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【第六子】彼の名を知った日

― 川原ミサキ ―


「川原ミサキ、適合率通知 交配対象:相田ユウ(28) 適合率:98.2%」


その通知を初めて見たとき、私は冷めた笑いを浮かべた。


また数字か、と。


妊孕性、心理安定度、遺伝子組成、過去の恋愛傾向。

すべてがデータに還元され、アルゴリズムによって“最適な相手”が割り出される。

人と人とを繋ぐはずの感情は、この制度においては「誤差」として排除されていた。


私は制度のなかで生きることを一度拒んだ人間だ。

21歳のとき、最初の“通知”が届いた。

相手の名前も顔も忘れた。ただ、当時の自分が怖くて仕方なかったことだけは覚えている。


家族と激しく言い争った。


「この制度は正しいわけがない」「子どもをつくるって、そんなに効率で決めていいのか」――

でも、誰も聞こうとしなかった。

国民義務、人口対策、合理性。それがすべてだった。


最終的に、私は家を出た。

以来、制度には表面的に従いながらも、どこか心を置かずに生きてきた。


そんな私が、彼――相田ユウと出会った。



初めての面談室は、どこまでも無機質だった。

白い壁、無臭の空気、すり減った椅子。すべてが、感情を必要としない設計だった。


そこに彼がいた。


「相田ユウです、よろしくお願いします」


その声は、予想よりもずっと落ち着いていた。

年上で、無表情で、何を考えているのか読み取れない。

最初は「つまらない人」だと思った。制度の顔をした男。

そうやって、自分を守ろうとした。


でも、彼は違った。


最初の会話のなかで、「俺はこの制度を信じていない」と言った。

驚いた。誰もがそれを心の中では思っていても、口には出さなかったから。


私たちは、そのとき初めて「制度以外の言葉」で話した気がした。



再面談が決まったとき、自分の中にわずかな動揺があった。

制度が設定した“仮同居72時間”の許可が下りた。

適合率90%を超える者には、交配前に「共同生活の観察期間」が与えられる。


最初は不安だった。過去の記憶が疼いた。

触れられること、見られること、自分の“性”が他人の意志で試されること。

制度は「事前合意」を重視するが、その“合意”が恐怖からの迎合ではないと、どうして断言できるだろう。


けれど、ユウは違った。


仮同居の初日、彼は何も求めてこなかった。

私が戸惑っていると察したのか、どこかよそよそしい距離を保ってくれた。

でもそれが、どこか優しかった。


——あの夜、私が不意に彼の背中に額を預けたのは、自分でも驚く行動だった。


「もし、私と……そうなったらって、考えたことあります?」


冗談に見せかけた問い。

でも、心の奥では本気だった。


あの一歩が、自分にとって何かを越える試みだったことを、今ならはっきりわかる。


彼はすぐに答えなかった。

迷っていた。でも、それが嬉しかった。

“答えを持っていない人”であることが、どこか信頼できた。



そして今、私は知っている。


彼には、次の面談がある。新しい候補が通知されている。

名前は、朝霧レナ。


公式には私たちは「仮同居」を経て、自由な選択をする段階に入った。

選ぶ権利がある。選ばれる保証はない。


私は、この事実を「制度上の情報」として知っている。


勤務先である心理応用課では、適合者のデータが共有される。

もちろん非公式には、ツバサが知らせてくれた部分もある。

彼女はあの面談映像を何度も見返していた。

「この人は、泣くために選ばれたんじゃない」と呟いたとき、私は涙が出そうだった。


——私は、選ばれたい。


制度の数字としてではなく、ひとりの人間として。


けれど、私はまだ怖い。

もし彼が、制度の次の扉を選んだら、私はまた「数字」に戻ってしまうのではないか。


ユウはまだ知らない。

私がどれだけの勇気で、彼の名を検索したか。

その手が震えていたことも。


でも、もう逃げたくない。


次の面談。

私は自分の言葉で、彼に伝えるつもりだ。


「私は、あなたとなら、もう少しだけこの制度の中でも生きてみたい」と。


この言葉が、制度を超える一歩になりますように。

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