【第五子】心の繋がり
「おかえりなさい」
その声が聞こえた瞬間、結城悠はほんの少しだけ、制度という現実を忘れた気がした。
台所には水城ミサキの姿。髪は後ろでひとつに束ねられ、白いエプロンを身につけている。
小さな鍋からは味噌の香りが立ちのぼり、温かな湯気が部屋の冷えた空気を和らげていた。
「……ただいま」
ぎこちなく返事をしたユウは、玄関で靴を脱ぎながら、どこか落ち着かない気分だった。
仮同棲生活が始まって、まだ数日。
お互いに手探りで、必要最低限の距離を保ちながら過ごしていた。
それでも、毎日ミサキが玄関で迎えてくれるという事実が、ユウの中に少しずつ安らぎを作っていた。
「疲れたでしょう?お風呂沸いてるよ。ごはんはそのあとでもいいし」
「ありがとう。でも、先にちょっとだけ座らせて」
リビングに腰を下ろすと、ミサキが温かいお茶を差し出してくれた。
その動作のすべてが柔らかく、押しつけがましさがない。
制度の強制力に縛られているとは思えないほど、彼女の優しさは自然だった。
「ねえ、ユウさんは――この制度、どう思う?」
不意に投げかけられた言葉に、ユウの手が止まった。
「……難しいよ。正直、まだ答えが出せてない。
最初はただ理不尽だと思った。でも、今こうしてミサキと過ごしてると……何が“正しい”のか分からなくなる」
ミサキは静かに頷く。
「私も、最初は怖かったよ。
“相手に選ばれる”って、嬉しいことのはずなのに、義務になった瞬間、意味が変わってしまった気がして」
少子化が加速したのは、20年前。
産みたいと思える社会が消えたから。
未来に希望を持てず、ただ生きることで精一杯な世代が続いた結果だった。
生活費は増加、年金制度は事実上崩壊し、国はついに“交配適齢期制度”という名の法律を施行した。
対象年齢の男女には、無条件で適合者が選ばれ、面談、同居、性交が国の管理下で行われる。
それを拒否すれば、社会的なペナルティ――職場への圧力、住居の制限、最悪の場合は強制隔離処分もある。
「でも、やっぱり……誰かと心で繋がりたいって思うんだよね」
ミサキの声は、少しだけ揺れていた。
「制度は身体の結びつきばかりを重視してる。でも、人の心って、そんな単純じゃない。
触れられるだけで、全部分かるわけじゃないし……」
ユウは思わず、彼女の横顔を見つめた。
この人は、なぜこんなにも真っすぐで、優しくて、強いんだろう。
そして、そんな彼女の心の奥底に、自分は少しでも踏み込めているのだろうか。
「ミサキ」
「うん?」
「ありがとう。……一緒にいてくれて」
その言葉に、ミサキはほんの少しだけ目を見開き、それから笑った。
「どういたしまして」
その笑顔は、制度なんて忘れてしまいそうになるほど、あたたかかった。




