間と暮らしていて僕が滑稽でたまらなかったことがある。
それは人間が言う“神”という存在だ。
どうも我らの“主”を指しているらしい。
彼らは甚だ誤解している。
そもそも“主”は人間のことなんてこれっぽっちも考えてはおられない。
少なくても僕が見た範囲ではだ。
愛という概念もない。
慈悲も怒りも、感情も。
何もない。
従って、いくら祈ろうが“主”には届かないし響かない。
なのに彼らは毎度の食事の度に祈りを捧げる。
しかも人間は神=主には無限の愛があり、自分達を救済してくれると信じている。
いったいどうしたらこれほど都合のよい考えが生まれるのか?
どうして曲解するのか?
そのことを自分なりに研究するのはいい暇つぶしにはなった。
マリアの思考を理解するのにも役立つだろう。
さて、そろそろ本腰を入れていくか。
毎朝、それぞれの当番をこなして食卓に着く。
僕は施設で暮らしている。
管理しているのは園長と副園長の老夫婦だ。
僕以外に5人の子供がいる。
みんな小学生か、それに入るかというところだ。
つまり暮らしている子供の中では僕が年長になるわけだ。
食卓に着くと園長に倣ってみんなが手を合わせる。
そして神様に祈りを捧げる(この滑稽な行為にも慣れてしまった自分がおかしくもあるが)
8人で囲む食卓はにぎやかだ。
そして学校がある者は食事をすませると登校していく。
僕もその1人だ。
「行ってきます。先生」
「気をつけてね聖也」
副園長の老婦人はいつも温かい頬笑みで僕らを送りだしてくれる。
この人たちの感心なところは他人の子供を自分の子供のようにめんどうをみているというところだ。
善と悪――
この二つで分けるとしたら間違いなくこの人たちは善良な人間だろう。
無欲で慈善の心を持ち、子どもたちに対して献身的だ。
人間の言う“神”とはこういう人たちを指すのではないかと、ふと思う。
しかしこの人たちを崇め、仰ぎ見る者はいない。
それが不思議だった。
施設の門まで来ると後ろを振り返った。
副園長は、まだ小学校に上がる前の子と手をつないで僕に手を振っている。
口元をゆるめて手を振りかえすと道路に出た。
最近では、毎朝繰り返されるこの光景が僕の中に影を落とす。
もうすぐ滅んでしまうのに……
終末はすでに背後から肩を叩こうとしている。
ああ… この人たちはそのことを知る由もないのだ。
そして逃れることもできない。
そのことを考えると胸の奥がわずかに締めつけられるような感覚になる。
僕は振り払うように頭を軽くふった。
僕が通っている学校というものも人間を知る上では非常に役に立った。
ここには大人と子供がそれぞれの役割を持って、同じ空間で過ごしている。
ここに通う生徒、つまり人間の子供だが彼(彼女)達は実に卑怯で怠惰だ。
会ったことのない芸能人との結婚を真剣に悩むような蒙昧さもあれば、自分よりも強い者、弱い者を実に鋭敏に嗅ぎ分けるリアリストな面もある。
権威ある者、強者には媚びへつらい弱者には徹底的に容赦なく残酷になる。
実に大人も子供もそうなのだから、これが人間の素養なのだろう。
要するにブレブレなのだ。
僕ら天使、悪魔でさえもその行動と思考には一貫性がある。
いや……
間違えた。
彼らにも一貫性はあった。
ブレることなく彼らに等しく存在するもの――
自分を特別な存在と強烈に思い込む自己愛だ。
こうして朝から夕方まで学校というところにいると実によくわかる。




